2014/03/11 - 2014/03/11
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ぱっしょんKさん
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3月4日に完全に松葉杖が取れました。
ジムに通って毎日、プール歩行と上半身の筋力アップ!でも同じ事ばっかりやってるとあきるんだよねぇ〜。
3月は青春18切符販売時期。これを利用しない手はないでしょ!
ということで、世界遺産石見銀山を見に行く事に。
ただし、今回は足のリハビリと湯治を目的にし、無理は避ける事。これがテーマ。
全く歩かないではリハビリにならないし、無理して足を痛めたら何にもならないから、いつも以上に体と相談しながらの旅行になりました。
2日目 3月11日はこの旅のメイン世界遺産石見銀山に向かいます。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 5.0
- グルメ
- 5.0
- ショッピング
- 4.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- 高速・路線バス JRローカル
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
おはようございます。
この日は石見銀山に出かけます。
宿泊したNEWスカイホテルは2階がフロントカウンターになっていて、その横のカフェスペースで朝食がとれます。スカイホテル大田 宿・ホテル
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ホテルの予約の際に和食か洋食かを指定して予約します。僕は洋食を選択。
食事を取り終わったのは8:10。9:37大田市駅前発のバスに乗る事に決定。 -
時間は9時。チェックアウトします。その時フロントでなんとなく、「この近くに石見銀山行きのバス停ありませんか?」と聞くと、「あります。通り右に行って、老人介護センターがあるので、その前にあります。」とのこと。
ホテルの外観撮影をしたら、右側を見てみます。
すると本当にすぐそこ、歩いて1分のところ、本当に近くにバス停が有るのを発見。駅を9:37に出るバスはここを40分過ぎに通るはず。
とすると、チェックアウトが早すぎました。考えましたが、やはり駅からバスに乗る事に。 -
駅前通りを駅に向かって歩きます。前日は駅から暗い中、反対方向に歩いた道です。
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駅に向かう途中に喜多八幡宮というお宮サンがありましたが、寄る時間はありませんから、通り過ぎます。
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歩いて10分。昨夜列車を降りた大田市駅に到着です。
この日は列車に乗るのが目的ではなく、 -
目的地は駅前のバス乗り場。
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大田市駅の駐輪場に貼ってあったキャラクター銀ばあとたぬ吉。味があったので、写真撮ってみました。
まだ時間あるなぁ。前日雪降ったから結構寒かったのです。
その時、道の反対の建物に目をやると、 -
バスのりばの文字を発見。
大田バスセンターです。
中に避難!暖房が入って暖かかったです。 -
バスセンターの中にコンビニがありそこで切符の購入が可能でした。
大田バスセンターから世界遺産センターまで730円也。 -
大田バスセンターの3番乗り場から世界遺産センター行きのバスが出ています。
バスターミナル9:35発車のバスに乗ります。 -
9:35発のバスはちょっとコンパクトなバスでした。大きいバスも走っています。
さぁ!世界遺産石見銀山に出発です。 -
バスは宿泊したNEWスカイホテルの前の通りを走って行きます。ここは古い感じの商店街。
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商店街を抜けて三瓶川を越えると郊外にバスは出て行きます。
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山道をバスはどんどん登って行きます。走る事35分
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世界遺産センターにバスは到着します。10:10 着。
まずはここから見学をスタートします。
中は展示棟とガイダンス棟に分かれています。展示棟は入場料300円。
ですが、世界遺産センター、旧河島家、熊谷家住宅、石見銀山資料館の4館共通チケットを1000円で購入しました。
トイレもあります。 -
展示棟の第一展示室にはいってすぐのパネル。
鉱脈に沿って掘り進んだ跡、三本路頭の写真と、 -
御取納丁銀の5倍拡大銀製レプリカが飾ってあり、これだけは写真撮影可でした。
この隣のパネルから中はすべて撮影禁止です。戦国時代の世界地図や、石見銀山の歴史、銀を抽出する灰吹法の解説、さらには30kgの銀塊が置いてあり、触ったり持ったりする事が出来ます。
石見銀山と大森の町並みを見て15:00世界遺産センター発のバスで大田に戻る予定なので、駆け足で見て、10:49発のバスで大森のバス停に向かいます。 -
世界遺産センターから5分で大森バス停に到着します。
バスの運転手さんと話したところ、アドバイスをもらいました。龍源寺間歩がある銀山地区は上り坂で2.3kmあり、片道45分。かなりの時間ロスになるから、レンタサイクルを利用した方がいい。さらにいうと、行きはずっと登りだから、ちょっと高めだけど、電動自転車を借りた方が良いとのこと。
このアドバイスを受け入れさせていただきます。 -
大森バス停のすぐ横にある貸自転車弥七さんで自転車を借りる事に決定しましたが、まずは歩いて、すぐ近くの羅漢寺にいき、五百羅漢を見る事に。
-
目指す羅漢寺は石見銀山公園の入口の門のすぐ横。写真の左側に入口があります。
中に入って行きます。
参観料は500円。 -
羅漢寺の参観料を払った建物のすぐ横に弁天池があります。
弁天池の真ん中に立っているのは開運吉祥弁財天。
この池で財産を洗うとご利益があるそうです。 -
そこで1000円札を洗う事に。
お寺の人に確認したら、洗ったお金は財布の中に入れておくのがよいとのこと。 -
池の隣にお札を拭くためのタオルとビニール袋が設置されていました。
-
羅漢寺の山門を出ました。この背後には
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五百羅漢の納まっている石窟があります。
左右二つの石窟があってそれぞれ中には二百五十体の羅漢像があります。
中は撮影禁止です。 -
石窟の前を流れる銀山川の支流。そこにかかる3本の橋。
石を組み合わせて作った反り橋です。 -
レンタサイクルの弥七さんに戻ってきました。
自転車を借りました。 -
銀山での僕の愛車、電動自転車です。
2時間で800円でした。
ずっと登りが続きますので、ちょっと高めですが、電動自転車がおススメです。
一番奥の龍源寺間歩をまずは目指します。 -
龍源寺間歩の駐輪場に自転車を停めて歩いて間歩に向かいます。
すると歩き始めてすぐに大きな旧邸宅があります。
石見銀山御料銀山町年寄山組頭遺宅高橋家です。
山組頭は代官所と銀山師との取り次ぎをしていた役職です。
ちなみに高橋さんの表札がでていたから、まだ、高橋さんが住んでいるようです。 -
高橋家を過ぎるとこんな感じの緩やかな上り坂を登って行きます。
足のリハビリもかねているので、このぐらいの山道はありがたいです。 -
龍源寺間歩の入口に到着です。ここでチケットを購入して間歩に入ります。
入場料は大人一人400円。 -
龍源寺間歩の入口です。
入口から続くのが旧坑道。長さは600メートルにも及びます。
平成元年に157メートルのところから新坑道が設けられ、今では観光用の通過型の間歩になっています。
中に入って行きます。 -
旧坑道に入りました。手彫りの坑道です。
人一人がやっと通れるほどの広さです。
銀鉱石を採掘するための坑道で、間歩と呼ばれます。 -
間歩の壁や天井にはノミの跡が残っています。
-
緩やかな曲線になっています。人力で掘ったのがわかります。
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旧坑道から横方向に掘られた小さな坑道があります。
『ひ押し坑』と呼ぶそうです。
岩石の隙間に板のように固まっている鉱脈を追って掘った跡です。 -
中に進む時は壁も要注意で見て行きます。
ノミの跡がものすごく残っているところがあります。 -
入口と新坑道がつながる場所の真ん中あたりに竪坑と言われる坑道があります。
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カメラを高い位置に上げて写真を取ってみました。深いところに柵が取り付けてありました。
龍源寺間歩に溜まった水を約100メートル下の永久坑道へ排水するために垂直に掘られた坑道です。 -
この銀色!ひょっとして銀鉱石かしらん???
-
坑道を進むと開けたところが見えてきました。
入口から160メートル地点。出口になっている新坑道とつながる地点です。 -
旧坑道は新坑道とつながったあとも奥につながって行きます。
ここから奥は立ち入り禁止ですが、かなり狭くなっているようです。さらに35メートル入った195メートル地点で落盤の為塞がれているようです。この坑道は江戸時代に掘られたもの。 -
旧坑道とお別れして新坑道を進みます。新坑道はゆっくりと登って行きます。
平成元年に掘られた坑道ですから機械で掘ってありますね。
116メートル進むと出口に出ます。
銀の鉱石取れなかった(T_T)
あ!本当は取っちゃいけません。 -
龍源寺間歩の出口から自転車置き場に歩いている途中で変な看板を発見!
カッパを見かけても決して餌を与えないでください。絶滅の恐れがあります。
かおり本舗 中村屋店主
かっぱ??? -
上の看板のすぐそばにあった建物がかおり本舗。
香木をつかった匂い袋を作って販売していました。
お土産に一つ購入。 -
かおり本舗から自転車置き場の途中に神社がありました。
ここは佐毘売山神社といい、鉱山の神である金山彦命を祀っています。 -
先ほどの佐毘売山神社に書いてありました、龍源寺間歩の出口からこの川に沿った谷一帯は栃畑谷というそう。その栃畑谷を歩くと高橋家の前に出ます。
自転車置き場から自転車に乗って見所を見ながら坂を降りていきます。 -
自転車置き場から降り始めてすぐ左手山側に福神山間歩という坑道の跡があります。
先ほど見た龍源寺間歩のように多くは幕府直轄の御直山(おじきやま)ですが、ここは山師が個人経営していた自分山と呼ばれる民間経営の坑道だったところ。
写真を撮った際の背中側にある仙ノ山にむかって、Jの字型に掘り進めた坑道で、坑道口から深く下に向かうこの坑道は、道の下2メートルを通り、銀山川の下を抜けて仙ノ山の鉱脈に続く変わった構造の間歩です。
入る事はできません。 -
福神山間歩からちょっと下がったところから、右側に遊歩道が分岐します。遊歩道は自転車での通行はできません。
その歩道沿いに吉岡出雲の墓の石碑があります。この石碑の横から階段が続いていて、その上の旧極楽寺境内にお墓があるようです。
吉岡出雲は大久保長安に仕え代官として石見銀山の開発に功績を上げた人。吉岡出雲は伊豆や佐渡の金山の開発にも功績をあげました。 -
車道に新切間歩と書かれた矢印が。そこには道の下へと続く階段が。
降りて行きます。 -
階段を下ったところから新切間歩の石碑が銀山川の向こう側、歩道沿いに見えます。
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銀山川を越えて行きます。といってもかなりの上流ですからかんたんにまたげる幅です。
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水が奇麗。ここを越えると、
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新切間歩跡に出ます。
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もともとここは水抜きの為に掘られた坑道だったのですが、その後銀鉱脈にあたり、 龍源寺間歩、永久稼所、大久保間歩、新横相間歩と共に御直山の「五カ山」に数えられるようになった間歩です。
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新切間歩からさらに車道の下るとと山吹城登山口に出ます。
歴史好きの僕としては、尼子氏と毛利氏の銀山の争奪戦の舞台だったこの城跡は見に行きたいところですが、足がまだだめなのと時間がないので諦めるしか有りませんでしたので、登山道と -
見上げた山吹城跡のある要害山の写真を撮って満足することに。
山吹城に行くなら、熊、マムシ、ハチに注意がいるようです。
ここでちょっと寄り道。車道からはずれて清水谷に向かいます。
一旦銀山川の対岸に下った後に坂を登ります。すると右手に -
梅の花が咲く清水谷製錬所跡に出ます。
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満開には早いけど、梅の花がかなり咲いていました。
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この清水谷製錬所は石見銀山最大の坑道・大久保間歩の再開発を目指して採掘権を購入した大阪の藤田組が建設した明治時代の遺跡です。
明治28(1895)年4月から現在価格で約20億円を投入して操業を始めました。酸やアルカリ溶液で鉱石から銀を溶かした後に銀を取り出す最新技術が導入されましたが、鉱石の品質が予想よりもかなり悪く不採算になり1年半で操業を中止された製錬所です。 -
建物は残っていませんが8段の石垣が残されていて当時の最新式工場の遺構を今に伝えています。
自転車でさらに下へ降ります。 -
たくさん神社やお寺があるのですが、表の表札に毛利家の文字が見え、ちょっと気になった豊栄神社に寄ってみます。
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この豊栄神社は毛利元就を祀った神社です。
慶応3年(1867)までは洞春山・長安寺という曹洞宗の寺でした。洞春とは毛利元就の法号で、それが名前になっていました。永禄4年(1561)に山吹城内に毛利元就が自分の木像を安置し、元亀2年(1571)には長安寺を建立し、木像を移したといいます。
関ヶ原の戦いの後、徳川の世になり、ここ長安寺は荒れていたため、木像を長州の萩に引き取って行きました。しかし大森の住民から木像を置くように依頼があり、新しい木像を毛利家は作り、ここに安置しました。そのまま幕末になり、第2次長州戦争の時、長州藩の隊士達が石見に侵入したときここ長安寺に毛利元就の木像が神像として祀られていたのを見て驚き、霊社が造営されました。
明治になり朝廷は、元就に対して豊栄神社の神号を与えたので、長安寺と言う名は豊栄神社へと変わりました。
幕末時に、大森に駐屯した長州の隊士名が、灯篭や鳥居に刻まれています。
行った感想としては刻まれた名前などは確認できましたが、それにしても荒れ過ぎ!もうちょっと手入れした方がよくない? -
大森小学校の斜め前に下河原吹屋跡があります。
ここは江戸時代初期の銀製錬所があったところです。
この前を通って遊歩道の方に向かいます。 -
銀山川を渡ったところから階段が始まります。
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大安寺跡の石碑が立っています。この大安寺の奥に一段高くなっているところがあって、そこには
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木が倒れて石碑が倒され。。。。
立ち入り禁止になっていました。
石碑には
『史跡石見銀山遺跡 大久保石見守墓所』
と書かれています。
ここは大久保長安のお墓です。
じつはそこらじゅうで、木が根っこから抜けて倒れていました。
後でバスの案内所の人に聞いたら、今年は雪が多くて、その重さで木が抜けてしまったそうです。
こんな史跡にもその影響が。。。 -
石見銀山公園の所まで戻ってきました。
渡辺家を発見。
ここは銀山代官所地役人坂本氏の遺宅。
旧銀山町に唯一残る地役人の居宅です。 -
この渡辺家は現在咄々庵というレストランになっています。
美味しそうです。
レンタサイクル借りてから1時間40分経過。ここで食べれば追加料金確定。
どうしよう。。。。
考えましたが、本当においしそうでしたし、遺跡で食事が取れるのは貴重ですから、食べて行く事にしました。
レンタサイクルは30分延長で200円。 -
入ってすぐの母屋を見せてもらいます。お店の方が渡辺家を簡単に説明してくれます。
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母屋の大広間は団体客が食事のときに使う場所になっていて長テーブルが置かれていました。
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大広間の奥は土間にかまどがある台所。
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土間の上にはおひな様が飾られていました。
3月11日ですから、まだおひな様は出してありました。この後、いろいろなおひな様を楽しむ事ができました。 -
母屋から裏庭に出ると、もう一件離れが有りました。
食事はここで取ります。 -
カウンターでいただきます。
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カウンターの向こうは瓶や井戸などがあります。
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季節のセイロ蒸し膳というメニューがあり、今の時期は何か聞くと、
「カニだと思いますよ。」
「カニ!! 島根と言えば松葉ガニだ!! それにします。」
ということで、季節のセイロ蒸し膳 1890円をいただきました。
とてもおいしかったです。 -
テーブル席は掘り机で用意されています。
何組かのお客さんが食事されてました。
ここでちょっと決断。時間は13時半。予定では15時のバスで引き上げ、16:33着の列車で温泉津駅に到着。そして宿に迎えに来てもらうことになっていたのですが、あと1時間半では時間がきついので、もう一本後の17:07着に変更することにして宿に電話。了解をいただきました。これで滞在可能時間は2時間半に長くなりました。 -
レンタサイクルを追加料金200円払って返却し、大森の町並みを歩きます。
雰囲気を守るデザインの自動販売機があります。 -
大森地区は江戸時代の鉱山町の面影を色濃く残す町並みで、世界遺産石見銀山の構成遺跡として登録されています。
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大森に設けられた6件の村役人等の指定宿の一つ金森家です。
漆喰塗りの年代を感じる建物です。 -
当時の建物がお店に利用されています。
ラムネの旗がまたいい味出してるんだよなぁ。
東に更に進むと、 -
石見銀山代官所地役人遺宅、安部家が右手に出てきます。
安部氏は初代甲斐国出身の安部清兵衛が大久保長安に召し抱えられて以来、代々銀山支配に携わった家です。ちょっと奥まっていて建物は見えませんが、現存する武家屋敷の中では最大規模のものだそうです。 -
安部家と道を挟んだところにもう一件武家屋敷があります。
三宅家です。
この建物は代官所銀山方役所に勤務する銀山附地役人の田邊氏の居宅だった家です。
田邊氏は鉱山開発に広く携わった家として有名で、五代目彦右衛門は福島の半田銀山、六代目金右衛門は栃木の足尾銀山にそれぞれ派遣されたそうです。 -
武家屋敷を過ぎると、再び町民街の家が続く町並みになります。
そこを歩くと、 -
左手に石見銀山代官所の同心柳原家の建物が出てきます。
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前日電車の中から雪が降っているのを見ていたのが嘘のように感じる穏やかな天気です。梅と日本家屋の雰囲気がいいです。
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いい雰囲気だった家が旧河島家。
ここは中を見学ができます。世界遺産センターで購入した4館共通チケットの中に入っている建物です。
中に入ります。 -
門をくぐると、おひな様が出迎えてくれました。
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玄関入って入場券をチェックしてもらい、そのまま奥に入って行きます。
台所の土間にある竃を見ながら、 -
入口右手側の勝手から靴を脱いで上に上がります。。
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勝手に展示されている当時使っていた食器類。
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勝手のすぐ横、中の間。
ここで食事を取ったのがわかるお膳の模型が置いてあります。 -
貴重品置き場と夫婦の寝室を兼ねていた納戸。
女性の部屋としても使用されていたので、化粧、裁縫、機織り、糸繰り、手習いなども行われていました。
ここから縁側に出てみます。 -
井戸のある庭がよく見えます。
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そして縁側の隅に糸紡ぎ機が置かれています。
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納戸にはお歯黒の道具や鏡などの化粧品が展示されています。
壁にお歯黒の塗り方が図解されていますので、してみたい方はメモして帰るのもありかと。。。 -
接客の場である座敷奥の間、座敷中の間の様子。
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玄関に飾られた力強い文字の屏風。
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納戸は2階建て。納戸1階奥にある階段。
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その階段を登ると8畳の納戸が。
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今2階は武具や掛け軸などが展示されています。
鎧とかは本当にここにしまわれていた感じです。
階段を降り、納戸から勝手を通って、台所の土間に戻ります。 -
台所の土間からも2階に昇る階段があります。
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2階の物置。食器などを収納するスペースになっています。
先ほど行った納戸の2階とはつながっていません。 -
台所2階の物置では、食器を当時の収納方法で収納されています。
なかなか整然と収納されていてすごいなぁと感じます。
河島家はここまで、次に向かいます。 -
さらに東に向かって歩きます。
-
河島家を出発してすぐ左手に旧大森区裁判所があります。ここは今町並み交流センターとして利用されています。
ここでトイレを借ります。 -
町並み交流センターを出てさらに東に向かいます。
ここからは寺院が多い地区です。 -
町並み交流センターを出たら、橋を2本渡ります。2本渡ったら、道から外れて、西性寺に向かいます。
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銀山川沿いにちょっと行くと西性寺はあります。
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1739年に作られた本堂。これだけでも十分見る価値はありますが、
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ここの目的はこの大正時代に建てられた経蔵。
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左官の神様と呼ばれた松浦栄吉さんが還暦を迎えた時に作ったという鏝絵(こてえ)「鳳凰」があります。
他の3面にも菊や牡丹の彫刻がされています。
西性寺を後にして通りに戻ります。 -
戻ってすぐのところに青山家があります。
ここは先に見た金森家同様、大森に設けられた6件の村役人等の指定宿の一つで田儀屋だった建物です。 -
青山家の向かい側に石碑が立った家がありました。
見ると、理容遺産第一号-四 石見銀山理容館 アラタと書かれていました。
大正末期の理容文化を残す重要な理容遺産として理容遺産第一号に指定された建物だそうです。 -
4館共通チケットで入場できる館3件目熊谷家住宅に到着。ありゃ!外観撮影し忘れちゃった。漆喰塗りの立派な外観だったのに〜!
中に入るとまずはおひな様がお出迎え。
よく見るひな壇になってなくて、お内裏様とおひな様は屋根の下にいらっしゃりました。このパターンは初めて見たわ。紫宸殿雛というそうです。 -
受付でチケットチェックしてもらいました。そこに御抹茶400円の文字が。
いただきま〜す。
2階か写真の火鉢のあるところ好きな方で飲めるそうですが、僕は見学したあとにここで火鉢にあたりながら頂く事に。
注文だけして中に入ります。 -
ここ熊谷住宅は1801年に建てらた、有力商人熊谷家の家で、今まで見てきた武家屋敷とは大分構造が違います。
一番最初に見たのは奥の間。
ここは接客用の部屋。 -
奥の間の障子を開けた外側の庭には、お客さんが乗ってきた籠を降ろすための岩があります。
-
庭には漆喰塗りの立派な蔵があります。
左の大きい蔵が、北道具蔵、右側が小蔵。
北道具蔵は屏風、建具、火鉢などの座敷で使われた家財や仏具、寝具などが納められていました。
小蔵は祭祀用の土蔵で、当主だけが入れる蔵。中央奥に神棚が設けられています。 -
蔵と母屋の間の庭。
武家屋敷よりも立派な気がするなぁ。小さいけど日本庭園らしさが全面に出ています。 -
奥にトイレがあります。
-
トイレの奥にはお風呂場があります。
手前脱衣所があり、 -
奥には風呂桶。
浅いなぁ。これでどう使っていたんだろう? -
居間に行きます。この居間には石組みの地下蔵があります。
見れるように床がガラス張りになっています。
この地下蔵には代官所から預かった重要な書類を保管するための耐火金庫の役割をしたようです。
サイズは 縦1.6m x横 3.4m x深さ 2.5m -
居間全体です。もちろんガラスのところも畳がはまっていました。
-
居間の奥の部屋が茶室です。
ちょっと広めです。 -
衣装蔵に入ります。
-
衣装蔵の2階。着物、寝具、帯などが展示されています。
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衣装蔵を出て東道具蔵に向かいます。
1階は酒造関係の展示。
2階は飲食具の展示がされていますが、中は撮影禁止。 -
台所にやってきました。
-
商家だから人数が多かったんでしょうねぇ。台所、とんでもなく大きいです。
ここから主屋の2階に上がります。 -
2階に上がると婚礼道具が展示されていました。
大正11年熊谷家に嫁いできたヒサ子さんの嫁入り道具だそうです。
布団やタンスが目に付きます。 -
2階にこたつがありました。
ここで御抹茶飲む事ができるとの話でした。 -
女性が住んでらっしゃったんでしょうか。
鳥の籠や着物などが展示されていました。 -
2階から北道具蔵と小蔵を見下ろします。
-
2階から1階に降りてきました。
中に入った土間のところにある勘定場を最後に見ます。
天秤や金庫などが展示されていました。 -
中に入るときに注文した御抹茶をいただきます。
ゆずの香りのいいお菓子付きです。 -
火鉢の横で、いただきます。
16時13分のバスに乗らないといけないのですが、時間はすでに15時20分過ぎ。
お茶をさっさと飲み込み、次に出かけます。
御抹茶美味しかったです。 -
最後に見学するのは石見銀山資料館。大森代官所跡です。
-
石見銀山4館共通チケットを使用して最後の見学施設です。
ここは中は完全撮影禁止。
石見銀山から掘り出された銀鉱石などが展示されています。 -
中を見学終えて出てきた時、庭にある木の一本に松本清張先生記念植樹の文字があるのを発見!
代官所の庭を残している貴重な建物でした。
これで世界遺産石見銀山の銀山地区と大森地区の見学終了! -
まだバスまで時間が少しありますので、石見銀山資料館の隣にある、銀の店に行き、お土産を購入しました。
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大森代官所跡バス停に戻ってきました。
時刻表を見てあら!16:10発に仁万駅前行きのバスがある!
大田市駅よりも目的地の温泉津駅に近い駅です。
仁万駅に向かう事に。 -
大森代官所跡バス停から仁万駅前まで15分、16:25着です。
1日4本しかないからこれはラッキーでした。 -
仁万駅です。
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ザ・ローカル駅という雰囲気がとてもいいです。
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16:56発 快速アクアライナー・浜田行で温泉津駅に向かいます。
2駅9分、17:07到着です。
今日の宿輝雲荘の送迎車にお迎えをお願いしてあります。 -
旅館の車で約5分で今日の宿輝雲荘に到着。
評価オール5の薬師湯のお湯を引いた温泉が魅力の宿 by ぱっしょんKさん寛ぎの宿 輝雲荘 宿・ホテル
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1泊2食付きお手頃会席プラン12,600円で宿泊しました。
お部屋は旧館のお部屋でしたので、お風呂、トイレは共用です。それを予約確認の電話でも改めて確認されました。が、温泉宿ってそういうもんなんじゃないの?って未だに思ってますが。。
新館ではバストイレ付きの部屋なんでしょうねぇ〜。
食事を6時半からでお願いしたので、1時間の時間があります。温泉に入りに行く事に。 -
この日の男湯は夜の11時までは3階の甍(いから)の湯です。
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露天風呂はセラミック泉(循環ろ過)ですが、赤色の石州瓦の町並みを見下ろす事ができます。
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内風呂は温泉 掛け流しです。ちょっと茶色の色が着いています。
日本温泉協会の査定でオール5をもらった、立寄湯薬師湯からお湯を引っ張ってきています。 -
部屋から温泉津温泉の町並みの写真を撮ります。
この町並みが世界遺産に石見銀山の構成遺産として登録されています。温泉津温泉 温泉
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6時半になりました。料理を部屋に運んできてもらい、食事です。
会席料理をいただきます。
風呂上がりは生ビールでしょ。
そのお供に -
煮こごりの炙りうにのせ。
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ぶりのお造り
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えびとあさりとミニキャベツにだしのゼリーをかけたもの。
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たいの焼き物
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温泉津の地酒 開春。
ビールが終われば冷酒です。 -
出雲牛の鍋。
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天ぷらもりあわせ。
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茶碗蒸し
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魚と菜の花のだしのかかったもの。
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デザート。ケーキといちごとりんご。
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締めはごはんとお吸い物。
味も最高!量も満足。一人ではちょっと贅沢だったかなぁ。
翌日は世界遺産沖泊を見て、出雲、松江に移動します。
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