2014/08/25 - 2014/08/25
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滝山氏照さん
JR奥羽線米沢駅西口から徒歩約25分の地に在する米沢城(よねざわじょう、山形県米沢市丸の内)は現在では本丸の奥御殿跡に上杉神社(うえすぎじんじゃ)が配され、戦国時代に越後春日山城に拠点を構え、武田氏・小田原北条氏などと戦った上杉謙信(うえすぎ・けんしん、1530~1578)を養父とする上杉景勝(うえすぎ・かげかつ、1556~1623)の居城です。
ご承知の通り天正6年後継を定めないまま謙信の突然の死去に対し謙信の姉の息子景勝と小田原北条氏から養子として迎えた景虎(かげとら、1555~1579)の後継争い(御館の乱)となり国内分裂、景勝は混乱に乗じて介入を狙う武田勝頼(たけだ・かつより)と和解、一方景虎は実兄小田原北条氏政の支援を求めるも実現できず結果景虎自刃を以て集結し景勝支配することになります。
応永22年(1415)本能寺の変に対し明智光秀を破った羽柴秀吉(はしば・ひでよし、1537~1598)は天下平定の為として景勝と和解、やがて父蒲生氏郷(がもう・うじさと、1556~1595)を継いだ蒲生秀行(がもう・ひでゆき、1583~1612)の宇都宮転封を機に奥羽諸大名を抑えるべく景勝は120万石を以て会津へ転封され、その後秀吉の厚い信頼を得て五大老の一翼を担います。
然しながら秀吉死亡後は徳川家康と石田三成との争いが一段と激しくなり、ついに慶長5年(1600)関ヶ原戦いに突入、結果家康軍が勝利したことで、西軍側に属していた会津藩は取り潰しは免れたものの家康の対処は厳しく米沢30万石に大減封されます。
謙信の話に戻りますが天正6年急逝した謙信の遺骸は甲冑を着せられ当初は春日山城内の不識院に埋葬、林泉寺に供養塔が建立されますが、会津転封およびその後の減封による米沢移転に合わせてそれぞれ城内に改葬されます。
そして明治維新後は歴代の米沢藩主が眠る上杉家廟(上杉神社から更に西方へ徒歩約20分)に改めて改葬されて現在に至っています。
2023年9月19日追記
現地に建てられた案内板の中で「米沢城」と題した説明が記載されています。
『 米 沢 城
伊達氏・上杉氏の居城で、松岬城・舞鶴城とも呼ばれる。
米沢城の起源は鎌倉時代に地頭・長井時広居館を置いたと伝えられる。その後、長井氏に替わり伊達氏が置賜地方を領し、天文17年(1548)には伊達晴宗が本拠を米沢に移し、輝宗・政宗の三代で米沢城下が整備された。
天正19年(1591)、政宗は豊臣秀吉の命で岩出山城に移り、米沢城には蒲生氏郷の家臣・蒲生郷安が入るが、慶長3年(1598)に上杉景勝が会津120万石に入封、米沢城には重臣・直江兼続が配された。
慶長6年(1601)、前年の関ヶ原の戦いで西軍方についた上杉景勝が米沢30万石に厳封されて米沢城に入場、城下の拡張整備に着手しました。以後、寛文4年(1664)に後継問題で米沢藩は15万石となるが、米沢城は約270年間にわたり上杉氏13代の居城として明治維新を迎えた。
城郭は平城で、本丸・二の丸・三の丸からなる輪郭式の縄張りで、三の丸の東側には町人町・職人町が置かれた。本丸の中央は藩主の住む御殿があり、南東隅の高台には上杉謙信の遺骸を祀る御堂が建ち、北東と北西の隅には三層の隅櫓があった。
明治になって御殿や隅櫓は取り壊され、本丸跡は松が岬公園と上杉謙信を祀る上杉神社になる。堀と土塁が往時を忍ばせ、城の周囲には桜の木が並び桜の名所となっている。 』
続いて「米沢城ゆかりの戦国武将」について下記に紹介があります。
『伊達政宗(1567~1636)
仙台藩62万石の基礎を築いた戦国武将。永禄10年に米沢城で生まれ、18歳で家督、幼名は梵天丸で、「独眼竜」とも称された。会津の蘆名氏等を破り領地を広げるが、政宗25歳の天正19年に豊臣秀吉によって岩出山城に移される。その後、本拠を仙台城に移し仙台藩の基礎を築く。寛永13年に江戸で死去、享年70であった。
直江兼続(1560~1619)
上杉景勝を支えた知将。樋口惣右衛門の長男として坂戸城下に生まれ、景勝の近習に選ばれる。その後、重臣・直江家を継いで上杉軍の中枢として景勝を支えた。米沢30万石へ移封後は、町割りや堤防・水路の整備、鉄砲鍛冶の招請、学問所「禅林文庫」の開設など、城下町米沢の基礎を築く。元和5年に江戸で死去。享年60であった。林泉寺に兼続夫妻の墓がある。
上杉景勝(1555~1623)
米沢藩の初代藩主。坂戸城(新潟県南魚沼市)に生まれ、叔父上杉謙信の養子となる。謙信死後の家督争いに勝利し越後を統一。豊臣秀吉の命で会津120万石に移り五大老となるが、秀吉死後に徳川家康と対立、関ヶ原の戦いの後に米沢30万石へ移封となる。以後、重臣直江兼続に命じ、米沢城下の整備や政治体制の確立など米沢藩の基礎を築く。元和9年に米沢城で死去、享年69であった。』
- 旅行の満足度
- 4.0
- 交通手段
- JRローカル 徒歩
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上杉神社参道
-
上杉鷹山座像
上杉神社参道の右側には松が岬神社が上杉神社の摂社として建立されその一角に名君といわれた上杉鷹山(うえすぎ・ようざん、1751~1822)座像があります。 -
上杉鷹山座像
もともとは日向高鍋藩主秋月種美の二男で母方の祖母の豊姫が米沢藩第4代藩主上杉綱憲(うえすぎ・つなのり)の娘であることが縁で、鷹山10歳で第8代藩主重定(しげさだ)の養子となり、困窮の藩経営の建て直しに取り組みます。 -
上杉鷹山説明板
「 上杉鷹山公
上杉家十代上杉鷹山公は、困窮、崩壊寸前の藩を復興させた江戸時代随一の明君として知られる。14歳の時から、折衷学派の儒者細井平洲に師事し17歳で藩主となるや、大倹令・産業開発・藩校譲館の創立・綱紀の粛清などを断行する。
凶作に備え、城下や村々の蔵にもみを備蓄し、天明の飢饉には領民に配り一人の餓死者も出さなかったと伝えられる。
11代治広公に家督を譲るとき民主主義の原点を示した「伝国に辞」を与えた。
米国第35代大統領ジョン・F・ケネディは政治家で最も尊敬する人は、上杉鷹山公であると述懐したことはあまりにも有名である。
鷹山公が家臣に示した和歌
なせば成る なさねば成らぬ何事も
ならぬは人のなさぬなりけり
は、万事について可能性を示す遺訓である。
平成6年(1994年)5月吉日
米沢松岬ライオンズクラブ 」 -
草木塔石碑と説明
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松が岬公園案内板
上杉神社を含むこの一帯は公園化され松が岬と呼ばれています。 -
舞鶴橋
参道を直進し舞鶴橋を渡ります。手前橋詰には「懸り乱れ龍」と「毘沙門天」の軍旗が見えます。 -
舞鶴橋
米沢城本丸跡の橋に架かるア−チ式の石橋で明治19年に造られたもので、国の登録有形文化財として平成10年指定を受けています。 -
舞鶴橋由来
米沢城は「舞鶴城」の別名に由来しており、江戸時代は米沢城の正面に当たり木製の太鼓橋が架けられていました。 -
水堀(右側)
舞鶴橋から水堀を眺めます。 -
水堀(左側)
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説明板
正面参道を歩きますと左側に案内板・説明板が並んでいます。 -
米沢城下絵図
本丸を中心に四方に整然と街割りが広がっています。 -
米沢城説明板
「 米 沢 城
伊達氏・上杉氏の居城で。松岬城・舞鶴城とも呼ばれる。
米沢城の起源は、鎌倉時代に地頭・長井時広が居館を置いたと伝えられる。その後長井氏に替わり伊達氏が置賜地方を領し、天文17年(1548)には伊達晴宗が本拠を米沢に移し、輝宗・、政宗の三代で米沢城下が整備された。
天正19年(1591)、政宗は豊臣秀吉の命で岩出山城に移り、米沢城には蒲生氏郷の家臣・蒲生郷安が入るが、慶長3年(1598)に上杉景勝が会津120万石で入封、米沢城は重臣直江兼続が配された。
慶長6年(1601)、前年の関ヶ原の戦いで西軍についた上杉景勝が米沢30万石に減封され米沢城に入城、城下の拡張整備に着手した。
以後、寛文4年(1664)に後継問題で米沢藩は15万石となるが、米沢城は約270年間にわたり上杉氏十三代の居城として明治維新を迎えた。
城郭は平城で、本丸・二の丸・三の丸からなる輪郭式の縄張りで、三の丸の東側には町人町・職人町が置かれた。本丸の中央は藩主の住む御殿があり、南東隅の高台には上杉謙信の遺骸を祀る御堂が建ち、北東と北西の隅には三層の隅櫓があった。
明治になって御殿や隅櫓は取り壊され、本丸跡には松が岬公園と上杉謙信を祀る上杉神社になる。堀と土塁が往時を忍ばせ、堀の周囲には桜の木が並び桜の名所ともなっている。
~ 米沢城ゆかりの戦国武将 ~
伊達政宗(1567~1636)
仙台藩62万石NO基礎を築いた戦国武将、永禄10年に米沢城で生まれ、18歳で家督。幼名は梵天丸で、「独眼竜」とも称された。会津の蘆名氏等を破り、領地を広げるが、政宗25歳の天正19年に豊臣秀吉によって岩出山城に移される。その後、本拠を仙台城に移し仙台藩の基礎を築く。寛永13年に江戸で死去、享年70であった。
直江兼続(1560~1619)
上杉景勝を支えた知将。樋口惣右衛門の長男として坂戸城下で生まれ、景勝の近習に選ばれる。その後、重臣・直江家を継いで上杉家の中枢として景勝を支えた。
米沢30万石へ移封後は、町割りや堤防・水路の整備、鉄砲鍛冶の招へい、学問所「禅林文庫」の開設など、城下町米沢の基盤を築く。元和5年江戸で死去、享年60であった。林泉寺に兼続夫妻の墓がある。
上杉景勝(1555~1623)
米沢藩の初代藩主。坂戸城(新潟県南魚沼市)に生まれ、叔父上杉謙信の養子となる。謙信死後の家督争いに勝利し越後を統一。豊臣秀吉の命で会津120万石に移り五大老となるが、秀吉死後に徳川家康と対立、関ヶ原の戦い後に米沢30万石へ移封となる。以後、重臣直江兼続に命じ、米沢城下の整備や政治体制の確立など米沢藩の基礎を築く。元和9年に米沢城で死去、享年69であった。 」 -
上杉謙信・伊達政宗説明板
それぞれ下記の通り紹介されています。
「 上杉謙信が眠る米沢
上杉謙信は天正6年(1578)、越後の春日山城(新潟県上越市)で49年の生涯を閉じます。その遺骸は漆で密閉されたカメに入れられ、上杉家と共に越後から会津、米沢へと移されました。この案内板背後の高台は、米沢城本丸の東南隅にあたり、ここに謙信遺骸を祀る御堂が建てられました。本丸内に遺骸を安置するのは大変珍しいことです。御堂は城内で最も神聖な場所とされ、江戸時代が終わるまで藩士から崇拝されました。現在は歴代藩主が眠る米沢藩主上杉家廟所中央に遺骸が移されています。」
「 米沢城と館山城
米沢城跡(松が岬公園)から約3キロ西側の館山地区に、山城と平城からなる館山城跡があります。伊達家の正史「伊達治家記録」には、地元の有力者新田氏の居城であったり、伊達輝宗の隠居所、伊達政宗が地割りをした記載があります。また平成25年の発掘調査で山城から石垣が発見されました。慶長5年(1600)の関ヶ原の戦い以降の石積技術であることから、上杉景勝が築いた石垣とみられます。館山城は、米沢城の西側の拠点として、伊達家や上杉家が整備した重要な城と考えられます。米沢市はこのような歴史遺産が多く見られるまちです。 」
「 よく似た「竹に雀」
上杉家と伊達家の紋はどちらも「竹に雀」。二羽の雀とともに上杉家は輪竹、伊達家はたくさんの葉が広がる根竹が描かれています。そもそも「竹に雀」を最初に用いたのは藤原氏の一族・勧修寺家ですが上杉家の祖が勧修寺重房であることから、「竹に雀」の紋を使用しました。
一方、伊達家は稙宗(政宗の曽祖父)の三男・時宗丸が越後上杉家(謙信が継いだ山内上杉家とは別)の養子に決まり、越後上杉家から「竹に雀」の幕紋(陣幕に描かれる紋)が贈られたことに始まります。
養子の話は反故となりましたが、贈られた幕紋は華やかにアレンジされ伊達家の紋として用いるようになったのです。 」 -
イチオシ
天地人像
上杉景勝が左側に直江兼継が右側にそれぞれ立っています。 -
イチオシ
上杉鷹山像
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上杉鷹山説明板
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上杉神社社標
明治35年に国に尽力した人物を祀る神社とした「別格官幣社(べっかくかんぺいしゃ)」として政府から指定を受けています。 -
第一鳥居
「上杉神社」と記された社額が見えます。 -
上杉謙信家訓十六ケ条
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手水舎
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第二鳥居
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イチオシ
上杉神社
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イチオシ
上杉神社・拝殿
御祭神は当然ながら上杉謙信ただ一人です。大正8(1919)年の米沢大火で類焼しほとんどの建物が焼け落ちますが、その後国からの援助金や市民の奉仕などにより大正12年(1923)に現在の神社が完成しました。 -
上杉神社由緒説明板
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上杉神社・境内
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春日神社
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春日神社拝殿
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春日神社由来説明板
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神社内庭園
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上杉神社社務所
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上杉謙信座像
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イチオシ
上杉謙信座像
甲冑を身に着けて指揮する凛々とした雄姿が故郷の越後を向いています。 -
上杉謙信説明
謙信座像の背部に説明が刻されています。 -
内水堀風景
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上杉謙信祠堂跡入口
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祠堂跡
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イチオシ
上杉謙信祠堂跡
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上杉謙信祠堂石碑
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上杉謙信祠堂(御堂)説明
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招魂碑
戊辰戦争で戦死した米沢藩士280余名と西南戦争で戦死した52名を慰霊するため明治11年4月に建立されています。 -
招魂碑説明
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米沢城跡内堀
上杉謙信祠堂跡から内堀を捉えます。 -
米沢市上杉博物館
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参道風景
上杉神社舞鶴橋から参道方向を振り返ります。 -
松岬神社(まつがさきじんじゃ)
上杉謙信を祀る上杉神社の摂社で明治35年(1902)に上杉神社が別格官幣社に列せられるに際し上杉神社に合祀されていた上杉鷹山は御殿跡に設けられた摂社の松岬神社へ還されることになります。大正元年(1912)神殿が造営されその後大正12年(1923)に上杉景勝、昭和13年(1938)に景勝家老直江兼続などが合祀されます。 -
松岬神社参道
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庭園
神社境内に造られた庭園があります。 -
松岬神社拝殿
上杉神社の摂社で上杉景勝、上杉鷹山、直江兼続らを祀っています。 -
社額
「松岬神社」の社額が認められます。 -
境内風景
拝殿から鳥居方向を捉えます。
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