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蛭ケ小島(ひるがこじま)は平治元年(1159)平治の乱で父源義朝(みなもと・よしとも、1123~1160)が殺され、平清盛(たいらの・きよもり、1118~1181)に捕えられた源頼朝(みなもと・よりとも、1147~1199)が挙兵までの約20年間配流(はいる)された場所です。<br /><br />頼朝配流に至る経緯は次の通りです。まず保元元年(1156)、朝廷内での内紛に巻込まれた平氏と源氏がそれぞれ別れての政変(保元の乱)でしたが、義朝は父為義(ためよし、1096?~156)と弟為朝(ためとも、1139~1170)を敵に回して戦い、勝利したものの不本意ながら為義は斬首、為朝は伊豆大島流罪となります。<br /><br />保元の乱勝利後、後白河天皇は皇位を二条天皇に譲り、自らは上皇となり院政をはじめますが恩賞については味方の平清盛への待遇は大ですが一方の義朝には冷遇された結果ひどく劣るものでした。<br /><br />平治元年(1159)12月、義朝は出世頭の清盛が熊野参拝のため京都を離れていた隙を狙って武力行為に移ります。(平治の乱)<br /><br />上皇側近の中で藤原信頼(ふじわら・のぶより、1133~1160)と手を組み後白河上皇と二条天皇を閉じ込める一方信頼政敵の藤原信西(ふじわら・しんぜい、1106~1160)を殺害します。<br /><br />政変を聞いた清盛は急ぎ京都に戻り上皇と天皇を救出、その後義朝軍を一気に打ち破ります。<br /><br />戦いに敗れた義朝は鎌倉をめざし落ち延びる途中、長男義平(よしひら、1141~1160)と共に捕えられ殺害されます。<br /><br />捕えられた頼朝は死罪は免れたものの永暦元年(1160)伊豆国蛭ケ小島に流され、同じく義経(よしつね、1159~1189)は京都・鞍馬寺に預けられることとなります。<br /><br />伊豆国に移された頼朝は平氏派遣伊東祐親(いとう・すけちか、生誕不詳~1182)の監視を受けながらも亡き父義朝の菩提を弔いながらの慎ましい毎日だったようですが流人とはいえ比較的自由な生活のようでした。<br /><br />四方に囲まれた韮山を見渡しますと蛭ケ小島は狩野川に沿った広域敷地に自邸を持っている北条時政(ほうじょう・ときまさ、1138~1215)と2Kmもなくいわば近所付き合い可能な距離である事から時政が三島に国府を置く国衙の官人であったかどうか関わりなく長女政子との交流があったのは当然の事かと思われます。<br /><br /><br />2022年10月7日追記<br /><br />現地に建てられた説明板には次のような紹介が掲載されています。<br /><br />『 蛭ケ島(源頼朝配流の地跡)<br /><br />このあたりを、韮山町四日町字蛭ケ島といい、平治の乱で敗れた源義朝の嫡子、兵衛佐頼朝配流の地と言われている。<br /><br />狩野川の流路変遷の名残をとどめてか、近在には古河・和田島・土手和田の地名が現存するところから、往時は大小の田島(中洲)が点在し、そのひとつが、この蛭ケ島であったことが想像される。<br /><br />永歴元年(1160)14歳でこの地に流された頼朝は、治承4年(1180)34歳で旗拳げ、やがて鎌倉幕府創設を成し遂げることとなるが、配流20年間における住居跡などの細部は詳らかではない。しかし、「吾妻鏡」治承4年の記録によれば、山木攻め(頼朝旗挙げ)の頃は、妻政子の父、北条時政の館(当地より西方約1.4キロの守山北麓)に居住し館内で挙兵準備を整えたとある。このことから考えると、頼朝は、北条政子と結ばれる治承元年(1177)頃までの約17年間を、ここ蛭ケ島で過ごしたものといえよう。  <br /><br />当公園中央部にある「蛭ケ島碑記」の古碑は、源氏が天下支配の大業を果たした歴史の原点を後世に伝承すべく、寛政11年(1790)豆州志稿の著者、秋山富南の撰文により、江川家家臣飯田忠晶が建立したもので、韮山町の有形文化財に指定されている。また、この日の西側にある高い碑は、秋山富南の頌徳碑で、豆州志稿の増訂に当たった萩原正夫が明治26年に建立したものである。<br />                      伊豆の国市 』<br /><br />

伊豆韮山 亡父義朝の菩提を弔って20年間耐え忍び後に武家政権として初めて鎌倉に幕府を創設した源頼朝配流地伊豆国『蛭ケ小島』散歩

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2014/01/03 - 2014/01/03

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滝山氏照

滝山氏照さん

蛭ケ小島(ひるがこじま)は平治元年(1159)平治の乱で父源義朝(みなもと・よしとも、1123~1160)が殺され、平清盛(たいらの・きよもり、1118~1181)に捕えられた源頼朝(みなもと・よりとも、1147~1199)が挙兵までの約20年間配流(はいる)された場所です。

頼朝配流に至る経緯は次の通りです。まず保元元年(1156)、朝廷内での内紛に巻込まれた平氏と源氏がそれぞれ別れての政変(保元の乱)でしたが、義朝は父為義(ためよし、1096?~156)と弟為朝(ためとも、1139~1170)を敵に回して戦い、勝利したものの不本意ながら為義は斬首、為朝は伊豆大島流罪となります。

保元の乱勝利後、後白河天皇は皇位を二条天皇に譲り、自らは上皇となり院政をはじめますが恩賞については味方の平清盛への待遇は大ですが一方の義朝には冷遇された結果ひどく劣るものでした。

平治元年(1159)12月、義朝は出世頭の清盛が熊野参拝のため京都を離れていた隙を狙って武力行為に移ります。(平治の乱)

上皇側近の中で藤原信頼(ふじわら・のぶより、1133~1160)と手を組み後白河上皇と二条天皇を閉じ込める一方信頼政敵の藤原信西(ふじわら・しんぜい、1106~1160)を殺害します。

政変を聞いた清盛は急ぎ京都に戻り上皇と天皇を救出、その後義朝軍を一気に打ち破ります。

戦いに敗れた義朝は鎌倉をめざし落ち延びる途中、長男義平(よしひら、1141~1160)と共に捕えられ殺害されます。

捕えられた頼朝は死罪は免れたものの永暦元年(1160)伊豆国蛭ケ小島に流され、同じく義経(よしつね、1159~1189)は京都・鞍馬寺に預けられることとなります。

伊豆国に移された頼朝は平氏派遣伊東祐親(いとう・すけちか、生誕不詳~1182)の監視を受けながらも亡き父義朝の菩提を弔いながらの慎ましい毎日だったようですが流人とはいえ比較的自由な生活のようでした。

四方に囲まれた韮山を見渡しますと蛭ケ小島は狩野川に沿った広域敷地に自邸を持っている北条時政(ほうじょう・ときまさ、1138~1215)と2Kmもなくいわば近所付き合い可能な距離である事から時政が三島に国府を置く国衙の官人であったかどうか関わりなく長女政子との交流があったのは当然の事かと思われます。


2022年10月7日追記

現地に建てられた説明板には次のような紹介が掲載されています。

『 蛭ケ島(源頼朝配流の地跡)

このあたりを、韮山町四日町字蛭ケ島といい、平治の乱で敗れた源義朝の嫡子、兵衛佐頼朝配流の地と言われている。

狩野川の流路変遷の名残をとどめてか、近在には古河・和田島・土手和田の地名が現存するところから、往時は大小の田島(中洲)が点在し、そのひとつが、この蛭ケ島であったことが想像される。

永歴元年(1160)14歳でこの地に流された頼朝は、治承4年(1180)34歳で旗拳げ、やがて鎌倉幕府創設を成し遂げることとなるが、配流20年間における住居跡などの細部は詳らかではない。しかし、「吾妻鏡」治承4年の記録によれば、山木攻め(頼朝旗挙げ)の頃は、妻政子の父、北条時政の館(当地より西方約1.4キロの守山北麓)に居住し館内で挙兵準備を整えたとある。このことから考えると、頼朝は、北条政子と結ばれる治承元年(1177)頃までの約17年間を、ここ蛭ケ島で過ごしたものといえよう。  

当公園中央部にある「蛭ケ島碑記」の古碑は、源氏が天下支配の大業を果たした歴史の原点を後世に伝承すべく、寛政11年(1790)豆州志稿の著者、秋山富南の撰文により、江川家家臣飯田忠晶が建立したもので、韮山町の有形文化財に指定されている。また、この日の西側にある高い碑は、秋山富南の頌徳碑で、豆州志稿の増訂に当たった萩原正夫が明治26年に建立したものである。
                      伊豆の国市 』

交通手段
JRローカル 私鉄 徒歩
  • 蛭ケ小島(ひるがこじま)<br /><br />今では田園風景の平地にありますが、往時は水田の中にあった高地とも思われます。また当地はひじょうに蛭が多かったことでその名が付されていたと思われます。

    蛭ケ小島(ひるがこじま)

    今では田園風景の平地にありますが、往時は水田の中にあった高地とも思われます。また当地はひじょうに蛭が多かったことでその名が付されていたと思われます。

  • 蛭ケ小島・記念石碑

    蛭ケ小島・記念石碑

  • 蛭ケ小島・説明文

    蛭ケ小島・説明文

  • 頼朝・政子像

    イチオシ

    頼朝・政子像

  • 頼朝・政子像説明文

    頼朝・政子像説明文

  • 歴史民俗資料館

    歴史民俗資料館

  • 歴史民俗資料館・説明板

    歴史民俗資料館・説明板

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