1961/07/01 - 1961/07/02
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ソフィさん
1961年7月1日フランスは行きたしされど遠かりし7 − アテネ人の質問「日本は原子爆弾への報復を考えていないのか?」
いよいよパリまでの最後の都市アテネ。
暑さの中で香港、機中、イスタンブル、各一泊の旅は、体力の限界に近い。
同じ旅でも、国内旅行に比べ、情報の密度や刺激が、何倍も多い。
肉体の疲労だけでなく、新鮮な感動が失せつつあるのを感じる。
イスタンブルからアテネまで、プロペラ機で飛ぶ。
エーゲ海や、点在する島々の美しさを堪能したかったからだ。
その狙いは的中し、飛行機は高さ3000メートルほどの低空を、ゆったり飛んでくれた。
折から快晴に恵まれ、紺碧の海と白い岩肌の緑濃い島は見事なコントラストで、しばし息を飲むばかりの美しさ・・・。
アテネでは、赤や白の夾竹桃が、清楚な花を開き、迎えてくれる。
市内の観光地は駆け足で巡り、市場で市民生活の一環に触れる。
次にアテネの現代の姿に触れたい。
そこでやって来たバスに乗り、終点まで行ってみることにする。
何しろギリシア語が読めず、バスの行き先がわからない。
行き先を知らないバスに乗ることは冒険だが、アテネのマクロ像を掴みたいと思ったのだ。
バスが進むに従い、次第に沿道は貧しさが目立って来て、空き地が増え始め、乗客の数が減る。
段々と坂をのぼり、そしてついに皆が下りてしまって、終点らしいと気づいたので私も降りる。
私はバスの走ってきた道を戻り、疲れたところで町の中心方向のバスに乗ろうと、歩き始める。
少し歩くと高さ2メートルの壁を巡らせた農家風の家があり、中で賑やかに騒いでいる。
少し物騒だったが面白そうだったので、見つからないようにそっと門から一歩入り覗いてみる。
すると庭の片隅に、百姓風の人10人ほどがテーブルを囲み酒を飲んでおり、目ざとく私を見つけて、「入って来い」と手招きしている。
どんな連中かわからないので、おずおずと警戒しながら近づくと、闖入者を不審そうに眺めつつも「そこに座れ」と言っているようだ。
全体的に好意を感じられたので、勧められるままに椅子に座る。
浴びせられる質問に応じ、日本からやって来て、フランスに一年ほど住もうとしている。
鉄道技師だが、私の興味はヨーロッパの生活だ。
等々答えていたら、難問が飛び込んできた。
「日本はアメリカから原子爆弾を落とされて、どう考えているのだ」
「なぜ報復しようとしないのか」
と聞かれ、
「原子爆弾は廃絶すべき」
「報復はしない。報復を呼ぶからだ」
と答える。
私は、こんなに遠いところで、日本の生き方に関心を持たれていることに驚く。
さらに丘を下ってゆくと、見晴らしの良い家の庭で、おばあさんと幼稚園くらいの小さな坊やが、夕日を浴びて遊んでいる。
可愛いので、写真を撮らせてもらう。
誘われるままに椅子に腰かけ、ドロドロ、ザラザラしたコーヒーをすすりながら、おばあさんの話を聞く。
この方の子供は私と同じ年齢で、軍役中。
「あなたを見れば息子を思い出し、懐かしい」と喜んでくれる。
彼らにとり、戦争はとても身近なものらしい。
アテネ、イスタンブルと、言葉が通じないことに慣れてきて、いつの間にか不自由を感じなくなっている。
英語にせよフランス語にせよ、お互いに下手同士なので、違和感が少ないのではないだろうか。
2015.1.25片瀬貴文記
注)映像は2006年撮影
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 交通手段
- 徒歩
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