2014/06/08 - 2014/06/08
158位(同エリア556件中)
たびたびさん
- たびたびさんTOP
- 旅行記736冊
- クチコミ35280件
- Q&A回答420件
- 5,365,069アクセス
- フォロワー666人
新潟は、温泉なんかがそうなんですが、たくさんあるけど、どれがメジャーかといわれると、越後湯沢か月岡か。と言ってもあまり釈然としない。小さな温泉地があちこちに分散してあって、ちょっと掴みどころがない。観光スポットも似たところがあって、新潟市内、長岡、弥彦に燕・三条、佐渡、村上や新発田、十日町に上越など、これらも分散していて掴みどころがないような感じですよね。
そういう意味では、自分で確かめてみるしかないんでしょうが、残っていた気になる有名スポットがこの出雲崎。佐渡とのアクセスの地であり、芭蕉に良寛とくれば、やっぱり、新潟では外せない観光スポット。今回、それを十分に確かめることができたのですが、そこに石油で栄えた歴史もあって、期待以上の収穫があった旅となりました。
さて、妻入りの街並みは、佐渡金銀の陸揚港であり、北国街道の宿場町であり、北前船の発着の港でもあった出雲崎の往時の繁栄を偲ぶ街並み。海岸線の国道から一本山側を続く通りは約4キロ。要所要所に、観光スポットが点在していて、説明板も丁寧に設置されています。獄門跡から海遊公園までを歩きましたが、あれこれ見ていたら、結局、半日もかかってしまいました。
PR
-
出雲崎の駅から妻入りの街並みに到着。出雲崎の妻入りの街並みは、出雲崎からバスで15分くらい。歩ける距離ではなくて、予想外に不便な場所です。
-
バス停から南に向かってある行き始めます。ところどころにこんな看板があって、歴史を大事にしている感じが伝わってきます。
-
出雲崎は、芭蕉が奥の細道で訪れ、ここで一泊して、有名な「荒海や佐渡によこたふ天河」の句を詠みました。芭蕉園は、出雲崎妻入りの街並のなかほどで、その芭蕉を記念して整備された公園です。
-
園内には、芭蕉の像と芭蕉の真筆「銀河序」の全文が刻まれている碑があります。
-
その向かいにあるのが大崎屋跡。大崎屋は芭蕉が奥の細道で出雲崎を訪れた際、宿泊した宿。一泊しかしていませんが、「荒海や」の句を残しました。曾良の日記ではその日は大雨だったようですが、芭蕉の感覚は研ぎ澄まされていたのだと思います。
-
街並みは、さらに
-
だらだらと続く感じ。
-
それでも、
-
要所要所には、
-
この地にまつわる逸話や
-
物語を紹介する看板が整備されています。
-
こちらの光照寺は、出雲崎の妻入りの街並の中ほど。良寛がここで剃髪をしたというお寺です。
-
良寛は、名主の家に生まれたのですが、自分には合わないと、18歳の時、家督を弟に譲り、この寺で仏道に入ります。
-
4年間修業をした後に、国仙和尚に伴われて、岡山の円通寺へ移り、さらに本格的な修業を行うことになります。
-
ここから、さらに南の獄門跡を目指します。
-
ここから先も、例の説明板。
-
ちょこちょこ読んで歩くと、
-
当時の雰囲気が想像できるような気がしました。
-
宿は、北国街道にあったんですね。
-
さて、獄門跡は、出雲崎の妻入りの街並みの端っこ。
-
案内板には「おそらくは幾千もの斬首がなされたであろう。特に重罪人の生首は浜辺の方にさらされたと伝えられる。供養塔は天明年間の建立であり、数体の地蔵尊と老榎は当時をしのばせるものであろう。地元では毎年九月一日供養祭を行っている。」とあります。
-
通りのすぐ脇ですし、じめじめした雰囲気はありませんが、悲惨な歴史も秘めている場所だとは思います。
-
獄門跡から引き返して、これは石油を掘っていた櫓跡。
-
こんな街中にあったんですね。
-
石油の歴史に関する施設があるようなので、そちらに向かいます。
-
まずは、石油産業発祥地記念公園。道の駅、越後出雲崎天領の里の並びです。
付近では、古くから石油が湧出することが知られていましたが、幕末になって石油ランプがもたらされると、石油の需要が拡大します。ただ、当初は陸上で手掘りを行っており、これを尼瀬の地で初めて海岸を埋め立てて機械掘りとしたのが、県会議員を務めていた内藤久寛。公園は、これを記念したものです。 -
石油産業発祥地記念公園の先が日本海夕日公園。日本海に突き出た夕凪の橋に行くのは、ここを通って行くことになるのですが、平たい広場のような感じなので、あまり独立した公園であることは意識しないように思います。
-
で、これが夕凪(ゆうなぎ)の橋。日本海に延びる、長さ102mの木製の橋です。
-
橋の欄干に鎖を結び鍵をかけると恋が成就するという噂が広まったようで、欄干にはおびただしい数の鎖と鍵。一方で、正面には佐渡が見えて、有名な出雲崎の夕日も望める絶好のロケーション。アンマッチな組み合わせには、正直ちょっと違和感を覚えました。
-
イチオシ
なお、この辺りの公園としては良寛記念館から少し上がった高台にある「良寛と夕日の丘公園」があまりにも有名ですが、この日本海夕日公園から見る佐渡も同じように美しい。そこまでの差はないように思います。
-
日本海は波が荒いし、こうした堤防が作られているんですが、橋はこれを越えて延びています。
-
天領出雲崎時代館は、道の駅越後出雲崎天領の里内にあります。
-
イチオシ
出雲崎は、幕府の佐渡金山の荷揚げ港だったこともあり、
-
佐渡と同様、幕府の直轄地。佐渡への航行に使われた御奉行船の大型模型もあれば、
-
北前船の交易についても、
-
詳しく解説。
-
これは金山の坑内の様子を描いた屏風。過酷な労働条件であったことは、他に例を見ないものだったと言われます。
-
一方で、当時の街の賑わいを再現した一角もあって、とても楽しい。
-
佐渡の存在もあって、活気があったことが
-
実感されます。
-
続いて、出雲崎石油記念館へ。天領出雲崎時代館と一体になった博物館です。
-
出雲崎は、日本において石油掘削の機械方式を最初に用いて成功した地。
-
かつては、単に物珍しいだけだった燃える水が、明治になって石油ランプを入れたことで、その需要が飛躍的に高まります。展示ではそうした歴史や掘削の技術の紹介をしています。
-
これが、道の駅 越後出雲崎天領の里の全景です。出雲崎の妻入りの街並みから海岸に出たところなんですが、建物が大きいので、遠くからでもよく見えます。
-
良寛逸話出雲崎油絵館は、道の駅「天領の里」のすぐ近くの国道沿い。館長の曽根英一さんが、定年退職を機に故郷の出雲崎に帰ってきて、この美術館を建てたのだそうです。
良寛さんは、キャラクターなんでしょうが、元々、絵のモチーフとなることが多い人。館長が描かれた良寛の逸話の油絵もそうした流れの中にあるのだと思います。 -
再び、妻入りの街並みに戻って、さっき閉まっていた旧新津邸です。この邸宅は、出雲崎出身の実業家である新津恒吉が所有していた邸宅。ちなみに、新津恒吉は、石油元売会社「昭和シェル石油」の前身の1つである新津石油の創業者です。
-
邸内は、規模はそうでもないのですが、縁側に続いた庭との一体感が特徴。
-
開放感があって、邸宅全体が茶室みたいな雰囲気でした。主人は風流人だったのかもしれません。
-
さらに戻って。
-
津山邸。普段は公開していないのですが、良寛のイベントに合わせて、公開していました。
-
棟方志功の屏風絵などもありましたが、志功は、この津山邸が気に入って、度々遊びにきていたのだとか。
-
宿屋をしていたわけでもないのですが、
-
いろんなつながりの中で縁が出来たということです。
-
イチオシ
出雲崎の旧家ということもあって、良寛に因んだ作品もあるし、
-
その一つ一つが
-
イチオシ
見応えがあって、美しいです。
-
イチオシ
岩崎巴人や
-
いろんな人が題材にした
-
良寛ですが、
-
イチオシ
これがこしの千涯。ここで、見るとは思いませんでしたが、するどい線の使い方が印象に残ります。ゆったりした中にも鋭さがチラチラ残っていて、独特の風合いです。新潟では垂涎の作品の一つでしょう。
-
北国街道 妻入り会館は、かつての町家を保存したもの。
-
外から見ると何でもないような建物なのに、奥に長い内部は思いのほかゆったりしていて、がっしりした構造です。
-
良寛関係の
-
木像や書なども展示されていて、ボランティアの方が簡単な説明をしてくれました。
-
座敷に上がれば、休憩場所としてもいいかと思います。
-
さて、妻入りの街並みの北側の方に向かいましょう。
-
こちらにもいろんな説明板が
-
あちこちあります。
-
そして、これがハイライトの一つ良寛堂です。
-
イチオシ
良寛の生家は、出雲崎の名主橘屋山本家。その橘屋の屋敷跡に建っています。
-
画家、安田靫彦の設計で大正11年に建てられたもので、佐渡を背景に日本海上に浮かぶ浮御堂をイメージしたというのですが、確かに、バックに佐渡が見通せてなに気に美しい。心に残る景色だと思います。
-
中に収めてあるのは良寛の持仏だった石地蔵です。
-
ところで、出雲崎には、2013国際ご当地グルメグランプリin かしわざきで、グランプリを取ったB級グルメ、サザエの炊込みご飯という名物があります。妻入りの街並みで、それを出しているのがこの「民宿食堂まるこ」さん。しかし、この日は、天領の里の方に全部持って行ってしまったので、ここにはないとの返事。天領の里もそれなりに近いのですが、バスの時間もあって、ちょっと無理。開店前に訪ねたのに、残念でした。
-
多聞寺は、出雲崎の妻入りの街並から坂道を上りはじめたところ。
上杉謙信以来上杉家の本陣が置かれた寺ということ。出雲崎から佐渡征伐のため、何度か渡航しているのだそうです。また、景勝公が欲しいものがあればこれに書くよう授けたという「白願書」が町指定文化財となっています。 -
さらに坂道を上って、良寛記念館を目指します。
-
そして、良寛と夕日の丘公園は、良寛記念館からさらに少し登った山の上。 上越新幹線の開通を記念して、新潟県景勝100選が選定された際、ここから見る日本海と佐渡が第一位に選ばれました。
-
眼下に出雲崎の妻入りの街並み。
-
イチオシ
その向こうには、日本海に横たわる佐渡が見えて、雄大で、かつ、美しい。確かに、一見の価値はある眺めでしょう。
-
芭蕉の像はこちらにもあります。
-
ここから少し降りると記念館。
-
門を入って、
-
雰囲気のある小道の奥です。
-
展示は、良寛の書や良寛をモチーフにした絵画など、豊富。
-
良寛に対する思いが詰まった内容ですが、それだけの存在である良寛とはどのような人なのか。
-
記念館の担当者が、和やかな印象とは別に仏教をひたすら極めた時代もあったようで、良寛の生い立ちとかの質問にそれなりに答えてくれたりして、少し理解が深まったような気がしました。
-
まだ帰りのバスの時間まで余裕があったので、再び妻入りの街並みへ。
-
これは、いずもざき海遊広場。
-
道の駅、越後出雲崎天領の里と同じ並びですが、こちらは、駐車場からすぐが広場なので、車を止めて一息するだけなら、こっちの方が楽でしょう。
-
フィッシングブリッジが沖に設置してあって、こちらも、渡って周囲の海と佐渡を正面に眺めることができます。
-
おけさ源流の地碑は、いずもざき海遊広場の向かい。
おけさは出雲崎おけさの起源であり、後の佐渡おけさはじめ、各地の「おけさ」の起源となったことを記念する碑。 -
その起源とされるのは、出雲崎にたどりつき、尼僧となった奥州丸山の領主、佐藤庄司元治の未亡人「音羽の前」。愛児の継信、忠信が義経に従い、源平合戦で立派な最後をとげたとの報を聞き、尼僧達と袈裟法衣のままで唄い踊ったと言われます。
-
石井鮮魚店は、元祖浜焼きと書いた看板があって、これは気になります。
-
覗くと、串に刺したさば、かれい、イカの焼いたのが見事な色艶で並んでいました。これはうまそうです。
-
イチオシ
イカを買いまして、これが、イカの旨味をしっかり閉じ込めたようなすばらしい味わい。けっこう大きなイカですが、かぶりついて一気に一匹食べてしまいました。ワイルドなおいしさがたまりませんでした。
-
出雲崎は、佐渡金山の荷揚げの港だったこともあって、江戸時代に入ると、佐渡と一緒に幕府の直轄領となります。よって、代官が置かれ、代官所跡も残っていました。御奉行船も持っていた権力者だったはずですが、跡は建物の片隅に石と砂で整備された簡素なものです。
-
浜かつは、名前の通り、カツのお店だと思いますが、昨日食べたばかりだったので、新メニューの岩のりラーメンというのをいただきました。
-
真っ黒な岩のりが山のようにかかっていました。ただ、魚介スープでちじれ麺のラーメンの基本的なおいしさがあれっという感じ。トンカツ屋さんのはずなのに、いい味出してます。一方で、岩のりについては、岩のりは味はないので、これを入れると積極的にうまくなるということではないような気がします。
-
出雲崎の妙福寺には、俳諧伝灯塚という句碑があります。
-
出雲崎は、芭蕉が奥の細道で「荒海や佐渡に横たふ天の川」の名句を詠んだ場所。
-
その後、芭蕉門下2世東華坊、3世盧元坊もこの地を訪ね、3代にわたる俳人が当地で句を詠むことになりました。芭蕉の句の他、刻まれている句は以下のとおりです。
五月雨の夕日や見せて出雲崎 東華坊
雲に波の花やさそうて出雲崎 盧元坊 -
出雲崎の駅まで帰って。
列車の待ち合わせの時間がけっこうあったので、バスから見えた駅の近くのこのお店を訪ねてみました。お菓子屋さんは、大阪屋も並びにあるのですが、大阪屋さんはチェーン店なので、地元の和菓子屋さんならこちらかなあとか思いつつ、中に入ると、「小木之城の雪」というお菓子。 -
銀色の包みに入っていて、たぶん、これが看板商品ですね。注文すると奥から持ってきてくれましたが、現物の方は冷蔵してあったんですね。洋風のサクッとしたケーキ系の味わい。香りもあるし、丁寧な作りで、ちょっと感心しました。お勧めです。
-
さて、出雲崎から柏崎に移動。
柏崎観光案内所は、柏崎駅の改札を出たところ。木村茶道美術館への行き方を教えてもらいました。ちなみに、その道は線路を越えて反対側に出るのに地下道を行く道。なので、地図を見てもなかなかよく分からなかったんです。お世話になりました。 -
杜の家は、柏崎の駅から木村茶道美術館に向かう途中。線路をくぐって出てきた場所にあった和菓子屋さん。こんなところに?といった感じの場所です。
-
いただいたのは、一押しという半熟チーズケーキ。冷蔵していた冷たいケーキは、チーズのうまみが濃厚。いい味出してます。
-
松雲山荘は、大正15年に柏崎市内の庭師2代の手によって造園されたという名園で、木村茶道美術館と一体になっています。
-
山の傾斜をうまく利用して、何段かに分かれた平地を遊歩道が巡るのですが、周囲を赤松林が囲み、中心部には、低木のもみじ、つつじが配される。山なのに、部分的には平地のような。不思議な感覚です。
-
イチオシ
で、ここからが木村茶道美術館ですね。
-
木村茶道美術館は、早稲田大学を卒業し、アメリカ留学を経て、県立旧制長岡中学校の英語教諭となり教育者として活躍。その後、北条村村長にも就任したという木村重義のコレクションを展示する美術館です。
そういう意味では、大名家のコレクションのような贅を尽くした破格の内容ではありませんが、翁自らの審美眼に適う品。茶碗に茶入れやなつめなど、品の良さを感じさせる品々と拝察しました。なお、この美術館の特徴は、展示コレクションでお点前をいただけるということ。見るだけではなく、使ってその良さを感じてもらうコンセプトだということです。 -
庭の方も、もう少し
-
散策して、
-
これが出口です。
-
赤坂山公園は、松雲山荘のとなり。小さな渓谷というか、けっこうな渓谷を利用した公園で、それなりの規模があります。
-
渓谷に沿って登る道はちょっとしたハイキングコースのような感じ。頂上には、柏崎市立博物館があって、それを目指します。
-
柏崎市立博物館は、柏崎の歴史を確認しようと思って訪ねたのですが、結果としてはイマイチのような。
-
自然史や風習などの文化が中心で、
-
江戸時代の藩がどうだったのかとか、よく分かりませんでした。
-
柏崎は商人の町だそうですが、天領だったり、幕末は桑名藩の飛び地領だったりしたことで、
-
一般によくある何藩とか、その辺りの意識が薄いのかもしれません。
-
再び、市街に帰ってきて、ちょっとスイーツをチェックします。
美野屋は、柏崎の駅前商店街にある立派な店構えの和菓子屋さん。元祖明治饅頭という看板が目立っています。 -
明治饅頭が看板商品なんですが、明治饅頭というのは他の店にもあって、ここの店だけということではないようです。白と緑の二種類があって、緑の方をいただきました。抹茶かと思ったら、ずんだですね。皮と餡の両方が緑色。ただ、膨らまし粉の饅頭。日を置くとパサパサになるタイプです。昔ながらの饅頭ということでしょう。
-
最上屋は、柏崎市内中心部にある明治4年創業という老舗の和菓子屋さん。明治饅頭があったのですが、さっき美野屋でもありましたよね。明治まんじゅうは柏崎の名物なんだそうです。
-
もう一つの藤月堂まんじゅうは、この店のオリジナル。初代が開いた際の店名は、藤月堂だったんだそうです。まんじゅうは、全体に黒砂糖の香りがいいし、しっとりした食感も上々。すばらしい出来栄えの饅頭で感服しました。
なお、最上屋は、初代の出身地である山形県にちなむものです。 -
次に向かったのは、柏崎ふるさと人物館。
-
柏崎の生んだ偉人110名を紹介する博物館。産業・経済の礎を築いた人々、社会の発展に尽くした人々、芸術・教育・スポーツに生きた人々、芸術・文化に生きた人々と様々な分野に渡っていまして、かなりの充実度です。社会の発展に尽くした人々の中には田中角栄もいて、これにはちょっとびっくりです。
-
いずれにしても、人物を通じて、柏崎の石油産業や戊辰戦争の経過が詳しく語られているので分かりやすい。柏崎を理解するには柏崎市立博物館より、こっちの方がずっといいように思いました。ここで、私のフラストレーションもかなり和らぎました。
-
こちらの釈迦堂跡は、柏崎の中心市街地の一角。ちょっとした平地に石仏などが置かれて、それと分かる場所となっています。
ちなみに、釈迦堂は、良寛と親交の深かった貞心尼が住んでいた寺。二人の交わした歌は、「蓮(はちす)の露(つゆ)」に残されており、熱い思いが素直に大らかに表現されています。
はじめてあひ見奉りて 貞心尼
君にかくあひ見ることのうれしさもまださめやらぬ夢かとぞ思ふ
御かへし 良寛 -
そして、最後に金砂山円光寺閻魔堂。こちらは、通称「えんま市のお堂」で、ここが柏崎の名物「えんま市」(6月14日〜16日)の起源となった場所。明和年間(1764〜1771)の頃と言われています。
現在の建物は、明治29年に建てられたもの。うそをつくと舌を抜かれると言いますが、巨大なやっとこが置かれていて、ついつい目が行ってしまいました。 -
さて、帰りの列車の時間が気になりますが、なんとか晩飯を食っておきたい。
ということで駆け込んだのは、ぷんと ぷんて。クレープとガレットのお店です。 -
ちなみに、いただいたガレットというのは、クレープと違って、片面だけを焼いて、ハムや魚介類、チーズやサラダなどを盛ったもの。ブルターニュ地方の貧しい家庭料理だったようです。ここでは、新潟ガレットと銘打って、新潟産のそば粉で作るのがウリ。大ざっぱに言えば、洋風のお好み焼きのようなものでしょう。
ということで、何んとか予定通り、この日も終了。これで、長岡経由東京まで帰ります。お疲れ様でした。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
この旅行で行ったホテル
-
御宿 まるこ
2.96
この旅行で行ったスポット
もっと見る
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
130