2014/07/19 - 2014/07/21
73位(同エリア225件中)
naoさん
愛媛県大洲市河辺町は、大洲の市街地から東方へ30km余り離れた山間に位置し、三方を急峻な山に囲まれた川沿いの、僅かばかりの平地に集落が点在する山村で、人々の生活を支え、集落をつなぐ川には、八つの「屋根の付いた橋」が架かっており、日本版「マディソン郡の橋」として知られています。
「マディソン郡の橋」は、世界中でベストセラーとなった同名小説をクリント・イーストウッドとメリル・ストリープの主演により映画化されたもので、1995年に劇場公開されました。
アイオワ州マディソン群の片田舎で平凡な主婦として穏やかな毎日を送っていた、メリル・ストリープ演じる農場主の妻と、農場近くの屋根の付いたローズマン・ブリッジを撮影しに来た、クリント・イーストウッド演じる旅のカメラマンが織りなす物語で、たった4日間の恋に永遠の愛を見いだした中年男女の姿を描いた、しっとりとした大人の恋愛映画です。
この映画の中で、「屋根の付いた橋」が重要なモチーフとして描かれていましたが、それまでほとんど知られることのなかった河辺町の「屋根の付いた橋」が、これになぞらえるように全国に紹介されると、一躍脚光を浴びることになりました。
もともと河辺町の「屋根の付いた橋」は、農作物などの保管場所として、また住民の憩いの場として、日常生活の一部に溶け込んでいましたが、これをきっかけに、今まで慣れ親しんできた「屋根の付いた橋」の文化的な価値に気付き、「屋根の付いた橋のある村」を誇りに思うようになります。
今では、自発的に橋周辺の清掃や花作りなどが行われるようになり、美しい山村風景に溶け込んだ、河辺浪漫八橋の維持保全に努めておられます。
日本の将来を憂え、近代日本の夜明けに青雲の志を抱いた坂本龍馬が、国禁を犯して第一歩を踏み出した脱藩の道。
その、土佐から長州へ至る脱藩の道が長らく判別できませんでしたが、1988年、謎だった愛媛県内のルートが郷土史家の研究により解明され、龍馬が河辺町を歩いた事実が判明しました。
これを受け、地域住民を中心としたボランティア会員により「坂本龍馬脱藩の道保存会」が設立され、河辺町の活性化に向け、「坂本龍馬脱藩の道」の保全・整備とウォーキングイベント開催などのPR活動に努めておられます。
今回、坂本龍馬脱藩の道の事実が確認された河辺町に点在する、八つの「屋根の付いた橋」を訪れました。
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 自家用車 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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城川町田穂から、車1台通るのがやっとと云う細い山道を1時間余り走って到着したのは、杉皮葺きの屋根かかけられた「龍王橋」です。
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この橋は、河辺川の清流を跨ぐ、秋滝龍王神社へ通じる道に架けられています。
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古くから集落のコミュニティの場や農産物の仮置場などに利用されていたもので、平成9年に復元されたそうです。
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「龍王橋」を渡ったところは小さな公園になっていて・・・
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その公園を挟んで、「龍王橋」と向き合うように架かっているのが「秋滝橋」です。
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この二つの橋の名前は、秋滝龍王神社に由来しているのは一目瞭然です。
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この橋も「龍王橋」と同じ時に復元されたそうです。
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左手の山道を登ると秋滝龍王神社へ通じています。
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1日の農作業や山仕事が終わると、集落の人々がここに集まってきて、作物の出来具合などの話に花を咲かせたり・・・
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収穫した農作物や出荷前の炭俵などの一時置き場としてこの橋を使っていたと云います。
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平地の少ない山里に生きる人々の知恵と工夫が、コミュニティ空間としての屋根付き橋を生み出させたのでしょうね。
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杉皮葺きの屋根の棟木は丸竹が使われています。
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橋の中ほどから上流を眺めると、公園の奥の「秋滝橋」や・・・
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石積みの護岸が見渡せます。
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橋の横の民家に積み上げられた薪。
冬に備えて、今から準備されているんでしょうね。
このあと、「龍王橋」から少し上流にある、廃校になった旧大伍小学校の校舎を宿泊施設に改造した「ふるさとの宿」へ昼食をいただきにうかがいました。
河辺町では、地域の活性化を目指して、古くから最高の美味として珍重されてきたキジの飼育を導入しており、「ふるさとの宿」において、すき焼きやキジ鍋の材料として、また桜の木などの煙でいぶした燻製をお土産品として販売されています。
この日はキジ肉を使ったうどん定食をいただきましたが、思ったほどクセもなく、美味しく味わうことができました。 -
「ふるさとの宿」のすぐ裏には、河辺ふるさと公園へ渡る「ふれあい橋」が見えています。
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茅葺き及び杉皮葺きの屋根に総檜造りの「ふれあい橋」は、かつては河辺町内に数多くあった屋根の付いた橋の文化の継承と保存を願って・・・
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河辺ふるさと公園のシンボル施設として架けられたものです。
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茅葺きと杉皮葺きの屋根は、自然豊かなこの山里にしっくり溶け込んでいます。
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「ふれあい橋」から100mほど上流に上ると、道路左側の狭い路地の入口に【←豊年橋】と書かれた小さな標識が見えてきます。
この標識に従って、沢伝いの狭い路地を上ると「豊年橋」があります。 -
昭和26年に、元々河辺川に架かっていた橋が取り壊されることとなったのを受け、その橋の材料を譲り受けた住民が、自宅近くの沢に移設したものだそうです。
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この橋は、現在河辺町に八つある屋根の付いた橋の中で、唯一個人の方が所有されています。
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橋の欄干に書かれた「ほおねんはし」の文字が、元のままかどうか定かではありませんが・・・
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幸いにも廃棄を免れ、現役として活躍する橋の姿を見るに及んで、感慨深い想いを抱いてしまいます。
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次の橋を目指して上流に向かっていると、面白い建物が目に飛び込んできました。
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屋根の上に大きな煙突が三本も突っ立っているその姿は、何とも異様な光景です。
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私の知識では、何に使われているのかその用途は判りませんが、積み上げられた木の束を見ると、炭焼き小屋ではなかろうかと推察されます。
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三本煙突の建物をあとにしばらく進むと、「三嶋橋」が見えてきました。
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この橋は三嶋神社の参道にあたるため、神社のご神体を敬う気持ちから、大正12年に屋根が掛けられたと云われています。
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屋根が掛けられた当初は杉皮葺だったそうですが、今はトタン葺きに変わっています。
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欄干に残る「三嶌橋」の文字。
昔は難しい文字を使っていたんですね。 -
橋を渡りながら床板の隙間から下を覗くと・・・
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河辺川の清らかな流れが見えています。
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河辺川上流からの眺め。
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では、傍らで可憐に咲くポピーに別れを告げて、次の橋に向かいます。
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次に見えてきたのは、「帯江橋」です。
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ゴツゴツとした岩の間を流れる水が、荒々しい表情を見せています。
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太い丸太の斜材で支えられた橋は・・・
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力強い表情を見せています。
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正面から見ると、こんなにおとなしい姿をしているのに・・・。
では、橋を渡りましょう。 -
対岸から見た「帯江橋」も、構造美にあふれています。
当然ですが、橋の架かる辺りには民家が点在しています。 -
この橋も、床板の隙間から川面の揺らめく姿を見ることができます。
では、次の橋に向かいます。 -
「帯江橋」の次にやってきたのは、河辺浪漫八橋の中で最も古い「御幸の橋」です。
近代日本の夜明けに青雲の志を抱いた坂本龍馬が、実際に歩いた脱藩ルートにこの橋も含まれていることが確認されています。 -
この橋は、大洲市河辺歴史民俗資料館の少し先にある、菅原道真を祀る天神社へ通じる道の途中に架かる橋で・・・
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屋根のない橋を渡った奥にあるのがそれです。
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対岸の天神社側には、坂本龍馬脱藩の道を示す道標が立てられています。
土佐を出た龍馬は、「日本の夜明けは近いぜよ」との強い意志を抱いてこの土地を歩いたんでしょうね。 -
天神社の境内から見た「御幸の橋」。
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橋の欄干に彫られた「御幸の橋」の文字は良いんですが、欄干が短く、下を流れる河辺川に落ちそうなところが気掛かりです。
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この場所に「屋根のない橋」と「御幸の橋」の二つの橋が架かっているのは、河辺川の真ん中の大きな岩が中の島になって川を左右に振り分けているからで・・・
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天神社に近い方に屋根のある「御幸の橋」が架かっています。
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「御幸の橋」の川岸のもみじの枝に、羽根のある種子が育っており・・・
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秋になるとひらひらと舞い落ちていきます。
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橋の傍に茂るシャクナゲが花を咲かせると、苔むした屋根や新緑と調和して、とても綺麗なんでしょうね。
さて、ここまで河辺川に架かる七つの橋を巡ってきましたが、最後に残ったのは木菱川に架かる橋です。
一応、案内図は持っているものの、果たして辿りつけるでしょうか・・・。 -
「御幸の橋」を出て、河辺川から木菱川沿いに迂回すること約40分、やっと「龍神橋」の案内標識を見つけることができました。
標識はあれども橋の姿はすぐには見当たらず、あらためて案内図を確認すると、橋は「三杯谷の滝」の傍にある模様。
ということは、どうもこの石碑の下にあるようです。
ちなみに、この辺りの道も坂本龍馬が歩いたと云われています。 -
注連縄をくぐって、半信半疑で狭い階段を降りると・・・
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ゴーゴーと音をたてて流れ落ちる滝が目に入ってきました。
この滝こそ、「三杯谷の滝」に間違いなさそうです。 -
「我が意を得たり!」と気を取り直してさらに降りると、「龍神橋」がひっそりとたたずんでいました。
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そもそも「龍神橋」は「三杯谷の滝」の観賞用にと架けられたものだそうで、上の道路から見えないのも頷けました。
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でっ、しばし私も「三杯谷の滝」の観賞と相成りました。
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とは言うものの、ここまで降りてきた本来の目的は橋の鑑賞だったはず。
このままスゴスゴとは帰れません。 -
もちろん、狭い遊歩路をつたって川辺まで降りてきましたよ・・・。
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深山幽谷にひっそりとたたずむ「龍神橋」の、なんと美しいことか。
この美しい景観を目の当たりにすることができては、ここまで降りてきた甲斐があったというものです。 -
と云いながらも、またまた美しい滝の姿に見とれる私も居ます。
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いつもは町歩きが中心で、山の中へ分け入ることのない私ですから、たまには自然に触れるもの良いかも知れません。
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このように自然の中にどっぷりと身を置いていると、ゴーゴーと唸りをあげる水音も、心地よく心の中に響いてきます。
テレビなどで滝行をされる方々が報道される事がありますが、皆さんこの心境を求めてこられるんでしょうね。 -
さて、世俗の垢もすっかり洗い落とせたようなので、この辺りで引き上げることにします。
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と云ってもこの階段です、足はガクガクするは、息はフーフーいうはで、へとへとになって登る羽目になりました。
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この旅行記へのコメント (2)
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- pedaruさん 2014/09/12 06:17:57
- 屋根付き橋
- naoさん お早うございます。
私も松山から内子に向かう途中で屋根付き橋を偶然見ました。
実は、4トラメンバーのtokotokoさんという人の旅行記で、河内の田丸橋が紹介されていましたので、是非見たいと出かけた途中でした。
naoさんの旅行記で大洲にこんなに沢山の屋根付き橋があるとは知りませんでした、しかも、美しい自然の中にあるとは・・・
私にとって初めての四国でしたので、naoさんの旅行記にも興味津々です。また訪問したいと思っています。
pedaru
- naoさん からの返信 2014/09/12 20:53:21
- 八橋八様
- Pedaruさん、こんばんは。
いつもありがとうございます。
今回愛媛を訪れるにあたり、ネットで情報検索していて、初めて河辺浪漫八橋の存在を知りました。
私も、当初は田丸橋や弓削神社の屋根付き橋を予定していたのですが、こんなにいろんな橋があるのなら是非見たいと思って出掛けた次第です。
八つの橋にはそれぞれ物語があり、また架かっている場所ごとに異なった趣を見せてくれ、出掛けて行って良かったと思っています。
なお、今回の愛媛の旅は、以前拝見した、Pedaruさんの「誰もいない観光地 卯之町」と云う旅行記に触発されたもので、旅のきっかけを作っていただいて感謝しています。
では、これからもよろしくお願いします。
nao
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