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兵庫の津<br /> 兵庫津は、神戸市兵庫区南部のJR兵庫駅東側からJR和田岬駅付近にかけての広範囲に所在する兵庫の港と港町を中心とする中世から近世期の史跡です。周辺の散策をしてきました。<br />

兵庫の津(神戸市)

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2008/05/27 - 2008/05/27

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kubochan

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兵庫の津
 兵庫津は、神戸市兵庫区南部のJR兵庫駅東側からJR和田岬駅付近にかけての広範囲に所在する兵庫の港と港町を中心とする中世から近世期の史跡です。周辺の散策をしてきました。

旅行の満足度
4.0
観光
4.0
同行者
その他
一人あたり費用
1万円未満
交通手段
JRローカル 私鉄 徒歩

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  • 案内パンフレット

    案内パンフレット

  • 柳原えびす神社<br />西国街道 西柳原惣門跡<br /> 柳原惣門の碑<br /> 西国街道は、古代には山陽道といわれ、日本の中心であった都と朝鮮半島との玄関口であった大宰府とを結ぶ重要な幹線道路として発展してきた。その後、近世には、畿内と西国を結ぶ道としてにぎわいを見せていました。その名残である「柳原惣門の碑」が残っています。

    柳原えびす神社
    西国街道 西柳原惣門跡
     柳原惣門の碑
    西国街道は、古代には山陽道といわれ、日本の中心であった都と朝鮮半島との玄関口であった大宰府とを結ぶ重要な幹線道路として発展してきた。その後、近世には、畿内と西国を結ぶ道としてにぎわいを見せていました。その名残である「柳原惣門の碑」が残っています。

  • 西国街道 西柳原惣門跡<br /> 西国街道は、古代には山陽道といわれ、日本の中心であった都と朝鮮半島との玄関口であった大宰府とを結ぶ重要な幹線道路として発展してきた。その後、近世には、畿内と西国を結ぶ道としてにぎわいを見せていました。その名残である「柳原惣門の碑」が残っています。

    西国街道 西柳原惣門跡
    西国街道は、古代には山陽道といわれ、日本の中心であった都と朝鮮半島との玄関口であった大宰府とを結ぶ重要な幹線道路として発展してきた。その後、近世には、畿内と西国を結ぶ道としてにぎわいを見せていました。その名残である「柳原惣門の碑」が残っています。

  • 西国街道 西柳原惣門跡

    西国街道 西柳原惣門跡

  • 針が崎観音堂へ逃込む足利尊氏の図

    針が崎観音堂へ逃込む足利尊氏の図

  • 福海寺(大黒天)<br /> 大光山 福海寺は1344年(康永3年)、足利尊氏によって開かれた釈迦如来を本尊とする臨済宗南禅寺派の寺院で、古くは福海興国禅寺とも称していました。<br />

    福海寺(大黒天)
     大光山 福海寺は1344年(康永3年)、足利尊氏によって開かれた釈迦如来を本尊とする臨済宗南禅寺派の寺院で、古くは福海興国禅寺とも称していました。

  • 福海寺(大黒天)<br /> 釈迦如来を本尊とする禅宗南禅寺派の寺院<br />

    福海寺(大黒天)
    釈迦如来を本尊とする禅宗南禅寺派の寺院

  • 福海寺(大黒天)<br /> 名所 時雨松

    福海寺(大黒天)
     名所 時雨松

  • 福海寺(大黒天)<br />開基征夷大将軍足利尊氏公

    福海寺(大黒天)
    開基征夷大将軍足利尊氏公

  • 柳原えびす神社<br /> 1344年(康永3年)足利尊氏によって開かれた寺で、正式には「福海興国禅寺」と称する臨済宗の寺。<br /> 足利尊氏がこの寺の前身である「針が崎観音堂」で命拾いし、国を興すきっかけになったとして感謝し開いたとされる。本尊は釈迦如来。

    柳原えびす神社
     1344年(康永3年)足利尊氏によって開かれた寺で、正式には「福海興国禅寺」と称する臨済宗の寺。
     足利尊氏がこの寺の前身である「針が崎観音堂」で命拾いし、国を興すきっかけになったとして感謝し開いたとされる。本尊は釈迦如来。

  • 柳原蛭子神社(蛭子)<br />  「柳原のえっべさん」とよばれて親しまれている

    柳原蛭子神社(蛭子)
     「柳原のえっべさん」とよばれて親しまれている

  • 柳原天神社<br />この神社の最大の祭りは十日えびすの大祭です。<br /> 兵庫津の道、西国街道という古い歴史を持つ柳原の中心にあり、福の神として、古くから崇敬されている神社。“柳原のえべっさん”という愛称で親しまれ毎年1月9日〜1月11日の祭りには、 たくさんの参拝者でにぎわいます。

    柳原天神社
    この神社の最大の祭りは十日えびすの大祭です。
    兵庫津の道、西国街道という古い歴史を持つ柳原の中心にあり、福の神として、古くから崇敬されている神社。“柳原のえべっさん”という愛称で親しまれ毎年1月9日〜1月11日の祭りには、 たくさんの参拝者でにぎわいます。

  • 神戸事件 瀧善三郎正信の碑<br /> 

    神戸事件 瀧善三郎正信の碑
     

  • 能福寺<br />平清盛公墓所 八棟寺殿 平相國廟

    能福寺
    平清盛公墓所 八棟寺殿 平相國廟

  • 能福寺<br />平清盛公墓所 八棟寺殿 平相國廟

    能福寺
    平清盛公墓所 八棟寺殿 平相國廟

  • 能福寺

    能福寺

  • 能福寺<br />兵庫大仏

    能福寺
    兵庫大仏

  • 能福寺<br />公認 三大仏の一つ

    能福寺
    公認 三大仏の一つ

  • 能福寺<br />  延暦24年(805)最澄伝教大師、開創。大師自作の薬師如来を堂に安置し、能福護国密寺と名付け我が国最初の教化霊場です。治承4年(1180)の福原京遷都に伴い平清盛公が出家。江戸時代初期より明治維新まで、京都青蓮院門跡の院家職を勤め、京都以西では西日本唯一の格式を有します

    能福寺
    延暦24年(805)最澄伝教大師、開創。大師自作の薬師如来を堂に安置し、能福護国密寺と名付け我が国最初の教化霊場です。治承4年(1180)の福原京遷都に伴い平清盛公が出家。江戸時代初期より明治維新まで、京都青蓮院門跡の院家職を勤め、京都以西では西日本唯一の格式を有します

  • 能福寺

    能福寺

  • 能福寺<br />  月輪影殿

    能福寺
      月輪影殿

  • 能福寺<br />ジョセフ・ヒコの碑

    能福寺
    ジョセフ・ヒコの碑

  • 能福寺

    能福寺

  • 能福寺<br />平清盛の墓「平相国廟」<br /> 平清盛は仁安3年(1168年)に能福寺で剃髪入道、後、養和元年(1181年)に京都で死去した。清盛の遺骨は遺言に従い能福寺の寺領内にあった八棟寺に埋葬され、平相国廟が造立されたという。<br /> 北条貞時が平家一門の盛衰を哀れみ、石塔を建て清盛の霊を弔ったと伝えられている。この時の石塔が現在に伝わる「十三重石塔」

    能福寺
    平清盛の墓「平相国廟」
     平清盛は仁安3年(1168年)に能福寺で剃髪入道、後、養和元年(1181年)に京都で死去した。清盛の遺骨は遺言に従い能福寺の寺領内にあった八棟寺に埋葬され、平相国廟が造立されたという。
     北条貞時が平家一門の盛衰を哀れみ、石塔を建て清盛の霊を弔ったと伝えられている。この時の石塔が現在に伝わる「十三重石塔」

  • 能福寺

    能福寺

  • 札場の辻<br /> 高札場(幕府の布達等を掲示する場所)があったところ

    札場の辻
     高札場(幕府の布達等を掲示する場所)があったところ

  • 札場の辻<br /> 南仲町の辻は兵庫の宿の中心で、湊口惣門から入ると西国街道は大きく右折して柳原惣門へと抜けます。その曲がり角に高札場(町人への法令や、幕府の布達を掲示する札を立てる場所)があったので、俗に「札場の辻」と呼ばれていました。<br /> 兵庫の札場は、他にも東西の惣門と来迎寺(築島寺)前との、計4ヶ所にあったといわれています。

    札場の辻
     南仲町の辻は兵庫の宿の中心で、湊口惣門から入ると西国街道は大きく右折して柳原惣門へと抜けます。その曲がり角に高札場(町人への法令や、幕府の布達を掲示する札を立てる場所)があったので、俗に「札場の辻」と呼ばれていました。
    兵庫の札場は、他にも東西の惣門と来迎寺(築島寺)前との、計4ヶ所にあったといわれています。

  • 古代大和田泊の石<br /> 兵庫津は、平安時代末に平清盛が日宋貿易のために整備し、室町時代には足利義満の日明貿易の拠点として栄えた港である。元は行基が設けた摂播五泊(摂津国〜播磨国にかけての五つの港)の一つ、大輪田泊で知られていた。江戸時代には兵庫津と呼ばれ、西国各地から大坂入りの船舶の寄港地として賑わった。

    古代大和田泊の石
     兵庫津は、平安時代末に平清盛が日宋貿易のために整備し、室町時代には足利義満の日明貿易の拠点として栄えた港である。元は行基が設けた摂播五泊(摂津国〜播磨国にかけての五つの港)の一つ、大輪田泊で知られていた。江戸時代には兵庫津と呼ばれ、西国各地から大坂入りの船舶の寄港地として賑わった。

  • 古代大和田泊の石<br /> 奈良時代に僧の行基が修築したと伝えられる。この巨石は新川運河の浚渫工事の際にみつかった。

    古代大和田泊の石
     奈良時代に僧の行基が修築したと伝えられる。この巨石は新川運河の浚渫工事の際にみつかった。

  • 築島寺(来迎寺)

    築島寺(来迎寺)

  • 築島寺(来迎寺)<br />築島寺とはかつての名称で、現在は来迎寺(らいこうじ)と呼ばれている。この寺には松王(まつおう)入海の碑と墓がある。平清盛が日宋貿易のために経ヶ島を築造する際、海神の怒りを鎮めるために人身御供(ひとみごくう)となったのが、清盛の従者の松王である。寺は清盛が松王のために建てたと言われている。

    築島寺(来迎寺)
    築島寺とはかつての名称で、現在は来迎寺(らいこうじ)と呼ばれている。この寺には松王(まつおう)入海の碑と墓がある。平清盛が日宋貿易のために経ヶ島を築造する際、海神の怒りを鎮めるために人身御供(ひとみごくう)となったのが、清盛の従者の松王である。寺は清盛が松王のために建てたと言われている。

  • 築島寺(来迎寺)<br />松王小児入海之碑<br />妓王妓女の塔

    築島寺(来迎寺)
    松王小児入海之碑
    妓王妓女の塔

  • 築島寺(来迎寺)<br />妓王妓女の塔

    築島寺(来迎寺)
    妓王妓女の塔

  • <br />築島寺(来迎寺)<br />松王小児入海之碑<br />


    築島寺(来迎寺)
    松王小児入海之碑

  • 築島寺(来迎寺)

    築島寺(来迎寺)

  • 兵庫県庁跡<br /> 兵庫城は、1580年に池田輝政が花隈城を落城させ、その石垣などで築城された。<br /> 1617年兵庫が尼崎藩領となると、この地に同藩の陣屋がおかれた。<br /> 1868年伊藤博文が初代兵庫県知事に任命され、この地に県庁が設置された。

    兵庫県庁跡
     兵庫城は、1580年に池田輝政が花隈城を落城させ、その石垣などで築城された。
    1617年兵庫が尼崎藩領となると、この地に同藩の陣屋がおかれた。
    1868年伊藤博文が初代兵庫県知事に任命され、この地に県庁が設置された。

  • 琵琶塚<br /> 平家物語に登場する琵琶の名手、平経正が琵琶とともに埋葬されたという伝承から「琵琶塚」と呼ばれている。

    琵琶塚
     平家物語に登場する琵琶の名手、平経正が琵琶とともに埋葬されたという伝承から「琵琶塚」と呼ばれている。

  • 琵琶塚

    琵琶塚

  • 清盛像

    清盛像

  • 史跡 清盛塚

    史跡 清盛塚

  • 清盛十三重塔

    清盛十三重塔

  • 清盛塚<br /> 高さ約8.5メートルの十三重の石塔で「弘安9年(1286年)2月」の年号が刻まれています。 もともとは現在より南西11メートルの場所にありましたが、 大正12年に旧神戸市電の道路拡張工事に伴い移転されました。<br /> そのときの調査で遺骨は発見されず、墓ではなく供養塔であることが判明しました。<br /> 現在、石塔の隣には柳原義達(やなぎはらよしたつ)氏の作になる平清盛像と、 琵琶の名手・平経正(つねまさ)にちなんだ「琵琶塚」碑が建てられています。 <br /><br />

    清盛塚
     高さ約8.5メートルの十三重の石塔で「弘安9年(1286年)2月」の年号が刻まれています。 もともとは現在より南西11メートルの場所にありましたが、 大正12年に旧神戸市電の道路拡張工事に伴い移転されました。
     そのときの調査で遺骨は発見されず、墓ではなく供養塔であることが判明しました。
     現在、石塔の隣には柳原義達(やなぎはらよしたつ)氏の作になる平清盛像と、 琵琶の名手・平経正(つねまさ)にちなんだ「琵琶塚」碑が建てられています。

  • 真光寺(福禄寿)境内の石造五輪塔<br />  真光寺は時宗の開祖である一遍が亡くなった場所に建立された寺院。<br />  境内にある石造五輪塔は南北朝時代に再建されたと思われる。県の重要文化財に指定<br />

    真光寺(福禄寿)境内の石造五輪塔
     真光寺は時宗の開祖である一遍が亡くなった場所に建立された寺院。
     境内にある石造五輪塔は南北朝時代に再建されたと思われる。県の重要文化財に指定

  • 一遍聖人廟所

    一遍聖人廟所

  • 医王山 薬仙寺(寿老人)<br /> 行基が開山したと伝えられる時宗の寺院。<br /> 天平18年(746年)行基によって開山されました。元弘3年(1333)後醍醐天皇が隠岐より還幸の途中、兵庫でご病気の折に当寺の霊水で服薬したところ、快癒したことから現寺号になったといわれています。また日本で最初に大施餓鬼修法を行った寺として知られています。 <br />境内には平清盛が後白河法皇を閉じ込めたという萱の御所跡の碑があります。運河拡張工事により水中に没するため当寺内に移されましたが、旧碑破損のため、現在の碑が再建されました。 <br />

    医王山 薬仙寺(寿老人)
     行基が開山したと伝えられる時宗の寺院。
     天平18年(746年)行基によって開山されました。元弘3年(1333)後醍醐天皇が隠岐より還幸の途中、兵庫でご病気の折に当寺の霊水で服薬したところ、快癒したことから現寺号になったといわれています。また日本で最初に大施餓鬼修法を行った寺として知られています。
    境内には平清盛が後白河法皇を閉じ込めたという萱の御所跡の碑があります。運河拡張工事により水中に没するため当寺内に移されましたが、旧碑破損のため、現在の碑が再建されました。

  • 戦災・震災モニュメント

    戦災・震災モニュメント

  • 後醍醐天皇御薬水<br /> この寺に湧いた水が、後醍醐天皇の頭痛を癒したという故事が寺名の由来<br />

    後醍醐天皇御薬水
     この寺に湧いた水が、後醍醐天皇の頭痛を癒したという故事が寺名の由来

  • 詠歌踊り念佛連名

    詠歌踊り念佛連名

  • 和田神社<br /> 淡路からお越しになった蛭子大神が初めて本州に上陸された地を『蛭子(えびす)の森』といい、和田神社の起こりとなりました。<br />この地は現在の和田神社から800m西南の海岸にありました。 <br />その後、平清盛が兵庫津(神戸港)の築港に着手した際に工事がことのほか難渋し、この事業の無事完成と将来の繁栄を祈願して、安芸の宮島より市柿嶋姫大神を観請しました。<br /> さらに時が流れ、1658年大水害により武庫川の堤防が決壊し岡太神社の天御中主大神の神輿がこの地に流れ着き、様々な神異が起こったことから和田神社に祭られることになりました。 <br />

    和田神社
     淡路からお越しになった蛭子大神が初めて本州に上陸された地を『蛭子(えびす)の森』といい、和田神社の起こりとなりました。
    この地は現在の和田神社から800m西南の海岸にありました。
    その後、平清盛が兵庫津(神戸港)の築港に着手した際に工事がことのほか難渋し、この事業の無事完成と将来の繁栄を祈願して、安芸の宮島より市柿嶋姫大神を観請しました。
     さらに時が流れ、1658年大水害により武庫川の堤防が決壊し岡太神社の天御中主大神の神輿がこの地に流れ着き、様々な神異が起こったことから和田神社に祭られることになりました。

  • 和田岬砲台<br /> 勝海舟設計により1864年に沿岸防衛のために設置された。<br />

    和田岬砲台
     勝海舟設計により1864年に沿岸防衛のために設置された。

  • 和田岬砲台

    和田岬砲台

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