2014/07/11 - 2014/07/14
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Weiwojingさん
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第二次世界大戦前、ラトヴィアにはかなり多くのユダヤ人( 恐らく数万人 )が住んでいた。しかし、ナチスドイツ軍がラトビアを侵攻するとともにこの地に住んでいたユダヤ人を迫害し、強制収容所へ送り込んだ。
ナチスはゲット―( ユダヤ人強制居住区域 )と言われる区域に彼らを強制的に移住させて閉じ込め、ここから収容所に連行して行った。リガ市内には大きなゲツトーがあり、多くのユダヤ人が収容されていたが、戦争終了と共に破壊されて跡形もなくなってしまった。しかし、現在そうしたものが「リガ・ゲットー博物館」として復元されて、見学できるようになっている。
ラトヴィアでのユダヤ人の歴史に関心があったので、旅行前に幾つかの書籍で多少知識を得ていたが、いざリガに来てみるとかなり多くて回り切れないような状態であった。そこでツーリスト・インフォーメイションでユダヤ関係の史跡や関連場所を尋ねると、「ユダヤ人歴史ツアー」のパンフレットをもらった。早速このツアーに参加し、ユダヤ人関係の史跡を回ってみたいと思った。
- 旅行の満足度
- 5.0
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リガ市内にはかなりのユダヤ人関連の場所があり、ぜひ見て回りたいと考えていた。前以て本などでこの地におけるユダヤ人の歴史は知ってはいたが、具体的にどこに何があるかということについては知らなかった。
そこで観光案内所で教えてもらったツアーに参加してみたいと思い、申し込みをした。受け付けてくれた人とは最初英語で話していたが、こちらが日本人だと分かると、日本語に切り代えて、流暢な日本語で話し始めたのには驚いた。1年間北海道で日本語を勉強したことがあるそうだ。
約束の時間に集合場所に行くと、参加者は小生一人だけで、あとはガイドの女性が付いてくれて、約4時間ほど市内を回った。
先ず案内していただいたのはシナゴーク ( ユダヤ教礼拝所 )で、リガ市内にはかつては多くのシナゴーク があったが、現在ではここ一カ所のみ存在する。
たまたま訪れた時は土曜日であったので、中に入ることは出来なかった。しかし、それ以外は一般に開放しているので、再度別な日に来てみた。 -
土曜日は礼拝があるためにぼっぼっ訪れるユダヤ人の姿があった。ユダヤ教徒でなければ礼拝に参加することはできないのが残念である。
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ここはシナゴークのある前の道路で、かつてはこの周辺には多くのユダヤ人が住んでいた。
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次に訪れたのは虐殺のあった現場で、今は公園となり、亡くなられた方々を悼む記念碑があるだけである。
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数多くの石版が立ち並び、そこには犠牲になった方々の名前が記されている。どのくらいの名前があっただろうか、全く想像もつかない。
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虐殺があったのはこの場所で、ここには大きなシナゴークがあり、1941年7月ここで多くのユダヤ人が殺された。
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今ではシナゴーク跡はきれいに整備され、ここでたくさんの人々が殺戮されたなどとは想像も出来ない。
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傍らには「1941 V11」と刻まれた小さな記念の石が置かれている。ここで1941年7月に惨事があったのだろうか。
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<Rigas Geto Muzejs ( リガゲットー博物館 )>
中央市場からやや近いところに「リガゲツトー博物館」があった。悲惨な虐殺の現場を伝える場所として少々訪れるのは気後れがしたが、思い切って入ってみた。訪れる人は小生のみで、途中で来られたユダヤ人の方が小生に握手を求めて去って行かれた。 -
中庭に記念碑が置かれている。
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この日は寒々として天気が良くなく、しかも訪れる人は小生のみで、気が滅入りそうな見学であった。
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ここはかなり広い敷地で、その大部分を占めているのが収容所の建物である。建物の前には何十もの大きな掲示板 ( 右側の白いボード )があり、そこにはここで犠牲となった人々の名前や写真が貼られている。
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あまりのもたくさんの写真が紹介されていて、どれも興味を覚えたが、とりわけそれらの中で最も関心があったのは、ユダヤ人青年で組織した志願兵 ( 適切な名称かどうかわからないが )の写真であった。ナチスに協力した青年たちであった。
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犠牲となった方々の生前の写真が掲げられている。これらの写真を見ると、どの人もそれなりに裕福で、ある程度の社会的地位のある人たちだったように見える。
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ある建物の中に入った。薄暗い中に灯篭のように作られた物がいくつとなく吊り下げられている。一体何なのかと目を凝らすと、一つ一つの灯篭に電気が付き、そこには亡くなられた人々の生前の姿と名前、簡単なメッセージが添えられている。
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家族の集合写真もあった。恐らく全員が虐殺された方々の生前の楽しかった時代の写真だろう。
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女性の姿が写りだされた写真がある。
薄暗い光に照らされた女性の口から何か話が聞こえてくるような気がした。 -
この方もそれなりに社会的な地位を持っていた人物のようだ。この方も何かを話しているかのようである。どんなことを話しているのかふと聞いてみたいという思いにとらわれた。
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敷地の1画にユダヤ人が住んでいた(というよりは収容されていた)家が再現されている。
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1階には展示コーナーになっていて、2階には当時の収容されていた人々の住んでいた生活が紹介されている。
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室内には粗末なベッドがあるだけで他には家具らしいものはほとんどない。壁には寒さ避けに新聞が貼られている。
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生活のために裁縫をしたりして、その日その日の糧を得ていたものと思われる。
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敷地の片隅に小さな小屋のようなものがある。これは何のための小屋か分からないが、恐らくシャワーでもあったのかもしれない。
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これは小屋の前に掲示されている昔の写真で、2人のユダヤ人がいる。彼らがいる小屋が今小生の前に復元されている。
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リガゲット―博物館を出て周囲を歩いてみると、近くにかつての「科学アカデミー」の建物がある。いかにもソ連風の建物で、スターリン・クラシック様式というだそうだ。
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ユダや人が多く住んでいた地域の近くには昔からの「中央市場」があり、彼らもよく利用していたとのことである。今でも多くの市民が買い物に訪れている。
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かつてユダヤ人墓地があったところで、今はきれいに整備されて公園になっている。かなり広い。広大な墓地だったと想像する。
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今は森林公園となっていて、小さな遊歩道があり、時折散歩をする人の姿が見える。それ以外が全く訪れる人もいない。
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この建物はかっては Jewish Theater ( ユダヤ人劇場 ) だったところで、今は THE MUSEUM “Jews in Latvia”という博物館になっている。
ここもぜひ訪れてみたいと考えていた博物館である。あまり訪れる人もおらず、わずかにユダヤ人関係者の姿を見るだけである。もっと多くの人に見てもらいたいところである。 -
入口にTHE MUSEUE “Jews in Latvia”と書かれた掲示がある。
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Jewish Theater ( ユダヤ人劇場 )内にあるコンサートホール入り口。しかし今は全く使われていないようである。
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多くの人々が犠牲になったが、一方でわずかに難を逃れた人々もいた。
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これはユダヤ人たちが常に胸に付けていなければならなかった「ダビテの星」の記章である。
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ここは最初に訪れたシナゴークであるが、翌日再度出かけてみた。今度は自由に入ることが出来、1時間余り見学した。
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内部に入ってみた。
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キリスト教会と全く雰囲気が異なる。キリスト教会に見られるようなイエス・キリストや聖母マリア、聖人たちの像の類は一切ない。
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窓の上のステンドグラスが美しい。キリスト教のものとはかなり異なるデザインで、あくまでも装飾性の強いもののような印象がした。
今回のユダヤ人を巡るツアーはここで紹介してきた場所以外にももう少しあったが、よい写真が撮れなかったり、不明な場所があったりと、必ずしも十分ではなかった。今後さらに現地で購入してきた本や写真集などで研究し、もっとこの国におけるユダヤ人の歴史を知りたいと思う。
ご覧いただいた方々にはあまりユダヤ人と言っても関心がなかったり、知らないことが多いのではないでしょうか。『アンネの日記』はご存じでしょうが、同じようなことがこのバルト3国でもあり、多くの犠牲者がいた。少しでもご関心を持っていただければ嬉しいです。
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この旅行記へのコメント (3)
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- リリーさん 2017/07/11 07:55:10
- 初めまして
- バルト三国でのユダヤ人の歴史をご紹介して頂き、ありがとうございました。アウシュビッツは有名ですが、ラトヴィアにもこのような場所があるのですね。少しでも多くの人に知ってもらうことが大切だと思います。歴史に残らないと、まるでなかったことになってしまい、忘れられる犠牲者があまりにも可哀想です。
驚いたのは、ナチスに協力したユダヤ人の若い志願兵たちの写真が飾られていたことです。本人たちと子孫の方たちは飾られることに反対しなかったのでしょうか。彼らも生き延びるために他に手段がなかったのでしょう。戦後、どのような人生を送られたのでしょうか。きっと苦しみながら生きていったのだと思います。それとも戦犯として処刑されてしまったのでしょうか。
やりきれない思いです。
- Weiwojingさん からの返信 2017/07/12 21:06:09
- RE: 初めまして
- リリーさん
初めまして。この度は私の旅行記にご訪問をいただき、その上いくつもご投票をいただき、ありがとうございました。今旅行でフィリピンにおりますので、お礼のご連絡が遅くなりました。
確かにアウシュビッツでのユダヤ人大虐殺のことはよく知られていますが、バルト3国でのユダヤ人迫害や虐殺のことは知られていませんね。私はある本でこのことが紹介されていたのを読んで、興味を持ち、実際に行ったら、その場所を訪ねて見たいと思っていました。ただどこにあるのかよくわからず、行ってからいろいろ調べて訪ねることが出来ました。かなり時間はかかりました。
ユダヤ人の中にはナチスに協力した若い志願兵もいましたね。戦後彼らはどうなったのか歴史は何も述べられていませんので全然分かりませんが、きっと困難な道を歩まなければならなかったことと思います。
世界中には歴史の波にのまれて、亡くなられた人々ガたくさんいることでしょうね。そうした方々を忘れてはいけないと思います。フィリピンでも一般の方々がたくさん亡くなられました。そうしたフィリピン人も日本人も多いです。フィリピンを回っていると、戦争で犠牲になった日本人の慰霊碑があちこちにあります。
これからもよろしくお願いいたします。今後リリーさんの旅行記を楽しみにしています。
Tamegai
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- リリーさん 2017/07/11 07:53:26
- 初めまして
- バルト三国でのユダヤ人の歴史をご紹介して頂き、ありがとうございました。アウシュビッツは有名ですが、ラトヴィアにもこのような場所があるのですね。少しでも多くの人に知ってもらうことが大切だと思います。歴史に残らないと、まるでなかったことになってしまい、忘れられる犠牲者があまりにも可哀想です。
驚いたのは、ナチスに協力したユダヤ人の若い志願兵たちの写真が飾られていたことです。本人たちと子孫の方たちは飾られることに反対しなかったのでしょうか。彼らも生き延びるために他に手段がなかったのでしょう。戦後、どのような人生を送られたのでしょうか。きっと苦しみながら生きていったのだと思います。それとも戦犯として処刑されてしまったのでしょうか。
やりきれない思いです。
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