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JR高崎線鴻巣駅より徒歩約20分、瀧蔵山・常勝寺(じょうしょうじ、埼玉県鴻巣市滝馬室)は大日如来を御本尊とする真言宗智山派の寺院です。<br /><br />隣接する氷川神社境内に設置の説明板に当該寺院に関して言及されており、それには『開山開基ともに不詳である、境内には文永7年(1270)「為種法入道也」などの古碑が残されており、古い時期の草創と思われる。』とあり、<br />神仏習合(しんぶつしゅうごう)という神道と仏教とが一体化された経緯が窺われます。<br /><br />また近年においては徳川家康の関東移封の翌年天正19年(1571)寺領15石の朱印状が下賜され、併せて寛政7年(1795)の本末帳には近郊に末寺を多数擁する寺院であったと記されており、二階建ての壮大な山門の雄大さを見れば近隣に与えた影響力は少なくないと思われます。

武蔵鴻巣 開山開基不明ながら13世紀後半の草創と伝えられ家康関東移封後に寺領下賜のもと近郊に多数の末寺を擁した『常勝寺』など散歩

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2014/09/28 - 2014/09/28

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滝山氏照

滝山氏照さん

JR高崎線鴻巣駅より徒歩約20分、瀧蔵山・常勝寺(じょうしょうじ、埼玉県鴻巣市滝馬室)は大日如来を御本尊とする真言宗智山派の寺院です。

隣接する氷川神社境内に設置の説明板に当該寺院に関して言及されており、それには『開山開基ともに不詳である、境内には文永7年(1270)「為種法入道也」などの古碑が残されており、古い時期の草創と思われる。』とあり、
神仏習合(しんぶつしゅうごう)という神道と仏教とが一体化された経緯が窺われます。

また近年においては徳川家康の関東移封の翌年天正19年(1571)寺領15石の朱印状が下賜され、併せて寛政7年(1795)の本末帳には近郊に末寺を多数擁する寺院であったと記されており、二階建ての壮大な山門の雄大さを見れば近隣に与えた影響力は少なくないと思われます。

交通手段
JRローカル 徒歩

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  • 常勝寺参道

    常勝寺参道

  • あゆみ観音像<br /><br />観音像の横には軍馬慰霊と刻された軍馬像も立脚しています。

    あゆみ観音像

    観音像の横には軍馬慰霊と刻された軍馬像も立脚しています。

  • 山門<br /><br />

    山門

  • 新本堂建立記念碑

    新本堂建立記念碑

  • 常勝寺・本堂<br /><br />開山開基は不明ですが真言宗智山派の寺院となっています。

    イチオシ

    常勝寺・本堂

    開山開基は不明ですが真言宗智山派の寺院となっています。

  • 本堂・扁額<br /><br />本堂上部には「常勝寺」と刻された寺号が掲げてあります。

    本堂・扁額

    本堂上部には「常勝寺」と刻された寺号が掲げてあります。

  • 境内風景<br /><br />本堂から山門方向を捉えます。

    境内風景

    本堂から山門方向を捉えます。

  • 宝篋印塔<br /><br />参道の途中には立派な宝筐院塔が見えます。

    宝篋印塔

    参道の途中には立派な宝筐院塔が見えます。

  • 常勝寺・六角堂

    常勝寺・六角堂

  • 常勝寺・境内<br /><br />綺麗に管理された境内は見事です。

    常勝寺・境内

    綺麗に管理された境内は見事です。

  • 境内からの展望<br /><br />当該寺院は荒川を見下ろす河岸段丘に設置されています。

    境内からの展望

    当該寺院は荒川を見下ろす河岸段丘に設置されています。

  • 常勝寺・薬師堂

    常勝寺・薬師堂

  • 境内に配された墓石群

    境内に配された墓石群

  • 常勝寺・鐘楼堂

    常勝寺・鐘楼堂

  • 歴代住職墓石

    歴代住職墓石

  • 荒川<br /><br />常勝寺の左側は荒川の広い河川敷となっています。

    荒川

    常勝寺の左側は荒川の広い河川敷となっています。

  • 加藤政之助頌徳碑・説明板<br /><br />当地出身の政治家・実業家・教育者の頌徳碑と共にその傍にはその説明板が建てられています。

    加藤政之助頌徳碑・説明板

    当地出身の政治家・実業家・教育者の頌徳碑と共にその傍にはその説明板が建てられています。

  • 加藤政之助・頌徳碑

    加藤政之助・頌徳碑

  • 加藤政之説明板<br /><br />「 加藤政之助頌徳碑<br /><br />安政元年(1854)7月滝馬室の旧家に生まれる。明治4年(1871)戸町を勤めたが、のち埼玉県庁に移った。辞職後慶應義塾に入学、同11年卒業して大阪新報社に入社、同13年県会議員に当選し、15年から8年間議長をつとめた。<br /><br />同23年郵便報知新聞社に入社、1年間の欧米視察後、同25年衆議院議員に当選、以来政治家として活躍した。昭和2年貴族院議員に勅任され、ベルリンの万国議員会議へも出席した。<br /><br />また、東上鉄道取締役や東京家畜市場社長をつとめたり、大正10年には、現・鴻巣高校の前身にあたる、武陽実業学校を開設するなど、実業界、教育界でも活躍した。<br /><br />昭和16年8月2日、87才没。村立馬室中学校開校の功績を記念して昭和29年11月にこの碑が建てられた。<br /><br />                    鴻巣市教育委員会 」

    加藤政之説明板

    「 加藤政之助頌徳碑

    安政元年(1854)7月滝馬室の旧家に生まれる。明治4年(1871)戸町を勤めたが、のち埼玉県庁に移った。辞職後慶應義塾に入学、同11年卒業して大阪新報社に入社、同13年県会議員に当選し、15年から8年間議長をつとめた。

    同23年郵便報知新聞社に入社、1年間の欧米視察後、同25年衆議院議員に当選、以来政治家として活躍した。昭和2年貴族院議員に勅任され、ベルリンの万国議員会議へも出席した。

    また、東上鉄道取締役や東京家畜市場社長をつとめたり、大正10年には、現・鴻巣高校の前身にあたる、武陽実業学校を開設するなど、実業界、教育界でも活躍した。

    昭和16年8月2日、87才没。村立馬室中学校開校の功績を記念して昭和29年11月にこの碑が建てられた。

                        鴻巣市教育委員会 」

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