2008/05/23 - 2008/05/23
298位(同エリア334件中)
ムッシュさん
旧街道「中山道」を桶川宿より鴻巣宿氷川神社までウォーキング。
関東平野の中央都市部だけに大半が住宅街で、道中に昔の面影は有る訳もありません。
普段歩くこともない地区ですが、暑い熊谷方面に向けて汗ダクになりながら、拙い歴史知識をかき出しながらお勉強がてらの観光です。
- 旅行の満足度
- 5.0
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【桶川稲荷神社】(桶川市寿2丁目)
嘉禄年間(1225~27)の創建で、桶川郷の総鎮守でした。 -
【稲荷神社】
創建は長承3年頃(1134)。元禄6年(1693)桶川宿の鎮守となり、明治6年(1873)郷社となる。神社本殿は文化14年(1817)幕府御用大工立川小兵衛による。 -
稲荷神社境内の大盤石(だいばんじゃく)は重さ610kg。
説明板には、
武蔵の国・岩槻生まれの「三ノ宮卯之助」という人物が、嘉永5年(1852年)にこの石を持ち上げたとある。世界記録相当です。 -
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北本宿の本宿(間の宿)の説明碑文より(北本市本宿8丁目)
「現在の北本の元となる街並みが造られたのは,江戸時代の初期に本宿村が中山道の宿駅として整えられたのが始まりで,この地はその頃は本鴻巣村と呼ばれていたが,文禄年間(1592-96),現在の鴻巣駅付近に徳川家康の宿泊施設である鴻巣御殿が建てられたことや宿間距離の不均等を正すなどの理由で宿は鴻巣に移された(1602)。以降,最初に宿駅があった一帯は元の鴻巣という意味で「元鴻巣村」と呼ばれ元禄年間(1688-1704)になるともともとの宿場ということから本宿村と呼ばれ北本の名の起こりともなっている。
街道沿いには旅籠や店は無く,本宿村の下茶屋と東間(あずま)村の三軒茶屋の2箇所に立場がおかれ人馬はそこで喉の渇きや旅の疲れを癒したという。」
徳川家康の鷹狩りの休憩地「鴻巣御殿」が、今の鴻巣宿あたりに建設されたから命名という説がある。 -
【多門寺】(北本市本宿2丁目)
真言宗智山派寶塔山稲荷院多聞寺(たもんじ)、万治4年(1661)の創建で、本尊は毘沙門天立像です。
埼玉県の天然記念物に指定されてる樹齢200年のムクロジの巨木(フォト)がある。高さ27m、枝張り14m。
木の下には、ムクロジの実がたくさん落ちていた。
この実は、羽付の羽の先につける黒い実に利用される。昔はお正月に羽子板で遊びましたね。 -
【鴻巣 勝願寺】由緒より
江戸時代には,浄土宗の関東七大寺の一つに数えられている。結城秀康が結城から福井に転封になったとき,結城城の御殿の一部をこの寺に賜ったといわれており,寺域約6万坪に七堂を持つ大伽藍であった。
家康お気に入りの寺で,敷地は環濠が巡らされていて”城”としての構造を有していたといわれる。また慶長9年(1604)には,二世円誉不残に深く帰依し寺領300石を贈るが,師は辞退したため30石の仏具料を寄進したという格式の古刹である。寺の屋根には徳川家葵の紋瓦がある。 -
【鴻巣 勝願寺 芭蕉忌千句塚】
芭蕉辞世の句
「けふはかり 人も年よれ 初時雨 芭蕉」
隣りの石碑には千句塚を建立した横田柳几の句碑が建てられている
「夕暮れを こらえこらえて 初時雨 柳几」 -
正面奥に見える建物は、JR高崎線の北本駅。
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【鴻巣雛】鴻巣市人形町。
雛人形生産地として有名。これは大きなお店です。
17世紀中頃から人形作りがはじめられ、鴻巣雛の名称がついた。
鴻巣は、雛人形の関東発祥の地で370年の伝統がある
江戸時代中期、京都の職人が中山道を下りこの地で、雛人形の製造をしたのが始まり。
ここで開かれる人形市は「関東の三大雛」の一つに数えられる。 -
【鴻巣本陣跡の碑】
高野薬局奥が本陣跡。手前の路地を左に入ると、かつての所在地。 -
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地名の由来になった【鴻(こう)神社】
【鴻神社】説明版より
鴻神社は明治6年にこの地ならびに近くにあった三ヶ所の神社を合祀したもので、もとは鴻三社といった。三社とは、氷川神社・熊野神社・竹の森雷電神社である。
現在の鴻神社社地は竹の森雷電神社の社地だったもので、合祀決定後、社殿の造営が行われ、明治6年9月24日に社号を鴻三社と定めた。
明治35年から40年にかけてはさらに鴻巣町内に所在した日枝神社、東照宮、大花稲荷社、八幡神社を合祀して明治40年4月8日、社号を鴻神社と改めて現在に至っている。
ここは鴻巣市の文化財に指定されている『香具拾三組御定免』『議定書』『商人講中連名帳並焼印』など貴重な資料が残されている。
またここ鴻氏神社では、10月14日の例大祭のほか、ゑんぎ市や酉の市、夏祭りなど様々な行事が行われている。 -
【箕田観音堂(みたかんのんどう)】解説掲示板より
往時は吹張山平等院と呼ばれ、羅生門の鬼退治で知られた源頼光四天王の一人、渡辺綱が永延元年(987)に開基、本尊は源経基が戦いの際に兜の中に頂いていた一寸八分の馬頭観音です。
観音様は、源頼光四天王の一人鬼退治で知られた渡辺綱の守り本尊と伝えられている。ここ箕田(みた)の地は、嵯峨源氏の流れをくむ箕田源氏発祥の地である
箕嵯峨源氏の渡辺綱の守り本尊を安置していたと伝えられる平等寺があった。現在は観音堂がある。
境内には嵯峨源氏の紋である「三つ星に一文字」が随所に見られる。渡辺綱は大江山にいた酒呑童子を退治した源頼光の四天王の一人。 -
【箕田氷川八幡神社】(鴻巣市箕田)
氷川八幡神社があり、渡辺綱が、永延二年(988)八幡宮を勧請して創建した。
渡辺綱を祀る八幡社と承平元年(966)に六孫王源経基が勧請したと言われる箕田郷27ヶ村の鎮守として崇敬されていた氷川神社が,明治6年合祀された神社である。
境内には嵯峨源氏の由来を記した「箕田碑」がある。
箕田は武蔵武士発祥の地で,平安時代に多くのすぐれた武人が住みこの地を開発したこと,源経基は文武両道に秀で武蔵介として当地方を治め源氏繁栄の礎を築いたことなどが記されている。
裏の碑文には,安永7年(1778)に刻まれた和文草体で,
「世を経ても わけこし草のゆかりあらば あとをたづねよ むさしののはら」
という渡辺綱の辞世が掲げられている。
この石碑は、宝暦9年(1759)に建てられた。 -
【箕田氷川八幡神社】
次へ 中山道NO-5鴻巣宿から熊谷宿へ
https://ssl.4travel.jp/tcs/t/editalbum/edit/10251315/
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