2014/12/29 - 2015/01/05
4位(同エリア43件中)
azianokazeさん
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2014年12月30日 ラオス北東部シェンクアン県のジャール平原に点在する「謎の巨大石壺」を観光します。
主な公開エリアであるサイト1,2,3をすべて回ります。途中、古都ムアンクーンや麺づくりの村、スプーンづくりの村などにも立ち寄ります。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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前日アレンジしてもらった日程に従って、朝8時半にポーンサワンのホテルを出発。
代金を前渡ししていたので、本当に迎えに来るかちょっと不安もありましたが。
車は11人は乗れるようなワンボックスで、私とドライバーのふたり。
無駄に広いスペースです。
ポーンサワンから20〜30分のドライブで、西8kmにある「謎の巨大石壺」公開エリア「サイト1」に到着。 -
ドライバー氏は英語を殆ど話せません。
まあ、トイレや食事といった基本的なものは言葉が通じなくても伝達できますし、観光情報はガイドブックに書いてあります。
英語が苦手な私としては、英会話レッスンのストレスがない分、気楽とも言えます。
たまに困ることもないではないですが・・・・。
駐車場に車を置いて専用の車で奥に入るのですが、そのことを理解できるまでにしばらくかかりました。
「えっ、私ひとりで歩いて行くの? どこへ行けばいいのかわかるのだろうか? いつまでに戻ればいいのだろうか? まあ仕方ない、行くか・・・」と歩きかけると、「違う、違う」と・・・そんなやり取りを繰り返すうちに専用車がやってきて、ようやく理解。
ドライバーも一緒に乗ってでかけます。 -
専用車を降りて、気持ちのいい小道を少し歩くと・・・
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ほどなく、石壺と人だかりが見えてきます。
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これが「謎の巨大石壺」
数ある石壺群のなかでも、人の背丈ほどもある最大級のものです。
一番大きな石壺は「チュアンの壺」と呼ばれるもので、高さ2.5m、重さ6トンということですが、写真の壺のことでしょうか?
ドライバーに訊きたくても言葉が通じませんので・・・。 -
「石壺」というように、中は空洞です。
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石壺のあるエリアはシェンクアン県内に60か所以上あって、石壺の数は1000個以上とか。
ただ、前編でも紹介したようにボンビー不発弾が埋まっていますので、その除去作業が完了したところだけが観光客に公開されています。
公開エリアではサイト1〜3が有名ですが、特にこの「サイト1」はポーンサワンから近く、1箇所だけ・・・という観光客はここを訪れます。
「サイト1」の石壺数は331個ということですから、規模的にも最大のエリアでしょう。
入場料も他サイトより5割増しで15千キープ(約230円)
最近はどこでもそうですが、中国系の観光客が目立ちます。
本土なのか、台湾・香港なのかはわかりませんが。 -
「サイト1」のエリアは広く、エリア内に石壺が点在する箇所がいくつかあるようです。
今日から三日間で近郊を回る訳ですが、そのしょっぱなに一番の目玉である石壺を見て、それも最大エリアを訪れ、最大級の「チャウアンの壺」らしき壺を見て・・・という「目玉から入る」スケジュール構成ですが、この後がちょっと心配なところも。 -
ガイド資格がないと案内は禁じられていますし、言葉も通じないので、ドラーバーと別れて(いつのまにかいなくなっただけの話ですが)広いエリア内を一人でぶらつく形に。
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当然ながら、「誰が、何のために、どうやって作ったのか?」という話になりますが、まずは伝説から。
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1,500年前、ラオスの高原地帯を治めていたアンカという王が悪政で人々を苦しめていました。
北にいたチュアンという王が人々に請われて、長い戦いの末、アンカ王を攻め滅ぼしました。
チュアン王は、大きな壺を造ることを命じ、それに酒を満たし、みんなで勝利を祝いました。
その大きな壺が、今、ラオス・ジャール平原に残る石壺、その酒がラオスの焼酎「ラオラオ」だと言われています。
また、一説には、ここには巨人の種族が住んでいて、彼らが戦いの後に、石壺を手に祝杯を挙げたという話もあるそうです。【風の旅行社HPより】
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「チュアンの壺」の“チュアン”は、上記チュアン王によるものです。 -
実際のところは、青銅器や鉄器で彫られた石棺ではないか・・・と推測されています。
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1930年代にフランス人考古学者コラニー女史によって発見されたときには、すでにほとんどの石壺の中は、盗まれて空だったそうですが、ごく一部に青銅器、鉄器、ガラス玉、紅玉髄や子安貝などが見つかりました。
また、サイト1のすぐ脇の洞窟を発掘したとき、天井にすすのついた穴のあること、人骨を燃やした形跡があることから、石壺は火葬した人骨を納める石棺として使用されたという説を立て、現在まで最有力な説とされています。【同上】
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発見当時、いくつかの石壺には副葬品らしきものと一緒に人骨が残っていたものもあったそうです。 -
なお、「ジャール平原」の名前は“Jarre”(フランス語で壺の意味 英語で言えばJars)によるものです。
ここ「ジャール平原」には1500年前にさかのぼる石壺だけでなく、数十年前にできたボンビーによるクレターも点在しています。 -
蓋のある壺もひとつだけ。
昔はほかの壺も蓋があったのでしょうか。(石棺ならあっても不思議ではないです)
ただ、他には蓋つきが見当たらないところを見ると、後世の付加物でしょうか。 -
同じような石壺が、ベトナムの南シナ海海岸から北東インド(アッサム付近)で発見されており、当時の塩の交易路に沿って広まった文化だったのではないかとも言われているそうです。
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石壺の群れもいいですが、ポツンと離れて残る石壺も趣きがあります。
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どこから運んだのか・・・ということに関しては、3日目の観光を紹介する旅行記で触れます。
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サイト内にある洞窟
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洞窟内部 多分、ここで遺体を火葬したのでしょう。
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「サイト1」から古都ムアンクーンに移動する途中に立ち寄った「麺づくりの村」
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この天日干しされている白いものを細く切ると・・・
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フーで使う麺になります。
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緑の服の女性が薄く延ばしているのが、天日干しされていたものです。
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古都ムアンクーン
16世紀に建国した「プアン王国」の都で、フランス統治時代は62に及ぶ荘厳な仏塔などが残るコロニアル・スタイルの美しい街として、その名を知られていました。シェンクアン県の県都でもありました。
しかし、1968年の空爆で街は全壊、「地図から抹消された街」とも言われるようになりました。
再建された現在は小さな田舎の村で、往時を偲ばせるものは、写真の「ワット・ピアワット」寺(入場料:10千キープ(約150円))など、ごくわずかです。 -
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ムアンクーン 爆撃で破壊された旧フランス病院跡
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古都ムアンクーン 仏塔「タート・フーン」
(入場料:10千キープ(約150円)) -
美しいフォルムで、時の流れを経た趣も格別です。
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「サイト2」駐車場の店で昼食 先ほど作るところを見た「フー」です。
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木立の中にひっそりとたたずむ「サイト2」の石壺群
(入場料:10千キープ(約150円)) -
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石壺をのぞき込むドライバー 「サイト1」と違い、観光客は殆どいません。
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同じ「サイト2」でも、開けた丘の上の石壺群
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「サイト2」から「サイト3」に移動する途中に寄った「スプーン作りの村」
一本ずつ、写真のような型枠にスズか何かの金属を流し込んで作るようです。
もっとも、見せられても「ふーん・・・」という感じ。
見せる方も、見る方も、なんとなく苦笑いです。 -
この大量生産の時代にあって、こういう手作りの方法で採算がとれるのでしょうか?
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仮に採算が合うとしても、燃料に使用する木材がもったいないような気もしますが。
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庭に転がるボンビーの殻
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道に突き立てられたボンビー
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「サイト3」に至る道路が悪いのには閉口しました。
未舗装の道には尖った石がゴロゴロしており、車は大揺れです。
ドライバーは非常に丁寧な運転をしてくれますが、出国前から腰痛がぶり返していた私は、車内で腰をかばうのに必死です。
「サイト3」へは、車を降りてから田んぼの中を歩いて行きます。
(入場料:10千キープ(約150円)) -
「サイト3」の石壺群 8か所のグループに分かれているそうですが、さすがに石壺はもう十分です。ひとつのグループだけで済ませます。
観光客は「サイト2」より更に少なく、帰り道でひとグループとすれ違っただけでした。 -
石壺はサイトごとに形・大きさに若干の差もあるようですが、サイト内の石壺を全部見ている訳でもないので、そのあたりは何とも。
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石壺よりも、あたりののどかな田園風景が印象的な「サイト3」でした。
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エリアの不発弾処理状況に関する標識
この「サイト3」では、22個の不発弾が発見・処理されたそうです。
ただ、白色の標識は地中の不発弾処理が済んでいることを示していますが、赤い標識は地表の不発弾を除去しただけ・・・とのことです。
「それでは処理したことにならないじゃないか」とも言いたくなりますが、当然ながら「白い標識内にとどまるように」との指示があります。
これまでのサイトにも、同様の注意書きがありましたが、読まずに歩いていました。「今更言われても・・・」 -
夕食
メニュー見るのも面倒で、食べている他の客の料理を指さして「同じものを」と頼みます。
「スパゲティね」「いや、あの焼きそばみたいなやつ」「だからスパゲティでしょ!」
ラオスではこの種の麺は「スパゲティ」と呼ぶようです。
味は、焼きそばです。結構美味でした。
15千キープ(約230円)
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