2014/12/25 - 2014/12/25
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のーとくんさん
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三井アウトレットパーク滋賀竜王へ行く事になり、それではと‘るるぶ 滋賀びわこ湖’をひろげます。
その竜王から東に10Kmほどの所にある日野町、そこにある馬見岡綿向神社(うまみおかわたむきじんじゃ)は、趣がありそうです。
また、近江日野商人館も立派そう。
そして和菓子屋‘氏郷庵(うじさとあん)かどや’の いがまんじゅうも美味しそうです。
滋賀・日野町でこの三ヶ所をまわる事にしました。
【写真は、馬見岡綿向神社の本殿です。】
- 交通手段
- 自家用車
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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馬見岡綿向神社に着きました。
名神高速道路を、蒲生スマートICでおりて、15分ほどでの到着です。
簡素ですが、神聖な感じのする境内です。 -
雨がふっています。
注連縄をくぐり、境内に入っていきます。 -
旅行商人の安全のために、元禄時代に奉納された燈籠があります。
さすが、近江(日野)商人の地元ですね。 -
左側には、どっしりとした社務所が。
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鳥居、石橋、拝殿が一直線に並んでいます。
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石橋の前にある、狛犬も良い感じです。
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吽形には、かわいい子犬がすり寄っています。
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石橋は雨にぬれているし角度も急なので、渡らずに左に迂回しました。
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立派な石灯籠の前を通ると・・・。
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手水社です。
龍はちゃんと雲に乗っています。 -
拝殿です。
大きな絵馬には、来年の干支のひつじが。 -
拝殿の奥には、すっきりとした本殿があります。
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馬舎の天井にある、木の刀。
ちょっと、かわいいですね。 -
この馬見岡綿向神社(うまみおかわたむきじんじゃ)は、東にそびえる綿向山山頂の大嵩神社(おおだけじんじゃ)の里宮です。
今もこのように山頂に神社があります。
この大嵩神社、ちゃんと20年に一度式年遷宮が執り行われます。 -
2016年に執り行われる、その第75回式年遷宮の御用材である榧(かや)の木がすでに揃っていて、綿向神社絵馬殿にて乾燥させています。
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本殿少し離れて置かれている、狛犬です。
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ここの吽形の狛犬も、子供がじゃれついています。
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本殿の前の樹は、きれいに刈られています。
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その樹の間をぬけて振り返れば、拝殿が。
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本殿にお参りします。
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本殿の狛犬は朱色です。
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本殿の近くにある村井御前社には、素晴らしい龍の彫り物が。
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欽明天皇六年(545)、蒲生野の豪族二人が綿向山に狩にきた時、すごい吹雪になりました。
しばらく岩屋で休んでいると雪はやみ、外に出てみると、ものすごく大きな猪の足跡を見つけました。
そのあとを追うと山頂に導かれ、綿向大神さまの化身となって現れた、白髪の老人から「この頂に祠を建てて祀るように」というご神託を受けました。
そのお宮こそ、この馬見岡綿向神社(うまみおかわたむきじんじゃ)の奥宮となる、大嵩神社(おおだけじんじゃ)です。 -
本殿の前の階段です。
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境内末社の八幡宮です。
境内末社、小さいけれど立派なつくりの社ばかりです。 -
少しそれて、稲荷大明神に参拝します。
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この池に沿って歩きます。
この池、神秘的な緑色をしています。
中央には、池之社・出雲神社があります。 -
稲荷大明神をお参りした後は、池の周辺にある末社をお参りして回ります。
そして、この橋を渡って池之社・出雲神社にお参りします。 -
池に先ほどの、稲荷大明神の旗が映ってきれいです。
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形の変わった松を発見しました。
江戸時代の後期伊豆の三島に醸造業の店を出した辻惣兵衛は、儲けたお金を故郷に持ち帰るとき山賊や盗賊のいる街道を通るため、松の盆栽の底に小判を隠しました。
故郷の日野へ無事持ち帰ることができたのも神のご加護と、この境内にその松を植えました。
そこでこの松を人々は、千両松と呼んでいます。 -
境内末社の八幡宮のそばには、やはり牛さんが。
なんとつぶらな目をした、牛さんでしょうか。 -
その近くには、なんと楠木正成親子の桜井の別れの像があります。
この像は戦前、日野小学校の校庭に置かれていたものですが、アメリカの占領施策で、それまでの教育が否定され、この境内に移築されました。 -
再び、拝殿にある来年の干支に、新年が良い年である事をお祈りします。
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カリンにまだ実が残っているのを見つけました。
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ちょっと奥に入った蛭子神社にもお参りします。
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車で馬見岡綿向神社(うまみおかわたむきじんじゃ)から、近江日野商人館の駐車場にやってきました。
駐車場から商人館に歩いていく時、下を見るとマンホールの蓋は、商人の旅姿です。 -
近江日野商人館です。
この建物は、ここの主の山中兵右衛門が、陰徳善事の大切さを感じており、不景気の時に仕事を提供する「お助け普請」を目的として、前の建物を取り壊し、昭和11年(1936)に新築したものです。 -
玄関をはいると、きれいな飾りつけが。
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瀬田の唐橋の擬宝珠がおかれています。
遠く離れた、瀬田の唐橋の架け替えの費用を、ここ日野商人が資金を寄進したのだそうです。
これも日野商人が陰徳善事を大事にしていた証です。 -
この間に上がり、入館料を払います。
説明しましょうかといわれ、お願いしました。
一階部分を廻りながら、説明をしていただけます。
いろいろな事がよくわかり、説明を聞くことができて正解でした。
左の方に、近江日野商人の最初に売り歩いた、漆器(日野椀)が展示されています。
右の方には、そのあと売り歩いた薬が見えます。 -
下の方に視線を感じます。
みるとかわいい狸が見上げています。 -
昔の電話です。
ここの主は先取性に富んだ方で、この電話もそういう意味で早々と取り付けられたそうです。
その故、電話番号は七番です。 -
一番目の部屋。
ガラスも当時の物で、よく見ると外が歪んで見えるところがあります。
また当時からバリアフリーを目指しているそうです。 -
これは、国産電気ストーブ第一号だそうです。
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二番目の部屋です。
この上の方にある天井からの電灯、引きおろすことができ、どこの位置にでもとめることができます。
すべての部屋で、この仕掛けがなされているそうです。
建築当時の仕掛けです。
すごいですね。 -
近江商人にも高島商人、八幡商人、日野商人、湖東商人などがあり、「八幡表に、日野裏」という言葉があるそうです。
日野商人は裏にお金を掛けるということで、奥座敷はとても贅を凝らしたつくりになっています。
それもやはり日野裏、ちょっと見た目にはわからないような、お金のかけ方です。
これは、説明を聴きながら出ないと、見逃してしまうものばかりです。
説明していただいて、すごくよかったです。 -
その一番がこの見た目には何の変哲も無い床柱。
四方柾の杉材が使われています。
四方が柾目になっている材木は非常に珍しく、日当を与えて日本中を探させた物だそうです。
現在残っている建築物で、全国に三ヶ所しか確認されていないとの事。 -
二階にあがります。
二階は、近江日野商人の歴史がわかる展示物が並んでいます。 -
行商の旅装束も見えます。
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日本最古級のワインです。
蔵の床下から発見されました。 -
日野商人の子孫によって醸造されている、全国のお酒です。
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行商の時の旅の装身具です。
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中国・東南アジアからの伝来品である、薬の原料である石薬の蛇含石(じゃがんせき)、滑石(かっせき)そして枡石(ますいし)です。
これも蔵の床下から発見されました。
一階におりて、外に出ます。 -
外には、同じ日野商人、矢野新右衛門家の土蔵の棟瓦が展示されています。
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ちょっと庭の方にまわってみました。
駐車場に向います。 -
車で、氏郷庵(うじさとあん)かどやに行く途中、交差点で見つけました。
日野曳山モニュメントです。
最初に行った、馬見岡綿向神社(うまみおかわたむきじんじゃ)の春季例大祭日野祭では、三基の御神輿と十六基の曳山などの行列があります。
五月二日(宵祭)三日(本祭)四日(後宴祭)となっており、湖東地方最大の祭礼です。 -
氏郷庵かどやです。
いがまんじゅうと丁稚ようかんを買いました。
美味しかったでーす。
(おしまい)
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