2014/04/06 - 2014/04/10
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倫清堂さん
※おことわり
・皇居勤労奉仕の最中は一切の写真撮影が許されず、カメラ類の持ち込みは禁止されています。したがってこの旅行記は文章が中心となります。
・皇居勤労奉仕は皇室への尊崇の念と、その永久の弥栄を祈る真心をもって、己を無にして仕え奉ることを第一義とします。安易な気持ちの参加者が増えることは、陛下をはじめ皇族方へのご負担を増やし、更に勤労奉仕の存続さえもが脅かすこととなります。
7年間続けて来た塾業を、理由あってしばらくお休みすることとなりました。
最終日の授業を無事に終えて安堵したのもつかの間、皇居勤労奉仕という大役を務めるために東京へ向かいました。
勤労奉仕は敗戦間もない昭和20年12月8日、東京大空襲のために荒れ果てた皇居を旧に復するために立ち上がった宮城県民の有志「みくに奉仕団」によって始められました。
今回、末席に加えていただいた「みやこ奉仕団」は、「みくに奉仕団」の活動を知った東京の有志によって結成された奉仕団で、「みくに」はその後一時期中断してしまいますが、「みやこ」は68回目となる今回まで毎年欠かさず勤労奉仕を行っています。
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みやこ奉仕団による勤労奉仕は、かつての大東塾、現在の不二歌道會が行う諸活動の中でも特に重要な位置を占めます。
連日4日間の全日程に参加することが原則で、地方からの参加者は往復の交通費と宿泊費だけでも大きな負担となります。
しかし不二歌道會に正式に入会したこともあって、私は大東塾の学生寮の空き部屋を使用させて頂くことになりました。
しかも2食付という親切さ。
すっかり夜も更けた22時近く、上野駅で新幹線を降りて地下鉄銀座線に乗り換えて外苑前駅へ。
地上へ出て2つの信号を渡ると、路地の裏に大東会館が現れます。
出迎えてくれた代表と固い握手を交わし、神前の間にて皇祖神、十四烈士をはじめとする大東塾の故人、大東会館関係者の祖霊に拝礼。
もし18時までに到着していれば、ここで斎行される勤労奉仕貫徹祈願祭に参列出来たのですが、どうしても外せない仕事があったため、こんな時間になってしまったのでした。
代表は奉仕期間中はお酒を断つとのことですし、翌日の朝は早いので私も疲れが残ってはいけないと思い、すぐに就寝するために寮の部屋へと向かいます。
部屋は6畳ほどの小さな部屋で、トレーニング用の道具などが置かれていたのはまだよいとして、どこかの団体から寄贈されたらしい日本人形は少し怖い感じがするし、布団はとても埃っぽく眠れるかどうか不安になってしまいました。
しかし新幹線の車内で飲んだ酒が効いたのか、あるいは疲れていたのか、カーテンのない窓から朝の光が差し込むまでぐっすりと眠ることが出来ました。
翌朝6時、朝食のために食堂へ行くと、私と同じように学生寮に泊まっている兵庫から来られた2名の団員と初顔合わせ。
6時半には太鼓が鳴らされ、寮生たちが点呼の後に清掃を始めます。
6時50分、屋上の国旗掲揚等の前に整列し、皇居遥拝と国旗掲揚・国歌斉唱、そして朝の挨拶を行い、いよいよ勤労奉仕の団員は出発です。 -
初日の奉仕場所は赤坂御用地とのこと。
大東会館からは徒歩で10分程の距離にあります。
集合場所の西門にたどり着くと、集合時間よりかなり早いにもかかわらず既に何名もの奉仕団員が到着していました。
どなたも初めて顔を合わせる方ばかりです。
失礼のないよう挨拶を心がけました。
この日はここが東京であることを忘れさせるような寒さで、ピリッと身体が引き締まります。
全員の集合が確認され、決められた時間になると、いよいよ西門の中へと進むことになります。
他の奉仕団体も同じように整列し、それぞれが身分証明書を提示して身元確認を受けます。
これがなかなか厳しく、申請書に書かれた生年月日が間違っていては駄目だし、名前の漢字が一文字違っていてもいけません。
例えば渡邊さんが「渡辺」として申請していると、不許可となってしまうのです。
昨年まではここまで厳しい態勢ではなかったらしいのですが、陛下へ「直訴状」を手渡すことを目論んだ国会議員が現れたことで、チェックが厳しくなったそうです。
申請書と身分証明書の内容が違っていた何人かについては、宮内庁の職員が何らかの手段で確認を取っているらしく、10分以上待たされた後にようやく許可されることになりました。
奉仕団員のための控え所である休所へ向かい列を作って歩くと、桜が満開に花開いている様子が目に入って来ました。
休所では、注意点が事細かに挙げられ、初めての者にとっては全て把握し切れない程です。
一緒に活動する奉仕団員を頼って取り組まなければならないのだと思いました。
初日最初の行動は、拍子抜けしてしまいそうですが集合写真撮影です。
春秋の園遊会会場である赤坂御苑の中心、大きな池を背景に、それぞれの奉仕団が撮影を受けました。
この写真は決められた業者によって撮影され、4日目最終日の奉仕を終えた後、希望者には有償で渡されることとなります。
その後、園遊会の会場整備の作業を行い、あっという間に昼食の時間が来てしまいました。
持ち込んだ昼食を、休所で取ることになります。
奉仕団によっては人数分を業者に注文している所もありますが、我が奉仕団は弁当持参。
食べた後で発生するごみは、各自持ち帰りです。
朝の連続ドラマの再放送が終了する13時、午後の作業が開始となります。
我が奉仕団は男性と女性に分かれ、仕事を分担することになりました。
男性に用意された仕事は、菊の植え替えのための土作り。
これは腕力と体力が必要で、完遂すると宮内庁の職員の方からも感謝の言葉を頂きました。
それが終わっても終了時刻の15時までまだ少し時間があったので、最後に休所周辺の道の凹凸を直す作業をしました。
退出の前に人数確認をしていると、目の前を2台の車が通って行きました。
そこには秋篠宮家の眞子内親王殿下の御姿がありました。
こうして一日目の奉仕作業は終わり、各自宿泊場所や自宅へと戻りました。 -
2日目は皇居にて奉仕作業とのことです。
表参道駅から地下鉄で二重橋前駅まで行くと、集合場所の桔梗門はすぐです。
この日も身元チェックで駄目出しがありましたが、それは初日に宮内庁の職員が不備を見付けられなかったことを意味します。
桔梗門をくぐり枡形を通ると、勤労奉仕の参加者や一般参観者の控え所となる窓明館はすぐ。
窓明館には皇居の全体図や各所の写真が展示され、売店までも備えられています。
初日と同じようにここで説明を聞き、富士見櫓の前まで移動して全体写真の撮影。
その途中、かつて枢密院庁舎であった皇宮警察庁舎や、宮内庁庁舎などを見ることが出来ました。
撮影が終わると各奉仕団は別行動となり、我ら「みやこ奉仕団」は宮殿周辺の見学をさせて頂きました。
明治時代に建てられた宮殿は戦災によって焼失してしまいますが、同じ場所に昭和39年に建てられたのが現在の宮殿です。
宮殿の前には東庭が広がり、参賀の際にはここに多くの国民が日の丸小旗を振って、長和殿に御立ちになる皇族方の御会釈を賜ります。
更に伏見櫓のすぐ裏にあたる南庭や、陛下が御執務に当たられる表御座所の前まで見学させて頂きました。
その後、二重橋の奥に架けられる鉄橋を渡り、上道灌濠の周辺の掃き掃除をして午前の部は終了。
それから窓明殿に戻るまでがすんなりとは進みませんでした。
なぜなら陛下が傘寿のお祝いにお恵み下さった乾通りの一般開放の列を横切らなければならないからです。
皇宮警察官もかなり緊張感を持っていた様子で、途切れることのない行列に一瞬のタイミングでロープを張って通行を止め、我々奉仕団を素早く横切らせたのでした。
乾通りの参観者は何が起こっているのか分からないようですが、珍しい光景を記念に残そうと、容赦なくこちらにカメラを向けてシャッターを押して来ます。
奉仕団の団員はそれぞれ名札をつけているので、はっきり言ってこうした撮影はとても迷惑なものだと感じました。
午後は一般公開されている旧二の丸と旧本丸を見学。
宮内庁の職員によるガイド付きという恵まれた環境で、皇居をめぐる至福のひと時を過ごしたのでした。
最後に窓明館周辺の清掃と枯れ枝処理。
雑草などは二重櫓のすぐ傍に捨て場所があって、二重櫓を見上げるように間近に見ることが出来たのは幸せでした。 -
※この記事は前後関係を入れ替えて記述しています
皇居勤労奉仕も後半戦。
この日は再び赤坂御用地での作業となります。
3日目は朝は過ごしやすかったものの、日が高くなるにつれて気温が上がり、日差しのきつい中での行動となりました。
我々みやこ奉仕団の分担は、園遊会のメイン会場に流れる水路に、玉石を敷くことでした。
何トンもの那智黒石を均等に敷かなければならず、あまり乱雑に扱うと石は割れてしまいます。
難しい任務ですが、男性女性がそれぞれ役割を分担し、宮内庁の職員が想定していたのよりも相当早くこの作業を終わらせることが出来ました。
重要な任務を無事に終えたことへの褒賞ということではないと思いますが、次は諸宮家へと続く道路の掃き掃除を行いました。
秋篠宮殿下をはじめ、何方かの皇族が御召車で御渡りになるのを見送り申し上げることが出来ました。
3日目の最大の山場は、東宮御所前で皇太子殿下から御会釈を賜る瞬間です。
これも今年から始まったとのことですが、金属探知機による個人個人の持ち物検査を経て御所前に整列し、様々な注意点を確認して、ようやく殿下の御姿を拝する時が来ました。
皇太子殿下は各団の団長にのみ御下問されます。
我が団長のすぐ後ろに立っていた自分は、被災地の宮城県からも勤労奉仕に参っている団員がいるという団長の紹介に、被害はありませんでしたかという殿下の御言葉が耳に入った瞬間、殿下の御姿が霞んで見えなくなってしまいました。
子供のままの純粋さを秘めた殿下の瞳と、まるで我が事のように一国民を気遣われる御様子は、一生忘れられないほど鮮明に記憶に残っています。
妃殿下が一日も早く御快癒され、御二方が揃ってで公務に励まれる日が来ることをお祈り申し上げます。
皇太子殿下より御会釈を賜りて
いたはりのかそけき御こゑ聞こえ来て
浮かぶ涙に君のほの見ゆ -
※この記事は前後関係を入れ替えて記述しています
勤労奉仕最終日4日目は皇居にてご奉仕。
赤坂御用地が1日で、皇居が3日というのが普通らしいのですが、乾通りの一般公開の影響かそれ以外の理由からか、今回は2日ずつ割り当てられました。
最終日となってようやく身元確認が1回で終わりました。
前と同じように窓明館に入ると、ざっと見て10団体ほどが詰め込まれています。
我が奉仕団は、乾門周辺と下道灌濠周辺の枯れ枝の片づけを行いました。
この日は4日間で最も気温が高く、枯れ枝とは言っても太いものもあるため、なかなかの重労働に感じました。
皇居内の見学は、通常3日かけて回るコースを今回は2日に凝縮しているため、かなり量が多く感じられます。
まず大道庭園で皇居の盆栽を拝見させて頂くことに。
こちらの盆栽は祝賀の会場に飾られるもので、樹齢100年は当たり前。
中には樹齢380年のものや、なんと樹齢600年の盆栽まであり、大切に育てられています。
一鉢一鉢ゆっくり鑑賞する時間もなく、次に案内されたのは生物学御研究所。
こちらには天皇陛下が稲を御手植えになるための田んぼや、宮中で蚕を飼育するための桑畑などがあります。
そして一行はいよいよ皇居内で最も神聖な宮中三殿まで進むことに。
当然のことながら境内へ入る門は閉じられていますが、その外側から拝礼させて頂きました。
宮中三殿は天皇陛下が国家の安寧や五穀豊穣などを祈る儀式を執り行う場所で、中央の賢所には皇祖神天照大神、向かって左の皇霊殿には歴代天皇と皇族の御霊、向かって右の神殿には日本全国の天神地祇をお祀りしています。
宮中三殿を拝礼させて頂いただけでも身に余る光栄ですが、この日は天皇陛下並びに皇后陛下から御会釈までも賜ることになりました。
皇太子殿下の御会釈の時と同様、各自がボディチェックを受け、皇居内の某建物内に4列に並び、両陛下のご到着をお待ち申し上げました。
両陛下が御退出の際には万歳三唱を唱和するのですが、皇太子殿下の時に先導の声が小さかったため、声が揃わず失礼な万歳三唱となってしまいました。
両陛下には同じ失礼があってはなりません。
先導は各団長のうち希望者がじゃんけんをして決めるようにと宮内庁から指示され、普段は何事にも控えめな我が団長はここぞとばかり全精神を注ぎじゃんけんに臨むと、見事に1回目で勝利。
両陛下のお乗りになる御召車が到着すると、会場の雰囲気も瞬間的にぴんと張りつめます。
そして両陛下の御姿が拝されると、自然に頭が下がります。
天皇陛下の御下問に団長がお答え申し上げ、我々の団体が和歌を学んでいることを紹介申し上げると、感心されている御様子でした。
また、被災地から奉仕に参上している団員がいることに対しても、陛下は被害の程度を御質問されました。
そして常に天皇陛下の一歩後方に御立ちになってそこで交わされる会話をじっと聞こし召される皇后陛下は、天皇陛下の御質問が終わると「みやこ奉仕団」の長年の活動に対して労いの御言葉をかけて下さいました。
最後に「お元気で」との御言葉を残され、両陛下は次の奉仕団への御会釈に進まれたのでした。
時間にすれば僅か数分のことですが、陛下が臣民に対して直接に御言葉を賜るというかけがえのない時間は、私の心に永遠に残り続けることになるでしょう。
全ての奉仕団への御会釈が終わり、天皇陛下皇后陛下万歳の先導に続いて万歳三唱を行いました。
両陛下が御召車に御乗車になると、全ての奉仕者はそちらを向き、動き出した御車が見えなくなるまでお見送り申し上げました。
天皇陛下皇后陛下より御会釈を賜りて
風に伏す千草の如く額づきて
君が歩みを慕ひ奉れり -
最終日の最後には、宮内庁庁舎で賜物伝達式があります。
宮内庁庁舎の伝達室へと案内されるのは、各団の団長と団員3名。
我が団からは、私を含め学生寮に宿泊した3名が代表として参上しました。
準備が整うと、宮内庁職員の担当の役職の方が来られて、4日間の勤労奉仕に対してお礼の言葉を述べられ、各団長に天皇陛下からの下賜品を伝達。
団員3名は全団員分の下賜品の数量を確認し、窓明館へ大切に運びました。
それらを焼きあがった集合写真とともに配り、荷物の整理と人数確認を終えて、全員元気に皇居をあとにしたのでした。
ちなみに下賜品は、かつては恩賜の煙草でしたが、現在は和三盆となっています。
また勤労奉仕団のために特別に作成された皇室パンフレットを合わせて拝領します。
4日間晴天に恵まれ、団員それぞれが真心をこめて奉仕に当たることが出来たことで、皆の表情はとても明るいものでした。
みやこ奉仕団はこれで解散とはならず、大東会館に集合して5時から神前で終了感謝奉告祭を斎行。
もともと5時半からの予定でしたが、私が新幹線で戻らなければならないことから、団長の配慮で開始時間を早めて下さったのです。
直会で乾杯を終え、団員の皆様に4日間お世話になったことへのお礼を述べて、大東会館をあとにしました。
一生のうちで何度も経験出来ることではありませんが、ご縁があればまた参加させて頂きたいと思っています。
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この旅行記へのコメント (4)
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- ひびき56さん 2014/05/21 12:03:32
- 身が引き締まりした
- 皇弥栄。
天皇陛下とお会いした方の生の感想を聞くことができ嬉しかったです。
- 倫清堂さん からの返信 2014/05/22 21:07:35
- RE: 身が引き締まりした
- すずめめだか様
お読み頂きありがとうございました。
君民一体の国柄が後世まで変わらぬよう、その素晴らしさを子供たちに伝えられればと思っております。
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- 義臣さん 2014/04/16 17:44:41
- ご苦労様です
- 寒い この時期に ご苦労様です
先日 東北の方達がきておられましたが
お顔がいかにも晴れ晴れとした表情でした。
震災はとお聞きすると、、まあまあ、、
のお返事でした 義臣
- 倫清堂さん からの返信 2014/04/17 18:25:29
- RE: ご苦労様です
- 義臣様
こんにちは。
復興は進んではいるものの、宮城県の沿岸では新たに建設される防潮堤の高さをめぐって、住民の間に行政に対する不信感が高まっている地域があります。
景観が破壊されるばかりか、自然環境にも取り返しのつかない悪影響を及ぼすような大工事に、私も断固反対です。
この問題はニュースステイションでも取り上げられたことがあり、また新人参議院議員の和田政宗さんなども政府へ方針転換を訴えています。
どうにか止められないものかと頭を悩ませています。
倫清堂
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