2014/01/27 - 2014/01/29
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スタリモストさん
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ジュナガールの街は芸術の域に達する歴史的建造物にあふれていた。
強い日差しは、厳寒の日本から来た私達にとって、とても心地良いものだった。
□経過=デリー(1/14.15.16)→ボーパール(1/17.18.19)→マンドゥ(1/20.21)→アーメダバード(1/22.23.24.25.26)→ジュナーガル(1/27.28.29.30)・・→この後は以下の予定、ジャムナガル→ブージ→パタン→ ウダイブル→マウント・アーブ→ジャイサル・メール→ジョードプル→プシュカル→ジャイプル→ブーンディ→デリー・・・帰国(3/7)
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□14日目(1/27) 今日はジュナーガルに鉄道(8:20発11464 JBP Somnath Exp.)で移動する。3日前にチケットを購入したが、ウェイティングリスト(WL)扱いであったので、乗車名簿に私達の名があるか心配していた。検索機で確かめると、あったあった!。車両は離れているものの席はちゃんと2つ確保されていた。ホームには沢山の人たちが待っていたので、最悪の場合離れて座ることも覚悟していた。ところが・・A/C3の私達の車両はガラガラで10人に満たない乗客数だ。これでWL4だった。SleeperクラスはWL43だったが、この車両も人が少ない。こうした状態でどうしてWLだったのか全くわからない。この列車はニューテリー始発の夜行列車だったようで、アーメダバードで多くの乗客が下車していた。コンピユーターシステムが、乗客の乗降を反映しないためにWLとなるのだろうか。ホームで待っていた大勢の人たちは、予約が必要のない2等座席の車両に流れたとしたらそっちは満席だったろう。インドの鉄道料金はクラスによって恐ろしく違うので、やはり安い車両に人々は殺到するのか。
停車中にチャイ屋が回ってきたので飲んでみたが(10)、容器は小っちゃいしぬるかった。飲み直しに、売店でチャイ(7)を買い直した。熱いミルクにリプトンのティーバックが入っているタイプ、こちらの方が格段に熱くそして量も多いのでお勧め。予定時間を20分ほど遅れて列車は動きだした。
鉄道の旅はとても快適だ。まして一区画独占しているので、したい放題。スタリモストは風邪気味でずっと横になり、私はパソコンでインド映画を観て楽しんだ。 -
朝にベジランチ(50)を注文していたが10時に持ってきたので熱い内に食べることにした。まずまずの味。振り返ってみると「駅弁」を食べるのは久しぶりだなあ。食後に活躍したのは、あのコイル式湯沸かし器。ここの電圧は110Vだったので、時間はかかったものの、見事沸騰した。熱いドリップ式ブラックコーヒーーはとても美味しかった。(一つコップで沸かし、もう一つのコップに注いでシェアして飲む(^^)/。)
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列車は16時半にジュナーガル・ジャンクション駅に着いた。着いて右前方に、堂々たる市門が見えてきた。アーメダバードからアゴダで予約を入れておいた「ホテル・Harmony」に向かった。市門方向の南に歩き始めると、路上生活者の男が子供を抱いて追いかけてきたので、小銭を渡した。インドに入りボーパールあたりから、タイミングが合った時は施しをするようになった。しかしどこの街でも路上生活者はいて実に過酷な生活をしている。
現れた大きな交差点を右に折れ、次の角にホテルはあった。予約したのはノンエアコンの部屋(900)だったのだけど窓なしだった。 -
さて夕食。駅方面にもどり「GEETA LODGE」で。このレストランは1938年創業のグジャラートタリーの専門店。1人110の均一料金(子供料金設定あり、マンゴープリンなどデザートは別で20)。
グジャラートカレーは甘いと聞いていたが、ダールがかなり甘く、グリンピース・なすのカレーはやや甘め。ココナッツカレーやや甘め、ジャガイモカレー普通、豆カレー普通だった。こくのあるバターミルク(チャース)がピッチャーでついてくる。・・・携行している旅行人「グジャラート」を読み返し、この飲み物を小川京子さんがとてもお好きなことを発見。やはりハマル人がいるんだ。蔵前さんの案内文は的確でいて、しかもちょっと脱力している感じがいいのだけど、小川さんの文章も言い回しが楽しい飽きない読み物だ。・・・主食はご飯、バターチャパティ、パパッド、とんがりコーンそっくりの揚げ菓子。少なくなってくると、巡回する従業員がおかわりをつぎ足してくれる。言わば「わんこそば方式」。大食漢にはお勧めの店だけど、残念ながら、私達はほとんどおかわり出来ず。 -
帰り、スタリモストは薬局で風邪薬を購入。日本から薬を持ってきているのに何故?。「ルルは飲んだのだけど、イマイチで、、、。インドの風邪はやはりインドの薬が最適かも・・」と彼女。錠剤(BLUE CROSS のKULQ)のばら売りと鼻薬(Otrivin)で86。・・・この発想は、以前スリランカを訪れた時、「モスキートキラー」を押し売りされたのと同じではないか・・「日本から持ってきておられるそれはこの国の蚊にはきかないのです。これこそお勧めです。」・・
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元気なa3は伸びてきた髪をカット(100)。利用した散髪屋はホテルが入っている同じビル内。スタッフはとてもフレンドリー。初日本人客だったようで、彼も自分の携帯で私を撮っていた。ここジュナーガルは今回の旅では最南部。夜も室温は26度ある。短く髪を切ってとてもさっぱりした。
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□15日目(1/28)
スタリモストの具合がよくない。発熱はしていないものの、ノドの痛みを訴え鼻声。飲んでいるインド風邪薬はまだ効かないようだ。旅も2週間経過した、今までの疲れが出ているのだろう。「風邪を引いたというのは休みなさい」ということだ。無理をせず1日休養することにして、ゆったり過ごすことが出来るように、ファミリータイプの広いAC付の部屋(1500)に移動した。角部屋で窓が3つもあり、窓からすぐ横のバスターミナルが見えた。ここなら部屋に閉じこもっていても窮屈な感じはないだろう。
私は、持ってきていたポカリスェット顆粒をミネラルウォーターとシャッフルして飲ませたり、彼女の洗濯をしてやったりして、こまめにお世話。ここで夫の株を上げておかないとね(^^)/。ちなみに旅行中の洗濯は自分のものは自分ですることになっている。手洗いは量が増えるとなかなか重労働だから・・。
スタリモストに請われ果物(70)を調達に出たのだが、昼の日差しの強いこと。ゆうに30度は超えている。室内でさえ28度だ。今の時期にしてこの暑さだから、暑気の頃はどんなことになるのだろうか。この街を歩いた蔵前さんは、「・・あまりの暑さにクラクラする。」と、書かれていたがそのことが推測出来る。
昼はリンゴ1個とバナナ1本づつ、それにアーメダバードで手に入れた小袋ラーメンを食べた(インド製で何故か「清密」という日本語がロゴに入っている。)。ここでも活躍したのが、あの湯沸かし器。グツグツとコップの中でラーメンが煮たった。(^o^)。もうこれは旅に無くてはならないアイテムだ。 -
彼女が寝ている間、持参したスケッチブックを開き、この街の市門を描いてみた。
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□16日目(1/29)
スタリモストの調子が良くなってきた。丸1日の完全静養とインド風邪薬、そしてa3のサポートが功を奏したようだ。
なので、出かけることにした。午前中は「ウパルコート砦」方面に行った。この街はアーショカ王時代からの歴史を持つ街であり、17C半ばから2世紀の間統治したマハバシカーンが街の建設を推進した。その当時の栄華をしのばせる重厚な建物が随所にみられたが、この建築群の鑑賞は後にまわそう。
ウバルコート砦の建造は紀元前にさかのぼると言われている。入口はくの字に曲がり、敵に侵入を阻んだようだ。受付で記帳し無料で入れる。日本人が来たのは1ヶ月前だと言っていた。確かにウェスタンも含め観光客には全く会わない。 -
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貯水池があった。ポンプが入っている建物は歴史的建造物なみ・・昔のものを転用しているのだろうか。飾り窓の向こうにギルナール山が見える。
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街を眺望出来る。
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「ブッディスト・ケイプ」(100)に入った。仏僧が瞑想と宿泊した場所という。規模は大きくないので、飛ばしても良いかと・・・
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そして期待していた、階段井戸「アディ・チャディ」に到着。岩盤をそぎ取ったように作られた野性的な井戸で、インディージョーンズの世界のようだった。15Cの建造で、162段の階段、41mの深さがある。
鳩が群れ飛びそこかしこ糞だらけだけだったけれど、「旅行人」や「歩き方」に書かれていたように、最深部まで降りられないことはなく、全く平気で下まで行けた。この井戸の水は聖水扱いされているようで、汚れきった水だけど口に含む人たちが多くいた。 -
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次に、「ナヴァハン・クーヴァ」階段井戸。垂直に掘られた井戸の周囲に階段がうがたれている。暗闇のむこうに、最深部に続く階段が見えたが引き返した。ここも鳩やインコが群れ飛んでいた。
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宮殿がモスクに転用された 「ジャマー・マスジット」には沢山の子供たちが見学に来ていて、先生からこの建物の由来を聞いていた。
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砦近く・・ダール通り・・
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この建物がある交差点を曲がって、
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ディワン・チョーク界隈に向かう。
ダール通りにも素晴らしい建物があったので、予兆はあったものの、ゲートの向こうに足を踏み入れた時、目の前に現れた建物の重厚さに心から驚嘆した。インドというより、西洋のどこかの観光地にあるような町並みが現れた。外観の傷みは激しいが、創建当時の絢爛豪華さがしのばれる見事なものだ。
スタリモストは「老女が美しい衣装をまとっているような切ない感じが漂っている。」と。 -
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博物館横
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博物館正面
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ホテルに戻って休んだ後、3時過ぎに「マハーバト・マクラバー」に向かった。まだまだ日差しが強く、ディバックの横ポケットにいれた温度計は35度をさしていた。乾燥しているので、汗が噴き出る感じではないが、舞う土埃がひどい。
駅方面に歩き市門をくぐると、右手に「マハーバト・マクラバー」の尖塔が見えてきた。 -
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左に1892年に創建されたマハーバト・ハーン3世の霊廟「マハーバト・マクラバー」、右に、4本の螺旋階段を巻いた尖塔に囲まれた「ヴァジールス・マクラバー」が建つ。
映画「落下の王国」でも一瞬よぎった建物だ。いやこれは凄い、実に美しい。インドとイスラームの様式に西洋がシャッフルされた何とも不思議で味わい深い建物だ。幻想的で詩的だ。喧噪にまみれた街中に、うち捨てられたようにひっそりとたたずんでいる。管理人がいるわけでもなく、敷地内では子供が棒きれでクリケットをし、自転車を乗り回していた。建物には赤さびた鉄梯子が掛かっていて、とがめられずに上に登ることも出来そうだ。中には入れないが、廟の中に棺が見えた。ゴミと土と小石が散乱していて、VIP扱いされている「タージ・マハル」と大違いだ。しかしその味わいはそれに劣らない。
周囲をめぐったり、螺旋階段の上からも鳥瞰したりしながら、1時間ほど飽くことなく見つめ続けた。 -
マハーバト・マクラバー
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ヴァジールス・マクラバー
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ホテルへの帰り道、路上のチャイ屋で休んだ、一杯5rpのそれは今までの中で甘さ控えで最も美味しかった。
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夕飯はホテルが入っているビルのターミナル側にある「Patel`s dining hall」のグラジャート・ベジターリ(110)を食べた。1昨日利用した「GEETA LODGE」と同じ食べ放題スタイル。辛さ控え目は同じなのだけど、こちらの店の方がより私達の口に合い、美味しかった。スタリモストの指が器用に動き、米とカレーをミックスして口に運んでいる。インド式が板に付いてきた。
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