大山街道は、江戸時代「矢倉沢往還」いわれていました
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- 旅行時期:2015/03(約9年前)
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by 元カニ族さん(男性)
溝の口・武蔵小杉 クチコミ:2件
大山街道は、江戸時代「矢倉沢往還」いわれていました。
「矢倉沢往還」とは、江戸の赤坂御門を起点として、青山、渋谷、三軒茶屋より瀬田を経て、多摩川を二子で渡り、多摩丘陵、相模野の中央部を横切り、足柄峠手前の矢倉沢関所に至る街道でした。東海道と甲州街道の中間に位置する脇街道でしたが、タバコ、鮎、生糸、炭など相模地方の産物を江戸に送る重要な道路で、沿道には人馬継ぎ立場として伊勢原、厚木、国分、下鶴間、長津田、荏田、溝口、二子などがありました。
この「矢倉沢往還」は、別名西に向かっては厚木街道、東に向かっては青山街道とも呼ばれていました。また江戸時代中期以後、江戸庶民の大山詣りの道として盛んに利用され、矢倉沢往還は「大山街道」、「大山道」とも呼ばれるようになりました。
- 施設の満足度
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4.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 4.5
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 4.0
クチコミ投稿日:2015/03/26
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