2014/01/03 - 2014/01/03
40位(同エリア62件中)
滝山氏照さん
JR三島駅から伊豆箱根鉄道駿豆線に乗り換え韮山駅から西進狩野川(かのがわ)沿いの守山から広がる区域に守山中世史群遺構が見られ、鎌倉幕府創設の源頼朝外戚である北条時政(ほうじょう・ときまさ、1138~1215)がかつて居住していた邸宅跡があります。
北条氏は坂東平氏の流れをくみ平清盛とも繋がっているともいわれ、狩野川沿いの北条郷に住みついたのは時政の祖父である時方(ときかた、生誕没年不詳)の時代で父の代に地名から北条と称することになります。
治承4年(1180)の頼朝(よりとも、1147~1199)挙兵に当然ながら時政も行動を共にして以来幕府設立に至るまで一貫して頼朝を補佐する立場を貫きます。
建久3年(1192)頼朝が征夷大将軍に任ぜられますが幕府設立後も時政の筆頭格の御家人の地位は全く揺るぎません。
頼朝後の源将軍は頼朝のようなカリスマ性乏しいこともあり有力御家人13人の合議制による政権運営となります。その後は朝廷との確執が問われ即決運営体制が必要となり、結果として建仁3年(1203)に時政が第三代将軍源実朝を擁立した時には政所別当(長官)と共に任じられた執権として名実ともに時政主導による政権運営となります。
時政が執権に就任した頃、時政と牧の方(後妻)との間に生まれた長女の婿で武蔵守である平賀朝雅(ひらが・ともまさ、生誕不詳~1205)が京都守護の職務につき、武蔵国は時政が代行することとなり、更に元久元年(1204)には時政の子義時(よしとき、1163~1224)が相模守に任じられ、これで北条氏父子が幕府の権力を象徴する武蔵・相模を担当することとなります。
翌年元久2年(1205)牧氏事件が起こります。即ち時政が牧の方と共謀して将軍実朝を殺害し、京都守護職にある娘婿の平賀朝雅を将軍として擁立しようとしていた事件です。
これに反対する頼朝妻政子と義時は時政邸に居た実朝を時政から離し義時邸に迎え入れ、時政側についていた御家人の大半は義時に就いたため陰謀は失敗に終わります。
幕府内で孤立無援となった時政は出家、鎌倉から追放され伊豆国の北条郷に隠居させられ、建保3年(1215)1月に病気により北条の地で78歳で死去します。
- 交通手段
- JRローカル 私鉄 徒歩
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守山中世史跡群案内図
韮山駅西部に狩野川(かのがわ)に接するエリアに幾つかの歴史遺産が見られます。地図を見ますと①北条氏邸宅跡、②堀越御所跡(堀越公方御在所)、③成福寺(北条氏墓所)、④守山八幡宮(源氏の守護神である八幡神を祀る神社)、⑤願成就院(北条時政墓所)、⑥満願寺跡、⑦真珠院跡などが明記されています。 -
「北条一族のふるさとと寺院」説明板
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守山西公園入口
公園入口の左にある谷戸には北条氏の邸宅跡が広がっています。 -
北条氏邸跡(円成寺跡)
平安時代末期から鎌倉時代にかけて北条氏の本拠地でありましたが幕府創設により一族は鎌倉に移ります。1333年北条高時(ほうじょう・たかとき、1304~1333)自害し鎌倉幕府滅亡、その後北条一族の妻や娘たちは鎌倉からこの韮崎に戻ります。その中に円城尼(えんじょうに)という尼が邸宅跡に寺を建てて北条一族の冥福を祈ったのが円成寺となります。
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