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 平塚八幡宮の横、つるみね幼稚園の裏は平塚山公園になっている。公園の標石には「平塚八景 八幡山公園」とある。この「平塚八景」とは、平塚市が、市制施行50周年を記念して昭和57年(1982年)4月1日に制定したものであり、市民から推薦された平塚の代表的な景色・景観等の8つを「平塚八景」として制定しものであり、古くからの歴史があるという訳ではない。平塚山公園には平和慰霊塔や戦災復興事業完成記念碑があり、旧横浜ゴム平塚製造書記念館が移築されている。この旧横浜ゴム平塚製造書記念館の由来には肝心の建築年が記載されていないものになっている。<br /> 旧横浜ゴム平塚製造所記念館は、もとは明治38年(1905年)12月に設立された日本火薬製造株式会社の英国人技術者の社宅で、明治44年(1911年)の火災で焼失した前身建物の後に再建された。<br /> 大正8年(1919年)、同社が日本海軍に買収され、海軍火薬廠が開廠した後は、将校クラブ(水交社)として使用された。この間、関東大震災(大正12年(1923年))後の復旧工事やその後の改修工事が度々行われた。戦後の進駐軍による接収後、昭和25年(1950年)、横浜ゴム株式会社が建物を含む敷地の払い下げを受けた。記念館は昭和30年(1955年)の改修工事を経て、応接室や会議室として使用された。<br /> 平成16年(2004年)4月、横浜ゴム株式会社から平塚市に建物が無償譲渡されたのを機に、市はこれを旧所在地(平塚市追分2番1号)から八幡山公園に移築し、今後の活用保存のための改修工事を行なった。<br /> 現在では国登録有形文化財になっている。しかし、この建物の応接間にはダンロが復元されている。確かに、建設当初の明治45年当時はこの応接間、それに接した東側室、中廊下を隔てた西側室の全ての部屋にダンロが設置されていた。しかし、この3つのダンロも関東大震災後に第3次改修工事が行なわれた後の昭和7年(1932年)頃の平面図には取り除かれてしまっている。それが、移築改修されて一般公開される平成21年(2009年)4月1日には応接間にダンロが復元されている。しかし、屋根を見ると煙突などは一つもない洋館には珍しい構造に改修され、瀟洒なドームが着いている。その上、ダンロの上に位置しているこのドームは煙出しではないだろう。少なくても現在は煙穴はない。サンタを困らせる建物に違いない。<br /> 横浜・山手にある洋館に比べるとチャチな洋館がたった1棟だけ平塚市内に残され、公開されているが、その洋式はいい加減なものだ。こんないい加減な復元建築でさえ国登録有形文化財になっているのであるから、国(文化庁)の文化財行政にも疑問が湧く。元々、鎌倉世界遺産の結果が示す程度の実力しか持ち合わせてはいないのが実情なのだろうか?また、市内に古い民家が殆ど残っていない平塚市の建築物の文化財担当部門にもその能力のなさを如実に示すモニュメントとなってしまっていることは、全くのところ、情けない限りだ。<br />(表紙写真は八幡山公園に移築された旧横浜ゴム平塚製造所記念館)

平塚八景 八幡山公園

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2014/09/19 - 2014/09/19

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ドクターキムル

ドクターキムルさん

 平塚八幡宮の横、つるみね幼稚園の裏は平塚山公園になっている。公園の標石には「平塚八景 八幡山公園」とある。この「平塚八景」とは、平塚市が、市制施行50周年を記念して昭和57年(1982年)4月1日に制定したものであり、市民から推薦された平塚の代表的な景色・景観等の8つを「平塚八景」として制定しものであり、古くからの歴史があるという訳ではない。平塚山公園には平和慰霊塔や戦災復興事業完成記念碑があり、旧横浜ゴム平塚製造書記念館が移築されている。この旧横浜ゴム平塚製造書記念館の由来には肝心の建築年が記載されていないものになっている。
 旧横浜ゴム平塚製造所記念館は、もとは明治38年(1905年)12月に設立された日本火薬製造株式会社の英国人技術者の社宅で、明治44年(1911年)の火災で焼失した前身建物の後に再建された。
 大正8年(1919年)、同社が日本海軍に買収され、海軍火薬廠が開廠した後は、将校クラブ(水交社)として使用された。この間、関東大震災(大正12年(1923年))後の復旧工事やその後の改修工事が度々行われた。戦後の進駐軍による接収後、昭和25年(1950年)、横浜ゴム株式会社が建物を含む敷地の払い下げを受けた。記念館は昭和30年(1955年)の改修工事を経て、応接室や会議室として使用された。
 平成16年(2004年)4月、横浜ゴム株式会社から平塚市に建物が無償譲渡されたのを機に、市はこれを旧所在地(平塚市追分2番1号)から八幡山公園に移築し、今後の活用保存のための改修工事を行なった。
 現在では国登録有形文化財になっている。しかし、この建物の応接間にはダンロが復元されている。確かに、建設当初の明治45年当時はこの応接間、それに接した東側室、中廊下を隔てた西側室の全ての部屋にダンロが設置されていた。しかし、この3つのダンロも関東大震災後に第3次改修工事が行なわれた後の昭和7年(1932年)頃の平面図には取り除かれてしまっている。それが、移築改修されて一般公開される平成21年(2009年)4月1日には応接間にダンロが復元されている。しかし、屋根を見ると煙突などは一つもない洋館には珍しい構造に改修され、瀟洒なドームが着いている。その上、ダンロの上に位置しているこのドームは煙出しではないだろう。少なくても現在は煙穴はない。サンタを困らせる建物に違いない。
 横浜・山手にある洋館に比べるとチャチな洋館がたった1棟だけ平塚市内に残され、公開されているが、その洋式はいい加減なものだ。こんないい加減な復元建築でさえ国登録有形文化財になっているのであるから、国(文化庁)の文化財行政にも疑問が湧く。元々、鎌倉世界遺産の結果が示す程度の実力しか持ち合わせてはいないのが実情なのだろうか?また、市内に古い民家が殆ど残っていない平塚市の建築物の文化財担当部門にもその能力のなさを如実に示すモニュメントとなってしまっていることは、全くのところ、情けない限りだ。
(表紙写真は八幡山公園に移築された旧横浜ゴム平塚製造所記念館)

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  • 平和慰霊塔。

    平和慰霊塔。

  • 平和慰霊塔。

    平和慰霊塔。

  • 「平和慰霊塔」。

    「平和慰霊塔」。

  • 旧横浜ゴム平塚製造所記念館。

    旧横浜ゴム平塚製造所記念館。

  • 旧横浜ゴム平塚製造所記念館。

    旧横浜ゴム平塚製造所記念館。

  • 旧横浜ゴム平塚製造所記念館。ドームは建設当初は煙出しだったのであろう。

    旧横浜ゴム平塚製造所記念館。ドームは建設当初は煙出しだったのであろう。

  • 旧横浜ゴム平塚製造所記念館。煙突がない洋館であり、奇天烈極まりないものである。

    旧横浜ゴム平塚製造所記念館。煙突がない洋館であり、奇天烈極まりないものである。

  • 旧横浜ゴム平塚製造所記念館。概観は見られる。しかし、ドームがあって煙突がないのは‥。

    旧横浜ゴム平塚製造所記念館。概観は見られる。しかし、ドームがあって煙突がないのは‥。

  • 旧横浜ゴム平塚製造所記念館。

    旧横浜ゴム平塚製造所記念館。

  • 旧横浜ゴム平塚製造所記念館。

    旧横浜ゴム平塚製造所記念館。

  • 旧横浜ゴム平塚製造所記念館。

    旧横浜ゴム平塚製造所記念館。

  • 旧横浜ゴム平塚製造所記念館。

    旧横浜ゴム平塚製造所記念館。

  • 「登録有形文化財」プレート。復元に致命的な欠陥がないか文化庁では審査はしてはいないのだろうか?旧横浜ゴム平塚製造所記念館は改修工事時に復元が合理的に行なわれなかった国登録登録有形文化財としては貴重な失敗例としての価値はあろうか。<br />古民家などの古い建築は殆ど残っていない平塚市の担当部署では能力がないことを如実に示す例となってしまった。

    「登録有形文化財」プレート。復元に致命的な欠陥がないか文化庁では審査はしてはいないのだろうか?旧横浜ゴム平塚製造所記念館は改修工事時に復元が合理的に行なわれなかった国登録登録有形文化財としては貴重な失敗例としての価値はあろうか。
    古民家などの古い建築は殆ど残っていない平塚市の担当部署では能力がないことを如実に示す例となってしまった。

  • 入場や開館時間の案内板。

    入場や開館時間の案内板。

  • 現在の旧横浜ゴム平塚製造所記念館の平面図。

    現在の旧横浜ゴム平塚製造所記念館の平面図。

  • 窓の下側の意匠。

    窓の下側の意匠。

  • 煉瓦積基礎の遺構。

    煉瓦積基礎の遺構。

  • 「煉瓦積基礎の遺構」看板。

    「煉瓦積基礎の遺構」看板。

  • 入口の入場や開館時間の案内板。これは縦長だ。

    入口の入場や開館時間の案内板。これは縦長だ。

  • 旧横浜ゴム平塚製造所記念館。

    旧横浜ゴム平塚製造所記念館。

  • 旧横浜ゴム平塚製造所記念館内部(中廊下)。<br />東西側室は貸出中であり、見学できなかった。

    旧横浜ゴム平塚製造所記念館内部(中廊下)。
    東西側室は貸出中であり、見学できなかった。

  • 旧横浜ゴム平塚製造所記念館内部(一角の展示室)。

    旧横浜ゴム平塚製造所記念館内部(一角の展示室)。

  • 「旧横浜ゴム平塚製造所記念館の沿革」。<br />火事で消失した後、旧横浜ゴム平塚製造書記念館は明治45年(1912年)に再建された1棟であると推定されていると記載されている。

    「旧横浜ゴム平塚製造所記念館の沿革」。
    火事で消失した後、旧横浜ゴム平塚製造書記念館は明治45年(1912年)に再建された1棟であると推定されていると記載されている。

  • 「歴史的建造物保存・活用事業」。<br />「復元中の塔屋」の写真からは塔屋が煙出しであったようにも見える。

    「歴史的建造物保存・活用事業」。
    「復元中の塔屋」の写真からは塔屋が煙出しであったようにも見える。

  • 「−記念館平面図−と−記念館立面図−、〜建物の概要〜」。

    「−記念館平面図−と−記念館立面図−、〜建物の概要〜」。

  • 「昭和三年頃の地形図」。平塚市の昭和3年(1928)頃の地形図。

    「昭和三年頃の地形図」。平塚市の昭和3年(1928)頃の地形図。

  • 「元第二海軍火薬廠略図」。

    「元第二海軍火薬廠略図」。

  • 「改修履歴」。

    「改修履歴」。

  • 応接間に復元されたダンロ。煙はどこから外に?

    応接間に復元されたダンロ。煙はどこから外に?

  • 応接間の丸窓に掛かるカーテン。

    応接間の丸窓に掛かるカーテン。

  • 応接間の丸窓に掛かるカーテン。

    応接間の丸窓に掛かるカーテン。

  • 応接間と東側室のドアと丸窓に掛かるカーテン。<br />ダンロを取り去った跡にドアが設けられていた。

    応接間と東側室のドアと丸窓に掛かるカーテン。
    ダンロを取り去った跡にドアが設けられていた。

  • 窓。

    窓。

  • ドーム(塔屋)。古写真では煙出しのようにも見える。

    ドーム(塔屋)。古写真では煙出しのようにも見える。

  • 旧横浜ゴム平塚製造所記念館。

    旧横浜ゴム平塚製造所記念館。

  • 「平塚八景 八幡山公園」看板。

    「平塚八景 八幡山公園」看板。

  • 旧横浜ゴム平塚製造所記念館。

    旧横浜ゴム平塚製造所記念館。

  • 「平塚八景 八幡山公園」標柱石。

    「平塚八景 八幡山公園」標柱石。

  • 「広域避難場所 八幡山公園」看板。

    「広域避難場所 八幡山公園」看板。

  • 八幡山公園の階段。

    八幡山公園の階段。

  • 「八幡山公園 施設ご難内:看板。

    「八幡山公園 施設ご難内:看板。

  • 八幡山公園脇の歩道と自転車道。

    八幡山公園脇の歩道と自転車道。

  • 「八幡山公園周辺 公共施設ご案内」看板。

    「八幡山公園周辺 公共施設ご案内」看板。

  • 「平塚戦災復興事業完成記念」碑。

    「平塚戦災復興事業完成記念」碑。

  • 旧横浜ゴム平塚製造所記念館。

    旧横浜ゴム平塚製造所記念館。

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