2014/12/28 - 2015/01/04
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jsbachさん
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12/31
朝、ドライバーにピックアップされて出発。今日はペルセポリスとシラーズに向かう。
街の中心部にあるホテルから30分も走ると、風景ははや荒涼とした半砂漠地帯となる。遠くに見える山並みは、木一本生えていない白茶けて半ば風化して崩れかかったような岩山である。
4時間半ほどのドライブでパサルガダエに到着。ここでシラーズのガイドと合流。まずは遺跡の全体像について機関銃のようにまくしたてられる。それによると、今から2500年前のアケメネス朝の最初の都だったとか。人口は10万人ほどと言われていて、当時としては世界でも屈指の大都会だったという。現在は灌木がちょぼちょぼ生えてる程度の乾燥地帯だが、かつては緑したたる庭園だったという。
まずは遺跡の外れの岩山の上にある砦に上ってみる。見渡す限り乾ききった大地で、とても緑豊かな土地だったとは思えないのだが、耕地も見えることから耕作に足るだけの水は得られるようである。陽射しは強いが風は心地よい。
次に宮殿跡に向かう。ギリシャ神殿風の円柱が等間隔で並んでいて、2〜3メートルの高さで切りそろえたようになくなっている。土台はしっかりと石が組み合わされていて、ガイドによると世界最古の耐震建築なのだという。土台の黒っぽい石はブラックストーン、柱の白っぽい石はライムストーンといわれ、近くの山で採れるらしい。近くのキュロス2世の墓はピラミッド状の石段の上にあるロマネスクっぽい建物で、中には宝物が満ち溢れていたが、アレキサンダー大王に征服されたときに根こそぎ持ってかれたのだとか。
昼食後、ナグシェ・ラジャブに行く。パダスサガエから車で10分程度、イスファハンからシラーズに向かう幹線道路沿いにある遺跡で、遺跡を囲むフェンスにチープな看板がかかっているだけだが、1400年前、ササン朝時代の遺跡である。遠目には斜め上に向かって地層が刻まれた比較的低くて上が平らな岩山なのだが、近づいてみると岩肌に巨大なレリーフが刻まれている。人物像の傍らにびっしり文字が刻まれているのもはっきり残っていて、よくも今まで風化せずに残ったものだとひたすら感心する。いくつかのレリーフでは顔の部分だけが破壊されている。これはイスラム教がイランに入ってきたとき、偶像崇拝を嫌う人々によって破壊されてしまったのだそうだ。顔の残ったレリーフもあることから、おそらくは初期のイスラム教徒も、全員が全員アンチ偶像崇拝だからといって破壊活動に勤しんだわけではないのであろう。
ナグシェ・ラジャブから車で5分、ほぼ垂直な岩壁にあるナグジュ・ロスタムに向かう。ナグシェ・ラジャブと名前は似ているが、ロスタムの方はアケメネス朝の王墓で、ラジャブより1000年ほど古い遺跡である。岩肌の途中に十字型の彫り込みがあって、人物像がいろいろ刻まれている。岩壁も巨大なら彫り込みも巨大なので規模感が曖昧になるが、とにかく巨大なお墓が4基ほど並んでいる。同じアケメネス朝の王様でもキュロス2世のように平地にお墓を作る王様と岩壁をぶち抜いてお墓を作る王様と方向性がずいぶん違うのは興味深い。日本は前方後円墳の昔から土饅頭だけど。
ところで岩壁のお墓と向かい合うようにあるモニュメントも興味深い。十字型に地面を掘りぬいて、底に基壇を積んで地面と同じくらいの高さにしてある奇妙な建物である。ゾロアスター教の神殿とガイドブックにはあるが、詳しくはよく分からない。ガイドに聞けばもう少しいろいろ教えてくれるのかも知れないが、ガイドは先ほどから気もそぞろでとっとと見学を終えろと言わんばかりに遺跡の出口のゲートのあたりをうろちょろしている。実はこのときすでに時刻は4時過ぎで、最後の大物のペルセポリスの見学を控えているからだろう。私がひとつひとつの遺跡で「わー、すごーい」なんてちんたら見学してるからなのだろうが、数千年前の遺跡を前に早足で通過するなんてもったいないし、困ったものである。
岩肌に西日が当たってひときわ美しく映えるロスタムの遺跡に後ろ髪をひかれる思いで車に戻る。待ちかねたガイドがドライバーに指示して車を出す。ガイド自身は自分の車で先導する。10分ほどでペルセポリスに到着する。
世界遺産であり国際的観光地らしく、ペルセポリスの駐車場は広い。サッカーコートが2〜3くらい入りそうな広さである。遺跡の入り口への参道もやたらと広い。ガイドによると、パーレビ王朝時代に、後にイスラム革命で追放される王様がペルセポリスで建国2500年祭をやって国威発揚を図ったそうだが、あまりに金がかかって却って民心が離れてしまったという。このイベント用に作られた変電所は建築好きの王妃の影響かフランスの建築家に建てさせたもので云々という話が事実なら、民心が離れたというのも分かる気がする。バブルに乗じてやっちまったのならともかく、変電所にいくら凝っても国威発揚にはつながるまい。
ペルセポリスの遺跡は参道から111段の堂々たる大階段を上った岩山の上にある。ガイドいわく、かつてペルセポリスは人口100万の大都市だったというから、参道のあたりは人家がびっしりとひしめいていたに違いない。かつては水と緑あふれる土地だったそうだからそれほどの大都市が存在しえたのだろうが、現在は木一本ない岩山に壮大な遺跡が広がっている。遺跡の背後も岩山になっていて、中腹には王墓が見える。
2500年という時の流れを考えれば、よくぞ残ったものだとも思えるが、柱や壁の残骸は、長い時間に漂白されたように、古代帝国の権力の中心という生々しさを一切洗い落としてしまったような無機質さを漂わせている。そんなことを考えながらアバダーナ(謁見の間)の東階段に残る各国の使者のレリーフを眺める。アケメネス朝の属国の使者たちの彫刻だが、実によく残っている。それを「生き生きとしている」と表現できるか「無機質」と表現できるかは分からない。ただ、このレリーフがアケメネス朝が影響を及ぼした土地の広さを誇示していることは確かで、東はガンダーラやインド、西はリビアやスクドリア(今のトルコのエーゲ海沿い)、北はスキタイから南はエチオピアに至る広大な地を勢力圏におさめたことのシンボルであるならば、まさに生々しい政治の産物なのだろう。
ところでガイドは遺跡の中には入らず、ゲートの警備員とくっちゃべっている。ガイド曰く「オレはここの主だから、どこでも案内してやるぜ」なのだが、案内も何も放置じゃん。それとも私が勝手に歩き回る方が好むことを見抜かれてしまったのか。
暮れなずむ遺跡を歩いているうちに、あちこちにいる警備員たちが見学者を追い出しにかかる。見学時間は5時半までらしい。車に乗ってシラーズの街に向かう。
最後に訪れたのは街の中心部にあるハーフェズ廟である。ハーフェズさんがどなたかは私は寡聞にして知らなかったが、イランでは知らぬ者のない14世紀の大詩人なんだそうである。こちらのハーフェズ廟はイスファハンの寺院にあった聖廟と異なり、公園のような水と緑と遊歩道のある空間で、中央の東屋の下に石造の棺が安置されている。すでに陽も暮れているが、たくさんの人が散歩に訪れたり、棺に花を手向けたりしている。
ホテルにチェックインして夕食を済ませてからふたたび街に散歩に出てみる。ホテルは街を東西に流れるホジュク川沿いにあり、橋を渡って数ブロック歩くとメインストリートがある。夜の9時すぎだが商売はこれかららしく、歩道のあちこちに露天商が開店している。露天商たちの呼び込みの声や人々のざわめき、道端に置かれたラジオから流れる音楽に交じって、よく透る小鳥の鳴き声が響く。イスファハンよりも明らかに店頭に吊るされた鳥かごの数は多い。夜が更けてますますにぎやかになるシラーズの大通りを、しばし立ち去り難い想いで歩いた。
- 旅行の満足度
- 4.5
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イスファハンを出ると、こんな風景が広がります。
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シラーズまで130キロほどのところにある峠。雄大かつ荒涼とした風景です。
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シラーズまでのドライバー。
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パサルガダエに残る砦の遺跡
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砦の上からの風景。かつては緑したたる庭園だったそうです。
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砦の石組み。
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宮殿跡。柱はライムストーン。土台はブラックストーンなのだとか。
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宮殿跡。よく見ると楔形文字が刻まれています。
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かつては庭園だった証拠に水路が残っているとガイドは言うのですが…。
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キュロス王の墓。
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パサルガダエ遺跡。ラクダに四苦八苦して乗ろうとする観光客
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ナグシェ・ラジャブ遺跡。幹線道路沿いにこじんまりとした看板があるだけなので、気がつかないと通りすぎてしまいそうです。
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ナグシェ・ラジャブ。遠目には地層が刻まれた岩山にしか見えません。
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近づくとレリーフが見えてきます。
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かなり大きい立派なレリーフですが、顔の部分が削り取られています。アラブが侵入した時に削られてしまったそうです。
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ナグシェ・ロスタムの周辺は特徴的な形の岩山が多くあります。
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ナグシェ・ロスタムに隣接した岩壁。斜めに走った亀裂が印象的です。
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巨大な王墓が3基ならんでいます。
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下にいる人と比べると、どれだけ大きいか分かります。
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お墓の下に刻まれているレリーフ。捕虜となったローマ皇帝の手首とつかむ馬上のシャーブール1世の図。
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ゾロアスター教の神殿といわれる建物。
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ダレイオス2世のお墓と向かい合っています。
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ペルセポリスにやってきました。ちなみにペルセポリスとはペルシャ人の都という意味のギリシャ語だそうで、ペルシャ語では●●●●●(ガイドが発音してくれたが聞き取れなかった)というそうですw
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ペルセポリスの猫
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遺跡は台地の上にあります。
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遺跡の入り口が見えてきました。ものすごく広い参道です。
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堂々たる階段を上ると…
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クセルクセス門が見えてきました。往時はかなり巨大な建物で、それだけで遠来の使者たちを畏怖させるには充分だったのではないでしょうか。
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土台は落書きだらけです。
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ホマの像。イラン航空のマークにも使われています。もともと列柱のてっぺんにあったもので、二つの頭の間に梁を載せ、屋根をかけていたのだとか。
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アバダーナ(謁見の間)に残る柱
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ライオンが雄牛を襲うの図。あちこちに同じモチーフのレリーフがありました。
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アバダーナ(謁見の間)東階段のレリーフ
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バクトリアの使者。フタコブラクダを連れています。
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エチオピアの使者。顔立ちや髪型がエキゾチックです。
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アルメニアの使者。顔立ちもはっきり残っています。
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ダレイオス1世の冬の宮殿
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百柱の間
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陽が暮れてきました。
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ハーフェズ廟の入り口
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陽が暮れてもたくさんの人でにぎわっています。
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ハーフェズの棺に花を手向ける人々
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棺を蓋う東屋の上に月が見えました。
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夕食。初めてメニューに魚料理が見えました。ペルシャ湾の魚のケバブ。
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ハーフェズ廟の前にいた小鳥占い。
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夜のシラーズのメインストリート。呼び込みのお兄さんの口調にも熱が入ります。
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ちょっと見えにくいですが、鳥かごが3つ下がっているのが見えます。
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小さい子どもも売り子をしていたけど…いいんでしょうか?
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露店の店頭にも鳥かごがあります。
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夜が更けてもなおにぎわうメインストリート
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メインストリートにかかる歩道橋。なんとエスカレーターが装備されています。
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