2024/10/15 - 2025/09/30
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砂布巾さん
1938年9月29日 ミュンヘンでの一時的平和(ドイツ)
チェコ・スロヴァキアの人口千四百万の内、ドイツ系住民三百万人が住んでおり、その大部分がドイツと国境を接する弓状の地域ズデーテン地方に住んでいた。
1938年4月24日、ズデーテン・ドイツ人党党首ヘンラインは、政府に自治権を要求するカールスバート綱領を掲げた。ヒトラーと阿吽の呼吸であることは言うまでもない。9月5日チェコ政府はイギリスの圧力もあってその要求を認めた。しかし目的はズデーテンのドイツへの帰属であったため、ヘンライン(とヒトラー)が受け入れる筈もなかった。
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心からの感謝を込めて 砂布巾
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9月15日、イギリスのチェンバレン首相はベルヒテスガーデンでヒトラーと会談した。ヒトラーはズデーテンのためには世界戦争をも辞さない旨表明した。チェコ政府に圧力をかけ割譲を承認させたチェンバレンは1週間後、再びヒトラーと会談する。ここでヒトラーは「(ズデーテンが)ヨーロッパで望む最後の領土である」と語り、即時占領を主張して最終期限を28日に設定した。対抗してチェコ側も総動員令を発した。このため戦争の危機が一気に高まった。そしてヒトラーが24時間の猶予を設定した29日、イタリア、フランスも含めてミュンヘンで開かれた会談でヒトラーの要求を結局認めた。
第二次世界大戦博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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英仏の対独宥和政策の頂点と言える会談の本質は、ヒトラーの言葉を信じ、小国の一部を犠牲にして、平和が確保出来ると英仏の指導者が幻想を抱いた、と言えるだろう。しかしチェンバレンがもたらした「名誉ある平和」は、十一ヶ月しか続かなかった。
英仏がドイツに対して妥協的であった背景には、ドイツと反ソ反共を共有する英仏にとって、その復活よりソ連共産主義が脅威であり(東部ヨーロッパの国より)一層強固な防波堤としての役割を重視していた、英仏側の戦争準備が進んでおらず時間稼ぎがしたかった、ヴェルサイユ条約で徹底的に弱体化させたことへの後悔もあったと言われている。
ソ連側は、英仏がドイツと結託して、ドイツを東方侵略へと向かわせるのではないかという疑念を持ち、英仏に対する不信感を募らせた。
反響をまとめておきたい。戦争の危機が高まっていただけに、英仏の大多数はこの決定を歓迎した。批判的に捉える人々もいた。英仏では数人の大臣が辞表を提出した。フランスのある将軍は、フランス人であることを恥じて国籍を捨て、チェコ・スロヴァキア人になった。ドイツ軍内部では、チェコ・スロヴァキア攻撃の前に決起するクーデター計画があったが、合意の結果、自然消滅となった。この頃ヒトラーの支持率は99%であったという。健全な民主国家ではあり得ない。
ヒトラーはこの「功績」で同年のMan of the yearに翌年のノーベル平和賞候補になったという。今となってはブラックジョークでしかない。
大学時代に綱川政則著「ヒトラーとミュンヘン協定」(教育社)を読んで、近代史特に第二次大戦への興味が一層深まったので、その意味でも忘れられない。第二次世界大戦博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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旅の最後の目的は、1938年9月末にヒトラー、ムッソリーニ、チェンバレン、ダラディエの独伊英仏の四大国首脳が会談した、ミュンヘン会談の会場。下調べをしていなかったので、24日に市役所下のインフォーメーションで尋ねたら、後ろに数人待っていたが、10分ぐらい係の人が電話で尋ねて調べてくれた。現在国立音楽高校となっているので中は見学しなかったが、第二次大戦前の一時的な平和をもたらした歴史的な場所を、見ることが出来たのは感慨深い。後に「映像の世紀」で確認したら、建物は旧ナチス党本部だ。
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夕食はホーフブロイ・ハウスへ。楽団の真ん前で多くの人が踊り出し、隣のおじさんが妻布巾に人形をくれるなど、本当に楽しかった~。毎年秋のオクトーバー・フェスト(ビール祭り)はどのくらい盛り上がるのだろう。興奮して席の上に立ったら、係のおじさんに「座れ、座れ」と手で示して怒られた。買ったCDであの雰囲気に浸ろうと思うけど、やはりその場でしか味わえない。(1998年8月28日ほか訪問)
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*ここからはダッハウ強制収容所
ナチスドイツ最初の強制収容所とされる 後述するエルザーが収容された所でもある
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%80%E3%83%83%E3%83%8F%E3%82%A6%E5%BC%B7%E5%88%B6%E5%8F%8E%E5%AE%B9%E6%89%80 -
*「Arbeit macht frei(働けば自由になれる)」
ダッハウ強制収容所 史跡・遺跡
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旅行記グループ 砂布巾のLW「進化し続ける自叙伝的旅行記…」 第4章 日中戦争とナチスの侵略(英の対独外交)
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