2014/05/09 - 2014/05/09
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belleduneさん
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元町公園の山手234番館を出て、山手聖公会を通り、外人墓地を左手に見ながら、右に山手資料館があります。そのまま真っすぐ進むと、横浜地方気象台があります。
前身の「神奈川県測候所」は、海岸通りにありましたが、大正12年(1923)の関東大震災で倒壊しました。その後昭和2年(1927)に旧アメリカ海軍病院跡の現在地に再建されました。昭和14年(1939)に気象官署が国へ移管されて、「横浜測候所」と改称され、昭和32年(1957)に現在の名称になりました。国内で3番目に古い施設となります。既存庁舎は、ブラフ積みの石積み擁壁になっています。鉄筋コンクリート3階建て、地下1階。
- 旅行の満足度
- 4.5
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山手聖公会は、プロテスタント.日本聖公会横浜教区に属する教会で、大谷石を使ったノルマン洋式の聖堂があります。
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1863年に関内居留地105番地に設立されましたが、関東大震災で崩壊しました。その後1931年、現在の地に礼拝堂がJ.H.Morgan の設計で竣工しました。戦災で内部が焼失しましたが、1947年に聖堂が再建されました。
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2005年1月に放火のため、内部を再び全焼しましたが、同年11月に修復されました。
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山手資料館は、外人墓地の向かいにあります。
昔、この辺りは山林と田畑のある丘陵でしたが、慶応3年(1867)に山手居留地に指定されて以来、急激な変貌を遂げました。
この建物は、明治42年に建てられた木像2階建ての西洋館で、横浜市戸部町の大工のてによるものだそうです。内部には色々なものが展示してありますが、残念ながら撮影禁止でした。 -
玄関脇のガス灯も当時のものを復原してあります。
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山手10番館は、カフェ・レストランになっています。
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横浜地方気象台に到着です。
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建物の東側は半地下式になっていて、湿気を取るためのドライエリアだったと考えられています。現在の地表から2,1m下に、幅1,4m程の漆喰を塗り固めた床でしたが、その北寄りに、煉瓦積みの井戸が掘られていました。当時の壁は、イギリス積み方式の煉瓦積みで基礎部分を含めると1,8m程の高さまで残っていました。漆喰床の周囲には、凝灰岩の切石がブラフ積みで積み上げられていたと考えられています。
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煉瓦造りの井戸は、増築工事の際に敷地内で発見されたそうです。地上部分のコンクリート製上蓋を開けたところ、井戸本体が煉瓦造りで、深さが25mだと分かりました。恐らく関東大震災以前からここにあった井戸が震災後も利用されていたと考えられています。増築工事で井戸自体は増築部分のスラブ下になり、スラブと干渉する上部約2mを切断し、敷地内にこのような形で展示することになったそうです。
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正面玄関の両脇には受付用の小窓とポストが同形で付いています。
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玄関ポーチ周りの装飾
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なかなか凝ったものです。
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職人技が冴えています。
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玄関扉表側
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玄関扉内側から見ると、アイアンワークの装飾が綺麗に見えています。
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玄関を入ると目の前に展示してある時計は、阿部式電気時計。重い分銅が下に落ちていくのを利用して、時間を表示する分銅巻き上げ機械式時計というものです。この親時計からの信号で、多数の子時計を一斉に無電池で動かすことが出来るというものでした。歯車と噛み合ったT字形の金属棒が2つの電磁石の磁力によって、1分毎に左右金属棒が歯車から外れ、歯車が1つ回るという仕組みになっています。古代ローマ時代から歯車を使って、計算機を作ったりと歯車は原点なんですね。
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阿部彦吉氏は、明治から昭和初期の発明家で、東京で時計の技術を習得した後、20歳の時に、郷里の山形で時計店を開業し、自動発電無電池式電気時計を発明して、大正4年に特許を取得したそうです。
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玄関ホールの天井の梁の微妙な曲線が美しい!
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今は見られないこの曲線、じっと見入ってしまいました。
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1階ホールに面した部屋の窓は上げ下げ窓です。
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現在は資料室になっていますが、当時は恐らく所長室だったかな?
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当時の照明器具
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横浜らしい西洋風なラインが見られるデスクと椅子
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明治40年の消印のある絵葉書です。
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関東大震災で崩壊したアメリカ海軍病院本館
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横浜地方気象台工事現場から出土した煉瓦は、煉瓦の製造方法や年代などの手掛かりが掴めるとのことです。機械成型と手抜き成型の両方の煉瓦か出土したそうです。判明した製造所は、小菅集治監製(現在の小菅拘置所)や日本煉瓦製造株式会社製などがありました。機械成型煉瓦は明治20年代以降なので、明治半ば以降に製造されたものと考えられるということです。
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左の一番下の煉瓦の端に刻印が見えています。
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1階の階段部分です。アーチになっています。
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1階から地階への階段手摺りの支柱の装飾
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いよいよ2階への階段を上がります。階段フェチというのでしょうか、素敵な階段を見ると、うっとりしてしまいます。
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この手摺りの曲線美はあまり見たことがありません。
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西洋館でも余り見かけないこの曲線と手摺りの幅の関係は、見事です。
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階段窓は、外開きになっていて、現在は内側に網戸が付いています。窓の一番上部は固定窓です。
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地階まで続く階段
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階段天井部分の美しい曲線は、ホールの梁と天井と同じです。
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3階へは上がれませんので、写真だけ。
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3階への階段天井部分の曲線も良いですね。
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2階のホール天井部分。今、3つの部屋の入口になっているところが、1階の玄関部分になります。
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それ程広くないので、少人数のための応接間でしょうか。
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2階ホール
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そろそろ1階へ下りていきます。
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