2014/07/19 - 2014/07/21
50位(同エリア342件中)
naoさん
愛媛県宇和島市遊子水荷浦(ゆすみずがうら)は、愛媛県西南部のリアス式海岸沿いにある宇和海の、南側に伸びる三浦半島に囲まれた入り江に位置する半農半漁の集落で、半島の険しい急傾斜地には、段畑(だんばた)と呼ばれる雛壇状の畑が山頂まで埋め尽くし、まさに「耕して天に至る」と言うに相応しい景観を呈しています。
決して肥沃とは言い難く、稲作に適した土地が少ない水荷浦では、宇和海の鰯漁が盛んだったこともあり、漁業を中心に人々の生活が営まれていました。
1614年、宇和島藩主となった伊達秀宗は、好況だった鰯漁のさらなる振興策として、盛んに漁業を奨励したことから、これを下支えする漁師が急増した水荷浦では、食料を自給すべく山裾に畑を開墾し、雑穀類の栽培を始めたのが段畑の始まりであると云われています。
さらに、江戸時代の終わり頃にもたらされたサツマイモが、人口の増加と相まって盛んに栽培されるようになると、山の上へ上へと段畑の開墾が進み、明治10年の記録によれば、海抜80mの水荷浦の斜面のほとんどを埋め尽くすように、幅、高さとも1m前後の8900枚にも及ぶ段畑が出現するに至ります。
この時点ではほとんど石垣は見られなかったのですが、明治中頃から大正にかけて、日本の国策として養蚕が推し進められると、段畑の作物がサツマイモから桑の木へと切り替わり、これで得た収入を元手に石垣の工事が行われました。
第二次世界大戦後は、食料不足を解消すべく再びサツマイモやジャガイモが植えられるようになり、最盛期を迎えた段畑では徐々に農道などの整備が行われますが、1965年頃からタイ、ハマチ、アコヤガイなどの養殖が盛んになると、重労働の割に収入の少ない段畑は次々とその姿を消してしまい、ピーク時には9.7ヘクタールもあった段畑は、1995年には1.6ヘクタールにまで減少、大規模な段畑は水荷浦を残すのみとなってしまいました。
しかし、いにしえの人々が多大な困難の末に築き上げた水荷浦の段畑は後世に残すべき貴重な財産であると、近年、その文化的価値を評価する機運が高まる中、地元住民も荒れ放題だった段畑の保全活動に乗り出し、現在、約4.0ヘクタールの段畑が修復され、農作物が作付けされています。
このように、水荷浦の人々が脈々と山の急斜面を切り拓き、親から子、子から孫へと連綿と受け継がれてきた歴史の重みを噛みしめながら段畑を見上げると、眼前に広がる宇和海の美しさと相まって、天上にまで至る壮大な造形美はまさに絶景の極みで、私のような凡人は圧倒されてしまいました。
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 自家用車 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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遊子水荷浦へやってきました。
遊子漁港を取り囲む半島の険しい急傾斜地には、段畑(だんばた)と呼ばれる雛壇状の畑が山頂まで埋め尽くしています。 -
高台の道路から段端が一望できる所があったので、車を停めて、この圧倒的な景観にしばし見とれてしまいました。
なお、ここへ来る前に外泊の石垣の里を訪れていたので、この日は奇しくも石垣2連作となりました。 -
宇和島湾の入り江にある遊子漁港は波も穏やかです。
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では、段畑の方へ向かいましょう。
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民家いっぱいまで段畑が迫っています。
地元の方は慣れているんでしょうけど・・・。 -
石垣の色がまだらになっているところは、石を差し替えて修繕された部分のようです。
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こうして麓からこの段畑を見上げると・・・
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まさに「耕して天に至る」と云うことが実感できます。
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民家の裏から山頂まで、段畑がびっしりと埋め尽くしています。
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ひとつひとつの石を、コツコツと人の手で積み上げられたそうですから、その労力と時間を思うと頭が下がります。
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石垣が崩れないようにするには排水が重要なんですが、ちゃんと排水溝もとられています。
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段畑は、幅、高さとも、せいぜい1m前後しかありません。
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それは、この地がいかに急傾斜であるかを物語っています。
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段畑を周回する通路とは別に、急傾斜の段畑を登るための梯子がかけられ・・・
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収穫物の運搬用に、農業用リフトのレールが張り巡らされています。
こうでもしないと、こんな所を収穫物担いで降りるなんて、ほぼ不可能ですからね。 -
視線を海にやると、漁港の外に養殖いかだが浮かんでいるのが望めます。
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ほとんどの畑にはまだ作物は見られませんが・・・
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一部の畑では、作付けが始まっています。
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海を見ながら歩みを進めると、すり鉢状の地形が現れました。
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この辺りの段畑は・・・
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地形に合わせて見事な曲線美を描いています。
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素晴らしい曲線美に見とれながら、歩いて来た方角を振り返ると・・・
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この絶景が目に飛び込んできました。
「あっ・・・!」と、思わず絶句。
自然の摂理が生んだ景観と、永い年月をかけて人間が築きあげてきた造形美が、「天が与えたもうた」としか形容しようのない、こんなにも素晴らしい風景を創り出しています。
ただただ感動あるのみです。 -
感動の余韻に浸りながら、先へ進みます。
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周回通路を廻り込んで少し登ると、こんな風景が現れました。
緑越しに見る宇和島湾の姿も素敵です。 -
ほぼ最上部まで登ってきたようです。
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先ほどの、作付けされていた畑が下の方に見えています。
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段畑を背にする民家には、落石防止柵が設けられているとは云うものの、この急傾斜は不気味です。
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段畑を登る周回通路が・・・
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登山道のように、ジグザグに続いているのが判ります。
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宇和島湾に浮かぶ、おびただしい数の養殖いかだ。
かつてはイワシ漁が盛んだった水荷浦ですが、現在の遊子漁協は、養殖に適した水深や潮流といったリアス式海岸特有の自然環境を活かし、マダイ、ブリ、シマアジ等の魚や、希少価値の高い真珠などの養殖業への転換を図り、全国に知られるようになりました。 -
最上部の周回通路の上にも・・・
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段畑が折り重なって続いている所があります。
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こうして見れば規則的に段がついていますが・・・
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この角度から見下ろすと、まっ逆さまに落ちて行くって感じです。
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段畑の中にぽつんとたたずむお堂。
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稲作に適した土地が少ないが故に、急斜面に石垣を積み上げた段畑を余儀なくされた水荷浦の人々。
手始めは山裾に開墾したわずかばかりの畑でしたが、遂に、耕して天に至ります。 -
最盛期には8900枚にも及ぶ段畑が出現、海抜80mの水荷浦の斜面のほとんどを埋め尽くします。
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1965年頃からタイ、ハマチ、アコヤガイなどの養殖が盛んになると、段畑は次々とその姿を消していき、最盛期の六分の一にまで減少してしまいます。
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しかし近年になって、いにしえの人々が多大な困難の末に築き上げた段畑の文化的価値を評価する機運が高まります。
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このような背景の中、水荷浦の皆さんもこの貴重な財産を後世に残そうと、荒れ放題だった段畑の保全活動に乗り出し、徐々に段畑が修復され、現在の姿を見るまでになります。
さて、そろそろ夕焼けが見られそうな時間なので、この辺りで引き返して、段畑の背中側にあたる西側斜面へ向かいます。 -
段畑の頂上付近でオニユリが咲いていました。
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段畑の反対側では、夕焼けが海を赤く染め始めています。
では、駐車場へ戻って、今宵の宿へ向かいます。 -
宇和島湾を前に、シルエットの姿を添える樹木。
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宇和島湾にポッカリ浮かぶ小さな島。
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段畑に植えられたジャガイモの・・・
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蕾が開きかけています。
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先の収穫が楽しみですね。
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水荷浦の人々が、脈々と山の急斜面を切り拓いてきた歴史の重みを噛みしめながら、天上にまで至る壮大な段畑を見上げると、眼前に広がる宇和島湾の美しさと渾然一体となったその造形美に、私のような凡人は圧倒されてしまいました。
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今宵の宿への移動中に見かけた美しい夕日に、しばし車を停めて見入ってしまいました。
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雲のひだを赤く染める夕日。
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海面であやしく揺らめく夕日。
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いかだのシルエットを浮かび上がらせる夕日。
どの夕日も心に残るものばかりでした。
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