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ソバーナで味わった、そっけなさからくる寂しさを残しつつ<br /><br />一転、<br /><br />ソラーノは、ソバーナと10キロ弱しか離れていないのに<br /><br />雰囲気はまるで逆。<br /><br />人肌の温かさを感じる町でした。<br /><br />魅了されました?。<br /><br /><br />  <br />断崖絶壁の上に立つソラーノの町。<br /><br />居住区は谷を見下ろす絶壁の上<br /><br />小さくぎゅぎゅ?っと密集してる感じ。<br /><br /><br /><br /><br /><br />ソラーノ・・・・・<br /><br />断崖絶壁の上に立つこの町は、中世と近代において、<br /><br />オルシ-ニ家それに続くメディチ家、トスカ?ナ大公の「防御壁」の役割を<br /><br />果たしていました。<br /><br />難攻不落といわれたオルシ?ニの要塞、フォルテッツア。<br /><br />それは、もとはアルドブランデスキ家に由来する建物です。<br /><br />16世紀半ばシエナの建築家、アントンマリア・ラーリの作とか。<br /><br />見どころなどについて・・・<br />  <br />?古い町並みに広がる居住区は、谷の上に突き出した絶壁の上に密集<br /><br />?かつてのユダヤ人の居住地区”Ghetto”として知られる路地あり<br /><br />?町の地下部分は迷宮のラビリンスならぬ、ワイン蔵あり。<br /><br />?マッソレオパルド(Masso Leopaldono)<br />(と呼ばれる)巨大な凝灰石のテラス。そこからは、周りの景色がよく見渡せる。<br /><br />?サン・ニコロ教会(Chiesa Collegiata Di San Nicoro)<br /><br />?オルシーニ家の紋章が付いた石灰華の扉が保存されている伯爵の館 (Palazzo Comitale)<br /><br />?コルティロ?ネ<br />  町の北に建つ壮大な建物で オルシーニ家によって小麦と食料の倉庫に充てられていた。<br /><br />?メルリの門 (Porta Dei Merli)<br />重要な村への古い出入り口で、見事な装飾が施されている。またオルシーニ家とメディチ家の紋章が掲げられている。<br /><br />?ピエトロ・ブサッティ広場(Piazza Pietro Busatti)<br />  広場にある水道橋町の中心にある新古典様式の建築で水道橋が特徴 <br /><br />?サンロッコの墳墓の遺跡 (Neceropoli Di San Rocco)<br />  町から少し離れたところにあるが、メルリ門から小道を横切り歩いていくことが出来る。<br /><br />?チェッレ-ト(Cerreto)<br />  聖母マリアが羊飼いの少女の前に現れたと言われる神聖な場所としてよく知られている。 <br /><br /><br />アクセスの仕方・・・・・<br /><br />F.S GROSSETO / ORBETELLO駅からRama社のPitigliano⇔Sorano線の<br />バスで終点まで行き、そこからさらに乗り換えて約30分。<br />Sorano方面へのバスが少ないのでピティリアーノに宿泊するといいでしょう<br /><br /><br />以上、『南トスカーナ個人案内』の記事より<br />http://www.tabitoscana.com/index.html<br />許可いただき、抜粋&編集をさせていただきました。<br /><br /><br />ソバーナを検索してさらに情報を収集してみる・・<br /><ウィキペディアより抜粋><br /><br />先史・古代<br /><br />先史時代、この地域にはおそらくヴィッラノーヴァ文化(英語版)を持つ人々が暮らしていたと考えられる。この地域が歴史上最初に記載されるのは紀元前3世紀のことで、この地域にはエトルリア人が居住していた。当時、この地域の中心地は人口の多かったソヴァーナ (Sovana) (現在はソラーノの分離集落)にあり、ソラーノもソヴァーナの影響下にあった。ローマ時代、この地域はしばらく歴史から姿を消す。<br /><br />中世<br /><br />この地域が再び歴史に姿を見せるのは862年のことである。<br />この年、イタリア王ルドヴィコ2世がアルドブランデスキ家をこの地の領主とした。<br />アルドブランデスキ家は南トスカーナで最も有力な封建領主であり、<br />その勢力は4世紀以上にわたって続いた。<br />1312年、当主が男子の継承者を残さず没したために<br />アルドブランデスキ家は絶えた。<br />彼の娘はオルシーニ家のロマーノ・オルシーニと結婚していたため、<br />この地の領主権はオルシーニ家に移った。<br /><br /><br />ソラーノはシエーナ共和国と抗争を繰り返し、1417年にはシエーナの宗主権を認めさせられた。<br />しかし、シエーナ共和国がメディチ家のフィレンツェ公国に併合された1556年に、ソラーノは独立を回復している。<br />ソラーノの要塞は、その重要な位置ゆえにしばしば戦乱に巻き込まれた。<br />また、オルシーニ家の内紛の中心地でもあった。<br />1604年、アレッサンドロ・ディ・ベルトルドが没すると、トスカーナ大公国の一部となった。<br /><br />近代・現代<br /><br />1860年、トスカーナ大公国はサルデーニャ王国(翌年イタリア王国となる)に編入された<br /><br />抜粋以上<br /><br /><br />ーーーーーーーーーーーーーーーーーー<br />電車やバスにちゃんと乗れるの?<br />トラブルがあった時、語学力無くて大丈夫なの?・・・<br />考えれば考えるほど、心配や不安にかられ、<br />出発直前までこの計画から逃げ出したかった。<br />でも、空の巣症候群の空虚な自分にカツを入れるために<br />無理やり緊張感のある場所に身を置くことにした<br />語学力超初級なのに・・イタリア縦断、2ヶ月半の一人旅<br />ーーーーーーーーーーーーーーーーーー<br /><br />

【28】【ソラーノ】チッタデルトゥーフォの町。ソラーノのこじんまりした町はほっこり。魅力がたっぷり。

76いいね!

2014/04/03 - 2014/06/18

25位(同エリア926件中)

4

20

キャッツアイ

キャッツアイさん

ソバーナで味わった、そっけなさからくる寂しさを残しつつ

一転、

ソラーノは、ソバーナと10キロ弱しか離れていないのに

雰囲気はまるで逆。

人肌の温かさを感じる町でした。

魅了されました?。


 
断崖絶壁の上に立つソラーノの町。

居住区は谷を見下ろす絶壁の上

小さくぎゅぎゅ?っと密集してる感じ。





ソラーノ・・・・・

断崖絶壁の上に立つこの町は、中世と近代において、

オルシ-ニ家それに続くメディチ家、トスカ?ナ大公の「防御壁」の役割を

果たしていました。

難攻不落といわれたオルシ?ニの要塞、フォルテッツア。

それは、もとはアルドブランデスキ家に由来する建物です。

16世紀半ばシエナの建築家、アントンマリア・ラーリの作とか。

見どころなどについて・・・
  
?古い町並みに広がる居住区は、谷の上に突き出した絶壁の上に密集

?かつてのユダヤ人の居住地区”Ghetto”として知られる路地あり

?町の地下部分は迷宮のラビリンスならぬ、ワイン蔵あり。

?マッソレオパルド(Masso Leopaldono)
(と呼ばれる)巨大な凝灰石のテラス。そこからは、周りの景色がよく見渡せる。

?サン・ニコロ教会(Chiesa Collegiata Di San Nicoro)

?オルシーニ家の紋章が付いた石灰華の扉が保存されている伯爵の館 (Palazzo Comitale)

?コルティロ?ネ
  町の北に建つ壮大な建物で オルシーニ家によって小麦と食料の倉庫に充てられていた。

?メルリの門 (Porta Dei Merli)
重要な村への古い出入り口で、見事な装飾が施されている。またオルシーニ家とメディチ家の紋章が掲げられている。

?ピエトロ・ブサッティ広場(Piazza Pietro Busatti)
  広場にある水道橋町の中心にある新古典様式の建築で水道橋が特徴 

?サンロッコの墳墓の遺跡 (Neceropoli Di San Rocco)
  町から少し離れたところにあるが、メルリ門から小道を横切り歩いていくことが出来る。

?チェッレ-ト(Cerreto)
  聖母マリアが羊飼いの少女の前に現れたと言われる神聖な場所としてよく知られている。


アクセスの仕方・・・・・

F.S GROSSETO / ORBETELLO駅からRama社のPitigliano⇔Sorano線の
バスで終点まで行き、そこからさらに乗り換えて約30分。
Sorano方面へのバスが少ないのでピティリアーノに宿泊するといいでしょう


以上、『南トスカーナ個人案内』の記事より
http://www.tabitoscana.com/index.html
許可いただき、抜粋&編集をさせていただきました。


ソバーナを検索してさらに情報を収集してみる・・
<ウィキペディアより抜粋>

先史・古代

先史時代、この地域にはおそらくヴィッラノーヴァ文化(英語版)を持つ人々が暮らしていたと考えられる。この地域が歴史上最初に記載されるのは紀元前3世紀のことで、この地域にはエトルリア人が居住していた。当時、この地域の中心地は人口の多かったソヴァーナ (Sovana) (現在はソラーノの分離集落)にあり、ソラーノもソヴァーナの影響下にあった。ローマ時代、この地域はしばらく歴史から姿を消す。

中世

この地域が再び歴史に姿を見せるのは862年のことである。
この年、イタリア王ルドヴィコ2世がアルドブランデスキ家をこの地の領主とした。
アルドブランデスキ家は南トスカーナで最も有力な封建領主であり、
その勢力は4世紀以上にわたって続いた。
1312年、当主が男子の継承者を残さず没したために
アルドブランデスキ家は絶えた。
彼の娘はオルシーニ家のロマーノ・オルシーニと結婚していたため、
この地の領主権はオルシーニ家に移った。


ソラーノはシエーナ共和国と抗争を繰り返し、1417年にはシエーナの宗主権を認めさせられた。
しかし、シエーナ共和国がメディチ家のフィレンツェ公国に併合された1556年に、ソラーノは独立を回復している。
ソラーノの要塞は、その重要な位置ゆえにしばしば戦乱に巻き込まれた。
また、オルシーニ家の内紛の中心地でもあった。
1604年、アレッサンドロ・ディ・ベルトルドが没すると、トスカーナ大公国の一部となった。

近代・現代

1860年、トスカーナ大公国はサルデーニャ王国(翌年イタリア王国となる)に編入された

抜粋以上


ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
電車やバスにちゃんと乗れるの?
トラブルがあった時、語学力無くて大丈夫なの?・・・
考えれば考えるほど、心配や不安にかられ、
出発直前までこの計画から逃げ出したかった。
でも、空の巣症候群の空虚な自分にカツを入れるために
無理やり緊張感のある場所に身を置くことにした
語学力超初級なのに・・イタリア縦断、2ヶ月半の一人旅
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

同行者
一人旅
交通手段
高速・路線バス 徒歩
旅行の手配内容
個別手配
  • チッタ(町) デル(of) トウーフォ((凝灰石)(CITTA DEL TUFO)<br /><br />凝灰石の町・・・と書かれた案内板。<br /><br />ここ、ソヴァーナのエトルリア古墳 (Necropoli Etrusche Di Sovana)は、<br /><br />岩の中に掘られた迷路のような小道があったり部屋があったり宮殿もあったりと<br /><br />多様性に富んだ構造の墓が見られるようです。<br /><br /><br /><br />インフォメーションで頂いたパンフレットより抜粋してみました。<br /><br />(翻訳アプリを使用したのですが<br /><br />多少?かなり?変な訳で意味不明箇所多々。翻訳の信頼度50%かな・・)<br /><br />もっとも重要なエトルリアのネクロポリスである。<br /><br />ソラーノ、ソバーナ、ヴィトッツアを含む自治体の一部をなし、<br /><br />考古学的、歴史的なもので構成されている。<br /><br />自然の森を歩くと「IldebrandaやPola、Demoni Alati」<br /><br />などの柱状の墓や<br /><br />洞窟の墓が見られる。<br /><br /><br />*****ウィキペディアより⇒<br /><br />ネクロポリスとは・・・巨大な墓地あるいは埋葬場所である。<br /><br />語源は、ギリシャ語のnekropolis(死者の都)<br /><br />大都市近郊の現代の共同墓地のほかに、古代文明の中心地の近くにあった墓所、<br /><br />しばしば、人の住まなくなった都市や町を指す。

    チッタ(町) デル(of) トウーフォ((凝灰石)(CITTA DEL TUFO)

    凝灰石の町・・・と書かれた案内板。

    ここ、ソヴァーナのエトルリア古墳 (Necropoli Etrusche Di Sovana)は、

    岩の中に掘られた迷路のような小道があったり部屋があったり宮殿もあったりと

    多様性に富んだ構造の墓が見られるようです。



    インフォメーションで頂いたパンフレットより抜粋してみました。

    (翻訳アプリを使用したのですが

    多少?かなり?変な訳で意味不明箇所多々。翻訳の信頼度50%かな・・)

    もっとも重要なエトルリアのネクロポリスである。

    ソラーノ、ソバーナ、ヴィトッツアを含む自治体の一部をなし、

    考古学的、歴史的なもので構成されている。

    自然の森を歩くと「IldebrandaやPola、Demoni Alati」

    などの柱状の墓や

    洞窟の墓が見られる。


    *****ウィキペディアより⇒

    ネクロポリスとは・・・巨大な墓地あるいは埋葬場所である。

    語源は、ギリシャ語のnekropolis(死者の都)

    大都市近郊の現代の共同墓地のほかに、古代文明の中心地の近くにあった墓所、

    しばしば、人の住まなくなった都市や町を指す。

  • エルトリア古墳群のチケット売り場です。<br /><br />美しい女性♪<br /><br />写真を撮ってもいいですか?っと聞いたら<br /><br />とってもチャーミングな笑顔で「いいですよ〜♪(。´∀`)」<br /><br />人里離れたこのような場所で、1人でチケットを売っています。<br /><br />他に見学の人が見当たらなかったけれど、<br /><br />駐車場には車が2台停まっているところからすると・・<br /><br />見学者は一組来ているのかも。<br /><br />それにしても、女性一人で売り場に立つって、物騒じゃないかしら・・<br /><br />っと心配してしまう。<br /><br />それとも、この小屋の中に他に人が居たのかな?・・だといいんだけれど。<br /><br />な〜んて、余計な心配をしつつ<br /><br />

    エルトリア古墳群のチケット売り場です。

    美しい女性♪

    写真を撮ってもいいですか?っと聞いたら

    とってもチャーミングな笑顔で「いいですよ〜♪(。´∀`)」

    人里離れたこのような場所で、1人でチケットを売っています。

    他に見学の人が見当たらなかったけれど、

    駐車場には車が2台停まっているところからすると・・

    見学者は一組来ているのかも。

    それにしても、女性一人で売り場に立つって、物騒じゃないかしら・・

    っと心配してしまう。

    それとも、この小屋の中に他に人が居たのかな?・・だといいんだけれど。

    な〜んて、余計な心配をしつつ

  • ここは特に重要な遺跡〈イルデブランダの墓〉です。<br /><br />ソヴァーナ出身の教皇、グレゴリオ7世に敬意を表して<br /><br />トンバ・イルデブランダ<br />(Tomba Ildebranda)と呼ばれています。<br /><br />・・・・・・・<br /><br /><br />宿の紹介で、車でここまで連れてきてくれた方は<br /><br />同行しないで駐車場で待ってくれてます。<br /><br />ここは森と崖と山道の、広いお墓のエリア。<br /><br />人気のない細い道を先へ行くには、ちょっと勇気が要りました。<br /><br />ってか、お墓好きじゃないし・・・<br /><br />でもソラーノに行く途中ということで、寄ってくださったのですが。。<br /><br />入り口のさわりの部分だけちょっと見て、<br /><br />奥へは行かないで<br /><br />割と早く、帰ってきてしまいました。<br /><br />Tomba Ildebranda<br /><br />紀元前3世紀半ばのもの。<br /><br />翻訳アプリだと、意味不明になってしまうので<br /><br />パンフ、書き写してみます。<br /><br />ILDEBRANDA TOMB (1 half of the III cent .b.C)<br />The name of the most famous Etruscan tomb of Sovana is due to the most <br />impotant citizen of the maremman townn, during the medieval age;<br />the Pope Gregory VII (Ildebrando da Sovana).<br />Representing the most monumental temple tomb in the necropolis,the <br />Ildebranda tomb is characterized by a front with columns.It was<br />carried out in imitation of a true sacred building with a moulded high<br />podium which was easily reached through two lateral staircasese,and<br />a lacunar ceiling.<br />Originally the monument consisted of six columns with high moulded bases<br />placed on the front and three columns on both sides ofthe temple.<br />All these columns were characterized by composite capitals decorated<br />with human figure and acanthus leaves.<br />The colonnade supported three tympana presenting a frieze in relief<br />with a series of rosettes and snouts whose tails are held by a female<br />figure .The upperpart of the tympanum is decorated wity vegetable motives.<br />The monument was entirely covered with polychrome plaster: golden yellow <br />,green and red. A long ”dromos&quot; leads to the burial chamber presenting<br />a cruciform plan and a single funerary bench.<br />Some of the original achitectonical elements have been reassembled and <br />exhibited in the Pretorio Palace of Sovana.<br /><br /><br />このイルデブランダのお墓はこのエリアでは最も大きなお墓になります。<br /><br />地下に入って行く階段があり、中は広いお墓になっています。<br /><br />その上には、かつて立派な宮殿が建っていたとか。<br /><br />階段や、ファサードの円柱の列がまだ残っています。<br /><br />写真の上部中央に1本、見えているのが宮殿の円柱。<br /><br />全部で6本あったうちの、3本がまだまだしっかりその姿をとどめています。<br /><br />階段や回廊もそこここに認められ<br /><br />紀元前3世紀のものが良くここまで残っているものだと<br /><br />感心してしまいます・・・<br /><br />この紀元前の時代に<br /><br />卓越した文化がここに存在し咲き誇っていたのだろうか・・っと想像すると<br /><br />尊敬というか畏怖というのか・・迷宮に吸い込まれるような感動を覚えました。<br /><br />

    ここは特に重要な遺跡〈イルデブランダの墓〉です。

    ソヴァーナ出身の教皇、グレゴリオ7世に敬意を表して

    トンバ・イルデブランダ
    (Tomba Ildebranda)と呼ばれています。

    ・・・・・・・


    宿の紹介で、車でここまで連れてきてくれた方は

    同行しないで駐車場で待ってくれてます。

    ここは森と崖と山道の、広いお墓のエリア。

    人気のない細い道を先へ行くには、ちょっと勇気が要りました。

    ってか、お墓好きじゃないし・・・

    でもソラーノに行く途中ということで、寄ってくださったのですが。。

    入り口のさわりの部分だけちょっと見て、

    奥へは行かないで

    割と早く、帰ってきてしまいました。

    Tomba Ildebranda

    紀元前3世紀半ばのもの。

    翻訳アプリだと、意味不明になってしまうので

    パンフ、書き写してみます。

    ILDEBRANDA TOMB (1 half of the III cent .b.C)
    The name of the most famous Etruscan tomb of Sovana is due to the most
    impotant citizen of the maremman townn, during the medieval age;
    the Pope Gregory VII (Ildebrando da Sovana).
    Representing the most monumental temple tomb in the necropolis,the
    Ildebranda tomb is characterized by a front with columns.It was
    carried out in imitation of a true sacred building with a moulded high
    podium which was easily reached through two lateral staircasese,and
    a lacunar ceiling.
    Originally the monument consisted of six columns with high moulded bases
    placed on the front and three columns on both sides ofthe temple.
    All these columns were characterized by composite capitals decorated
    with human figure and acanthus leaves.
    The colonnade supported three tympana presenting a frieze in relief
    with a series of rosettes and snouts whose tails are held by a female
    figure .The upperpart of the tympanum is decorated wity vegetable motives.
    The monument was entirely covered with polychrome plaster: golden yellow
    ,green and red. A long ”dromos" leads to the burial chamber presenting
    a cruciform plan and a single funerary bench.
    Some of the original achitectonical elements have been reassembled and
    exhibited in the Pretorio Palace of Sovana.


    このイルデブランダのお墓はこのエリアでは最も大きなお墓になります。

    地下に入って行く階段があり、中は広いお墓になっています。

    その上には、かつて立派な宮殿が建っていたとか。

    階段や、ファサードの円柱の列がまだ残っています。

    写真の上部中央に1本、見えているのが宮殿の円柱。

    全部で6本あったうちの、3本がまだまだしっかりその姿をとどめています。

    階段や回廊もそこここに認められ

    紀元前3世紀のものが良くここまで残っているものだと

    感心してしまいます・・・

    この紀元前の時代に

    卓越した文化がここに存在し咲き誇っていたのだろうか・・っと想像すると

    尊敬というか畏怖というのか・・迷宮に吸い込まれるような感動を覚えました。

  • パンフレット

    パンフレット

  • ここを下りて行くと<br /><br />お墓になっています。<br /><br />結構広い空間です。<br /><br /><br /><br /><br /><br /><br />

    ここを下りて行くと

    お墓になっています。

    結構広い空間です。






  • ≪イルデブランダの墓≫の説明書きがありました。<br /><br />これとは別に、入手した情報では<br /><br />エトルスキの時代は女性が権力の主導権を握っていたとか。<br /><br />政治などを始めとして権力者として列する人達は<br /><br />全て女性だったのだそうです。<br /><br />日本もかつて大昔に、そんな時代があったとか。<br /><br />今では想像できないかな〜。。。<br /><br />紀元前3世紀頃の遺跡からも、<br /><br />それを証明するような物が発掘されているんだとか。<br /><br />(背中に天使の羽の、女性の像。<br /><br />その足元には大蛇やドラゴンが勇壮に動き回り<br /><br />それらを女性が跨いでいる構図)<br /><br />

    ≪イルデブランダの墓≫の説明書きがありました。

    これとは別に、入手した情報では

    エトルスキの時代は女性が権力の主導権を握っていたとか。

    政治などを始めとして権力者として列する人達は

    全て女性だったのだそうです。

    日本もかつて大昔に、そんな時代があったとか。

    今では想像できないかな〜。。。

    紀元前3世紀頃の遺跡からも、

    それを証明するような物が発掘されているんだとか。

    (背中に天使の羽の、女性の像。

    その足元には大蛇やドラゴンが勇壮に動き回り

    それらを女性が跨いでいる構図)

  • <br /><br />洞窟のお墓、多いです。<br /><br />崖のくぼみを利用したり、岩(凝灰岩)をくりぬたようなお墓が<br /><br />あちこちに点在していました。



    洞窟のお墓、多いです。

    崖のくぼみを利用したり、岩(凝灰岩)をくりぬたようなお墓が

    あちこちに点在していました。

  • このお墓の奥の壁には<br /><br />絵が描かれていました。<br /><br />かすかに、色も残っています。

    このお墓の奥の壁には

    絵が描かれていました。

    かすかに、色も残っています。

  • パンフレット

    パンフレット

  • 崖の右手にいくつも掘られた穴・・・<br /><br />お墓だそうです。<br /><br />この一帯は凝灰岩の岩<br /><br />穴を掘って住居や作業場としても使っていたようです。<br />

    崖の右手にいくつも掘られた穴・・・

    お墓だそうです。

    この一帯は凝灰岩の岩

    穴を掘って住居や作業場としても使っていたようです。

  • ソラーノの看板が。<br /><br />看板を支える棒と棒の間に見えるのは<br /><br />高くそびえるオルシーニ家の城です。<br /><br /><br />左側に見える塔のような建物あたりは、<br /><br />マッソ・レオポルディーノ(Masso Leopoldino)<br />       <br />古くからの要塞ですが・・わかりませんね??<br /><br />(小型カメラは3度墜落の衝撃で故障。残るアイパッドの写真容量が旅の最後のほうで足りなくなり、それまで撮った写真を、都度、選びながら消去してして新たな写真を撮っていました。<br />その結果、ソラーノのお城も要塞もその時消去されていたみたいで残っていませんでした。。この写真でようやくわかる程度。残念)

    ソラーノの看板が。

    看板を支える棒と棒の間に見えるのは

    高くそびえるオルシーニ家の城です。


    左側に見える塔のような建物あたりは、

    マッソ・レオポルディーノ(Masso Leopoldino)
           
    古くからの要塞ですが・・わかりませんね??

    (小型カメラは3度墜落の衝撃で故障。残るアイパッドの写真容量が旅の最後のほうで足りなくなり、それまで撮った写真を、都度、選びながら消去してして新たな写真を撮っていました。
    その結果、ソラーノのお城も要塞もその時消去されていたみたいで残っていませんでした。。この写真でようやくわかる程度。残念)

  • エトルスク以前からの歴史を持つ古い町、ソラーノ。<br /><br />中世の古いこじんまりとした町並みが残っています。<br /><br />この町の特徴は、岩盤を削って建てられた住居が点在するところや、<br /><br />トゥーフォ(火山性凝灰岩)に恵まれた古い魅力的な集落であるところかな。<br /><br />急傾斜に階段・・<br /><br />昔からの石畳の道と<br /><br />アップダウンの続く迷路の路地。<br /><br />体力があれば存分に楽しめる村です。<br /><br /><br />パンフレットより<br /><br />上段の写真は要塞<br /><br />中段、右手は、オルシーニ家の城。<br /><br />町の両端にあるオルシーニ家の城と要塞の二つが<br /><br />ソラーノの町を挟む形で外敵の侵入を防いでいました。<br />       

    エトルスク以前からの歴史を持つ古い町、ソラーノ。

    中世の古いこじんまりとした町並みが残っています。

    この町の特徴は、岩盤を削って建てられた住居が点在するところや、

    トゥーフォ(火山性凝灰岩)に恵まれた古い魅力的な集落であるところかな。

    急傾斜に階段・・

    昔からの石畳の道と

    アップダウンの続く迷路の路地。

    体力があれば存分に楽しめる村です。


    パンフレットより

    上段の写真は要塞

    中段、右手は、オルシーニ家の城。

    町の両端にあるオルシーニ家の城と要塞の二つが

    ソラーノの町を挟む形で外敵の侵入を防いでいました。
           

  • トンネルの上は<br /><br />必ず家が・・<br /><br />狭い土地に<br /><br />有効に道や家を作るって<br /><br />こんな景色になるのですね〜。

    トンネルの上は

    必ず家が・・

    狭い土地に

    有効に道や家を作るって

    こんな景色になるのですね〜。

  • 道はアップダウンばかり。<br /><br />この町を存分に味わうためには<br /><br />体力如何ですぞ。<br /><br />ちなみに、オルシーニ家の長く長く続く城への階段を前に<br /><br />それまで相当体力を使い果たしていたので<br /><br />軟弱者の私は・・退散いたしましたw。

    道はアップダウンばかり。

    この町を存分に味わうためには

    体力如何ですぞ。

    ちなみに、オルシーニ家の長く長く続く城への階段を前に

    それまで相当体力を使い果たしていたので

    軟弱者の私は・・退散いたしましたw。

  • シナゴーグっていったかしら?<br /><br />礼拝のためのユダヤ人の集会所<br /><br />切り石積みの入り口が印象的でした。

    シナゴーグっていったかしら?

    礼拝のためのユダヤ人の集会所

    切り石積みの入り口が印象的でした。

  • この町には人の温かさが漂っているような・・<br /><br />

    この町には人の温かさが漂っているような・・

  • 真っ直ぐ歩ける距離はわずか。<br /><br />道は、すぐ坂や階段になります。<br /><br />がんばれ!

    真っ直ぐ歩ける距離はわずか。

    道は、すぐ坂や階段になります。

    がんばれ!

  • 海抜が379mもある、谷に囲まれた町ですから<br /><br />ちょっと行けば町の端っこに行き着いてしまう。<br /><br />急な暗い階段の向うにいきなり谷底が見えたり<br /><br />家と家の間に、下に続く階段がぽこっと穴を開けるように見えたり<br /><br /><br />その急な傾斜は見て魅力、<br /><br />下って地獄?(戻るのに。。)<br /><br /><br />階段を下りて行きたい衝動を何度も抑えます。<br /><br />

    海抜が379mもある、谷に囲まれた町ですから

    ちょっと行けば町の端っこに行き着いてしまう。

    急な暗い階段の向うにいきなり谷底が見えたり

    家と家の間に、下に続く階段がぽこっと穴を開けるように見えたり


    その急な傾斜は見て魅力、

    下って地獄?(戻るのに。。)


    階段を下りて行きたい衝動を何度も抑えます。

  • 坂道を上ったり下りたり、家の下のトンネルをくぐって奥まで行ったり<br /><br />休み休み・・<br /><br />居心地がいいのは<br /><br />町が綺麗に手入れされているからでしょうか<br /><br />

    坂道を上ったり下りたり、家の下のトンネルをくぐって奥まで行ったり

    休み休み・・

    居心地がいいのは

    町が綺麗に手入れされているからでしょうか

  • ピノキオのジョゼッペおじいさんが<br /><br />どこぞのドアを開けて<br /><br />ひょこっと現れそう<br /><br />車も通らない<br /><br />猫ちゃんもたくさん見かけるのどかな町<br /><br /><br />次はここに泊まってみようかな・・・<br /><br />次は岩山の上にニョキニョキ家が。<br />キリスト教徒なのに、ナチの迫害からユダヤ人を匿った心温かい街がそのままに。<br /><br />ーーーー中部イタリア、マレンマ地方ーーーーー中央より西方面ー<br />【29】ピティリアーノ http://4travel.jp/travelogue/10911358<br /><br />

    ピノキオのジョゼッペおじいさんが

    どこぞのドアを開けて

    ひょこっと現れそう

    車も通らない

    猫ちゃんもたくさん見かけるのどかな町


    次はここに泊まってみようかな・・・

    次は岩山の上にニョキニョキ家が。
    キリスト教徒なのに、ナチの迫害からユダヤ人を匿った心温かい街がそのままに。

    ーーーー中部イタリア、マレンマ地方ーーーーー中央より西方面ー
    【29】ピティリアーノ http://4travel.jp/travelogue/10911358

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この旅行記へのコメント (4)

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  • めておら☆さん 2014/12/09 13:45:59
    エトルリアの街
    キャッツアイさん、こんにちは!

    旅行記着々と進んでますか?
    色々調べていらっしゃるようなので、一つの旅行記にどれだけ
    手間がかかってるのかうかがえます。ホントにご苦労様です!

    ソラーノとソヴァーナ、エトルリアゆかりの街なんですね。
    私はノーマークでしたが、エトルリア人とその文化にはとても
    興味があるので、いつか訪れてみたいと思いました。

    ただ・・・”街は人で成っている”、仰るとおりです。
    どんなに素晴らしい街でも、そこに住む人がどんな風かで、
    街の魅力も左右されると思います。その点、ソヴァーナは
    ちょっと微妙??ま、人にもよるかもしれませんがね。

    では、また続編を楽しみに待ってます。でも無理しないでね!
    Piano pia〜no

    めておら☆
  • Honeyさん 2014/11/29 13:21:02
    初めまして^^
    キャッツアイ様

    初めまして。
    Honeyと申します。

    勝手にフォローさせて頂いたにも関わらず、フォローして頂き
    ありがとうございました。

    旅行記、全部読ませて頂きました!
    本当に細かくお写真から文章から整理されていてすごいです。
    続きが楽しみで仕方ありません♪

    言葉が不安でなかなかヨーロッパに足が向かない私ですが、
    旅行記拝見してイタリアに行ってみたくなりました♪

    続きの旅行記、楽しみにしております。
    今後ともどうぞよろしくお願い致します。

    Honey


  • dankeさん 2014/11/28 02:36:16
    piano pia--no
    ciao キャッツアイさん!

    旅行記とりあえず今までの全て読み終えてしまいました。ふーぅ、もっと読みたいなぁ(笑)。でもpiano piano(ゆっくり ゆっくり)で、流れに乗れるときはどどーっとでいいと思います。南部からトスカーナ地方に来た時の街並みの違いは自然の違いとともに写真でもはっきりみてとれました。あと南部での旅行記の方が「人」が出てくる回数が圧倒的に多いような?気がしましたけれど、私の勝手な感想ですので流して下さいね。楽しい旅行記によせる感想はたくさんありますけれど、私は書きだすと止まらないのでここでは一言だけ。キャッツアイさん、旅にはまってしまいましたね(笑)。

    ciao ciao bella!
  • pedaruさん 2014/11/20 05:02:59
    誰でも知っているところよりは・・・
    キャッツアイさん お早うございます。

    ソラーノ、この街を知っている人はあまりいないのではないですか?
    いきなり遺跡に案内されました♪ 遺跡大好きなpedaruにとっては嬉しい悲鳴です。(なんで悲鳴じゃ?)

    ゾクゾクするような街歩き、もう、童話の中にいるような家並みですね。多彩な顔を持つイタリア、キャッツアイさんがハマるのも無理はないなぁ♪

    返信無用  pedaru

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