2014/01/29 - 2014/01/29
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上野公園には「お化け燈籠」と呼ばれる大きな燈籠がある。佐久間大膳亮(だいぜんのすけ)勝之が東照宮に奉納したものである。「寛永八年幸末孟冬十七日」とあるが、「孟冬」とは10月のことである。寛永8年(1631年)当時、東照宮は創建(寛永4年(1627年))して間もなく、社頭には、現存の大鳥居・銅燈籠・石燈籠などは、まだわずかしか奉納されていなかった。勝之は他にさきがけて、この燈籠を寄進したのである。勝之は、織田信長の武将・佐久間盛次の四男で、自身が寄進した京都南禅寺・名古屋熱田神宮の大燈籠とともに、日本三大燈籠に数えられている。一人の人が寄進した3基の大燈籠が日本三大燈籠に数えられていることも珍しいことであろう。
今見る東照宮や歴代将軍家の廟には数100基もの燈籠が寄進されたが、その魁となったとされる。それほど由緒があるから看板も立っているのであろう。しかし、380年余り経っても文化財としての指定がないのも不思議な気がする。
京都南禅寺の大燈籠は山門階上から眼下に見たが、熱田神宮には何度が参拝しているが未だ大燈籠は目にしていない。上野も南禅寺でも1基だけであったが、この時代には燈籠は左右2基一組で寄進していた訳でもないようだ。
(表紙写真は上野のお化け燈籠)
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上野のお化け燈籠。
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「お化け燈籠
佐久間大膳亮勝之が東照宮に寄進した石造の燈籠で、
奉寄進 佐久間大膳亮勝之
東照大権現御宝前石燈籠
寛永八年幸末孟冬十七日
と刻字し、寄進者・寄進年月を知ることができる。寛永八年(一六三一)当時、
東照宮は創建して間もなく、社頭には、現存の大鳥居・銅燈籠・石燈籠などは、ま
だわずかしか奉納されていなかった。勝之は他にさきがけて、この燈籠を寄進した
のである。
勝之は、織田信長の武将佐久間盛次の四男。母は猛将柴田勝家の姉という。信
長・北条氏政・豊臣秀吉、のち徳川家康に仕え、信濃国川中島ほかで一万八千石を
領した。
燈籠の大きさは、高さ六・0六メートル、笠石の周囲三・六三メートルと巨大で、その大きさゆえに「お化け燈籠」と呼ぶ。同じ勝之の寄進した京都南禅寺・名古屋熱田神宮の大燈籠とともに、日本三大燈籠に数えられる。
平成八年七月
台東区教育委員会」。
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