2015/03/31 - 2015/03/31
222位(同エリア333件中)
滝山氏照さん
豊川の河岸段丘にある大聖寺(だいしょうじ、愛知県豊川市牛久保町)は永享11年(1439)に一色刑部少輔時家(いっしき・ぎょうぶしょうゆう・ときいえ、生誕不詳~1477)が一色城を築いた際、城郭の中に私寺を建てたのが始まりとされ、同境内には「東海道の弓取り」といわれる駿河・遠江の太守である今川義元(いまがわ・よしもと、1519~1560)の胴塚があると伝えられています。
義元は永禄3年(1560)、上洛(?)をめざす途中の尾張国桶狭間の戦いで織田勢に討たれその際首級は持ち去られ、義元家臣らは首のない遺体を運んで駿河へ敗走する途中駿河までの距離を考慮すれば持ち運びは無理と判断し今川勢力地であるこの地に葬り手水鉢を墓印とし、永禄6年(1563)後嗣の氏真(うじざね、1538~1615)は亡父の三周忌をこの大聖寺で営んでいます。
廟に入る手前の右側に「今川義元公墓所」と題した説明板には次の記載があります。
「 今 川 義 元 公 墓 所
戦国時代の駿河・遠江・三河の領主今川義元は永禄3年(1560)5月19日、尾張桶狭間の合戦で織田信長の奇襲にあって討死しました。
その時、首を取られた義元の胴体を家臣が背負って当地まで逃れ、この寺に葬って、とりあえず石の手水鉢をのせ墓石の代わりにしました。それが、「義元の胴塚」と言われる由来です。
嫡子上総介は永禄6年(1563)父義元の3回忌をこの寺で営み、父の位牌所として寺領を安堵しました。
その後、墓は整備され、毎年義元の命日には、地元の人々により慰霊祭が行われています。
豊川市教育委員会 」
また同廟には城内に大聖寺を創建した一色城主で下剋上により家臣である波多野時政に殺害された一色刑部少輔時家(いっしき・ぎょうぶしょうゆう・ときいえ、生誕不詳~1477)の墓石が配されています。
時家墓石の脇に掲げてある説明板には次の通り記されています。
「 一 色 刑 部 の 墓
室町幕府足利の一族一色刑部少輔時家の墓である。永享11年宝飯郡長山村に築城して一色城と称した。
此処の窪地に大牛が横臥していた因縁により牛頭山大聖寺を城郭内に建て牛頭天王を祀った。文明9年時家は豪臣波多野全慶に殺され、16年後には全慶も亦牧野古伯に討たれ城主は牧野氏となる。
永正2年古伯吉田城を築いて豊橋へ出て次男成勝を瀬木城より呼んで城主とした。之より牛窪城と改まる。」
- 旅行の満足度
- 3.5
- 交通手段
- JRローカル
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大聖寺山門
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「牛久保史跡巡り」案内図
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JR飯田線
高台になっている大聖寺境内のすぐ南側にはJR飯田線が走っています。 -
境内風景
山門を潜ってすぐ左側に立つ桜の大樹が見事に花を咲かせています。 -
今川義元廟通路
これから奥行きのある細い路を進みます。 -
今川義元・一色刑部墓所
義元と共に一色城主であった一色刑部少輔時家(ときいえ、?~1477)の墓所でもあります。 -
今川義元・一色刑部墓所入口
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今川義元墓石
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今川義元五輪塔
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イチオシ
今川義元五輪塔
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「今川義元墓所」説明板
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一色刑部墓石
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一色刑部墓石(近景)
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「一色刑部墓石」説明板
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廟内風景
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廟内風景
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一色城跡
民間の事業所の駐車場の一角に唯一の城跡が残されています。 -
一色城標柱
接近すると土塁と思われる塊の前に「一色城保障(かきあげしろ)外壁跡」の標柱が
立っています。 -
一色城保障(かきまげしろ)外壁の跡
接近すると土塁と思われる塊が5角形のコンクリートに取り込まれた状況です。 -
一色城跡風景
接近すると土塁の一部と思われます。 -
一色城跡風景
低樹木が植えられている土塁(土の塊)の上には特段の説明板など付されず当該土塁の部位が不明なのは残念です。 -
一色城跡風景
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