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伊予・松山城(まつやまじょう、愛媛県松山市丸の内)は豊臣秀吉恩顧で賤ヶ岳の七本槍で名を挙げた加藤嘉明(かとう・よしあき、1563~1631)が関ヶ原の戦いで東軍方での戦功により家康から伊予正木で20万石知行を受け慶長7年(1602)築城を開始します。<br /><br />寛永4年(1627)、嘉明は築城途中で会津若松へ40万石で転封、その後に蒲生氏郷の孫である忠知(ただとも、1604~1634)が出羽上山より入部し忠知在城中に松山城の完成を見ます。<br /><br />寛永11年(1634)、参勤交代の旅の途中忠知が病死し嗣子なくお家断絶、幕府の命により大洲藩による預かりとなります。<br /><br />翌年伊勢桑名より久松家・松平定行(まつだいら・さだゆき、1587~1668)が将軍家光の命により4万石加増を持って15万石で松山に入部、以降明治維新を迎えるまで15代続きます。<br /><br />地勢的に見ると松山城は戦国時代の山城を想像させるほどで、標高132mの勝山に築かれた本丸と南西に位置する麓の居館(二ノ丸)とで成り立っています。<br /><br />本丸は南北に広がっており本丸に至る大手道には高い石垣と太鼓櫓が象徴するような櫓と複雑な路に数々の門を設置し徹底した防御を旨とし、戦国を生き抜いた嘉明の一面を垣間見るようです。<br /><br />本丸広場の北端にはやや高めの台地に大天守・小天守・櫓を四方に造作しそれらを多聞櫓で連絡する連立式天守となっており姫路城とほぼ同一の様式で、更に全国に現存する天守が12ある中の一つに数えられています。<br /><br /><br />日程は下記の通り<br /><br /><br />3/14(土) 成田空港周辺ホテル前泊<br /><br />3/15(日) JETSTAR GK401(6:20)にて松山移動<br /><br />        松山空港ー(リムジンバス)→JR松山駅ー(TAX<br /><br />        I)→松山城ー(市電)→JR松山駅<br /><br /><br /><br /><br />2022年11月14日追記<br /><br />現地で入手のパンフレットには下記のように記述されています。<br /><br />『 松山城の沿革  <br /><br />松山城は、海抜132mの勝山山頂に本丸、中腹に二之丸、山麓に三之丸(堀の内)を置く連郭式平山城で、敵の侵入を防ぐため二之丸を取り囲むように山麓から本丸にかけて、全国的にもめずらしい「登り石垣」が配されている。<br /><br />松山城の創設者は加藤嘉明である。慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いにおいて徳川家康に従軍し、その戦功を認められて20万石となった嘉明は、同7年に伊予正木(愛媛県松前町)から道後平野の中央にある勝山に城郭を移すため、普請奉行に足立重信を命じて地割を行い工事に着手した。翌8年(1603)10月に嘉明は居を新城下に移し、初めて松山という名称が公にされた。<br /><br />その後工事は継続され、寛永4年(1627)になってようやく一応の完成をみた。当時の太守は五重で偉観を誇ったと伝えられる。しかし嘉明は松山にあること25年、完成直前の寛永4年(1627)に会津へ転封される。<br />そのあとへ蒲生氏郷の孫忠知が出羽国(山形県)上の山城から入国し、二之丸の築造を完成したが、寛永11年8月参勤交代の途中、在城7年目に京都で病没し、嗣子がいないので断絶する。<br /><br />その後、寛永12年(1635)7月伊勢国(三重県)桑名城主松平定行が伊予松山15万石に封じられた。寛永16年(1639)定行は、3年の年月をかけ、築城当時五重であった天守を三重に改築する。これは地盤の弱さに起因する天主の安全確保とも、江戸幕府に配慮したためとも言われている。<br /><br />ところが、9代松平定国(8代将軍徳川吉宗の孫)の天明4年(1784)元旦、落雷で天守が焼失した。焼失後37年を経た文政3年(1820)、父定国の意志を継いだ11代定通は、復興工事に着手するが、着工16年にして、定通の逝去と仕事場の火災で頓挫する。これを引き継いだ12代藩主松平勝善は、弘化4年(1847)城郭復興に着手、ようやく安政元年(1854)悲願の天守が復興した。<br /><br />これが現在の天守で、姫路城と並ぶ典型的な連立式天守をもち、慶長期の様式を引き継ぐ、わが国最後の完全な城郭建築といわれる。』<br />    

伊予松山 LCCX18切符で四国一周勝手気まま城跡訪問 槍ヶ岳七本槍で著名な加藤嘉明が20万石で築城始め久松松平氏が完成をみた『松山城』訪問

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2014/03/16 - 2014/03/16

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89

滝山氏照

滝山氏照さん

伊予・松山城(まつやまじょう、愛媛県松山市丸の内)は豊臣秀吉恩顧で賤ヶ岳の七本槍で名を挙げた加藤嘉明(かとう・よしあき、1563~1631)が関ヶ原の戦いで東軍方での戦功により家康から伊予正木で20万石知行を受け慶長7年(1602)築城を開始します。

寛永4年(1627)、嘉明は築城途中で会津若松へ40万石で転封、その後に蒲生氏郷の孫である忠知(ただとも、1604~1634)が出羽上山より入部し忠知在城中に松山城の完成を見ます。

寛永11年(1634)、参勤交代の旅の途中忠知が病死し嗣子なくお家断絶、幕府の命により大洲藩による預かりとなります。

翌年伊勢桑名より久松家・松平定行(まつだいら・さだゆき、1587~1668)が将軍家光の命により4万石加増を持って15万石で松山に入部、以降明治維新を迎えるまで15代続きます。

地勢的に見ると松山城は戦国時代の山城を想像させるほどで、標高132mの勝山に築かれた本丸と南西に位置する麓の居館(二ノ丸)とで成り立っています。

本丸は南北に広がっており本丸に至る大手道には高い石垣と太鼓櫓が象徴するような櫓と複雑な路に数々の門を設置し徹底した防御を旨とし、戦国を生き抜いた嘉明の一面を垣間見るようです。

本丸広場の北端にはやや高めの台地に大天守・小天守・櫓を四方に造作しそれらを多聞櫓で連絡する連立式天守となっており姫路城とほぼ同一の様式で、更に全国に現存する天守が12ある中の一つに数えられています。


日程は下記の通り


3/14(土) 成田空港周辺ホテル前泊

3/15(日) JETSTAR GK401(6:20)にて松山移動

        松山空港ー(リムジンバス)→JR松山駅ー(TAX

        I)→松山城ー(市電)→JR松山駅




2022年11月14日追記

現地で入手のパンフレットには下記のように記述されています。

『 松山城の沿革  

松山城は、海抜132mの勝山山頂に本丸、中腹に二之丸、山麓に三之丸(堀の内)を置く連郭式平山城で、敵の侵入を防ぐため二之丸を取り囲むように山麓から本丸にかけて、全国的にもめずらしい「登り石垣」が配されている。

松山城の創設者は加藤嘉明である。慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いにおいて徳川家康に従軍し、その戦功を認められて20万石となった嘉明は、同7年に伊予正木(愛媛県松前町)から道後平野の中央にある勝山に城郭を移すため、普請奉行に足立重信を命じて地割を行い工事に着手した。翌8年(1603)10月に嘉明は居を新城下に移し、初めて松山という名称が公にされた。

その後工事は継続され、寛永4年(1627)になってようやく一応の完成をみた。当時の太守は五重で偉観を誇ったと伝えられる。しかし嘉明は松山にあること25年、完成直前の寛永4年(1627)に会津へ転封される。
そのあとへ蒲生氏郷の孫忠知が出羽国(山形県)上の山城から入国し、二之丸の築造を完成したが、寛永11年8月参勤交代の途中、在城7年目に京都で病没し、嗣子がいないので断絶する。

その後、寛永12年(1635)7月伊勢国(三重県)桑名城主松平定行が伊予松山15万石に封じられた。寛永16年(1639)定行は、3年の年月をかけ、築城当時五重であった天守を三重に改築する。これは地盤の弱さに起因する天主の安全確保とも、江戸幕府に配慮したためとも言われている。

ところが、9代松平定国(8代将軍徳川吉宗の孫)の天明4年(1784)元旦、落雷で天守が焼失した。焼失後37年を経た文政3年(1820)、父定国の意志を継いだ11代定通は、復興工事に着手するが、着工16年にして、定通の逝去と仕事場の火災で頓挫する。これを引き継いだ12代藩主松平勝善は、弘化4年(1847)城郭復興に着手、ようやく安政元年(1854)悲願の天守が復興した。

これが現在の天守で、姫路城と並ぶ典型的な連立式天守をもち、慶長期の様式を引き継ぐ、わが国最後の完全な城郭建築といわれる。』
    

旅行の満足度
4.0
観光
4.5
交通
3.5
同行者
一人旅
交通手段
高速・路線バス 徒歩 ジェットスター
旅行の手配内容
個別手配

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  • 成田空港第二ビル出迎えバス停(3月15日夜)<br /><br />翌日早朝便のため前泊することになり、LCC搭乗の為150分かけて成田まで来ました。成田空港駅第二ビル駅下車、前泊ホテル出迎えバスを待ちます。<br /><br /><br /><br />

    成田空港第二ビル出迎えバス停(3月15日夜)

    翌日早朝便のため前泊することになり、LCC搭乗の為150分かけて成田まで来ました。成田空港駅第二ビル駅下車、前泊ホテル出迎えバスを待ちます。



  • 出迎えバス停<br /><br />宿泊だけなので簡素なホテルで結構と思って宿泊先を探しますが、いずれも希望通りがなくようやくホテルスカイコート成田を予約、ピックアップは1時間に1本の時間表となっています。

    出迎えバス停

    宿泊だけなので簡素なホテルで結構と思って宿泊先を探しますが、いずれも希望通りがなくようやくホテルスカイコート成田を予約、ピックアップは1時間に1本の時間表となっています。

  • 出迎えバス停<br /><br />有名なホテル名が記載されている時間表は出迎えバスの本数が3本と表示され、乗り込みの客数もそれなりに多いようです。

    出迎えバス停

    有名なホテル名が記載されている時間表は出迎えバスの本数が3本と表示され、乗り込みの客数もそれなりに多いようです。

  • 成田発JETSTAR GK401便(3月16日、6:20発)<br /><br />4時起床、「LCCプラン」宿泊ということでホテルを5時出発のバスに乗り込み、約15分で成田空港第2ビル駅到着、運転手に尋ねてビル2階に行きFゲートと地上職員から説明受け搭乗案内時刻(5時50分)まで待ちます。

    成田発JETSTAR GK401便(3月16日、6:20発)

    4時起床、「LCCプラン」宿泊ということでホテルを5時出発のバスに乗り込み、約15分で成田空港第2ビル駅到着、運転手に尋ねてビル2階に行きFゲートと地上職員から説明受け搭乗案内時刻(5時50分)まで待ちます。

  • 成田発JETSTAR GK401便(6:20発)<br /><br />JETSTARは初回でしたが概ねトラブルなどなく、バスにて搭乗する飛行機まで行きますと、JETSTARの機材が多数駐機しているエリアに到着、すぐさま専用の小型タラップから乗込みます。余談ですがタラップに乗り込む頃がちょうど日の出でした。

    成田発JETSTAR GK401便(6:20発)

    JETSTARは初回でしたが概ねトラブルなどなく、バスにて搭乗する飛行機まで行きますと、JETSTARの機材が多数駐機しているエリアに到着、すぐさま専用の小型タラップから乗込みます。余談ですがタラップに乗り込む頃がちょうど日の出でした。

  • 成田発JETSTAR GK401便(6:20発)<br /><br />搭乗者は圧倒的に若者が多く、次に3~4名の家族そして吾等老人にグルーピングされる人種もちらほらと言った状況。機材はAIRBUS A320と刻されています。出発は定時でした。

    成田発JETSTAR GK401便(6:20発)

    搭乗者は圧倒的に若者が多く、次に3~4名の家族そして吾等老人にグルーピングされる人種もちらほらと言った状況。機材はAIRBUS A320と刻されています。出発は定時でした。

  • 松山空港到着 JETSTAR GK401便(7:55着)<br /><br />LCC初体験でしたが、機内中央通路の左右はそれぞれ3列席で座席間のピッチはやや狭いと感じるものの飛行時間1時間35分は特に問題ないと言えます。地方空港は成田空港と異なりバス移送の仕組みはなくブリッジからターミナルビルに入場できてむしろ地方空港の方が利便性は高いと言えます。

    松山空港到着 JETSTAR GK401便(7:55着)

    LCC初体験でしたが、機内中央通路の左右はそれぞれ3列席で座席間のピッチはやや狭いと感じるものの飛行時間1時間35分は特に問題ないと言えます。地方空港は成田空港と異なりバス移送の仕組みはなくブリッジからターミナルビルに入場できてむしろ地方空港の方が利便性は高いと言えます。

  • JR松山駅<br /><br />当初計画は松山空港から今治へのバス利用でしたが待ち時間がもったいなく、頻繁に走る松山駅~松山市駅~道後温泉のリムジンバス利用に切り替え約20分でJR松山駅到着します。すると今治方面移動はタイミング悪く、急遽松山城までタクシーで行くことにします。

    JR松山駅

    当初計画は松山空港から今治へのバス利用でしたが待ち時間がもったいなく、頻繁に走る松山駅~松山市駅~道後温泉のリムジンバス利用に切り替え約20分でJR松山駅到着します。すると今治方面移動はタイミング悪く、急遽松山城までタクシーで行くことにします。

  • 登城リフトと景観<br /><br />時間を有効に活用する為リフトで登城します。

    登城リフトと景観

    時間を有効に活用する為リフトで登城します。

  • 登城リフトと景観<br /><br />暫くすると右手に桜並木がリフトに沿って鮮やかな色彩を見せてくれます。

    登城リフトと景観

    暫くすると右手に桜並木がリフトに沿って鮮やかな色彩を見せてくれます。

  • 登城リフトと景観<br /><br />やがて右手に松山城の一角が視野に入ってきます。

    登城リフトと景観

    やがて右手に松山城の一角が視野に入ってきます。

  • 松山城見取図<br /><br />上部は現在、下部は当時の松山城が一覧で比較可能でよくわかります。

    松山城見取図

    上部は現在、下部は当時の松山城が一覧で比較可能でよくわかります。

  • 松山城説明板

    松山城説明板

  • 松山城城主変遷説明<br /><br />加藤嘉明→蒲生忠知→久松家・松平定行(以降明治維新まで久松家・松平氏が歴代城主、尚久松家は家康生母の於大の方が広忠と離婚した後に再婚した久松家の子息の子孫に当ります。)

    松山城城主変遷説明

    加藤嘉明→蒲生忠知→久松家・松平定行(以降明治維新まで久松家・松平氏が歴代城主、尚久松家は家康生母の於大の方が広忠と離婚した後に再婚した久松家の子息の子孫に当ります。)

  • 大手道と高石垣<br /><br />大手道を進むと高石垣が控えています。<br /><br />

    大手道と高石垣

    大手道を進むと高石垣が控えています。

  • 高石垣

    高石垣

  • 隠門続櫓(かくれもんつづきやぐら)<br /><br />長者ヶ平の石畳から石垣を眺めると高石垣の上部に隠門続櫓が見えます。

    イチオシ

    隠門続櫓(かくれもんつづきやぐら)

    長者ヶ平の石畳から石垣を眺めると高石垣の上部に隠門続櫓が見えます。

  • 石垣説明板

    石垣説明板

  • 大手門跡・待合番所跡・揚木戸門跡説明板

    大手門跡・待合番所跡・揚木戸門跡説明板

  • 太鼓櫓<br /><br />高石垣の向こうには太鼓櫓が控えています。

    太鼓櫓

    高石垣の向こうには太鼓櫓が控えています。

  • 太鼓櫓(遠景)

    イチオシ

    太鼓櫓(遠景)

  • 太鼓櫓石垣

    太鼓櫓石垣

  • 戸無門説明板

    戸無門説明板

  • 戸無門(近景)

    戸無門(近景)

  • 隠門続櫓(かくれもんつづきやぐら)全景

    隠門続櫓(かくれもんつづきやぐら)全景

  • 隠門続櫓説明板

    隠門続櫓説明板

  • 櫓から展望

    櫓から展望

  • 松山城「築城物語」と別称「金亀(きんき)城」由来説明

    松山城「築城物語」と別称「金亀(きんき)城」由来説明

  • 筒井門<br /><br />移転前の正木城から移築されたと伝えられています。尚筒井門の脇に隠れて造作されている隠門があります。

    筒井門

    移転前の正木城から移築されたと伝えられています。尚筒井門の脇に隠れて造作されている隠門があります。

  • 太鼓櫓<br /><br />太鼓門を過ぎると左右の石垣を従えて太鼓櫓が見えます。<br /><br />

    太鼓櫓

    太鼓門を過ぎると左右の石垣を従えて太鼓櫓が見えます。

  • 太鼓櫓説明板

    太鼓櫓説明板

  • 井戸

    井戸

  • 井戸説明板

    井戸説明板

  • 本丸広場からの展望

    本丸広場からの展望

  • 本丸広場からの展望

    本丸広場からの展望

  • 本丸広場<br /><br />左右の桜並木を見ながら正面に天守を左側には馬具櫓(ばぐやぐら)を捉えます。

    本丸広場

    左右の桜並木を見ながら正面に天守を左側には馬具櫓(ばぐやぐら)を捉えます。

  • 馬具櫓説明板

    馬具櫓説明板

  • 大天守

    大天守

  • 松山城説明板

    松山城説明板

  • 本丸本壇説明<br /><br />本丸の奥(北側)に独立した天守郭群で城の中核的機能を有しています。

    本丸本壇説明

    本丸の奥(北側)に独立した天守郭群で城の中核的機能を有しています。

  • 本丸見取図

    本丸見取図

  • 本壇配置図

    本壇配置図

  • 本壇入口<br /><br />天守閣入場券をチェックの上天守閣に向かいます。<br /><br />

    本壇入口

    天守閣入場券をチェックの上天守閣に向かいます。

  • 大天守<br /><br />小天守(西側)と一ノ門南櫓(東側)を左右に見て中央奥に大天守が控えています。

    イチオシ

    大天守

    小天守(西側)と一ノ門南櫓(東側)を左右に見て中央奥に大天守が控えています。

  • 大天守(近景)<br /><br />この写真は松山城独特の構図で例えクイズに出されても瞬時に言い当てることができます。

    大天守(近景)

    この写真は松山城独特の構図で例えクイズに出されても瞬時に言い当てることができます。

  • 多門櫓と小天守

    多門櫓と小天守

  • 一ノ門南櫓

    一ノ門南櫓

  • 紫竹門東塀(しちくもんひがしべい)

    紫竹門東塀(しちくもんひがしべい)

  • 筋鉄門東塀<br /><br />一ノ門南櫓、一ノ門及び小天守閣を防御する設備となっています。

    筋鉄門東塀

    一ノ門南櫓、一ノ門及び小天守閣を防御する設備となっています。

  • 一ノ門

    一ノ門

  • 二ノ門

    イチオシ

    二ノ門

  • 「二ノ門」(重要文化財)説明板

    「二ノ門」(重要文化財)説明板

  • 二ノ門(近景)

    二ノ門(近景)

  • 紫竹門東塀

    紫竹門東塀

  • 大天守全景

    大天守全景

  • 「三ノ門」(重要文化財)説明板

    「三ノ門」(重要文化財)説明板

  • 「三ノ門南櫓」(重要文化財)説明

    「三ノ門南櫓」(重要文化財)説明

  • 筋鉄門(すじがねもん)

    筋鉄門(すじがねもん)

  • 筋鉄門東塀

    筋鉄門東塀

  • 筋鉄門内側

    筋鉄門内側

  • 天守広場

    天守広場

  • 小天守閣と多聞櫓

    小天守閣と多聞櫓

  • 「本壇配置図」説明板

    「本壇配置図」説明板

  • 天守閣入口

    天守閣入口

  • 「天守閣」説明板

    「天守閣」説明板

  • 「穀倉」説明板

    「穀倉」説明板

  • 天守閣内部<br /><br />天守を支える頑丈な梁が見事です。

    天守閣内部

    天守を支える頑丈な梁が見事です。

  • 天守閣内部

    天守閣内部

  • 天守閣内部<br /><br />頭上には太い梁が巡らされています。<br /><br />

    天守閣内部

    頭上には太い梁が巡らされています。

  • 天守閣内部

    天守閣内部

  • 天守閣内部<br /><br />片隅に座敷らしき部分が在ります。城主が坐する場所でしょうか。

    天守閣内部

    片隅に座敷らしき部分が在ります。城主が坐する場所でしょうか。

  • 天守からの風景<br /><br />南方向には本丸広場が見られます。手前左は二ノ門南櫓、桜並木の右端には馬具櫓が見えます。

    天守からの風景

    南方向には本丸広場が見られます。手前左は二ノ門南櫓、桜並木の右端には馬具櫓が見えます。

  • 天守からの風景<br /><br />西方向には中央部から右に十間廊下が北隅櫓に延びています。

    天守からの風景

    西方向には中央部から右に十間廊下が北隅櫓に延びています。

  • 天守からの風景<br /><br />北方向には城郭に関するものはなく市街が東西に広がっています。

    イチオシ

    天守からの風景

    北方向には城郭に関するものはなく市街が東西に広がっています。

  • 天守からの風景<br /><br />東方向は左端に僅かに見えますが良門東続櫓(うしとらもんひがしつづきやぐら)程度でその他は樹林が広がっています。

    天守からの風景

    東方向は左端に僅かに見えますが良門東続櫓(うしとらもんひがしつづきやぐら)程度でその他は樹林が広がっています。

  • 玄関多聞(げんかんたもん)

    玄関多聞(げんかんたもん)

  • 「玄関多聞」説明板

    「玄関多聞」説明板

  • 「十間廊下(じゅっけんろうか)」説明板<br /><br />北隅櫓と南隅櫓とを連絡する廊下でその桁行が十間あったことからそのように呼ばれています。

    「十間廊下(じゅっけんろうか)」説明板

    北隅櫓と南隅櫓とを連絡する廊下でその桁行が十間あったことからそのように呼ばれています。

  • 小天守閣<br /><br />大天守閣に次ぐ規模を有する二層二階の天守で大手及び搦手を防衛する位置に在ります。

    小天守閣

    大天守閣に次ぐ規模を有する二層二階の天守で大手及び搦手を防衛する位置に在ります。

  • 「小天守閣」説明板

    「小天守閣」説明板

  • 本丸広場<br /><br />広場にの桜並木はまだ開花には至っていません。

    本丸広場

    広場にの桜並木はまだ開花には至っていません。

  • 本丸広場からの風景

    本丸広場からの風景

  • 「玉薬土蔵跡(たまぐすりどぞうあと)」説明板

    「玉薬土蔵跡(たまぐすりどぞうあと)」説明板

  • 太鼓櫓<br /><br />見事な石垣に配置された櫓が印象的でした。(帰路に再度シャッターを押してしまいました)

    イチオシ

    太鼓櫓

    見事な石垣に配置された櫓が印象的でした。(帰路に再度シャッターを押してしまいました)

  • ロープウエイ<br /><br />麓と城山との移動は徒歩の他にリフトとロープウエイがそれぞれ利用可能です。リフトは待ち時間なく即移動できますが、ロープウエイは時刻が設定されていますがそれぞれ楽しめます。

    ロープウエイ

    麓と城山との移動は徒歩の他にリフトとロープウエイがそれぞれ利用可能です。リフトは待ち時間なく即移動できますが、ロープウエイは時刻が設定されていますがそれぞれ楽しめます。

  • ロープウエイ<br /><br />帰路はロープウエイで降ります。マドンナ風服装をした女性ガイドがマイク片手に説明してくれます。所要時間の2分30秒(パンフレット記載)はあっというまでした。

    ロープウエイ

    帰路はロープウエイで降ります。マドンナ風服装をした女性ガイドがマイク片手に説明してくれます。所要時間の2分30秒(パンフレット記載)はあっというまでした。

  • 旧鯱<br /><br />以前に松山城に配置されていた鯱が駅舎の一隅に在ります。

    旧鯱

    以前に松山城に配置されていた鯱が駅舎の一隅に在ります。

  • 市電風景<br /><br />大街道駅から市役所方向の市電を捉えます。

    市電風景

    大街道駅から市役所方向の市電を捉えます。

  • 市電風景<br /><br />

    市電風景

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