2014/07/19 - 2014/07/21
108位(同エリア253件中)
naoさん
愛媛県大洲市は、背後に迫る山並みと肱川の流れに挟まれた大洲城の城下町で、その中心である肱南地区には、城下町の風情を色濃く残す町並みが残っており、伊予の小京都と呼ばれています。
肱南地区の東側地域は、木蝋屋、生糸製造屋、各種問屋、料理屋などが軒を連ねる、活気溢れる町人町でしたが、大正2年、肱川の少し下流側に肱川橋が完成すると、人や物の流れが肱川橋側に集中するようになり、商業の中心はそちらに移ってしまいます。
しかし、逆にそれが幸いし、往時の風情をしのばせる、武家屋敷、なまこ壁の土蔵、千本格子のある町屋が多数残ることとなり、今も魅力ある町並みを見ることができます。
そんな町並みの中に、「おはなはん通り」や「明治の家並」と呼ばれる、特に風情豊かな一角があり、多くの観光客が訪れています。
町並み以外に、大洲で興味を覚えるものとして、「臥龍山荘(がりゅうさんそう)」と「おおず赤煉瓦館」があります。
肘川に浮かぶ蓬莱山を「龍の横たわる姿」に例えた大洲藩主加藤泰恒が、この地を『臥龍』と名付けられたと伝えられ、その肱川随一の景勝地に建つ「臥龍山荘」は、大洲市新谷出身の木蝋の豪商、河内寅次郎が余生を過ごすために、明治30年頃から10年余りの歳月をかけて建てたものです。
寅次郎氏亡きあとも河内家一族が居住していましたが、昭和53年に大洲市がこの山荘を譲り受け、昭和55年から一般公開されています。
大洲レトロタウンにある「おおず赤煉瓦館」は、明治34年に大洲商業銀行本店として建てられた建物で、屋根を和瓦葺きの寄棟造りとしながら、外壁には、当時としては珍しいイギリス積みの赤レンガを使用した、和洋折衷様式となっています。
現在、館内には特産品の販売所をはじめ、ギャラリーや喫茶室が設けられ、観光客の利用に供されています。
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 自家用車 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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旅の最終日は、観光案内所のある「まちの駅あさもや」に車を停めさせてもらって、先ず大洲の町歩きから始めます。
おはなはん通り 名所・史跡
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「まちの駅あさもや」の東側には、悠々と鯉が泳ぐおはなはん通りが続いています。
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『おはなはん』は、1966年4月から1年間放送された、NHKの朝の連続テレビ小説の6作目の作品です。
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明治中期の大洲を舞台に、「おはな」と云う女性の主人公が、女手一つで子供を育てながら、幾多の人生の荒波を乗り越えて成長する姿を描いたもので・・・
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主人公「おはな」を演じたのが樫山文枝さんです。
私もリアルタイムで放送を見た一人ですが、あれからほぼ半世紀が過ぎたんですね・・・。 -
大洲市も「おはなはん通り」に力を入れているようで、かつての水路を復元・整備するなど、綺麗に整備されています。
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ほんの100m余りの通りには、なまこ壁や白漆喰塗り籠めの蔵造りの町家が連なっています。
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通りの中ほどにあるこちらの町家は、郷土料理屋さんです。
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町家の軒下の装飾。
意味は判りませんが、ちょっとした面白いアクセントになっています。 -
蔵造りに洋風の窓を取り入れた町家。
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突き当りの曲がり角までがおはなはん通りです。
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では、おはなはん通りはこれくらいにして、古い町並みを探して歩きます。
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おはなはん通りを北に上がった、旧塩屋町の町並みです。
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この辺りは、とても風情のある町家が連なる比地町の町並みです。
この先に「臥龍山荘」があるので、そちらに向かいます。 -
比地町の町並みを振り返ったところです。
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比地町の町並みを何気なく曲がった途端に現れた枡形の道。
この町がかつて城下町だったことを教えています。 -
その枡形を抜けたところに、「臥龍山荘」はありました。
「臥龍山荘」の名前は、肘川に浮かぶ蓬莱山を「龍の横たわる姿」に例えた大洲藩主加藤泰恒が、この地を『臥龍』と名付けたことに由来しています。 -
左手の小高い丘が、その「龍の横たわる姿」に例えられた蓬莱山です。
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この辺りは、肱川でも随一の景勝地だそうです。
ちなみに、坂本竜馬脱藩に際し、船で肱川を下ったと云われています。 -
肘川の河原から石段を登ったところに・・・
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「臥龍山荘」の入り口があります。
臥龍山荘庭園 名所・史跡
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入り口横の行灯。
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その入り口から瓦土塀に沿って進み、南に曲がると・・・
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瓦土塀の上に「臥龍院」の茅葺屋根が覆いかぶさっています。
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延々と延びる瓦土塀が、三千坪もの敷地の大きさを物語っています。
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高台の道路から見下ろした「臥龍院」。
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庭の木々がお日さまの光を受けて、光と影のグラデーションを生んでいます。
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垂れ壁に開けられた渦巻き模様が、数寄屋の匠が活きています。
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「花筏」と名付けられた欄間の透かし彫りが、清吹の間の障子に影絵を浮かび上がらせます。
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茅葺屋根の下地も・・・
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数寄屋手法でしつらえられています。
次は明治の家並と名付けられた通りです。 -
比地町の町並みを戻って明治の家並へ向かいます。
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比地町の町並みには、本当に味のある町屋が残っています。
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この角を曲がると、明治の家並へ入ります。
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明治の家並には、白壁やなまこ壁の土蔵造りの町家が数多く残っています。
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立派な土蔵造りの町家。
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同じ土蔵造りでも、こちらにはなまこ壁が使われています。
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この先の土蔵は腰板貼りです。
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この通りでは、いろんなバリエーションの土蔵造りを見ることが出来ます。
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こちらは老舗料亭の別館です。
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別館と云っても、築地塀の瓦屋根にむす苔がお店の歴史を物語っています。
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老舗料亭別館の全景です。
手前に見える昭和燈は大洲神社の灯籠です。 -
大洲神社の昭和燈は、昭和天皇の即位を記念して昭和3年に建てられました。
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明治の家並を振り返って見たところです。
白壁やなまこ壁の土蔵造りの町家が、小京都の風情を漂わせていました。 -
ここは石張舗装の道と名付けられた通りで、明治の家並の一本西側にあります。
この通りにも風情のある町家が軒を連ねています。 -
大黒様が鎮座するこちらのお店は、民芸品屋さんです。
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なまこ壁と格子窓が素晴らしい町家です。
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浅黄色の漆喰塗と格子窓が印象的な町家です。
ちなみに、手前に見えているのが老舗料亭の本館です。 -
この町家には、いろんなバリエーションの格子窓がつけられています。
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ここまで、大洲の東側の町並みを一巡しておはなはん通りに戻ってきました。
次に、「おおず赤煉瓦館」のある町並みに向かいます。 -
大洲レトロタウンにある「おおず赤煉瓦館」です。
この建物は、明治34年に大洲商業銀行本店として建てられたものです。おおず赤煉瓦館 名所・史跡
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屋根を和瓦葺きの寄棟造りとし、外壁に当時としては珍しいイギリス積みのレンガを使用した、和洋折衷様式となっています。
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窓にはステンドグラスが採用されています。
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蔦の絡まるレンガ壁。
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外灯もクラシックなデザインです。
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大洲市の汚水枡の蓋。
肱川の鵜飼いとツツジの花をモチーフにしています。 -
続いてやって来たのは、「おおず赤煉瓦館」の南側の本町界隈の町並みです。
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年期の入った看板が目を引きます。
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この辺りには昔ながらの商店が数多く軒を連ねています。
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2軒続きの大きな町家です。
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こちらは和菓子屋さんです。
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通りに面したショウウィンドウには、かつて使われていた干菓子の木型が展示してあります。
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こちらの町家は、1階のガラス戸を全て開けると大きな空間が現れます。
これだけ広い間口ですから、かつては何か商売をされていたんでしょうね。 -
戸袋には、何やら意味ありげな文様が書かれています。
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味のある看板を掲げているのは川魚屋さんです。
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何か買って帰ろうかな〜・・・。
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次は本町の一本南側の、中町界隈の町並みです。
こちらには、提灯屋さんや表具屋さんなど、職人さんのお店が並んでいます。 -
大洲では余り見かけませんでしたが、大きな虫籠窓のある町家がありました。
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振り返ってよ〜く見ると、漆喰塗り籠めの町家がちらほら見えます。
さて、この辺りで車を停めさせてもらっている、まちの駅へ戻ります。 -
おはなはん通りの水路を泳ぐ小魚。
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おはなはん通りを「まちの駅あさもや」の方へ曲がると、教会の尖塔が見えてきました。
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これは、大洲協同基督教会と云って、「まちの駅あさもや」の東向かいにあります。
真っ白い外壁に、赤い屋根の尖塔がアクセントになっています。
では、大洲はこれくらいにして、この旅最後の目的地へ向かいます。
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