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大法山・東漸寺(とうぜんじ、山梨県都留市中央)は境内沿革碑によれば鎌倉幕府執権時代の北条重時(ほうじょう・しげとき、1198~1261)の嫡男で石河式部勝重が隠遁して当地に一宇を建立したのが起りと言われ、専ら真言の密法を伝え号して高明院と称していたそうです。<br /><br />元徳元年(1329)日蓮大聖人の孫弟子にあたる日目(にちもく)上人が当地に弘教の折り、勝重は弟子となり法号を日理、山号を大法山、寺を東漸寺と改め宗旨を変えて日目上人を開山と仰ぎ自らを二世となり延元2年(1337)に遷化(せんげ・死去)します。<br /><br />尚当谷村の他駿河安居山及び蒲原の三寺はいずれも日目上人を開山すると東漸寺と号し、古来より宗門の三東漸寺と呼ばれています。<br /><br />更に沿革碑には江戸時代には谷村藩主として入封した秋元家の国家老である高山家の菩提寺となりしだいに寺観も整ってゆきます。<br /><br />歴代上人の中で25世目孝上人の代になりますと宗祖(開祖)650年遠忌(おんき)を奉修するにあたり本堂・書院・庫裡の改築と小門・塀の新築をみますが昭和24年(1949)5月に谷村町大火により堂宇がことごとく灰塵と化します。<br /><br />昭和53年3月、3年後には宗祖700年遠忌の報恩事業として本堂建立を発願、建設委員会を立ち上げ昭和54年起工、昭和55年9月本堂、同年12月客殿、昭和56年庫裡の完成となります。<br /><br />そして昭和57年5月9日に宗祖700年の遠忌と落慶法要を奉修し更に昭和62年8月に遠忌事業総決算として山門建立に着工、昭和63年4月に完成を経て現在に至ります。

甲斐都留 谷村藩主の秋元氏を支え郡内の治水及び産業新興に貢献した国家老高山氏の菩提寺と伝えられる『東漸寺』散歩

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2014/06/30 - 2014/06/30

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滝山氏照

滝山氏照さん

大法山・東漸寺(とうぜんじ、山梨県都留市中央)は境内沿革碑によれば鎌倉幕府執権時代の北条重時(ほうじょう・しげとき、1198~1261)の嫡男で石河式部勝重が隠遁して当地に一宇を建立したのが起りと言われ、専ら真言の密法を伝え号して高明院と称していたそうです。

元徳元年(1329)日蓮大聖人の孫弟子にあたる日目(にちもく)上人が当地に弘教の折り、勝重は弟子となり法号を日理、山号を大法山、寺を東漸寺と改め宗旨を変えて日目上人を開山と仰ぎ自らを二世となり延元2年(1337)に遷化(せんげ・死去)します。

尚当谷村の他駿河安居山及び蒲原の三寺はいずれも日目上人を開山すると東漸寺と号し、古来より宗門の三東漸寺と呼ばれています。

更に沿革碑には江戸時代には谷村藩主として入封した秋元家の国家老である高山家の菩提寺となりしだいに寺観も整ってゆきます。

歴代上人の中で25世目孝上人の代になりますと宗祖(開祖)650年遠忌(おんき)を奉修するにあたり本堂・書院・庫裡の改築と小門・塀の新築をみますが昭和24年(1949)5月に谷村町大火により堂宇がことごとく灰塵と化します。

昭和53年3月、3年後には宗祖700年遠忌の報恩事業として本堂建立を発願、建設委員会を立ち上げ昭和54年起工、昭和55年9月本堂、同年12月客殿、昭和56年庫裡の完成となります。

そして昭和57年5月9日に宗祖700年の遠忌と落慶法要を奉修し更に昭和62年8月に遠忌事業総決算として山門建立に着工、昭和63年4月に完成を経て現在に至ります。

旅行の満足度
3.5
交通手段
JRローカル 私鉄 徒歩
  • 東漸寺山門

    東漸寺山門

  • 寺標<br /><br />「日蓮宗大法山東漸寺」と刻された石標が堂々と建立されています。

    寺標

    「日蓮宗大法山東漸寺」と刻された石標が堂々と建立されています。

  • 扁額<br /><br />山門の上部には彫刻が施されている中に「大法山」の扁額があります。

    扁額

    山門の上部には彫刻が施されている中に「大法山」の扁額があります。

  • 東漸寺本堂<br /><br />

    東漸寺本堂

  • 本堂扁額<br /><br />本堂にも「東漸寺」の扁額が掲載されています。

    本堂扁額

    本堂にも「東漸寺」の扁額が掲載されています。

  • 東漸寺沿革説明

    東漸寺沿革説明

  • 日蓮上人立像

    日蓮上人立像

  • 国家老高山氏一族墓石<br /><br />従来の墓所は本堂の裏手にありましたが、その後墓地整理するにあたり高山氏一族で判明された墓石10基が集約されて祀られています。

    イチオシ

    国家老高山氏一族墓石

    従来の墓所は本堂の裏手にありましたが、その後墓地整理するにあたり高山氏一族で判明された墓石10基が集約されて祀られています。

  • 高山家の墓説明板<br /><br /><br />「 史跡 高 山 家 の 墓<br />            都留市指定文化財第五四号<br /><br />高山家は谷村藩主秋元家の重臣として、その一族より代々家老職を輩出している。<br /><br />秋元氏は、寛永10年(1633)春、上州総社(現在の群馬県前橋市)より秋元泰朝が入封してから、富朝をへて?朝が宝永元年(1704)に武州川越(現在の埼玉県川越市)に転封するまで三代71年間にわたり、谷村城主として、?の開削による水田の開発、絹織物などの産業振興、谷村城下町の整備などに努めた。<br /><br />事業の推進にあたり、直接先頭にたち、指導にあたったのは国家老である。特に、高山家一族は国家老として秋元氏の都留郡における事績に大いに貢献した。<br /><br />ここ日蓮宗大法山東漸寺は、高山家一族の菩提所である。もとの墓所は本堂の裏手に設けられていたが、墓地整理にあたり高山家一族と判明している墓石10基を現在地に集め祀ったものである。<br /><br />これらの内、家老の墓としては、次の4基が確認されている。<br /><br /> (中段右より2番目)<br />高山伝右衛門繁政    天正14年6月6日生<br />            寛文6年4月2日没<br />        <br />   高山本家に生まれ、秋元長朝・泰朝・富朝に仕える。3百石から5百石に                <br />   加増される。  戒名は高紹院常伝日信居士。<br /><br /><br />  (中段右端)<br />高山文左衛門孝繁    慶長17年生<br />            寛文7年5月13日没<br /><br />   高山本家に生まれ、秋元富朝・?朝に仕える。 5百石。<br />   戒名は高収院当円居士。<br /><br />  (上段右左端)    <br />高山五兵衛長重     天正17年生<br />            正保3年7月7日没<br /><br />   高山本家より分家して五兵衛家初代となり、秋元長朝・泰朝に仕える            戒名は完現院常蓮居士。<br /><br />  (上段右端)<br />高山甚五兵衛朝繁     寛永5年8月20日生<br />             元禄14年8月19日没<br /><br />    高山文左衛門孝繁(本家)の弟として生まれ、甚五兵衛家を継ぐ。秋元<br />    ?朝に仕え3百石から5百石に加増される。<br />    戒名は高長院常悦日勇居士。<br /><br /><br />      平成8年3月12日<br />                 都 留 市 教 育 委 員 会 」    <br />

    高山家の墓説明板


    「 史跡 高 山 家 の 墓
                都留市指定文化財第五四号

    高山家は谷村藩主秋元家の重臣として、その一族より代々家老職を輩出している。

    秋元氏は、寛永10年(1633)春、上州総社(現在の群馬県前橋市)より秋元泰朝が入封してから、富朝をへて?朝が宝永元年(1704)に武州川越(現在の埼玉県川越市)に転封するまで三代71年間にわたり、谷村城主として、?の開削による水田の開発、絹織物などの産業振興、谷村城下町の整備などに努めた。

    事業の推進にあたり、直接先頭にたち、指導にあたったのは国家老である。特に、高山家一族は国家老として秋元氏の都留郡における事績に大いに貢献した。

    ここ日蓮宗大法山東漸寺は、高山家一族の菩提所である。もとの墓所は本堂の裏手に設けられていたが、墓地整理にあたり高山家一族と判明している墓石10基を現在地に集め祀ったものである。

    これらの内、家老の墓としては、次の4基が確認されている。

     (中段右より2番目)
    高山伝右衛門繁政    天正14年6月6日生
                寛文6年4月2日没
            
       高山本家に生まれ、秋元長朝・泰朝・富朝に仕える。3百石から5百石に                
       加増される。  戒名は高紹院常伝日信居士。


      (中段右端)
    高山文左衛門孝繁    慶長17年生
                寛文7年5月13日没

       高山本家に生まれ、秋元富朝・?朝に仕える。 5百石。
       戒名は高収院当円居士。

      (上段右左端)    
    高山五兵衛長重     天正17年生
                正保3年7月7日没

       高山本家より分家して五兵衛家初代となり、秋元長朝・泰朝に仕える            戒名は完現院常蓮居士。

      (上段右端)
    高山甚五兵衛朝繁     寛永5年8月20日生
                 元禄14年8月19日没

        高山文左衛門孝繁(本家)の弟として生まれ、甚五兵衛家を継ぐ。秋元
        ?朝に仕え3百石から5百石に加増される。
        戒名は高長院常悦日勇居士。


          平成8年3月12日
                     都 留 市 教 育 委 員 会 」    

  • 高山繁政墓石<br /><br />

    高山繁政墓石

  • 高山孝繁墓石<br /><br />芭蕉の門人麋塒(びし・俳号)である高山繁文の実父である高山孝繁(たかやま・たかしげ)の墓石です。

    高山孝繁墓石

    芭蕉の門人麋塒(びし・俳号)である高山繁文の実父である高山孝繁(たかやま・たかしげ)の墓石です。

  • 高山長重墓石<br /><br />高山本家から分かれた庶流として藩主秋元氏に仕えます。

    高山長重墓石

    高山本家から分かれた庶流として藩主秋元氏に仕えます。

  • 高山朝繁墓石<br /><br />高山本家から分かれて歴代藩主に仕えます。

    高山朝繁墓石

    高山本家から分かれて歴代藩主に仕えます。

  • 客殿

    客殿

  • 境内風景

    境内風景

  • 東漸寺入口風景<br /><br />左側の山麓に沿った直線道路に谷村の社寺仏閣が並んでいます。

    東漸寺入口風景

    左側の山麓に沿った直線道路に谷村の社寺仏閣が並んでいます。

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