2014/01/25 - 2014/01/25
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横浜市保土ヶ谷区神戸町に鎮座する神明社は、社伝によれば天禄元年(970年)の創建とされ、嘉禄元年(1225年)には神戸(ごうど)に外宮を造営し、榛谷御厨(はんがやみくりや)八郷の総鎮守本社になった。
神明社縁起には、保土ヶ谷の地が榛谷と呼ばれていた平安時代の中頃の天禄元年(970年)伊勢の天照皇大神が、武州御厨の庄の内、榛谷の峯に影向し、それから川井・二俣川・下保土ヶ谷の宮林へと三遷の後、嘉禄元年 (1225年)神託があって、神明の下宮を建て、神戸と号し、経蔵堂を満福寺し、神照寺と称したという。これにより榛谷御厨八郷の総鎮守として広大な社領を免ぜられ、宮司以下数十人の禰宜・社人・供僧・巫女が仕え、年に75度の祭祀を営み隆盛を極めたというとある。
また、その後、戦乱の時代に一時衰退したが、天正18年(1590年)、徳川家康入国の時、社殿の造営が行われ、御朱印地が安堵された。また元和5年(1619年)宮居を神戸山々頂から現在の地に遷し、社殿の造営、社頭の整備が行われた。明治2年(1869年)の修営には、明治天皇御東行の時、本陣苅部清兵衛宅に臨時に建てられた鳳輦安置所の御用材を下賜された。明治6年(1873年)村社に列せられ、神饌幣帛料供進の神社に指定された。
さらに、平成10年(1998年)十月、鎮座1030年祭・当地遷座770年祭、伊勢神宮鎮座2000年祭を記念して「平成の御造営」が行われ、380年ぶりに御本社・摂末社・神楽殿等全ての境内建物12棟が一新された。平成12年(2000年)四月、神奈川県神社庁献幣使参向神社に指定された。
伊勢神宮同様、内宮(天照大御神(あまてらすおおみかみ))と外宮(豊受大御神(とようけのおおみかみ))を祀る2つの本殿(天照大神宮と豊受大神宮)があり、天照大神宮を本社、豊受大神宮を摂社としている。また、外宮拝殿は内宮本殿参拝時の控えの間になっている。
「神戸」は「こうべ」、「かんべ」、「ごうど」などで呼ばれる地名が日本各地にあるが、神明社が鎮座している当地は神戸(ごうど)町と呼ばれている。
神明社は、旧東海道からは少し外れた旧街道に面しており、神戸町周辺には多くのお寺が集まっている。東海道・程ヶ谷宿が整備され、街道が真直ぐに付替えられる(慶安元年(1648年))以前の面影を少しばかり感じさせてくれる。
(表紙写真は神明社鳥居)
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神明社鳥居。
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「鎮守 神明社」の社号標石。
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神明社掲示板。
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「神明社御由緒 (旧伊勢神宮領榛谷御厨総鎮守)
今から一千年以上昔、保土ヶ谷の地が榛谷とよばれていた平安時代の中頃、天禄元年 (九七〇)当社の御祭神・伊勢の天照皇大神が、武州御厨の庄の内、榛谷の峯に影向し、それから川井・二俣川・下保土ヶ谷の宮林へと三遷の後、嘉禄元年 (一二二五)神託があって、神明の下宮を建て、当地を神戸と号し、神宮寺を満福寺と名付け、経蔵堂を神照寺と称したという。これにより榛谷御厨八郷の総鎮守として広大な社領を免ぜられ、宮司以下数十人の禰宜・社人・供僧・巫女が仕え、年に七十五度の祭祀を営み隆盛を極めたという。
その後、戦乱の時代に一時衰退したが、天正十八年 (一五九〇)、徳川氏入国の時、社殿の造営が行われ、御朱印地が安堵された。また元和五年 (一六一九)宮居を神戸山々頂から現在の処に遷し、社殿の造営、社頭の整備が行われた。明治二年の修営には、明治天皇御東行の時、本陣苅部清兵衛宅に臨時に建てられた鳳輦安置所の御用材を下賜された。明治六年村社に列せられ、神饌幣帛料供進の神社に指定された。
平成十年十月、鎮座一〇三〇年祭・当地遷座七七〇年祭、伊勢神宮鎮座二〇〇〇年祭を記念して「平成の御造営」が行われ、三八〇年ぶりに御本社・摂末社・神楽殿等全ての境内建物十二棟が一新された。平成十二年四月、神奈川県神社庁献幣使参向神社に指定された。
御祭神は、天照大御神
社殿建築様式は、本殿・拝殿とも神明造り
例祭日は、八月第四日曜日
*御厨(みくりや)伊勢神宮直轄の神領地
*影向(ようごう)神様が現われること
*鳳輦(ほうれん)天皇陛下の御車
社務所」
紙が貼り足しであり、句読点に統一性がない文章ではあるが、社伝が記載されている。 -
神明社石鳥居。
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神明社境内参道。
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神明社社務所。
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納札所。
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神明社社務所並びの建物。
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鎮守の森。
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神明社注連縄。
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神明社注連縄。
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境内の枝垂れ桜。
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手水舎。
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「清流 人形流し」の流れ。
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「清流 人形流し」。
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「清流 人形流し」の流れ(池)。
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神楽殿。
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水神社。
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神明社注連縄。
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神明社お守り売り場。
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稲荷社。
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稲荷社。
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月詠社・風社。
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月詠社。
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風社。
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神明社(内宮)拝殿拝所。
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神明社(内宮)拝殿拝所。
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神明社(内宮)拝殿内部。
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神明社(内宮)拝殿拝所。
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神明社(内宮)拝殿。
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神明社(内宮)拝殿。
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神明社(内宮)本殿(天照太神宮)。
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神明社(内宮)本殿(天照太神宮)。
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神明社(内宮)本殿(天照太神宮)。
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境内の銀杏の木。
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切部之王子社・日之王子社・鹿島社。
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切部之王子社。
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日之王子社。
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鹿島社。
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貝殻捨て場。
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手水鉢。
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神明社(内宮)本殿(天照太神宮)内部。
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神明社(外宮)拝殿殿。
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神明社(外宮)本殿(豊受太神宮)。
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おみくじとおみくじ結び。
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絵馬掛。
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受付。祈祷受付とお守り売り場になっている。
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天満宮。
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雷社・山神社・山王社・火産社・白鳥社・見目社・厳島社。
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見目社・厳島社。
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火産社・白鳥社。
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山神社・山王社。
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雷社。
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絵馬。鮑の貝殻もある。
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「神明社御由緒 (旧伊勢神宮領榛谷御厨総鎮守)
今から一千年以上昔、保土ヶ谷の地が榛谷とよばれていた平安時代の中頃、天禄元年 (九七〇)当社の御祭神・伊勢の天照皇大神が、武州御厨の庄の内、榛谷の峯に影向し、それから川井・二俣川・下保土ヶ谷の宮林へと三遷の後、嘉禄元年 (一二二五)神託があって、神明の下宮を建て、当地を神戸と号し、神宮寺を満福寺と名付け、経蔵堂を神照寺と称したという。これにより榛谷御厨八郷の総鎮守として広大な社領を免ぜられ、宮司以下数十人の禰宜・社人・供僧・巫女が仕え、年に七十五度の祭祀を営み隆盛を極めたという。
その後、戦乱の時代に一時衰退したが、天正十八年 (一五九〇)、徳川氏入国の時、社殿の造営が行われ、御朱印地が安堵された。また元和五年 (一六一九)宮居を神戸山々頂から現在の処に遷し、社殿の造営、社頭の整備が行われた。明治二年の修営には、明治天皇御東行の時、本陣苅部清兵衛宅に臨時に建てられた鳳輦安置所の御用材を下賜された。明治六年村社に列せられ、神饌幣帛料供進の神社に指定された。
平成十年十月、鎮座一〇三〇年祭・当地遷座七七〇年祭、伊勢神宮鎮座二〇〇〇年祭を記念して「平成の御造営」が行われ、三八〇年ぶりに御本社・摂末社・神楽殿等全ての境内建物十二棟が一新された。
平成十二年四月、神奈川県神社庁献幣使参向神社に指定された。
*御厨(みくりや)伊勢神宮直轄の神領地
*影向(ようごう)神様が現われること
*鳳輦(ほうれん)天皇陛下の御車
御祭神は、天照大御神
社殿建築様式は、本殿・拝殿とも神明造り
例祭日は、八月第四日曜日、及び六月十六日 九月十六日
氏子区域は、十六町、四十五自治会・町内会
狩場町、権太坂、境木本町、境木町、藤塚町、法泉、初音ヶ丘、岩崎町、霞台、
保土ヶ谷町、月見台、帷子町、桜ヶ丘、天王町一部、岩間町、神戸町(約二万世帯)
社有地は、境内・風致林あわせて、約六千坪
社務所」
1枚の紙に纏めてある。入口鳥居前掲示板に張られた「神明社御由緒」より例祭日が2日追加されており、また、氏子区域も追記されている。
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