2014/08/11 - 2014/08/18
713位(同エリア4378件中)
skomuroさん
- skomuroさんTOP
- 旅行記45冊
- クチコミ8件
- Q&A回答1件
- 41,575アクセス
- フォロワー5人
夏休みを利用してトルコの周遊ツアーに行ってきました。
8日間の日程で主要なスポットを巡るツアーでなかなかの強行軍でしたが、日ごとに違う光景や文化を見ることができ、トルコを満喫してきました。
・1日目 成田→イスタンブールへ移動
・2日目 ダーダネルス海峡を渡りトロイ観光(ギリシャ時代遺跡)
アイワルク泊(エーゲ海)
・3日目 ベルガマ・エフェソス観光(ローマ時代遺跡)
パムッカレ観光・泊(石灰棚)
・4日目 コンヤ観光(イスラム教の神秘主義発祥地)
・5日目 カッパドキア観光・泊(奇岩地帯)
・6日目 イスタンブールへ移動・観光(オスマントルコ時代)
ボスポラス海峡クルーズ
・7日目 イスタンブール観光 イスタンブール→成田へ移動
・8日目 帰国
6日目からはイスタンブール。
東ローマ帝国やオスマントルコの都があった場所で見所がたくさんです。
今回は約1日の滞在だったのですが、それでも写真が多くなりすぎたので、旅行記は2つに分けることにしました。
前編の主な内容は以下の通り。
・グランド・バザール
・ブルーモスク
・アヤ・ソフィア大聖堂
・ボスポラス海峡クルーズ
トルコの中でも自分が一番行きたかった場所はイスタンブール。
最後にやっと来ることができました。
ツアーなのでコンパクトに主要なスポットを見て回れた反面、自由時間が少なかったので、少なくともあと1日はフリータイムがほしい所でした。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- グルメ
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦
- 一人あたり費用
- 25万円 - 30万円
- 交通手段
- 観光バス 徒歩
- 航空会社
- ターキッシュ エアラインズ
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- JTB
PR
-
6日目11:30 カッパドキア近郊のカイセリ空港からイスタンブールのアタチュルク空港へ到着。
空港には愛国心の強いトルコらしく国旗がびっしり。 -
街並みを眺めつつ旧市街へ移動。
ガイドさんがイスタンブールの渋滞は世界一ひどいと言っていましたが、この日はそれほどでもなく空港から40分程度で旧市街へ到着しました。 -
移動中に見えたヴァレンス水道橋。
ローマ帝国時代の378年にできたもので、後年のオスマントルコ時代にも使用されたそうです。
気をつけていないと通り過ぎてしまうため、移動中でも全然気が抜けません。 -
城壁の跡なども見ることができます。
-
ツアーバスは金角湾をのぞむエミノニュ広場に到着。
色々と見てみたいのですが、まずは昼食会場へ。 -
昼食はエジプシャン・バザールの近くにあるハムディ。
ガイドブックにも出ているケバブのお店です。 -
お店の窓からは金角湾が一望できます。
風景を見ながらの食事はいいですね。
ツアーでは2階の座席に通されましたが、眺望としては5階のテラス席が良さそうです。 -
このお店では16種類のケバブ料理が食べられるようです。
飛行機で簡単な食事も出ていたので、昼食の量としてはこれでも充分。 -
合わせて試していなかったトルココーヒーも飲んでみました。
粉ごと煮出しをするため、カップの中の半分くらいに粉が堆積しています。
大きさが伝わりにくいけど、コーヒーの量はエスプレッソと同じくらいかな。 -
1階の調理場では、ドネルケバブを作ってました。
トルコの光景らしいといえばそうなのですが、なにげにトルコに来てからドネルケバブを見たのは初めてでした。
街中のあちこちにあるイメージだったけど、そこまでではないのかも。 -
昼食後に15分だけ自由時間をもらえたので周囲を散策。
イェニ・ジャーミィ
1663年完成のなかなか美しいモスク。内部は旅行記の後編で出てきます。
なお、モスクというのは欧米や日本で呼ばれる呼称であり、トルコではジャーミィというのが正しい呼び方です。 -
リュステム・パシャ・ジャーミィ
近くまで行く時間がなかったので上のほうだけ。
オスマン帝国最盛期のスレイマン大帝の娘婿である、リュステム・パシャの発願により1561年に建設されたモスク。
ちなみにパシャとは、オスマントルコでの高官・高級軍人の称号です。 -
エミノニュ広場から、地下道を通ってガラタ橋方面へ。
大混雑しているのでスリなどに気をつけつつ進みます。 -
ガラタ橋で釣りにいそしむ大勢の人々。
この日は土曜日だったのですが、平日はどうなんでしょうかね。
余り多いようだと逆に心配になります。
ちなみにトルコの失業率は8%くらいだそうです。 -
地下道を抜けた金角湾側。
対岸にはガラタ塔が見えます。 -
イスタンブール名物サバサンドの船。
-
ぜひ食べてみたかったのですが、さすがに昼食後すぐでは食欲が起きませんでした。
-
続いて近くにあるエジプシャン・バザールへ。
時間もなく下調べもしていなかったため、歩いて雰囲気を味わうだけでした。 -
香辛料のお店は、バザールっていう響きと合いますね。
じっくり見てみたかった。 -
自由時間が終わってバスに乗りグランド・バザールへ。
縦並びになっているエアコンの室外機がすごいことに。 -
14:00 グランドバザール入口。
観光名所なのでここにも大勢の人。
1時間ほどの自由時間になり解散。 -
バザールの中は広く迷いやすいのですが、入ってきたゲートを覚えておけば何とかなります。
今回の入り口は左側にあるGATE1のヌルオスマーニエ門。 -
グランド・バザール内部。
ヌルオスマーニエ門の付近は貴金属のお店が多い印象。 -
せっかくだからトルコらしいものを買おうと思い訪れたのはランプの専門店レガロス。
たくさんのランプがとても綺麗です。
カタカナでも店名は書いてありましたが、店員は日本語が出来ません。
日本向けに電圧やコンセントの規格は調整してくれます。 -
こちらのランプを買ってきました。
軽く値引き交渉もしてみましたがあっさりOKだったので、もう少し強気に出ておいたほうが良かったかも。
注意点としては、
トルコで買った電球をそのまま日本で使うと電圧が違うため、かなり暗く見えます。
そのため帰国後に電気屋をいくつか廻ることとなりました。
自分は規格がE12口金・40Wの電球を使っています。 -
バザール内は結構入り組んでいるため迷いやすいですね。
-
屋外の店では絨毯も売っています。
日に照らされても大丈夫なのだろうか。 -
集合場所になったのがゲート外にあった日本語の通じる土産店アナトリア・グルメ。
中はエアコンが効いていたので涼んでしまいました。 -
レストランやカフェなどもあるようですが、バザール自体がかなりの大きさなのと歩き疲れたため奥の方には行きませんでした。
-
グランド・バザールを後にしブルーモスク方面へ。
-
こちらは「ヴィルヘルム2世の泉」
-
ローマ帝国時代の古代競馬場跡。
跡地なのであまり面影はなく、今は公園になっています。 -
周囲には、
・テオドシウスのオベリスク
・蛇の柱
・コンスタンティヌスのオベリスク
がありますが、どれがどれかは見る時間がありませんでした。
テオドシウスはローマ帝国が東西に分裂する前の最後の皇帝です。 -
15:30 ブルーモスク到着。
周辺にあるミナレット(尖塔)が6本あるのが特徴です。
ブルーモスクというのは通称で、
スルタンアフメット・ジャーミィというのが正式名称。スルタン アフメト モスク 寺院・教会
-
スルタンとはイスラム世界における君主の意味で、
アフメットはオスマントルコの第14代のスルタン。
ブルーモスクは1616年に完成。 -
昔はミナレットに登ることも出来たそうです。
-
モスクへ入るにあたり、信者の方が身を清めています。
-
モスク内はラフな服装はNGなので入り口でチェックされます。
基準は係員によって違いがあるそうです。
女性は髪を隠す必要があるためショールなどが必要ですが、もっていなければ貸し出しをしてくれます。 -
ブルーモスク内部。
その名の通り壁面が青のタイルで装飾されており素晴らしい。 -
左右にある柱は全部で4本あり直径は5mだそうです。
-
イスラム教徒は観光客とは別の入口から入ってきます。
-
丸い部分にアラビア語でアッラーと書かれています。
-
アーチの装飾を見ると、スペインで見たメスキータを思い出します。
-
観光客は途中までしか行くことができません。
この写真はズームで奥の方へ寄っていますが、多くのイスラム教徒が礼拝をしています。
奥の方でカメラを取りまくっている人はいましたが、イスラム教徒かどうかは外見ではわかりませんね。 -
タイルの装飾がきめ細かくキレイですね。
-
イズニックタイルが11,600個使われているそうです。
-
とても荘厳な感じです。
-
しばし時間を忘れて見とれてました。
-
ブルーモスクを出てアヤ・ソフィアへ。
-
途中のスルタンアフメット広場にはいくつもの屋台が。
-
16:10 アヤ・ソフィア到着
といってもブルーモスクのすぐ隣にあるのですぐ着きます。
アヤ・ソフィアは、古典ギリシア語読みでハギア・ソフィアというふうにも呼ばれます。アヤソフィア 寺院・教会
-
アヤ・ソフィアは何回か建設と消失を繰り返していますが、
東ローマ帝国の中興の祖といえるユスティニアヌス帝が537年に建設したアヤ・ソフィアが現在のもののベースになっています。 -
このアヤ・ソフィアは557年の地震でドーム部分が崩落したため、すぐにドーム部分が再建されています。
帰国後にとある番組でやっていたのですが、写真にあるような独特の柱を横につけたりする事で、耐震構造を強化しているようです。
その後の地震などで一部崩落などしたものの、基本的な構造は537年の創建時のままというのは驚かされます。 -
「皇帝の門」
ギリシャ正教では建物の西側に入り口が設けられるそうです。
荘厳な造りですね。 -
「イエスとレオ6世」
皇帝の門の上にあるモザイク画です。
左で跪いているのが、9世紀後半の東ローマ皇帝レオ6世。
この場所で解散となりました。自由時間は約40分。 -
2階にギャラリーがあるようなので、まずは登ってみました。
2階といっても結構登るので4階くらいのイメージ。 -
2階正面から。
本当は全景を撮りたいのですが、左側は残念ながら修復工事中・・・
作業用の足場がほぼ前面に組まれていました。
でも、とても素晴らしい眺めです。 -
修復中の部分を含めるとこんな感じ。
-
アヤ・ソフィアはギリシア正教会の聖堂として建てられ、東ローマ帝国の戴冠式などにも使われましたが、オスマントルコが占領した後メフメット2世の命によりモスクに改修されました。
オスマントルコでもモスクとして王族が正式に使用していたそうです。
ここでも丸いところにアッラーのアラビア文字が見えます。 -
黒く丸い部分の裏側は、何だかちょっと残念な感じかも。
-
アヤ・ソフィアをモスクに改修したメフメット2世が凄かったのは、キリスト教のモザイク画を素晴らしいものとして破壊は行わず、その上に漆喰を塗って使用したことです。
そのため美しいモザイク画が保存され、後に漆喰を剥がした時に日の目を見ることができました。
その時はすでにトルコ共和国の時代になっておりモスクとしての役目を終えて、現在では博物館となっています。 -
「ディーシス(請願)」
聖母マリアと巡礼者ヨハネがイエスに許しを乞う場面。 -
下のほうに復元した場合の予想図がありました。
-
「キリストと女帝ゾエ夫妻」
11世紀半ばの女帝ですが初婚が50歳になってから、しかも生涯で3回の結婚をしており、モザイク画の夫の顔は結婚のたびに書き換えられたそうです。 -
「聖母子と皇帝家族」
12世紀の皇帝ヨハネス2世と皇后イレーネ。
東ローマ帝国の中でも比較的名君であったようです。 -
柱の彫刻が素晴らしいです。
-
1階に戻ってきました。
ところどころタイルで彩られています。 -
イスラム教とキリスト教が融合したとても貴重な空間です。
・東ローマ帝国時代の都市名コンスタンチノープル
・オスマントルコ時代の都市名イスタンブール
この複雑な都市を象徴する光景ではないでしょうか。 -
「聖母子像」
聖母マリアが幼いイエスを膝に抱いています。
アヤソフィアのモザイクとしては一番古く9世紀頃の作品。 -
-
ゆっくりと見ていたいのですが、
集合時間が近づいてきたので大聖堂を後にしました。 -
「コンスタンティウス帝とユスティニアヌス帝」
コンスタンティウス帝(右)は、313年のミラノ勅令でキリスト教をローマ帝国の公認宗教とした皇帝で、コンスタンチノープルの語源にもなった人です。
ユスティニアヌス帝(左)は、東西分裂後の東ローマ帝国で最大の版図を築いた皇帝です。このアヤ・ソフィアの建設者でもありますね。
モザイク画自体は見落としそうな場所にありましたが、
どちらも世界史の教科書に出てくる程の有名な皇帝です。
中央にいるのは聖母マリアとイエス。 -
アヤソフィアと同じ敷地には、スレイマン大帝以降の何人かのスルタンの霊廟があります。
イズニックタイルの美しいとても荘厳な場所のようで行ってみたかったのですが、どうやら入り口は別の場所らしく時間もないので断念。
続いてボスポラス海峡のクルーズに向かいます。 -
17:30 金角湾に移動してボスポラス海峡のクルーズです。
ツアーでチャーターしているので、乗客は自分たちのみ。
あと金角湾の名前の由来は、角のように東西に細長い湾だからだそうで、ギリシア神話からきています。 -
船を待っている近くにはウサギが。
野うさぎだろうか? -
ガイドさんに案内をしてもらいながら約1時間のクルーズです。
-
遠くに見えるのは「スレイマニエ・ジャーミィ」
スレイマン大帝の命を受けて造られたモスク。
行ってみたい場所の一つでしたが、今回は遠くから眺めるだけでした。 -
新市街側には「ガラタ塔」
17世紀にはこの塔から海峡を渡ってアジア側まで飛行した人がいたそうです。
景色も良さそうなのですが、こちらも今回のツアーでは行けず。 -
「ガラタ橋」と「イェニ・ジャーミィ」の組み合わせ
-
ガラタ橋の下をくぐった先にも釣りをする人達が。
-
ガラタ橋の下はレストランになっています。
-
「アヤ・ソフィア」
オスマントルコがコンスタンチノープルを陥落さる前には、東ローマ帝国側がこの辺りの海を鎖で封鎖して、オスマントルコ側の船の進入を拒んでいました。 -
「トプカプ宮殿」
翌日に行く予定です。 -
金角湾を抜けボスポラス海峡に入ってきました。
「ドルマバフチェ・ジャーミィ」
海峡沿いの美しいモスクです。 -
ボスポラス海峡はもっとも狭い部分の幅が」560メートル。
海上での交通規制をするため、タンカーの通行は1日ごとに一方通行になります。 -
「ドルマバフチェ宮殿」
1843年から十数年の歳月をかけて造られた宮殿で、内部には最高級のヘレケ絨毯が4,000枚もあるそうです。 -
オスマントルコがコンスタンチノープルを陥落させた時に、艦隊を金角湾に運ぶため陸上で船を引っ張って運んだのが、この宮殿近くの丘のあたりです。
地形をみて想像してみるだけでも大事業だとわかります。
奥にはコンラッドホテルがあり、米大統領などVIPの御用達になっています。 -
しばらく高級ホテルが続きます。
「チュラーン・パレス・ケンピンスキー」
かつての宮殿を改装したホテルで、安くても1泊10万円くらいするそうです。
近くのホテルにはフォーシーズンズもあります。 -
「オルタキョイ・ジャーミィ」
1854年に建設された白亜の美しいモスクです。 -
近くを通ったクルーザーとオルタキョイ・ジャーミィをセットで。
クルーズ気分を満喫。オルタキョイ メジディエ ジャーミィ 寺院・教会
-
「ボスポラス大橋」
ヨーロッパとアジアを結んでいます。
これが出来る前は船でしか行き来できなかったので、とても大変ですね。 -
ボスポラス大橋を越えたところで船が反転を始めました。
-
遠くに第二ボスポラス大橋と呼ばれる「ファーティフ・スルタン・メフメット大橋」と砦の「ルメリ・ヒサル」が見えます。
ルメリ・ヒサルは、オスマントルコのメフメット2世がコンスタンチノープルの陥落の足がかりとした要塞。
ここにも行ってみたかった。 -
帰りはアジア側の近くを通っていきます。
最近は高級住宅街になっているそうです。 -
「ベイレルベイ宮殿 」
オスマントルコのスルタンが夏を過ごす離宮。 -
海水浴をしている人もいました。
-
近くを他の観光船が通るたびに引き波で船が揺れます。
自分は大丈夫でしたが、船酔いになった人も出ていました。 -
「乙女の塔」
税関の見張りや灯台として使われたそうです。 -
アヤ・ソフィアに戻ってきました。
-
ボスポラス海峡クルーズはこれで終了。
船を降りて夕食会場に向かいますが、長くなりすぎたので後編に続きます。
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
skomuroさんの関連旅行記
この旅行で行ったスポット
イスタンブール(トルコ) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
100