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プチェラーマーヤのぼうけん(4)

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1990/09/01 - 1990/09/01

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JIC旅行センター

JIC旅行センターさん

■現地採用 IN ロシア

 JICの10ヶ月留学の後、単身またウラジオストックに渡った。留学中に知り合った日本人ビジネスマンをたどり、日ロ合弁会社に就職した。ロシア人社員との関係、日本人出資者との対立、ロシア連邦による法律の乱発、ロシアのセクシャルハラスメントなど数々の問題を目の前にしてきた。今だから笑って思い出せるものの、一人残して来た日本人の上司のことを考えるとかわいそうでしかたがない。時々思い出しては心の中で、ごめんね、とつぶやくのだ。

 ウラジオストックには、90年秋に留学した。まだ開放前のおもしろい時代だった。日本人に会わないというのは、気分爽快で、やっほーと叫びたくなるほどだった。どこに行っても日本人は群れている。その年、JICから12人が留学していた。他に日本人がいないこともあり、無人島に取り残された12青年という気分で毎日が冒険だった。もしかして「12青年ウラジオ記」という物語が書けるかも知れない。またいつか留学時代にも触れてみたいと思う。でも、とりあえずは、まだはっきりと記憶に残っている合弁会社物語から始めてみよう。笑いと、涙と、こんちきしょー物語の始まり。

■東京出張

 ○×会杜から連絡があり、ウラジオストックで合弁会社を設立するとのこと。たった10ヶ月の留学生活では物足りなかったこともあり、即OKした。実際にウラジオストックに赴くまでの半年ほどは日本での準備期間だった。またロシアに行けると思うと、胸わくわくどきどき、うれしくてしかたなかった。しかし、人生そんなに甘くはないのであった。現地に赴くまでに大ショック事件が起こったのだ。

 合弁会杜の社長がやって来た。理事達と一緒に。ロシアの大きな機関のトップスリーに入る偉い人ときいていたが、まあそんな感じのおじさんだった。この人が、我社の社長なのだ。うまくやってゆかねば、出来る限りの愛想いい顔で迎えた。「私が秘書のマーヤです」。

■その夜の出来事

 社長と理事2人のロシア人と私は品川のホテルに泊まっていた。理事会と合弁会社設立お披露目会のための来日だった。ロシア入が来日する、イコール日本人が香港に行くようなもので、思いっきり買い物をするのである。3人のおっちゃんを連れて東京中歩き回りへとへとになり、山のような買い物袋を両手に抱えやっと夕食にこぎつけた。「やったー、あとちょっとでこの地獄から解放される、さっさと食べさせてホテルに帰ろう」。

 会杜の予算で食べられるのに、何でこんなところでと思いながら、彼らの意向で「やきとりや」に入った。ビールを飲み、慣れないお箸でやきとりをつつきながら、話がはずんだ。はずみ過ぎてしまい、グラスを持つ手も止まらない。グラスからはビールがこぼれ、スーツのスラックスに大きなしみができていた。理事二人は社長に遠慮してあまり飲まなかった。が、社長は、ほとんど千鳥足状態でホテルにたどり着いた。エレベーターに乗ると急に正気付き、スラックスのしみに気付いた。明日のパーティにこんな格好じゃでられない、どうしよう、と落ち込んでしまった。

 あんたは私の秘書なんだから、何とかしろということになった。クリーニングも間に合わない、一着しか持ってないんだったらあんなに飲むなよ、といってやりたかったが今更どなってもしかたない。フロントでアイロンを借りた。それ以外の選択肢はなかったのだ。

 社長の部屋をノックした。夜中の1時過ぎだった。しみ付きのスラックスを取りに行ったのだ。まだ社長の体温ののこるスラックスだった。上着ならまだしも、未婚の私がおっさんの脱ぎたてスラックスに触るなんて、できるならゴム手袋でもしたかった。私の手に恭しくキスをし感謝の意をあらわした。

 ロシアに行くためにはかなりの我慢が必要なのだ。生半可な気持ちじゃとてもじゃない。一体何でこんなことしなきゃならないんだと思いながら、夜中の3時まで染み抜きをし、アイロンがけまでした。

■お披露目会の後で

 次の日、お披露目会が行われた。パリっとしたスーツの社長。秘書とはこういう仕事なのだ。酔っぱらいのおっさんを社長に見せる、これも秘書の力量によるのだ。お披露目会も終わりに近づくころ、やっぱり社長は酔っぱらっていた。大切な品物でも扱うように恭しく社長をホテルまで送り届け、日本人は帰って行った。

 お披露目会も無事終わり、ほっとして部屋でくつろいでいたところ、電舌がなった。またもや夜中の2時過ぎである。またか、と思いながら受話器をとった。「アリョー?」。いやな予感はしたものの、やはり、べろべろに酔った社長からであった。荷作りをしてるんだが一人で出来ない。今すぐ部屋に来て、手伝ってくれという内容だった。最初は丁重におことわりした。昨日のアイロンがけで、日本人はなんでもやってくれると思い込んだらしい。しつこく何度も何度も電話をかけて来る。酔っぱらいの相手なんかしてられない。ばかばかしくて電話をとらなかった。そのうち、かからなくなった、と思ったら今度は部屋をノックし始めた。どん1どん!どん!無言で、どん!どん!と、ノックし始めたのだ。もちろん開けるわけにはいかない。無視すること1時間。やっと去って行った。こんな酔っぱらいのセクシャルハラスメント男が社長だなんて!ショックと腹立ちでその夜一睡も出来なかった。たった一人で外国に働きに行くのに、社長がこんな人なんて。もしかしたら周り中こんなおっさんばかりかもしれないのだ、私は、まちがった選択をしているのかもしれない。本当にウラジオストックに行っていいのだろうか。明くる朝、酔いの覚めたおっさんは、「君、昨日の夜中どこにいたんだい?」。しっかり覚えているのだ。酔っぱらいではなく、もしかして計画犯罪だったのかも知れない。一層腹が立った。

■本当に女は強い?

 その時は、日本人だからそんなことをされたのだと思った。あとでロシア人の友人たちに打ち明けたら、笑われてしまった。よくあることで、一回目にはっきりと、いやだと意志表示すればいいだけだ、とのこと。こんなことは日常茶飯事なのだ。女性達も結構あたりまえだと思っていることが恐いと思った。まだロシアには、セクシャルハラスメントという言葉も、意識もないのである。女性が強いといわれているロシアなだけに、大変びっくりしたことを覚えている。そういう意味では、大変な未開地なのである。

 以後、社長は結構社長らしくまともだった。その後も、一緒に出張することが何度かあったが、友人の家に泊まっていることにしておき、隣のホテルに泊まっていた。

■ウラジオストックへ

 その後、まもなくウラジオストックへ渡った。これから色々なことが起こるのだろう。初めて外国で仕事をする緊張と期待の入り交じった、ロシア生活が始まった。初秋のロシアはとても美しかったのを覚えている。これが、あの黄金の秋なのだ。

 社宅がわりのホテルの窓から一面にアムール湾が見えた。何という美しさだろう。ずっと遠くにうっすらと陸がみえる。その向こうは中国だ。

 アムール湾は、四季を通して、毎日表情を変えた。特に、夕暮れ時の窓一面に広がる壮大な絵は、言葉にしがたい。一面に氷のはっだ海はピンク色になり、形として残しておきたくて何度も写真に撮ってみたが、全く実物のそれとは違っていた。あの色も壮大さも感じられない。形に残せないからこそ、美しいのだろう。

(つづく)

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