1961/06/30 - 1961/07/01
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ソフィさん
1961年6月30日フランスは行きたしされど遠かりし5 − トルコ人たちが送ってくれた大きなエール
8時間遅れで到着した香港の街は、夜半にもかかわらず、不夜城の趣きを残していた。
ホテルの前の洋菓子店はまだ店頭にパンが飾られており、好奇心と空腹に攻め立てられた私は、不安ながらも勇気を鼓してドアを開けてみる。
そして、言葉は通じないままにも、外国における初めての買い物に成功する。
夜を徹して、ガリガリというクーラーの騒音は絶えなかった。
クーラーからは、ポタポタと水滴が垂れ続けているのも、気になった。
それでも蒸し暑さは朝まで残った。
驚いたのは、このホテルは、日中水が止まることだった。
だが、湯は使えるとのことである。
私は、パリに行くにあたり、「日本とパリとの間に何があるか」を知っておきたいと考えた。
選んだのは、香港、イスタンブル、アテネ。
それぞれ一泊に機中泊一回を入れ、4泊5日の視察旅。
香港は今晩8時に飛行機で出発しなければならないので、駆け歩きの一日だ。
生まれて初めての外国の地。
足は感動に弾む。
ビクトリアピーク、タイガーバーム公園、トラム全線。
ここに暮らす人の豊かさや貧しさも、味わってみたかった。
自称「香港一」の車夫さん、アパートの前に椅子を出して涼をとる老人。
何人かの人とも、相互理解を楽しんだ。
海外第一日目は思い出多き一日。
その思い出を噛みしめながら空港に着くと、またまた飛行機が2時間も遅れていた。
宝石箱とかがやくバンコック、深夜のニューデリー、夜明けのカラチと降りながら・・・。
その都度出される機内食に食傷。
まだまだ続く、テヘラン、ベールート、カイロ。
途中日本航空スチュワデスさんの、和服ドレスショー。
機内日本人とも、二人と話す機会を得た。
いずれも自分の海外体験を、外国未体験の私に話したい気持ちに溢れていた。
中東の土木現場の人は、外国の日常における賄賂の氾濫を、海外視察中の官僚は、昨夜の接待の豪華さを、私に話して飽きない。
私は、時差でうつらうつらしながら、現実とアラビアンナイトの間をさまよい、楽しく聞く。
イスタンブルのホテルでは、丁度観光バスの最終便に間に合う。
ガイドは60歳近くのお爺さんだったが、そのプライドに満ちた爽やかな愛国心は、私の魂を揺すって余りあるものだった。
私は、日本が久しく「愛国心」を忘れていたことに、気づく。
国を愛する心、言い換えれば、国に感謝する心を・・・。
バスから降りた私は、アガサ・クリスティの小説で有名な、オリエント・エクスプレスの終点駅「シルケジ駅」を見ようと歩いた。
すると、学生風の若者が、私を呼び止めている。
「日本から来られたのならば、日本の話を聞かせていただけませんか」
喜んで引き受けると、近くの公園で少し待たされ、二三十人ほどの学生が集まって来た。
その中にフランス語が得意な者がいて、通訳を買って出る。
質問は主として、現在の日本生活についてのものだった。
私が鉄道技師であることを知って、日本の鉄道についての質問も多かった。
彼らはロシアに勝った日本を、有色人種の白人に対する歴史的な挑戦・勝利と評価しており、第二次世界大戦も白人に対する日本の、より大規模な挑戦と受け止めているようだ。
これは驚くべきことだった。
日本人を敬っている心が強く感じられ、敗戦を心に引きずりながら下向き加減でいる私を、勇気づけてくれる。
先ほど出会った国を愛するガイド、そして日本を尊敬する学生たち。
この人たちから得たものは、これから一年間異郷を旅する私に送ってくれたエールは、いかに大きなものか、計り知れない。
2015.1.23片瀬貴文記
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