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足利幕府創立後関東統治については足利家一族から公方と称する将軍の代理人を鎌倉府と呼ばれる政庁に派遣、その公方を補佐する管領職を設置する体制で発足します。<br /><br />初代鎌倉公方は第2代将軍義詮(よしあきら、1330~1367)の実弟の基氏(もとうじ、1340~1367)が就任、管領職として上杉憲顕(うえすぎ・のりあき、1306~1368)が基氏を補佐することになります。<br /><br />歴代の鎌倉公方は関東支配限定の首長であるものの同時に幕府将軍とは親戚関係にあるために幕府にて将軍の交替に際し将軍職を巡る緊張関係が生じます。<br /><br />宝徳元年(1449)、第4代足利持氏(あしかが・もちうじ、1398~1439)の遺児として生き残った万寿王丸が足利成氏(あしかが・しげうじ、1438~1497)が新たに第5代公方として鎌倉に帰還、上杉憲忠(うえすぎ・のりただ、1433~1455)が管領職として成氏を補佐します。<br /><br />享徳3年(1455)、足利成氏が上杉憲忠を御所に呼び謀殺し公方の身勝手な独裁が始まり、憲忠実弟の房顕(ふさあき、1435~1466)は上野国平井城にて成氏に対抗することになります。<br /><br />成氏の独走を制すべく室町幕府は成氏討伐を決定、駿河守護今川範忠(いまがわ・のりただ、1408~1461)に討伐を命じます。<br /><br />成氏は房顕軍の攻略に傾注している間に留守にしていた鎌倉府を今川範忠に占拠される事態になり成氏は鎌倉府への帰還を断念、やむなく地勢的に有利な下総国古河(こが)に本拠を移しその後は古河公方として関東支配を目指します。<br /><br />長禄2年(1458)幕府は古河に拠点を変えた成氏に対抗して幕府の影響力を関東一円の各武将に知らしめる為足利義政(あしかが・よしまさ、1436~1490)の異母兄政知(まさとも、1435~1491)を新たな鎌倉公方として下向させますが政和は鎌倉に入部できず、やむなく伊豆国堀越の地に御所を設け、以降堀越公方と称されます。<br /><br />政和が鎌倉に入部できなかった背景は次の事が考えられます。即ち古河に拠点を移しても依然として関東の影響力を持つ成氏の軍事力に対し政和らは有力な支援軍を確保できず、加えて政和に同道した渋川義鏡(しぶかわ・よしかね,生没不詳)が関東探題の身分であったことで管領職の上杉氏としては脅威と受け止め反発姿勢を示したのは当然の事かもしれません。<br /><br />文明14年(1483)、古河公方と幕府との和睦が成立、これにより幕府が存在を認めた古河公方と幕府が派遣した堀越公方の二人の公方が並立する奇妙な状況が続き堀越公方は伊豆国のみを支配するだけの存在となります。<br /><br />上記の如く幕府により梯子を外された形となった堀越公方の政和は失意のうち延徳3年(1491)に57歳で病死します。政和には長男に茶々丸(ちゃちゃまる、生誕不詳~1498)と正室の円満院との間に清晃(せいこう、1481~1511)と潤童子(じゅんどうじ、生誕不詳?1491)をもうけていました。2代目後継を巡り争いがおこり茶々丸は潤童子と継母を殺害し事実上公方となります。<br /><br />明応2年(1493)幕府実力者管領細川正元(ほそかわ・まさもと、1466~1507)がいわゆる政変を起し10代将軍義植(よしたね、1466?1523)を追放、その頃出家して京都にいた清晃を還俗させ第11代将軍義澄(よしずみ)が誕生します。<br /><br />権力の座に就いた義澄はかつて実母と弟を討った茶々丸討伐を近隣興国寺城の早雲に命じます。<br /><br />義澄の命を受けた早雲は同年夏に自らの軍と借り受けた今川氏援軍合わせて500名で駿河湾を船舶で渡り茶々丸の堀越公方を急襲して火を放ち、茶々丸は守山に逃げ込みますがついに自害に追い込まれます。<br />

伊豆韮崎 幕府と対峙する立場となった古河公方足利成氏に代わる公方として将軍義満の命により下向するも鎌倉入府できなかった『堀越公方御所』散歩

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2014/01/03 - 2014/01/03

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滝山氏照

滝山氏照さん

足利幕府創立後関東統治については足利家一族から公方と称する将軍の代理人を鎌倉府と呼ばれる政庁に派遣、その公方を補佐する管領職を設置する体制で発足します。

初代鎌倉公方は第2代将軍義詮(よしあきら、1330~1367)の実弟の基氏(もとうじ、1340~1367)が就任、管領職として上杉憲顕(うえすぎ・のりあき、1306~1368)が基氏を補佐することになります。

歴代の鎌倉公方は関東支配限定の首長であるものの同時に幕府将軍とは親戚関係にあるために幕府にて将軍の交替に際し将軍職を巡る緊張関係が生じます。

宝徳元年(1449)、第4代足利持氏(あしかが・もちうじ、1398~1439)の遺児として生き残った万寿王丸が足利成氏(あしかが・しげうじ、1438~1497)が新たに第5代公方として鎌倉に帰還、上杉憲忠(うえすぎ・のりただ、1433~1455)が管領職として成氏を補佐します。

享徳3年(1455)、足利成氏が上杉憲忠を御所に呼び謀殺し公方の身勝手な独裁が始まり、憲忠実弟の房顕(ふさあき、1435~1466)は上野国平井城にて成氏に対抗することになります。

成氏の独走を制すべく室町幕府は成氏討伐を決定、駿河守護今川範忠(いまがわ・のりただ、1408~1461)に討伐を命じます。

成氏は房顕軍の攻略に傾注している間に留守にしていた鎌倉府を今川範忠に占拠される事態になり成氏は鎌倉府への帰還を断念、やむなく地勢的に有利な下総国古河(こが)に本拠を移しその後は古河公方として関東支配を目指します。

長禄2年(1458)幕府は古河に拠点を変えた成氏に対抗して幕府の影響力を関東一円の各武将に知らしめる為足利義政(あしかが・よしまさ、1436~1490)の異母兄政知(まさとも、1435~1491)を新たな鎌倉公方として下向させますが政和は鎌倉に入部できず、やむなく伊豆国堀越の地に御所を設け、以降堀越公方と称されます。

政和が鎌倉に入部できなかった背景は次の事が考えられます。即ち古河に拠点を移しても依然として関東の影響力を持つ成氏の軍事力に対し政和らは有力な支援軍を確保できず、加えて政和に同道した渋川義鏡(しぶかわ・よしかね,生没不詳)が関東探題の身分であったことで管領職の上杉氏としては脅威と受け止め反発姿勢を示したのは当然の事かもしれません。

文明14年(1483)、古河公方と幕府との和睦が成立、これにより幕府が存在を認めた古河公方と幕府が派遣した堀越公方の二人の公方が並立する奇妙な状況が続き堀越公方は伊豆国のみを支配するだけの存在となります。

上記の如く幕府により梯子を外された形となった堀越公方の政和は失意のうち延徳3年(1491)に57歳で病死します。政和には長男に茶々丸(ちゃちゃまる、生誕不詳~1498)と正室の円満院との間に清晃(せいこう、1481~1511)と潤童子(じゅんどうじ、生誕不詳?1491)をもうけていました。2代目後継を巡り争いがおこり茶々丸は潤童子と継母を殺害し事実上公方となります。

明応2年(1493)幕府実力者管領細川正元(ほそかわ・まさもと、1466~1507)がいわゆる政変を起し10代将軍義植(よしたね、1466?1523)を追放、その頃出家して京都にいた清晃を還俗させ第11代将軍義澄(よしずみ)が誕生します。

権力の座に就いた義澄はかつて実母と弟を討った茶々丸討伐を近隣興国寺城の早雲に命じます。

義澄の命を受けた早雲は同年夏に自らの軍と借り受けた今川氏援軍合わせて500名で駿河湾を船舶で渡り茶々丸の堀越公方を急襲して火を放ち、茶々丸は守山に逃げ込みますがついに自害に追い込まれます。

交通手段
JRローカル 私鉄 徒歩

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  • 守山中世史跡群案内地図

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この旅行記へのコメント (1)

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  • duc teruさん 2014/01/26 12:55:04
    ご訪問ご投票有難うございます
    duc teruです、気がつけば、此の記の旅から1年もたってしまいました、今UPしなければお蔵になってしまうと思い、帰りつける自信もなく初めてしまいました、と云うのは来月、2月18日よりVenezian Carnivalに向かい、3月7日から12日間の東地中海クルーズやを予定しております。予定では1月19日までに終わり一か月前からは今度はイタリアに切り替えるつもりでおりました、少し遅れましたが、貴方の貴重なコメントご投票に助けられてやっと拙作も帰国に漕ぎ着けることができました。とにかく完走を目指すばかりにはなはだ雑駁になってしまいましたがお許し下さい。沢山のご投票改めてお礼申し上げます。

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