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富士急行線谷村町駅から山岳麓に沿って北進すると幾つかの社寺仏閣が並びその一隅にある円通院(えんづういん、山梨県都留市中央)という曹洞宗の寺院があります。<br /><br />正式には「大慈山円通院」と称し、寛永10年(1633)上野国総社領主の秋元泰朝(あきもと・やすとも、1580~1642)が1万8千石を以て谷村城主として入部し城下町造りを手掛けた折り、応仁元年(1467)に開創された竹ノ鼻(現在の都留市駅周辺)にあった円通庵を現在地に移したものです。<br /><br />境内には秋元氏治世の治水灌漑事業によって造られた五つの石橋の一つが保存されている他、秋元氏家老の高山朝繁(たかやま・ともしげ、1528~1701)が円通院に帰依し信仰厚かった母親の供養のため、33回忌にあたる自亨3年(1686)に寄進した梵鐘、更に秋元氏家臣の墓があります。<br /><br />尚、家老高山朝繁は寛永5年(1528)、伝右衛門繁政の三男として上野国惣社に生まれ、秋元富朝に仕えて300石を賜ります。寛文7年(1667)に家老となり食禄550石を賜り、元禄12年(1699)家督を嫡子宣繁に譲り、隠居ののち元禄14年(1701)当地谷村にて74歳で没し東禅寺に葬られています。<br /><br /><br />2023年9月13日追記<br /><br />境内の一角には「円通院の梵鐘」と題する説明板があり下記のごとく記載されています。<br /><br />『 都留市指定文化財第62号 <br /><br />         円 通 院 の 梵 鐘<br /><br />円通院の梵鐘は、谷村藩主秋元家の家老高山甚五兵衛朝繁によって、母親の供養のために寄進されたものである。<br /><br />縁起によると、朝繁の母親は医師による針療の甲斐もなく、承応2年(1653)3月28日に63歳で亡くなり、その33年後の貞享3年(1686)9月に、この梵鐘を鋳造して寄進とある。<br /><br />この鐘を鋳造した鋳造師は椎名伊予藤原自寛と椎名兵庫藤原重長とあり、両者は日光東照宮奥の院にある奥宮御宝塔の鋳造もおこなった有名な鋳物師である。<br /><br />梵鐘は永平寺35世住職となった寛全堂国棒和尚の銘文がある貴重な梵鐘である。<br /><br />  HEISE11年3月27日<br />              都留市教育委員会 』<br />

甲斐都留 江戸期における秋元家谷村藩家老高山朝繁亡母の33回忌供養の際に寄進した梵鐘で知られる『円通院』散歩

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2014/06/30 - 2014/06/30

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滝山氏照

滝山氏照さん

富士急行線谷村町駅から山岳麓に沿って北進すると幾つかの社寺仏閣が並びその一隅にある円通院(えんづういん、山梨県都留市中央)という曹洞宗の寺院があります。

正式には「大慈山円通院」と称し、寛永10年(1633)上野国総社領主の秋元泰朝(あきもと・やすとも、1580~1642)が1万8千石を以て谷村城主として入部し城下町造りを手掛けた折り、応仁元年(1467)に開創された竹ノ鼻(現在の都留市駅周辺)にあった円通庵を現在地に移したものです。

境内には秋元氏治世の治水灌漑事業によって造られた五つの石橋の一つが保存されている他、秋元氏家老の高山朝繁(たかやま・ともしげ、1528~1701)が円通院に帰依し信仰厚かった母親の供養のため、33回忌にあたる自亨3年(1686)に寄進した梵鐘、更に秋元氏家臣の墓があります。

尚、家老高山朝繁は寛永5年(1528)、伝右衛門繁政の三男として上野国惣社に生まれ、秋元富朝に仕えて300石を賜ります。寛文7年(1667)に家老となり食禄550石を賜り、元禄12年(1699)家督を嫡子宣繁に譲り、隠居ののち元禄14年(1701)当地谷村にて74歳で没し東禅寺に葬られています。


2023年9月13日追記

境内の一角には「円通院の梵鐘」と題する説明板があり下記のごとく記載されています。

『 都留市指定文化財第62号 

         円 通 院 の 梵 鐘

円通院の梵鐘は、谷村藩主秋元家の家老高山甚五兵衛朝繁によって、母親の供養のために寄進されたものである。

縁起によると、朝繁の母親は医師による針療の甲斐もなく、承応2年(1653)3月28日に63歳で亡くなり、その33年後の貞享3年(1686)9月に、この梵鐘を鋳造して寄進とある。

この鐘を鋳造した鋳造師は椎名伊予藤原自寛と椎名兵庫藤原重長とあり、両者は日光東照宮奥の院にある奥宮御宝塔の鋳造もおこなった有名な鋳物師である。

梵鐘は永平寺35世住職となった寛全堂国棒和尚の銘文がある貴重な梵鐘である。

  HEISE11年3月27日
              都留市教育委員会 』

旅行の満足度
3.0
交通手段
JRローカル 私鉄 徒歩
  • 総門<br /><br />通りに面した総門から受ける寺社から古刹というべき風情を感じます。

    総門

    通りに面した総門から受ける寺社から古刹というべき風情を感じます。

  • 山門と報恩塔

    山門と報恩塔

  • 山門<br /><br />二階建て山門は覚雄殿といわれ寛延元年(1748)に造営されています。そして二階部には本尊千手観音像が祀ってあります。また一階部左右に二天があり右に持国天(じこくてん)、左には多聞天(たもんてん)で江戸時代初期の製作と言われています。<br /><br />

    イチオシ

    山門

    二階建て山門は覚雄殿といわれ寛延元年(1748)に造営されています。そして二階部には本尊千手観音像が祀ってあります。また一階部左右に二天があり右に持国天(じこくてん)、左には多聞天(たもんてん)で江戸時代初期の製作と言われています。

  • 山門と天王像説明

    山門と天王像説明

  • 本堂全景

    本堂全景

  • 扁額<br /><br />本堂には「大慈山円通院」の扁額が掲載されています。

    扁額

    本堂には「大慈山円通院」の扁額が掲載されています。

  • 円通院・境内

    円通院・境内

  • 御殿

    御殿

  • 報恩塔<br /><br />設計者は第16代住職の教道和尚で昭和43年(1968)に着工、内部には厨子を設けて16羅漢を奉安しています。建立には古材を使用、建具も余材を持ちいるなどリサイクル的な建築物です。

    報恩塔

    設計者は第16代住職の教道和尚で昭和43年(1968)に着工、内部には厨子を設けて16羅漢を奉安しています。建立には古材を使用、建具も余材を持ちいるなどリサイクル的な建築物です。

  • 報恩塔説明

    報恩塔説明

  • 鐘楼と梵鐘<br /><br />鐘楼は宝暦元年(1751)再建されますが梵鐘については谷村藩主家老高山朝繁が母の供養のため33回忌にあたる貞享3年(1686)に寄進したものです。

    イチオシ

    鐘楼と梵鐘

    鐘楼は宝暦元年(1751)再建されますが梵鐘については谷村藩主家老高山朝繁が母の供養のため33回忌にあたる貞享3年(1686)に寄進したものです。

  • 梵鐘説明板

    梵鐘説明板

  • 高山家菩提所

    高山家菩提所

  • 菩提所石標

    菩提所石標

  • 谷村藩秋元氏家臣墓

    谷村藩秋元氏家臣墓

  • 谷村藩秋元氏家臣墓

    谷村藩秋元氏家臣墓

  • 秋元氏家臣墓石誌

    秋元氏家臣墓石誌

  • 秋元家家臣墓

    秋元家家臣墓

  • 元坂の石橋

    元坂の石橋

  • 元坂の石橋説明

    元坂の石橋説明

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