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大山街道は、江戸時代「矢倉沢往還」いわれていました。<br />「矢倉沢往還」とは、江戸の赤坂御門を起点として、青山、渋谷、三軒茶屋より瀬田を経て、多摩川を二子で渡り、多摩丘陵、相模野の中央部を横切り、足柄峠手前の矢倉沢関所に至る街道でした。東海道と甲州街道の中間に位置する脇街道でしたが、タバコ、鮎、生糸、炭など相模地方の産物を江戸に送る重要な道路で、沿道には人馬継ぎ立場として伊勢原、厚木、国分、下鶴間、長津田、荏田、溝口、二子などがありました。<br /><br />この「矢倉沢往還」は、別名西に向かっては厚木街道、東に向かっては青山街道とも呼ばれていました。また江戸時代中期以後、江戸庶民の大山詣りの道として盛んに利用され、矢倉沢往還は「大山街道」、「大山道」とも呼ばれるようになりました。<br /><br />今年の目標として、この大山街道を歩いてみようと思います。最終的には全行程歩きますが、とりあえず私の住む場所に近いところから始めます。<br /><br />江戸時代の五街道はいろいろな人によってスケッチされ、書物にも刊行されていますが、大山街道について書かれたもは少なく、渡辺崋山の絵入り紀行文「游相日記」が唯一のようです。彼の旅の主たる目的は藩主・三宅氏の家譜編纂のための調査で、特に崋山が近侍していた三宅友信の生母(11代藩主康友の側室)お銀様のその後の消息を、実家のある相州に訪ねることでした。<br />この旅行記も、関連部分をその都度、紹介していきたいと思います。<br /><br />第1回は鷺沼(川崎市宮前区)から荏田(横浜市青葉区)までの4.2kmです。<br /><br />図は「鎌倉・江ノ嶋・大山 新板往復雙六」北斎為一図より「荏田」を抜粋(神奈川県立博物館所蔵)<br />

大山街道① 鷺沼(川崎市宮前区)~荏田(横浜市青葉区)

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2015/02/14 - 2015/02/14

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元カニ族

元カニ族さん

大山街道は、江戸時代「矢倉沢往還」いわれていました。
「矢倉沢往還」とは、江戸の赤坂御門を起点として、青山、渋谷、三軒茶屋より瀬田を経て、多摩川を二子で渡り、多摩丘陵、相模野の中央部を横切り、足柄峠手前の矢倉沢関所に至る街道でした。東海道と甲州街道の中間に位置する脇街道でしたが、タバコ、鮎、生糸、炭など相模地方の産物を江戸に送る重要な道路で、沿道には人馬継ぎ立場として伊勢原、厚木、国分、下鶴間、長津田、荏田、溝口、二子などがありました。

この「矢倉沢往還」は、別名西に向かっては厚木街道、東に向かっては青山街道とも呼ばれていました。また江戸時代中期以後、江戸庶民の大山詣りの道として盛んに利用され、矢倉沢往還は「大山街道」、「大山道」とも呼ばれるようになりました。

今年の目標として、この大山街道を歩いてみようと思います。最終的には全行程歩きますが、とりあえず私の住む場所に近いところから始めます。

江戸時代の五街道はいろいろな人によってスケッチされ、書物にも刊行されていますが、大山街道について書かれたもは少なく、渡辺崋山の絵入り紀行文「游相日記」が唯一のようです。彼の旅の主たる目的は藩主・三宅氏の家譜編纂のための調査で、特に崋山が近侍していた三宅友信の生母(11代藩主康友の側室)お銀様のその後の消息を、実家のある相州に訪ねることでした。
この旅行記も、関連部分をその都度、紹介していきたいと思います。

第1回は鷺沼(川崎市宮前区)から荏田(横浜市青葉区)までの4.2kmです。

図は「鎌倉・江ノ嶋・大山 新板往復雙六」北斎為一図より「荏田」を抜粋(神奈川県立博物館所蔵)

同行者
一人旅
交通手段
私鉄 徒歩
旅行の手配内容
個別手配

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