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俳聖として有名な松尾芭蕉(まつお・ばしょう、1644~1694)が天和2年(1683)年12月の江戸大火で隅田川東岸の深川にあった庵の全焼を受け、それではと言って門人の麋塒(びじ)の招きで谷村を訪れ芭蕉滞在期間最長となる翌年5月まで逗留となります。<br /><br />門人の麋塒は俳号で、当都留郡を治める谷村藩秋元家の国家老である高山繁文(たかやま・しげふみ、1649~1718)のことで、繁文が江戸出府の折り芭蕉の門人となっています。<br /><br />高山家は代々秋元家の家老職を勤める家柄で父高山孝繁(たかやま・たかしげ)の二男として生まれ、幼少の頃から江戸で老中となる秋元喬朝(あきもと・たかとも1649~1714)に仕えており、万治3年(1660)に長兄が没すると5百石の家督を継承、24歳で家老に就きその後12百石の国家老に就任します。<br /><br />宝永元年(1704)藩主喬朝は川越藩に転封、当時は富士山大噴火や赤穂浪士討入りなど騒然とした状況の中、殖産政策を推進する喬朝の命を受けて甲斐国の職人を引き連れ養蚕の導入と絹織物の技術指導を行い、川越藩の地場産業が生まれその商品が江戸に運ばれ藩の重要な商品となります。<br /><br />正徳4年(1714)藩主喬朝が死去、繁文は剃髪し「玄世」と法号を称し余生を送り5年後の享保3年(1718)70年の生涯を閉じます。<br /><br />

甲斐都留 天和の江戸大火により門人で谷村藩秋元家の国家老高山繁文の招聘により谷村に滞在した『松尾芭蕉寓居』の地を散歩

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2014/06/30 - 2014/06/30

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滝山氏照

滝山氏照さん

俳聖として有名な松尾芭蕉(まつお・ばしょう、1644~1694)が天和2年(1683)年12月の江戸大火で隅田川東岸の深川にあった庵の全焼を受け、それではと言って門人の麋塒(びじ)の招きで谷村を訪れ芭蕉滞在期間最長となる翌年5月まで逗留となります。

門人の麋塒は俳号で、当都留郡を治める谷村藩秋元家の国家老である高山繁文(たかやま・しげふみ、1649~1718)のことで、繁文が江戸出府の折り芭蕉の門人となっています。

高山家は代々秋元家の家老職を勤める家柄で父高山孝繁(たかやま・たかしげ)の二男として生まれ、幼少の頃から江戸で老中となる秋元喬朝(あきもと・たかとも1649~1714)に仕えており、万治3年(1660)に長兄が没すると5百石の家督を継承、24歳で家老に就きその後12百石の国家老に就任します。

宝永元年(1704)藩主喬朝は川越藩に転封、当時は富士山大噴火や赤穂浪士討入りなど騒然とした状況の中、殖産政策を推進する喬朝の命を受けて甲斐国の職人を引き連れ養蚕の導入と絹織物の技術指導を行い、川越藩の地場産業が生まれその商品が江戸に運ばれ藩の重要な商品となります。

正徳4年(1714)藩主喬朝が死去、繁文は剃髪し「玄世」と法号を称し余生を送り5年後の享保3年(1718)70年の生涯を閉じます。

旅行の満足度
3.0
交通手段
JRローカル 私鉄 徒歩
  • 「谷の町史の町」案内地図<br /><br />JR大月駅から富士急行線に乗り換え谷村町駅下車、駅前広場には歴史遺跡地図が描かれています。正面の白木山山麓に沿って南北に寺社仏閣が建ち並んでいます。

    「谷の町史の町」案内地図

    JR大月駅から富士急行線に乗り換え谷村町駅下車、駅前広場には歴史遺跡地図が描かれています。正面の白木山山麓に沿って南北に寺社仏閣が建ち並んでいます。

  • 芭蕉句碑<br /><br />谷村町駅を山麓に向かって歩くとすぐ左側の城南公園の一隅に芭蕉句碑と説明板が建立されています。

    芭蕉句碑

    谷村町駅を山麓に向かって歩くとすぐ左側の城南公園の一隅に芭蕉句碑と説明板が建立されています。

  • 句碑説明<br /><br />「行く駒の 麦に慰む やどりかな」<br /><br />貞享2年(1685)、いわゆる「野ざらし紀行」と呼ばれる旅の帰途に立ち寄り、江戸の大火で焼け出された芭蕉が天和3年(1683)、当地で世話になった門人の麋塒(びじ)に礼を述べるための来狭と言われており、この俳句はその折に作られたものだそうです。

    句碑説明

    「行く駒の 麦に慰む やどりかな」

    貞享2年(1685)、いわゆる「野ざらし紀行」と呼ばれる旅の帰途に立ち寄り、江戸の大火で焼け出された芭蕉が天和3年(1683)、当地で世話になった門人の麋塒(びじ)に礼を述べるための来狭と言われており、この俳句はその折に作られたものだそうです。

  • 芭蕉翁寓居「桃林軒」石標<br /><br />芭蕉が高山家敷地の離れに約5か月滞在した際の居住(桃林軒)の入口が見えます。

    芭蕉翁寓居「桃林軒」石標

    芭蕉が高山家敷地の離れに約5か月滞在した際の居住(桃林軒)の入口が見えます。

  • 桃林軒石標近景

    桃林軒石標近景

  • 桃林軒石碑<br /><br />説明では天和2年(1682)12月28日の江戸大火で芭蕉庵が焼失、門人の麋塒の招きで翌年の天和3年5月まで滞在していました。

    桃林軒石碑

    説明では天和2年(1682)12月28日の江戸大火で芭蕉庵が焼失、門人の麋塒の招きで翌年の天和3年5月まで滞在していました。

  • 再建された桃林軒<br /><br />平成11年都留市民有志による再建委員会が発足し平成16年に竣工します。

    イチオシ

    再建された桃林軒

    平成11年都留市民有志による再建委員会が発足し平成16年に竣工します。

  • 芭蕉及び麋塒句碑<br /><br />桃林軒庭の石碑には「夏馬の遅行我を絵に看る心哉」(芭蕉)と「変手ぬるく滝凋む滝」(麋塒)が刻されています。

    芭蕉及び麋塒句碑

    桃林軒庭の石碑には「夏馬の遅行我を絵に看る心哉」(芭蕉)と「変手ぬるく滝凋む滝」(麋塒)が刻されています。

  • 桃林軒庭

    桃林軒庭

  • 桃林軒庭風景

    桃林軒庭風景

  • ぴゅあ富士に建つ芭蕉句碑<br /><br />当地はかつて芭蕉を招いた門弟麋塒の屋敷跡であったとされます。

    イチオシ

    ぴゅあ富士に建つ芭蕉句碑

    当地はかつて芭蕉を招いた門弟麋塒の屋敷跡であったとされます。

  • 句碑説明<br /><br />「山賊の おとがい閉ずる むぐらかな」(芭蕉)

    句碑説明

    「山賊の おとがい閉ずる むぐらかな」(芭蕉)

  • 円通院に建つ芭蕉句碑<br /><br />「旅人と 我が名よばれん はつ時雨」(芭蕉)

    円通院に建つ芭蕉句碑

    「旅人と 我が名よばれん はつ時雨」(芭蕉)

  • 東斬寺に建つ芭蕉句碑<br /><br />「松風の 落ち葉か水の 音涼し」(芭蕉)及び「人は寝て 心ぞ夜を 秋の昏」(麋塒)

    東斬寺に建つ芭蕉句碑

    「松風の 落ち葉か水の 音涼し」(芭蕉)及び「人は寝て 心ぞ夜を 秋の昏」(麋塒)

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