2014/07/14 - 2014/07/16
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Weiwojingさん
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リガでの滞在を終えて、次に Riepaja ( リエパーヤ )へ向かった。リエパーヤはバルト海に面した港町で、日露戦争時にこのカロスタ軍港を母港としていたバルチック艦隊がここから日本海に向けて出発したところとして知られている。不凍港としてロシアにはなくてはならない港であった。
残念ながら今回港へは行くことが出来なかった。街から港までかなりの距離があり、しかも、広大な臨海地域の中にあって、最初簡単に行けるものと思い、港のある方へ向かったが、なかなか着くことが出来ず、時間がなくなり途中までしか行くことが出来なかった。
しかし、ロシア皇帝の命により19世紀から20世紀にかけて造られた要塞跡や防波堤、稼働橋等が残されていて、そうしたものの1部は見ることが出来た。
- 旅行の満足度
- 4.5
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リエパーヤハそんなに大きな都市ではない。街の中心部もこの「ティルグァニュ通り」というショツピング街といくつかの区域のみで、一日で回ることが出来そうなところだ。とは言っても、やはり1日だけで終わるよりも数日かけてゆっくり見て回りたいと思い、2泊した。
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ネコがティルグァニュ通リの真ん中で座り込み、周りの通行人の思惑など全く知らぬふうな顔をしている。
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リエパーヤの街はひっそりとしていて、あまり活気が感じられないが、逆に他のラトヴィアの都市と比べても静かで、落ち着いていてこののようなところが小生の好きところであると言っても良いだろう。
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市内にはトラムが走っていて、興味を覚え少し乗ってみた。リエパーヤのトラムは1899年に造られた、ヨーロツパで最も古いもののひとつである。
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<聖アンナ教会>
リエパーヤで最も古い教会。最初に建てられたのが16世紀で、現在の建物は19世紀の再建されたものである。 -
中に入ってまず目を引いたのは、高さ10メートル、幅6メートルに及ぶバロツク様式の祭壇である。
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運河に掛かる橋の欄干にこのような記念碑が置かれている。
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<聖三位一体教会>
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この街には古い建物が多い。このレンガ造りの建物もかなり歴史がありそうだ。
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その建物の一番上に天使の顔が作られている。
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旧市街の区域にはこのような木造とレンガの両方で作られた建物が見られる。
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この建物はマーケツトになっていて、食料品から日常雑貨まで何でも揃っていた。建物自体が古く、大変立派である。
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遅めの昼食と休憩を兼ねて、このようなカフェでランチをとった。
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コーヒーとサラダ、サワークリームの載ったパンを注文した。豆のサラダが珍しく、また美味しかった。
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ある商店のショーウィンドーに木靴が並べられていた。今時木靴とは珍しいと思ったが、実用品なのだろうか。
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この街にもユダヤ人が第二次世界大戦前まではかなりたくさん住んでいたようである。かつてこの周辺にゲットーがあったことを示すこのような記念碑が設置されている。
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もうひとつ第2次世界大戦中のユダヤ人に関する旧跡がティルグァニュ通りにある。ここは歩いていて偶然見っけたものである。
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ドアの右側にこのようなプレートがはめ込まれている。これによると、「1943年から45年にかけて Roberts and Johanna Seduls の2人が11人のユダヤ人をこの建物に匿い、命を助けた。それ故、Roberts Sedulsの名は我々の歴史に残され、リエパーヤのユダヤ人の歴史において輝かしく記されるであろう 」 とある。
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かつての軍港のあるあたりに旧ソ連時代の「軍港刑務所」があると聞き、出かけてみた。トラムとバスを乗り継いで行ったが、教えられた場所で降りると、このあたりは何もない松林で、所々に民家があるだけの寂しいところであった。
どこにあるか分からないので、歩いて人に尋ねると、幸いなことにその人は英語が分かる女性で、詳しく行き方を教えてくれた。 -
現在は博物館として、自由に訪ねることが出来る。見学するには入場料を払い、指定された時間に職員の案内で見学しなければならない。
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1904年に建てられたレンガ造りの建築は、軍の短期留置所として使われ、第二次世界大戦のドイツ軍占領時代には裁判所となり、多くの人々が即時裁判で銃殺された。今なお幽霊が出没するとうわさされる悲惨な場所であった。
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見学はこの入口から始まった。
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入口を入ると、通常鉄格子になっていて、職員が鍵を開けてから中に入る。ここからして薄暗い陰湿な空気が漂い、一人ではとても入れないようなところだ。
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さらに奥に進むと、もう1か所鉄格子があり、この中に獄室が両側に並んでいる。昼間でも電気を付けないと薄暗くて、歩けないほどである。
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こんなところに多くの人が閉じ込められ、虐殺されたのかと思うと、背筋が寒くなってきた。
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見学を終えて外に出ると、ほっとした気持ちになった。刑務所の入り口近くに旧式の自転車を模したオブジェが置かれている。
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刑務所を出ると、周りには何もなく、ただこのような道路があるだけである。
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市街地から少し離れると、冬に備えて材木を貯蔵している家が見られた。
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軍港があるところへ行きたいと思ったが、どのあたりにあるのか、方向がよくわからず、人に聞きたくても全然歩いている人はおらず、結局この橋に出てしまった。
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橋の上から港のある方向が見えた。恐らくこの海の先にバルティっク艦隊が日本に向けて出港した軍港があったのだろう。
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リエパーヤ博物館へ向かう途中、ふざけ合いながら歩いている兄妹の2人に出会った。
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<リエパーヤ博物館>
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<聖ヨセフ大聖堂>
1900年に建設されたネオ・ロマネスク様式のカトリック教会で、その壮大な建物と内部の荘厳さから相当な格式を感じる。 -
この街にはアールヌ―ボー様式の建物がかなりあり、リガには及ばないものの見応えがあるものが多い。
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なかなか立派な建物がいくつも見ることが出来る。これはリエパーヤ大学の建物である。
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柱に見られるこの装飾は何かの鳥( ワシ !?)を表したものと思われる。
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売り出し中の家があった。
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この家の南側に回ると、ベランダの造りが驚くほどの美しいさで、手が込んだ刺繍のようだ。
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<リエパーヤ劇場>
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ある日の夕食の一例。
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リエパーヤでの滞在を終えて、次の目的地を目指してこのバスセンターがら出発した。次の目的地は Buska ( バウスカ )である。
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