2014/12/27 - 2015/01/04
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jsbachさん
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12/28
ドーハを離陸したカタール航空機は30分ほどでペルシャ湾を渡ると、イランの大地の上に差し掛かった。それは、海岸の背後からいきなり隆起した巨大な恐竜の背骨の化石のような山脈が内陸に向かって続いていく光景だった。そして山脈の内側はひたすら白茶けた大地と山脈が交錯していた。
上から見る限り、木一本生えてなさそうな風景が見渡す限り広がり、単調な白茶けた大地の唯一のアクセントは、遠くに見える山脈の白い雪だけだった。
なんでこんな荒涼としたところに古くから文明が栄えたのだろうと思った。古くから交通の要衝だったとはいえ、こんなところに住んでも水はどうする? 木一本生えてないのに火はどうやって起こす? まあそのあたりの疑問は、旅するうちに解消するのだろう。
11時前にテヘラン空港に到着。迎えのガイドはまだいない。結局30分ほど遅れてやって来たが、その間に両替を済ませる。ガイドによると、時間によっては入国審査にものすごく時間がかかるのでまだ出てきていないと思っていたというのと、交通渋滞に引っかかってしまったとのこと。ガイドにとっては不運なことに、入国審査は私の前に3人しか並んでいなくて、きわめてスムーズに終わったのだ。
今日は夜の列車でイスファハンに向かうまでテヘラン市内の博物館や美術館を巡ることになっている。ターミナルビルを出て車に向かう。意外と暖かい。冬は日本並みに寒いと聞いていたのでダウンジャケットを着てきたのだが、ちょっと煩わしいほどである。だが、ガイド曰くここ数日は暖かいが、先週までは雪が降るほど寒かったという。
空港から市内までは高速道路で40分ほどかかるという。そして車はテヘラン駅前の広場に止まった。ここで市内通行用の許可証のようなものを購入するのだそうで、ドライバーが姿を消す。テヘラン市内は渋滞が深刻とのことで、許可証を買ったり、車のナンバーによる通行規制(偶数ナンバーのみ走れる日とか)を行ったりしているそうだが、あまり効果は表れていないようだ。やがてドライバーが戻ってきたが、車を発進させたと思うとまた別の広場で車を止めて再び姿を消す。
広場の周辺にはミリタリーグッズの店が多い。ガイドによるとイランは徴兵制が敷かれているので、男子は2年間の兵役に就かなければならず、兵役を務めた証明をもらわないと役所や企業で雇ってもらえないのだそうだが、新たに兵役に就くことになった人がこのあたりのミリタリーショップのおもな顧客なのだそうだ。よく分からないのでもう少し聞いてみると、兵役に就いたときに支給される制服が体に合わないことが多いので、自分に合う制服を買いに来るのだという。特にブーツなどは足に合わないと深刻なことになるのでサイズに合うのを探しに来るのだという。ていうか、そもそもサイズに合う制服くらい軍が支給すべきなのではないかと思うのだが、そのあたりはイランの軍は緩いらしい。大丈夫かねと言うと、イラン軍の特に国境警備隊は強いので、イスラム国が侵入しようとしたときには秒速で蹴散らしたとのことである。なるほどなるほど。てか、それ制服と関係ねーだろ。まあ、核兵器も開発しているらしいし、それなりに実力はあるのだろうが、なにか基本的なところでいい加減なのではないかと思わざるを得ないエピソードである。
やがてドライバーが戻ってきて、考古学博物館に向かうという。駅前から少し北上した官庁街に近いところにあるというが、とにかく道路上のカオスっぷりが著しいので車がなかなか進まない。
道路の幅は日本の都市より格段に広い。裏通りでさえ日本の2車線道路くらいの幅はあってそれも一方通行になっていることが多いし、ちょっとした通りでも片側3車線はあり、大通りとなると片側5車線くらいが標準である。だから広々としているはずなのだが、残念ながら道路のキャパを越える車で埋め尽くされている。そもそもイランのドライバーに車線という概念があるのかどうかが疑わしい。見ていると本来2車線のところになぜか車が3台並んでいるし、さらにその隙間をバイクが走り回り、歩行者が容赦なく横断する。
信号のある交差点が意外に少ないところに上記の状況が重なると何が発生するか。まず自動車だが、こちらは突っ込んだもの勝ちである。直進もそうだし、左折(イランは右側通行)のときなど、反対車線の直進車のちょっとした隙間に左折車が2台くらい並列して突っ込む。ひどいのになるといちばん右車線にいたのに、交差点の手前で強引に左車線の直進車を遮りながら曲がろうとする。直進車は直進車で眼の前を遮る左折車にクラクションを鳴らす。観察した限り、この勝負を制するのは気合のようである。
さらに手におえないのはバイクで、車がいようがいまいが遠慮なく突っ込んでくるし、車線は逆走するし、二人乗り、三人乗り、更には四人乗り(さすがに四人目はドライバーの前にまたがらせた子どもである)で車の横をすり抜け、前へ割り込み、奔放に走りまくる。ガイドにあのバイクは何なんだと問うと、バイクはフリーダムだからと肩をすくめた。もっとも車がうっかりバイクを引っかけようものなら、日本と同じく過失割合は車の方が高く認定されてけっこうな罰金を取られるので、バイクは「はっきり言ってムカつく」存在らしい。
交差点ごとに展開されるカオスを潜り抜けてようやく考古学博物館に到着。ここはイスラム化以前の展示がされているそうで、有史以前の土器からアケメネス朝ペルシャ、アルケサス朝パルティア、ササン朝ペルシャなど、なんか世界史で聞いたような名称が次々と登場する。紀元前11世紀のエラム王国の遺跡から発掘された楔形文字が刻まれた牡牛の像とか、なんか古すぎて現実感がなくなるほどのものが普通にガラスケースの向こうに展示されている。ジャレド・ダイヤモンドの「銃・病原菌・鉄」の文明の伝播の話を思い起こす。展示コースの最後にあるのがこの博物館にある唯一のレプリカで、ハムラビ法典を刻んだ石である。本物は言わずもがなのルーブルにあるのだが、もともとはイランで発掘された(更に遡ればバビロニアに建てられていた)ものという。
昼食後、ガラス・陶器博物館に向かう。考古学博物館から車で5分もかからないところにある。こちらはカージャール朝(18〜20世紀)の大臣の邸宅がエジプト大使館→銀行→博物館と転用された建物だそうで、淡いピンクの石造りでイタリア風の繊細な装飾が施されている。内部も豪華で、吹き抜けの円形のホールを囲むように両側に弧を描いたニス塗の木製の階段があり、大きなシャンデリアが下がっている。
ここで見つけたササン朝時代のガラス器は、まさに正倉院展で見たペルシャのガラス器と同系統のものだった。1,300年前のガラス器の同輩がはるか彼方の奈良にいるのだと思うと感慨にふけってしまう。
イスラムでは偶像崇拝を嫌うことから、人の顔などを具体的に描くことは忌避する傾向が強いのだが、この博物館にある12〜13世紀の皿などにははっきりと人の顔が描かれている。時期的にはモンゴル帝国に当たるから、モンゴルの征服者たちにとっては人の顔を描くことの抵抗も少なかったのかもしれない。
次に訪れた絨毯博物館は、打って変わって前衛的な建物である。ガイドによると、パーレビ王朝の最後の皇后のファラ皇后が建築好きで、こういう建物を建てさせたのだと言う。中にはいろいろな模様の絨毯が展示してあり、地方や民族によって違うのだそうだが、パッと見あまりよく分からない。ただ、とにかく制作に手間のかかることは確かで、大きなものだと一枚織るのに数年かかるというのも納得である。
ここからさらに市内を北に向かう。テヘランという街は北の山麓から南へ下る斜面に開けているので、北に行くほど標高が高くなる。南北の標高差は300メートルとも500メートルともいう。
一見平坦に見えるテヘランの街で自転車が普及しない理由の一端は、この地形によるものもあるのかもしれない。一日車で市内を乗り回していたが、自転車を見たのは一回きりだった。ガイドによると、市も自転車の普及に向けて自転車スタンドを設置したり、無料もしくは格安で使用できるシステムを整備しようとしているのだが、あまりうまく行ってはいないとのことである。
さて、目指す宮殿博物館は、パーレビ王朝の宮殿だったとのことで、街の北辺に近いところにある。このあたりは起伏が激しく、高い塀に挟まれた道は狭く、麻布あたりと似た雰囲気がある。実際このあたりは高級住宅街や大使館も多いとのことである。
ところで先ほどから車は渋滞にはまってちっとも動かない。片側1車線ずつ、2車線の道路で、両側は低層の見るからに高級そうなアパートメントが立ち並ぶ。反対車線はほとんど車が来ないのに…まあ、日本でもよくあることだけど、と私はのんびり構えていたがドライバーは明らかに苛立っていて、なんと反対車線に乗り入れるや猛然と逆走を始めた。ちょ、ちょっと待て。もし対向車が来て正面衝突なんてことになったら困るし、交通ルール守らないにも程があるだろ! と内心で叫びつつ激しく動揺していると、ふいにドライバーは渋滞にはまっていたパトカーの脇につけて警官に何やら説明している。警官も特に咎める風もなく頷いている。と、ドライバーは警官に検挙されないと確信したのか再び車を発進して逆走を始めた。おいおいおいおい、警官はよくても私はよくないぞとガイドに言うが、ガイドも泡くっている私には無関心である。
やがて車は博物館の入り口の門前に止まる。ガイドが「急ぎましょう」と言うので慌ててついていく。そこで判明したのが、宮殿博物館の入場時間が4時までで、時計は4時を数分過ぎたところだったということだった。ガイドはチケット売り場の小屋に入って入場料を押し付けながら担当者に何やら交渉している。担当者が根負けしたようにチケットを手渡し、何とか私も入場できることになった。
それにしてもである。私は反対車線を爆走する車の後部座席で対向車におびえているくらいなら、博物館のひとつくらいパスして公園でも散歩している方がよほどよかったのだが。
宮殿博物館の敷地はとてつもなく広くて、博物館として公開されているメッラト宮殿の他にもいくつもの宮殿があるそうなのだが、それらは現在も政府が使用しているため、一般人は立ち入りできないらしい。木立と芝生の丘といういささかイラン離れしたアプローチを進むと博物館に着く。言わずもがなだが、内部は豪華である。家具の多くはファナ皇后がヨーロッパのオークションで入手したとのことである。
こうした贅沢が民心を離反させたのだろうが、それ以上に決定的だったのが宗教政策だったそうで、ガイドの説明によると最後の皇帝のひとつ前の皇帝が一気に社会の近代化を進め、宗教勢力の無力化を図ったのに対し、最後の皇帝は宗教勢力に少し融和的だったのだが、それが却って宗教勢力の巻き返しを許して、最終的に足をすくわれたことになったとのことである。
宮殿の前には巨大な長靴のモニュメントがある…とおもったら、これはもともと銅像だったのが、革命のときに引き倒されて足の部分だけ残ったものだそうである。
宮殿の見学後、タジュリーシュ広場のバザールを少し歩いてから一気に市街を南に下ってテヘラン駅に向かう。
テヘランは人口1200万人の大都会でありながら、定時性を期待できる交通機関は地下鉄4路線とBRT6〜7路線程度しかない。道路は車線数も多いし立体交差や高架道路もあったりしてそれなりに整備されているのだが、そのキャパを上回る交通量(ととっても上品な運転マナー)があるので結果としてそこらじゅうで渋滞している。
外はすでに暗くなっている。夕方のラッシュ時間帯である。駅前に着くのに2時間かかった。(通常なら1時間程度だという)
駅近くのレストランで夕食後、駅に到着。ガイドと別れる。ここから夜行列車に乗ってイスファハンに向かう。5〜6両の寝台車と荷物車というシンプルな編成である。寝台はかつての日本のB寝台と同じような3段式で、したがって寝台にいる時は上半身をかがめていなければならない。日本の寝台車のように寝台を覆うカーテンはないが、枕と毛布はあるし、横になって寝られるのはバスや飛行機に比べればすいぶん楽である。22時45分、列車は静かに発車した。
車内をまわってみると、列車はほぼ部屋ごとに男性ばかりの部屋と女性ばかりの部屋に分かれている。発車後、車掌がミネラルウォーターを配る。疲れていたのですぐに眠ってしまう。
- 旅行の満足度
- 3.5
- 観光
- 4.0
- グルメ
- 4.0
- 交通
- 1.0
- 同行者
- 一人旅
- 航空会社
- カタール航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
- 利用旅行会社
- ユーラシア旅行社
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イラン考古学博物館
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3000年前のエラム王国の遺跡から発掘された雄牛像。写真では分かりにくいですが、胴体に楔形文字が刻まれています。
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2500年前のペルセポリス遺跡の一部。
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ガラス・陶器博物館
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ガラス・陶器博物館の内部。円形の中央ホールに沿った木製の階段が非常に優美です。
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正倉院展で見たようなササン朝時代のガラス器。
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きわめて優美な涙壺。戦場に赴いた夫を思って流した涙をためた壺なんだそうです…。
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絨毯博物館。ペルシャ絨毯はこうやって織るそうです。
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ペルシャ絨毯は抽象的な模様が多いのですが、時代が下ると人物像を織り込んだ柄も登場するそうです。
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メッラト宮殿へのアプローチ。ヨーロッパのどこかにでもいるような感覚になります。
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内部は絢爛豪華です。
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革命のときに引き倒されて足だけ残った銅像。
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タジュリーシュ広場に面したバザール。
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夕食。マトンと人参やジャガイモの煮込みでした。
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テヘラン駅。本当は鉄道施設も撮影禁止らしいのですが、ガイドは「問題ない」というので撮っちゃいました。
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テヘラン駅のホーム。駅はきれいでピカピカですが、右側に止まっているイスファハン行の列車はけっこうくたびれています。これからこの列車でイスファハンに向かいます。
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