2013/12/01 - 2013/12/01
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ドクターキムルさん
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逗子市新宿5にある逗子湾の新宿海岸の海中には「徳富健次郎之碑」が建てられている。しかし、碑の表面の文面(「徳富健次郎之碑」)は知られていなく、裏面の文面(不如帰)を以って「不如帰碑」と呼ばれている。
「徳富健次郎之碑」の前を通る国道134号線を越えた高台には浪子不動高養寺がある。不動堂は、明治31年(1898年)から明治32年((899年)にかけて国民新聞に連載された徳冨蘆花(1868年-〜1927年)の小説「不如帰(ほととぎす)」の舞台となり、主人公の片岡浪子(なみこ)にあやかり、いつしか「浪子不動」と呼ばれるようになった。一方、高養寺は戦後になって付けられた寺名である。
「徳富健次郎之碑」(不如帰碑)は昭和8年(1933年)に建てられ、両面にそれぞれ刻まれている「徳富健次郎之碑」(表面)、「不如帰」(裏面)はいずれも蘆花の兄、徳富蘇峰の筆によるものである。徳富健次郎(蘆花)は明治元年10月25日(1868年12月8日)に生まれ、昭和2年(1927年)9月18日)に亡くなっている。慶應4年9月に改元され、9月8日から明治元年となったが、それから約1月半後に生まれた。しかし、国家主義的傾向を強める兄・猪一郎(蘇峰)とは次第に不仲となり、明治36年(1903年)に蘇峰への「告別の辞」を発表し、絶縁状態となった。昭和2年(1927年)、病に倒れた。伊香保温泉で蘇峰と再会して和解し、「後のことは頼む」と遺言して死去したという。享年58歳だった。一方、兄・猪一郎(蘇峰)(文久3年1月25日(1863年3月14日)〜昭和32年(1957年)11月2日))は満94歳の長寿をまっとうした。また、子供がいなかった健次郎(蘆花)に対し、兄・猪一郎(蘇峰)は9人の子供があったという。その直系の孫たちは3人が現在も健在で逗子市に住まわれている。
兄・猪一郎(蘇峰)が揮毫した「徳富健次郎之碑」は健次郎(蘆花)の死後6年後に建立された。
海中に建てられているが、干潮時には碑の傍まで歩いていくことができるという。なお、徳冨兄弟は今年のNHK大河ドラマにも出てきているが、今度の最終回では蘆花が新聞に掲載した「不如帰」の話やこの碑が出てくるかも知れない。
(表紙写真は逗子湾の不如帰碑)
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逗子湾と顔を覗かせている「徳富健次郎之碑」(不如帰碑)。
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津波非難場所の指示表示。
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津波非難場所の指示表示。
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「海のルールのお知らせ」看板。
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「新宿13号地下道」。国道134号線のガード下だ。
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新宿13号地下道。
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「守ろう 美しい 逗子の磯」標柱。
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逗子湾。
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「徳富健次郎之碑」(昭和8年(1933年)7月銘)。昭和8年(1933年)11月に建てられた。一般には裏面にある「不如帰」の碑文により不如帰碑と呼ばれている。なお、裏面にある碑文を以って碑の名としている碑など他にはないだろう。
「徳富健次郎之碑」が表面に書かれていて碑名として紹介しているのは「逗子市議会議員・君島雄一郎の活動報告」(http://yaplog.jp/zushi-kimijima/archive/441)ぐらいのものか。 -
大崎。
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大崎。
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大崎。
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「徳富健次郎之碑」(不如帰碑)。
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「徳富健次郎之碑」(不如帰碑)。
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「徳富健次郎之碑」(不如帰碑)。
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「徳富健次郎之碑」(不如帰碑)と逗子湾。
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逗子方面。
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逗子方面。
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逗子方面。
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葉山港。
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葉山港。
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葉山港。
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葉山マリーナ。
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葉山港の灯台。
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新宿13号地下道。
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逗子湾。
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大崎。
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