2015/04/30 - 2015/05/02
28位(同エリア253件中)
地中海人さん
最古の文明・メソポタミア文明を承継したエラム王国の遺跡・チョガザンビールとスサを組み込んだツアーに参加し、初めてイランを訪れました。
まずは、成田からドバイ経由でテヘランへ。テヘラン国立博物館の本館、絨毯博物館、ガラス博物館を巡ります。
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主な日程
2015年4月30日(木)
成田?発 EK319 22.00 (19.00集合チェックイン開始 21.05搭乗開始)
5月1日(金)
★ ドバイ着04.15
ドバイ発 EK-971 07.45 テヘラン着10.25
テヘラン国立博物館などを巡る。
5月2日(土)
テヘラン発 IR411 06.05 アフワズ着 07.25
チョガザンビール、スサの遺跡を巡る。
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S旅行の添乗員および現地ガイドつき専用バスによるツアー、参加者17名。イランとあって、皆さん旅慣れた方ばかり。
JTBグローバルTカードの出番がなかった。
アメリカと敵対している国ほどドルが通用すると言いますが、ここでもドルのほうが率がよいようです。
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写真は、スマホ・エクスぺリアとキャノンM3 18-55mm
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ガイドブック
「アーリア人」青木 健 著 講談社選書メティエ
「ペルシャ帝国」ピエール・ブリアン 著 「知の再発見」双書57 創元社
「シュメル-人類最古の文明」小林登志子著 中公新書
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追記(2016年2月1日)
2016年1月21日付け米国の「ビザ免除プログラムの改定」が施行開始され、
日本国籍者でも、2011年3月1日以降にイランに渡航または滞在したことがある場合はESTAを利用できず、別途観光ビザが必要となった模様。ご注意。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 観光バス
- 航空会社
- エミレーツ航空
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
-
2015年5月1日早朝 ドバイ国際空港第3ターミナル
早朝4時過ぎなので閑散であるが、左に回ると長椅子がほとんどトランスファー客で占められていた。
2014年旅客数でヒースローを抜いて世界一となり、第4ターミナルも計画されているとか。
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ドバイ空港第3タ-ミナル マルハバ ラウンジ
出発階(三階)のゲートB25近くのラウンジ専用エレベーターで四階へ。
プライオリティカードを初めて利用しました。 -
軽食可能です。
イラン国内へは酒持込禁止なので、ここで赤ワインとビールを頂いた。
(ドバイ空港に降下直前に、日本人CAさんからヘネシーのミニチュアを頂いた。) -
ターミナル出発階の一階下ゲートB25待合室
Eクラスは、後方からグループごとに呼ばれ搭乗します。 -
エミレーツ航空便 エコノミー席
座席裏側にある差込口は変換プラグ不要です。
カメラの電池を充電しているところ。
初めて利用する、本年3月末発売されたばかりのキャノンM3は電池消耗が早い。 -
テヘラン国際空港 到着階
イミグレで私のほか日本人だけ7−8人(個人旅行者とツアーの一部の人)が別室へ連れて行かれた。尋問は一人だけで終わり、全員が5-6分で開放される。理由不明(イスラエルを訪問したことがあるが、持参したパスポートにはスタンプを押してはいない。ヴィザはツアー会社経由で取得済み)。 私だけではなかったので、それほど緊張せず。中近東によくあるイミグレ担当者の?、それとも?。
帰国時にはここのピザ屋さんで夕食。 -
テヘラン国際空港 到着階
イスタンブールから3便、アンカラから1便飛んできている。
次回はTK、イスタンブール経由でかな? -
テヘラン国際空港 到着階
この写真の奥の方へ行くと何箇所か銀行がある。
左へ曲がり案内された銀行は円を両替できない窓口で、持参のなけなしのドルを使ってしまう。
2008年パルミラ訪問以来の中近東ツアーなので、両替のタイミングと相手がわからない。その辺の機微は最初に現地ガイドに尋ねるに限りますね。
結局旅行中、40ドル、40ユーロ、5000円を現地リアルに両替して、使い切りました。 -
テヘラン国際空港
撮影してよかったのかな? -
テヘラン市内への道すがら、花売りが多い。
翌5月2日はアリ・エマーム生誕日(祝日)。
でツアーは、予定していた時計回りでなく、反時計回りの逆コースとなった。 -
テヘランの街の北は、アルボルズ山脈。郊外から直接ロープウエーで標高3000mまで行け、5合目と7合目にはスキー場もあるという。
4000mクラスの山脈を望む、標高1000mを超える大都市は他には?
(写真は5月9日撮影) -
ツアーバスは、空港から直接テヘラン国立考古学博物館へ向かいました。
ここでちょっとイラン高原の歴史を概観(妄想)してみましょう。
アフリカ大陸とユーラシア大陸が衝突して陸続きとなり、地中海やザクロス山脈が形成されたのは2000万年前。アフリカ大地溝帯から紅海、死海などを通り動物がまずやってきて、人類は200万年前から渡ってきたと言う。ホモサピエンスは5万年前に北上し、パルミラ近くで南下してきたネアンデルタール人と遭遇したとか。
前8000年にはザグロス山脈の山麓地帯で天水農耕が始まったとされ、メソポタミア南部で灌漑農耕が始まったのはウバイド文化期(前5000-3500年)である。
印欧語族のイラン系アーリア人遊牧民が部族ごと前2500年ごろ中央アジアから移動を始め、南ロシアのステップ地帯に達していたペルシャ人が前1000年ごろメディア人と共にカフカズを超えイラン高原に移住してきたが、イラン高原南西部には前3000年期にはエラム人(前6000-4000年頃に到来?)が王国を作っていた。
この写真は、濃い茶褐色の文様を特徴とする彩文土器(5000年期 ウバイド文化期の特徴)である。 -
イランの先史時代の彩文土器
顔料(当初は隕鉄から採取した鉄さび、後代には赤鉄鉱など鉱物)で絵を描き、焼くと顔料が黒く変わる。動物や幾何学文が多い。当初は意味があったのでしょうね。
(私の妄想
アフガニスタン北部産のラピスラズリはイラン高原を横断しメソポタミアからエジプトまで、前4000年期には5000キロに及ぶ交易路があったとされ、ウバイド文化期の末期には、イラン高原にはラピスラズリを加工しメソポタミアへ輸出するための交易都市が発達していたとされるので、彩文土器は、当初はメソポタミアからウバイド人(シュメール人とは異なる)によってもたらされたかもしれません。) -
彩文土器 前5000年期
(私の妄想
前5000年期(前5000-4001年)はイラン高原にどんな民族が住み、また行き交ったのでしょうね。
セム語族系?、それとも、シュメル人やエラム人などの膠着語の人々の祖先?
メソポタミア南部でシュメール文明に先行するウバイド文化期を担ったウバイド人?は民族不詳、長頭だったとだけでどんな人々だったのかわからない。
短頭、丸顔、眼が大きく膠着語を話したというシュメル人も、またいつごろどこから来たのでしょうね。
シュメル人が楔形文字を作り、ホモサピエンスが歴史時代に突入したのは前3000年期からという。) -
彩文土器 前5000年期後期 スサ出土
スサには5月2日訪問。
(私の妄想
イラン西南部スサに何時頃からエラム人が住むようになったのか?
シュメル人と同様膠着語を話したエラム人は、いったいいつごろどこから来て、シュメルとの抗争を長い間繰り返すようになったのか?
エラム王国がアッシリアにほろぼされた後、エラム人はイラン系アーリア人のペルシャ人に吸収されたためか、今も西南部の低地がイラン国領土にとどまり、シュメル人を吸収したアッカド人をさらに吸収したセム語族の国・イラクと領土紛争を今も繰り返している。実に5000年の間続いているのである。) -
彩文土器 前3000年期 HAMEDAN
水鳥が水面から飛び立つ瞬間が描かれているギアン様式鳥文の壺。
もっと様式化された土器が池袋のオリエント博物館で見られる。(この下の写真の大甕も)
(私の妄想
前3000年期にはメソポタミア南部に定住していたシュメル人が文字の始まりを書いた叙事詩「エンメルカとアラッタ市の領土」には、イラン高原にあったアラッタからラピスラズリや金銀がウルクにもたらされ、見返りにウルクから山七つを超え、アラッタへ穀物が運ばれたとある。アラッタは今だに特定されていない。
遊牧民などが混在するシュメルの植民市?)
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前5000年期 低地においては灌漑農業が始まり、大増産による穀物を保管したものか。
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チョガザンビールのジグラト北東側入り口から発掘された。
前13世紀
エラム王国全盛の頃。
最古の文明を作ったシュメル人の最後のウル第3王朝が前2004年頃倒されたが、その東隣にあってその後も千数百年持ちこたえ、遅れてきたペルシャ人へその文明をバトンタッチしたのは偉い!
同じ膠着語を話す者として誇らしい。 -
チョガザンビールのジグラト
こことエラム王国の王都スサには5月2日訪問。 -
イランの地母神? バラフ土偶?(であれば、ウバイド文化期の前の時代)
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前1000年期とあります。アッシリア風ですね。エスファハーン出土。
エスファハーンには5月6日から2泊します。
(私の妄想
セム語族系アッシリア人は前8世紀、オリエント全域を強圧的に征圧、支配する大帝国を打ち立て、エラム王国はついに歴史から姿を消すことなり、エラム人はペルシャに身を寄せることとなる。
情け容赦ない武断的なアッシリアであったことが、反発し、奮起したペルシャ人が、更に西インドからギリシャ北部まで拡大させ、世界初の大帝国を打ち立てさせる契機となったのかもしれませんね。) -
乗馬服を纏ったペルシャ貴人(前200-後200年 )
ヘレニズム文化に心酔していたイラン系アーリア人のアルケサス朝パルティアの時代ですが、中央アジア出身の騎馬民族の印象が色濃く残っていますね。
この頃、パルティアはメソポタミアまで進出し、ローマがセレウコス朝を滅ぼしたため、両国が境を接し緊張するようになる。この両者の間にあのパルミラが登場する事となります。 -
1枚岩から作られていると言う。ついに世界史上に登場したアケメネス朝ペルシャ時代の宗教都市ペルセポリス(前520−前331)出土
ペルセポリスは5月4日訪問します。
この日、このあとツアーバスは、絨毯博物館、ガラス博物館を巡りました。
翌日はテヘラン国内線空港から早朝アフヴァーズに飛び、今旅行最大の目的地・チョガザンビールのジグラトを訪問します。
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