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8月3日<br />ホテルで朝食。朝食後にちょっと散歩をして、カッパドキアとお別れ。バスでネブシェヒルに出る。予約したviva hotelにチェックインして、ホテルのお姉さんに「地下都市」への行き方を聞く。教えてもらったバス乗り場からバスに乗ってデリンクユへ。<br /><br />カッパドキアの地下には多くの地下都市が残っているが、その起源や歴史は謎に包まれている。都市自体は紀元前400 年頃の記録にも記されているほど古い。古代から貯蔵庫として利用されていた空間に、キリスト教徒たちが迫害を逃れるために暮らすようになった。<br /><br />深さ85 メートル、地下8 層の地下都市には、最盛期には1 万人が暮らしていたという。内部には礼拝堂、学校、寝室、厨房、食糧庫、井戸などがあり、ところどころに敵の侵入を防ぐ丸い「ドア石」が置いてある。「ドア石」は直径170 cm重さ300~500 Kgで通路のわきに置き、外から敵がやってくると、これで通路を塞いだ。<br /><br />不思議な地下都市を堪能してネブシェヒルに戻る。<br />トルコアイス屋さんを冷やかし、レストランで夕食。昼も食べていないので腹ペコだったが、周囲のみんなも断食明けをまって我慢しているので食べずに我慢して、日没を待つ。<br />テレビのカウントダウンで日没が知らされ、みんな食べ始めたので一緒に頂く。まずは断食明けの前菜。そして、メインのチキンとケバブをいただく。イスラム教徒ではないが、一緒に断食をした気分であった。<br /><br />8月4日<br />ホテルで朝食の後、出発。バスでコンヤに向かう。今日のホテルは「Yeni Kosk Esra Hotel 」。ブッキングクムで45ユーロだった。<br />チャタル・ホユックに行く前に腹ごしらえ。適当に頼んで、出てきたものをいただいたが、なかなか美味しかった。食後、タクシーをチャーターしてチャタル・ホユックへ。<br /><br />トルコのアジア側(アナトリア)に人が住み始めたのは、ヒトが石を加工し、道具として使い始めた旧石器時代であると言われている。<br />コンヤ市の南東にあるチャタル・ホユックの集落跡は遺跡の規模や複雑な構造から世界最古の都市遺跡とも称され人類学上でも最重要の遺跡である。<br />チャタル・ホユックの集落には数千年に及ぶ歴史の中で平均5,000 人から8,000 人ほどの住民が、互いに隙間なくくっついた、一部屋が平均25平方メートル程度の土レンガでできた集合家屋に暮らしていた。古い家の上に新しい家が造られていったので、18 もの層からなる部分もあり、最下層は紀元前7500 年前のものである。当時の住居には通路や窓のようなものは存在せず、蜂の巣のように密集して寄り集まっている家々の天井板の穴から入り、木製のはしごを使って外へ出る仕組みになっていた。つまり、チャタル・ホユックの家の扉は、現在の家と違って屋上に付いていたことになる。このような変わった家の構造ができた理由ははっきりしないが、一説にはライオンなどの猛獣や外敵の侵入を防ぐための工夫ではないかと考えられている。また、屋根穴は換気口の役割も果たしていて新鮮な空気を入れるとともに暖炉やかまどの煙を排気する孔でもあった。建物の壁や床は白色の細かい粘土(漆喰)で何層にも塗りこめられている。遺跡は1958 年に発見され、現在もイギリスやアメリカの大学チームが主導して発掘作業が行われている。最後にチャタル・ホユックの復元住居を見てコンヤに戻る。<br /><br /><br />続いて、「メヴラーナ博物館」へ。ここはイスラーム神秘主義メブレヴィー教団の創始者メヴラーナ・ジェラールッディン・ルーミーの霊廟である。メブラーナの棺やイスラム教の預言者ムハンマドのあごひげを入れた箱などが展示されていた。<br /><br />そして今夜は土曜日だったので、メブラーナ文化センターで行われる無料のセマーを見に行った。くるくる回り続ける舞い「セマー」は、トルコ内陸部にある町、コンヤで13 世紀に生まれた。そもそもイスラム神秘主義教団であるメヴレヴィ教団の儀式として始まったものである。<br />メヴレヴィ教団は、思想家メヴラーナの名前に由来していて、彼はメブラーナ博物館の霊廟に眠っている。セマーの舞いは、20 世紀にオスマン帝国滅亡とともに姿を消したが、一部で継承され、無形文化遺産となった。なぜ回るのかというと、宇宙に回らないものがないからである。銀河系では地球が太陽を回り、体内では血液が絶えず循環している。万物が回転しているならば、人間も邪心を捨てて回り続けることで無我の境地になり、神に近づけると考えているのだ。白い衣装、黒いコート、長い帽子、すべては人間の死と死後の世界に深くかかわっているそうだ。<br /><br />夜道を警戒しながら歩いてホテルに戻って就寝。<br /><br /><br />

トルコ・ギリシア紀行2012④(コンヤ)

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2012/07/29 - 2012/08/20

95位(同エリア209件中)

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30

まめ夫婦

まめ夫婦さん

8月3日
ホテルで朝食。朝食後にちょっと散歩をして、カッパドキアとお別れ。バスでネブシェヒルに出る。予約したviva hotelにチェックインして、ホテルのお姉さんに「地下都市」への行き方を聞く。教えてもらったバス乗り場からバスに乗ってデリンクユへ。

カッパドキアの地下には多くの地下都市が残っているが、その起源や歴史は謎に包まれている。都市自体は紀元前400 年頃の記録にも記されているほど古い。古代から貯蔵庫として利用されていた空間に、キリスト教徒たちが迫害を逃れるために暮らすようになった。

深さ85 メートル、地下8 層の地下都市には、最盛期には1 万人が暮らしていたという。内部には礼拝堂、学校、寝室、厨房、食糧庫、井戸などがあり、ところどころに敵の侵入を防ぐ丸い「ドア石」が置いてある。「ドア石」は直径170 cm重さ300~500 Kgで通路のわきに置き、外から敵がやってくると、これで通路を塞いだ。

不思議な地下都市を堪能してネブシェヒルに戻る。
トルコアイス屋さんを冷やかし、レストランで夕食。昼も食べていないので腹ペコだったが、周囲のみんなも断食明けをまって我慢しているので食べずに我慢して、日没を待つ。
テレビのカウントダウンで日没が知らされ、みんな食べ始めたので一緒に頂く。まずは断食明けの前菜。そして、メインのチキンとケバブをいただく。イスラム教徒ではないが、一緒に断食をした気分であった。

8月4日
ホテルで朝食の後、出発。バスでコンヤに向かう。今日のホテルは「Yeni Kosk Esra Hotel 」。ブッキングクムで45ユーロだった。
チャタル・ホユックに行く前に腹ごしらえ。適当に頼んで、出てきたものをいただいたが、なかなか美味しかった。食後、タクシーをチャーターしてチャタル・ホユックへ。

トルコのアジア側(アナトリア)に人が住み始めたのは、ヒトが石を加工し、道具として使い始めた旧石器時代であると言われている。
コンヤ市の南東にあるチャタル・ホユックの集落跡は遺跡の規模や複雑な構造から世界最古の都市遺跡とも称され人類学上でも最重要の遺跡である。
チャタル・ホユックの集落には数千年に及ぶ歴史の中で平均5,000 人から8,000 人ほどの住民が、互いに隙間なくくっついた、一部屋が平均25平方メートル程度の土レンガでできた集合家屋に暮らしていた。古い家の上に新しい家が造られていったので、18 もの層からなる部分もあり、最下層は紀元前7500 年前のものである。当時の住居には通路や窓のようなものは存在せず、蜂の巣のように密集して寄り集まっている家々の天井板の穴から入り、木製のはしごを使って外へ出る仕組みになっていた。つまり、チャタル・ホユックの家の扉は、現在の家と違って屋上に付いていたことになる。このような変わった家の構造ができた理由ははっきりしないが、一説にはライオンなどの猛獣や外敵の侵入を防ぐための工夫ではないかと考えられている。また、屋根穴は換気口の役割も果たしていて新鮮な空気を入れるとともに暖炉やかまどの煙を排気する孔でもあった。建物の壁や床は白色の細かい粘土(漆喰)で何層にも塗りこめられている。遺跡は1958 年に発見され、現在もイギリスやアメリカの大学チームが主導して発掘作業が行われている。最後にチャタル・ホユックの復元住居を見てコンヤに戻る。


続いて、「メヴラーナ博物館」へ。ここはイスラーム神秘主義メブレヴィー教団の創始者メヴラーナ・ジェラールッディン・ルーミーの霊廟である。メブラーナの棺やイスラム教の預言者ムハンマドのあごひげを入れた箱などが展示されていた。

そして今夜は土曜日だったので、メブラーナ文化センターで行われる無料のセマーを見に行った。くるくる回り続ける舞い「セマー」は、トルコ内陸部にある町、コンヤで13 世紀に生まれた。そもそもイスラム神秘主義教団であるメヴレヴィ教団の儀式として始まったものである。
メヴレヴィ教団は、思想家メヴラーナの名前に由来していて、彼はメブラーナ博物館の霊廟に眠っている。セマーの舞いは、20 世紀にオスマン帝国滅亡とともに姿を消したが、一部で継承され、無形文化遺産となった。なぜ回るのかというと、宇宙に回らないものがないからである。銀河系では地球が太陽を回り、体内では血液が絶えず循環している。万物が回転しているならば、人間も邪心を捨てて回り続けることで無我の境地になり、神に近づけると考えているのだ。白い衣装、黒いコート、長い帽子、すべては人間の死と死後の世界に深くかかわっているそうだ。

夜道を警戒しながら歩いてホテルに戻って就寝。


旅行の満足度
3.5
観光
3.5
ホテル
3.5
グルメ
3.5
交通
3.5
同行者
カップル・夫婦
一人あたり費用
30万円 - 50万円
交通手段
高速・路線バス タクシー
航空会社
タイ国際航空 ターキッシュ エアラインズ
旅行の手配内容
個別手配

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  • ホテルで朝食。

    ホテルで朝食。

  • 朝食後にちょっと散歩をして、カッパドキアとお別れ。バスでネブシェヒルに出る。予約したviva hotelにチェックインして、ホテルのお姉さんに「地下都市」への行き方を聞く。教えてもらったバス乗り場からバスに乗ってデリンクユへ。

    朝食後にちょっと散歩をして、カッパドキアとお別れ。バスでネブシェヒルに出る。予約したviva hotelにチェックインして、ホテルのお姉さんに「地下都市」への行き方を聞く。教えてもらったバス乗り場からバスに乗ってデリンクユへ。

  • カッパドキアの地下には多くの地下都市が残っているが、その起源や歴史は謎に包まれている。都市自体は紀元前400 年頃の記録にも記されているほど古い。古代から貯蔵庫として利用されていた空間に、キリスト教徒たちが迫害を逃れるために暮らすようになった。

    カッパドキアの地下には多くの地下都市が残っているが、その起源や歴史は謎に包まれている。都市自体は紀元前400 年頃の記録にも記されているほど古い。古代から貯蔵庫として利用されていた空間に、キリスト教徒たちが迫害を逃れるために暮らすようになった。

  • 深さ85 メートル、地下8 層の地下都市には、最盛期には1 万人が暮らしていたという。内部には礼拝堂、学校、寝室、厨房、食糧庫、井戸などがあり、ところどころに敵の侵入を防ぐ丸い「ドア石」が置いてある。「ドア石」は直径170 cm重さ300〜500 Kgで通路のわきに置き、外から敵がやってくると、これで通路を塞いだ。

    深さ85 メートル、地下8 層の地下都市には、最盛期には1 万人が暮らしていたという。内部には礼拝堂、学校、寝室、厨房、食糧庫、井戸などがあり、ところどころに敵の侵入を防ぐ丸い「ドア石」が置いてある。「ドア石」は直径170 cm重さ300〜500 Kgで通路のわきに置き、外から敵がやってくると、これで通路を塞いだ。

  • 不思議な地下都市を堪能してネブシェヒルに戻る。

    不思議な地下都市を堪能してネブシェヒルに戻る。

  • トルコアイス屋さんを冷やかし、

    トルコアイス屋さんを冷やかし、

  • レストランで夕食。昼も食べていないので腹ペコだったが、周囲のみんなも断食明けをまって我慢しているので食べずに我慢して、日没を待つ。<br />

    レストランで夕食。昼も食べていないので腹ペコだったが、周囲のみんなも断食明けをまって我慢しているので食べずに我慢して、日没を待つ。

  • テレビのカウントダウンで日没を知らせ、みんな食べ始めたので一緒に頂く。まずは断食明けの前菜。

    テレビのカウントダウンで日没を知らせ、みんな食べ始めたので一緒に頂く。まずは断食明けの前菜。

  • そして、メインのチキンと

    そして、メインのチキンと

  • ケバブ。イスラム教徒ではないが、一緒に断食をした気分であった。

    ケバブ。イスラム教徒ではないが、一緒に断食をした気分であった。

  • 8月4日<br />ホテルで朝食の後、出発。バスでコンヤに向かう。今日のホテルは「Yeni Kosk Esra Hotel 」。ブッキングクムで45ユーロだった。

    8月4日
    ホテルで朝食の後、出発。バスでコンヤに向かう。今日のホテルは「Yeni Kosk Esra Hotel 」。ブッキングクムで45ユーロだった。

  • チャタル・ホユックに行く前に腹ごしらえ。

    チャタル・ホユックに行く前に腹ごしらえ。

  • 適当に頼んで、出てきたものをいただいたが、なかなか美味しかった。食後、タクシーをチャーターしてチャタル・ホユックへ。

    適当に頼んで、出てきたものをいただいたが、なかなか美味しかった。食後、タクシーをチャーターしてチャタル・ホユックへ。

  • トルコのアジア側(アナトリア)に人が住み始めたのは、ヒトが石を加工し、道具として使い始めた旧石器時代であると言われている。

    トルコのアジア側(アナトリア)に人が住み始めたのは、ヒトが石を加工し、道具として使い始めた旧石器時代であると言われている。

  • コンヤ市の南東にあるチャタル・ホユックの集落跡は遺跡の規模や複雑な構造から世界最古の都市遺跡とも称され人類学上でも最重要の遺跡である。<br />

    コンヤ市の南東にあるチャタル・ホユックの集落跡は遺跡の規模や複雑な構造から世界最古の都市遺跡とも称され人類学上でも最重要の遺跡である。

  • チャタル・ホユックの集落には数千年に及ぶ歴史の中で平均5,000 人から8,000 人ほどの住民が、互いに隙間なくくっついた、一部屋が平均25平方メートル程度の土レンガでできた集合家屋に暮らしていた。

    チャタル・ホユックの集落には数千年に及ぶ歴史の中で平均5,000 人から8,000 人ほどの住民が、互いに隙間なくくっついた、一部屋が平均25平方メートル程度の土レンガでできた集合家屋に暮らしていた。

  • 古い家の上に新しい家が造られていったので、18 もの層からなる部分もあり、最下層は紀元前7500 年前のものである。

    古い家の上に新しい家が造られていったので、18 もの層からなる部分もあり、最下層は紀元前7500 年前のものである。

  • 当時の住居には通路や窓のようなものは存在せず、蜂の巣のように密集して寄り集まっている家々の天井板の穴から入り、木製のはしごを使って外へ出る仕組みになっていた。

    当時の住居には通路や窓のようなものは存在せず、蜂の巣のように密集して寄り集まっている家々の天井板の穴から入り、木製のはしごを使って外へ出る仕組みになっていた。

  • つまり、チャタル・ホユックの家の扉は、現在の家と違って屋上に付いていたことになる。

    つまり、チャタル・ホユックの家の扉は、現在の家と違って屋上に付いていたことになる。

  • このような変わった家の構造ができた理由ははっきりしないが、一説にはライオンなどの猛獣や外敵の侵入を防ぐための工夫ではないかと考えられている。

    このような変わった家の構造ができた理由ははっきりしないが、一説にはライオンなどの猛獣や外敵の侵入を防ぐための工夫ではないかと考えられている。

  • また、屋根穴は換気口の役割も果たしていて新鮮な空気を入れるとともに暖炉やかまどの煙を排気する孔でもあった。

    また、屋根穴は換気口の役割も果たしていて新鮮な空気を入れるとともに暖炉やかまどの煙を排気する孔でもあった。

  • 建物の壁や床は白色の細かい粘土(漆喰)で何層にも塗りこめられている。

    建物の壁や床は白色の細かい粘土(漆喰)で何層にも塗りこめられている。

  • 遺跡は1958 年に発見され、現在もイギリスやアメリカの大学チームが主導して発掘作業が行われている。

    遺跡は1958 年に発見され、現在もイギリスやアメリカの大学チームが主導して発掘作業が行われている。

  • 最後にチャタル・ホユックの復元住居を見てコンヤに戻る。

    最後にチャタル・ホユックの復元住居を見てコンヤに戻る。

  • 続いて、「メヴラーナ博物館」へ。

    続いて、「メヴラーナ博物館」へ。

  • ここはイスラーム神秘主義メブレヴィー教団の創始者メヴラーナ・ジェラールッディン・ルーミーの霊廟である。

    ここはイスラーム神秘主義メブレヴィー教団の創始者メヴラーナ・ジェラールッディン・ルーミーの霊廟である。

  • メブラーナの棺やイスラム教の預言者ムハンマドのあごひげを入れた箱などが展示されていた。

    メブラーナの棺やイスラム教の預言者ムハンマドのあごひげを入れた箱などが展示されていた。

  • 今日は土曜日だったので、メブラーナ文化センターで行われる無料のセマーを見に行った。

    今日は土曜日だったので、メブラーナ文化センターで行われる無料のセマーを見に行った。

  • くるくる回り続ける舞い「セマー」は、トルコ内陸部にある町、コンヤで13 世紀に生まれた。そもそもイスラム神秘主義教団であるメヴレヴィ教団の儀式として始まったものである。

    くるくる回り続ける舞い「セマー」は、トルコ内陸部にある町、コンヤで13 世紀に生まれた。そもそもイスラム神秘主義教団であるメヴレヴィ教団の儀式として始まったものである。

  • メヴレヴィ教団は、思想家メヴラーナの名前に由来していて、彼はメブラーナ博物館の霊廟に眠っている。セマーの舞いは、20 世紀にオスマン帝国滅亡とともに姿を消したが、一部で継承され、無形文化遺産となった。なぜ回るのかというと、宇宙に回らないものがないからである。銀河系では地球が太陽を回り、体内では血液が絶えず循環している。万物が回転しているならば、人間も邪心を捨てて回り続けることで無我の境地になり、神に近づけると考えているのだ。白い衣装、黒いコート、長い帽子、すべては人間の死と死後の世界に深くかかわっているそうだ。

    メヴレヴィ教団は、思想家メヴラーナの名前に由来していて、彼はメブラーナ博物館の霊廟に眠っている。セマーの舞いは、20 世紀にオスマン帝国滅亡とともに姿を消したが、一部で継承され、無形文化遺産となった。なぜ回るのかというと、宇宙に回らないものがないからである。銀河系では地球が太陽を回り、体内では血液が絶えず循環している。万物が回転しているならば、人間も邪心を捨てて回り続けることで無我の境地になり、神に近づけると考えているのだ。白い衣装、黒いコート、長い帽子、すべては人間の死と死後の世界に深くかかわっているそうだ。

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