2014/01/11 - 2014/05/24
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belleduneさん
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日本工業倶楽部会館で、「近代日本の支配層が愛した小川治兵衛の庭」という講演を聞きに行ってきました。当初予定の鈴木博之氏が体調を崩されて、入院されたそうで、ピンチヒッターとして、矢ケ崎善太郎氏がお話されました。その後、鈴木先生は逝去なさったとのこと、ご冥福をお祈り致します。矢ケ崎先生は、アナウンサーのような美声で、分かり易い説明をなさっていました。京都の無鄰庵へは行ったことがあり、なかなか興味深い内容でした。休憩を挟んで、二部を尼崎博正氏が「小川治兵衛の造園技術と意匠」を関西弁で、面白可笑しく、造園家としても活躍されている教授のお話でした。この続きは、同じ方で、5月にまたここで行なわれるとのこと、面白いお話を期待して帰りました。
初めて入ったこの日本工業倶楽部会館は、大正6年(1917)に当時の有力実業家によって創立された法人倶楽部でした。初代会長は、三菱合資会社頭取の豊川良平氏、理事長は、三井合名会社理事長・団琢磨氏で、日本の工業を発展させる目的でした。第二次大戦後は、経団連、日経連をはじめとする経済団体の設立と育成に協力し、それらの団体と重複する事業は行わないことになりました。現在は、財界人の交流の場として、交易法人の役割を果たしているそうです。
大正9年(1920)11月、地上5階、鉄筋コンクリート造、一部鉄骨造の丸の内の旧伝奏屋敷跡に完成しました。設計は、横河民輔、ファサードは松井貴太郎、インテリアは、橘教順と鷲巣昌が担当しました。本格的なゼセッション様式で、正面玄関にはドーリア式オーダーのエントランスポーチが配され、正面階段も広くとってあります。正面屋上には、小倉右一郎作の二つの人像が置かれているそうです。戦前の日本経済の中心であった石炭(ハンマーを持った男性)と紡績(糸巻きを持つ女性)を表現しているそうです。一度見たいものです。
1999年登録有形文化財登録されましたが、老朽化のため、2003年、会館の南側部分を保存、再現した上で、建て替えされ、三菱信託銀行本店ビルとして竣工されました。
- 旅行の満足度
- 4.5
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2階の大会堂で、講演が終わってから、撮りましたので、順序が逆になってしまいました。
天井と壁の漆喰とレリーフ装飾は大正9年の竣工当時のまま修復されています。完成後、3年経った大正12年の関東大震災で、相当な被害がありました。 -
大会堂側面の窓側の天井と窓のある壁の装飾を見易くするため、実際は白色を落としてあります。
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会員でないと、3階へは上がれませんが、3階には大広間、大食堂、談話室、貴賓室などがあります。機会があれば、見てみたいですね。
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大会堂の柱は、大理石。
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外壁はタイルとテラコッタで、大正期らしく、シンプルに纏められていますが、内部は国賓を迎えることもあったため、豪華に造られています。
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このエアコンも、大正時代にはなくて、途中で導入されたものですが、ちゃんと装飾カバーを設えてあります。これは、実際に稼働していないのではないでしょうか。
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正面壇の周囲も凝った装飾が見られます。次回は、少し早めに来て、もっと間近に見たいと思います。
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しつこくアップにして、レリーフを見ています。
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関東大震災では、この上の3階の大食堂と広間の間の床に、大きな亀裂が入ったそうです。
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床は、完成当時のものを新しく復元したものです。
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大会堂入り口の扉上部の硝子部分
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2階のホールから少し下がったところに2階の大会堂があるため、この階段を上って、ホールへ行き、また大階段を下りて、1階へ行くことになります。多分、1階の正面玄関を入って、大階段が正面にあるのですが、その高さを取る為に、天井高を上げたから、こうなったのではないでしょうか。
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階段は中央が広く取ってあり、中に2本の手摺りがあります。
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階段部分の天井と柱部分です。
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階段部分の天井中央の照明。
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2階のホール
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2階ホールの天井と照明ですが、実際は明るいです。漆喰のレリーフを見易くするために落としてあります。
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2階のホールから見たラウンジです。ここでは、軽食が頂けます。
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ラウンジ内部ですが、天井やシャンデリアが豪華ですね。
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2階の階段辺り
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1階と2階への階段踊り場にあるガラス窓
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階段途中から1階の天井部分の漆喰レリーフ
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1階ホール脇にある貴賓室、反対側にクロークがあります。
関東大震災では、東南角の3本のRC柱が折れ曲がりましたが、その後の補強工事で、鉄筋コンクリートを巻いて、耐震壁を増設していたそうです。竣工当時は、中庭を囲むコの字型の建物だったため、それが原因で、地震の際に被害が出たと結論がなされ、ロの字型に改修され、後ろに6階建ての別館を増築したということです。2003年の全面的な改修工事で、建物の三分の一を保存し、残りは更新、全面に免震工事を施すということになりました。基本的には、倶楽部施設の主要な内外装は変わっていないということです。保存・維持ということは、何事にも大変な努力と資金が必要ですね。 -
1階ホールの天井と照明
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玄関から見た1階ホールの大階段
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正面玄関です。大正の竣工当時は、通りに面したこちら側を倶楽部施設として使っていて、後ろ側は賃貸事務所にしていたそうです。
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玄関上の外観は、平成の改修工事で、なるべくオリジナルの意匠に忠実に復元されたということです。タイル、テラコッタも、同じ色を出すのに苦労があったと思われます。関東大震災では、外壁にも皹が入り、その後修復されました。
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玄関横の窓枠も、一時アルミサッシが使われていたこともあったそうですが、元のスチールサッシに戻してあります。次回来る時は、全体の外観を撮ってみます。今日はこれで、東京駅へ行ってみます。
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5月に再び来た時に正面玄関辺りを撮りました。
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正面玄関横の出入り口
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その上部
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1920年、竣工当時の日本工業倶楽部会館です。
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上が工事前の会館外観、下が工事後の会館外観です。
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上は、全体南北断面図(計画)、下は、倶楽部棟東西断面図(計画)です。
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東京駅辺りが、少し落ち着いてから来ようとおもっていましたが、ちょうど近くまで来たので、改修後の東京駅へ初めて行ってみることにしました。
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こちらが、東京郵便局ですね。中には入りません。次回にします。
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丸の内の駅構内は、皆さんの旅行記でさんざん見ているので、ちらっと見て、次いでに、八重洲口も覗いてみることにします。
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小学生のときに、旧東京ステーションホテルに泊まった記憶があります。あまり良く覚えていませんが、今は豪華なようですね。
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やってきました八重洲側のグランルーフ辺りです。
長さ230mもあるのだそうですが、材質は何でしょう。ちょっと調べておきます。 -
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八重洲口の前面はまだ工事中なので、完成したら、また来てみますが、今日は寒いので、この辺で帰ります。
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