2013/12/01 - 2013/12/01
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ドクターキムルさん
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逗子市小坪4に鎮座する諏訪神社は南町の鎮守である。創建年代や縁起は分からなかった。しかし、諏訪神社であるから、信州諏訪湖の諏訪大社(主祭神:建御名方神)を勧請した神社に相違ない。
逗子町誌(昭和3年(1928年)刊)には「諏訪社 南町の鎮守なり、中腹にありしも震災にて全壊境内を失いたるを舊以て位置には小社を建て、本殿は遥か山上高燥の地に勧請す、荘厳なる中宮は以前のものなり。」とある。また、鷺の浦風土記((石井清司著 昭和54年(1979年)3 月30日発行)には、「諏訪神社 佛乗院の石段を上がり山の中腹にあったが震災で破損したので披露大塚下に移しました。」とあり、逗子町誌にある「本殿は遥か山上高燥の地に勧請す」とする場所が現在の披露大塚下である。
鎌倉中には諏訪神社は御成町にある諏訪神社くらいのもので、諏訪氏の屋敷内にあった守護神が移されたものである。鎌倉在では、藤沢市片瀬にある諏訪神社があり、小社としては植木にある諏訪神社(御霊・諏訪両神社)、腰越2にある諏訪社(諏訪仮宮)などがある。しかし、鎌倉中の南堺であるここ小坪にも諏訪神社があった。南町の鎮守とされるから、片瀬諏訪神社の類である。
諏訪氏は承久の乱以降得宗家で重用され、諏訪武士団を統率してきた。そのため、鎌倉幕府滅亡後も、最後まで北条氏に忠節を尽くすことになり、旧北条派の中心勢力として各地に転戦した。諏訪頼重は流鏑馬の射手を長年にわたって務めたとされる。建武2年(1335年)、信濃に起こった「中先代の乱」では、頼重は、北条高時の遺児時行を担いで挙兵して信濃府中に攻め入り、さらに上州に進撃し、武蔵国に攻め入った。一時、鎌倉を守っていた足利直義軍を一掃して鎌倉をも制圧した。しかし、足利尊氏の巻き返しで、わずか20日間で瓦解し、頼朝が建立した勝長寿院で自刃したと伝えられている。
頼朝以来の御家人ではなく、北条得宗家の武士団に過ぎなかった諏訪氏が祀っていた諏訪大明神が小坪・南町の鎮守となるのは時代が下がってからのことであろうか?宝永2年(1705年)の創建の佛乗院の裏山にあったことからも18世紀以降の創建が妥当なところであろう。
境内にコンクリート造の祠に安置された双体道祖神があるが、移設されたものであろう。
(表紙写真は諏訪神社社殿)
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小坪漁港前にある津波非難路案内表示。
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「紋次郎」とある家。諏訪神社の氏子であろう。
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小路の看板。
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諏訪神社参道入口の井戸。
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「犬のフンは○帰ろう」の看板。○は「持ち」。
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諏訪神社参道の階段。
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諏訪神社の鳥居。
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諏訪神社の海抜表示。
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諏訪神社境内。
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諏訪神社の鳥居に掛かる「諏訪神社」の扁額。
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諏訪神社境内の石碑。
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「篤一霊神・小嶽霊神」(昭和38年(1963年)銘)碑。
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「奉斎○○霊神」(明治27年(1894年)銘)。
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「當盤勘嶽光信霊神」(明治32年(1899年)銘)。
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祠。
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双体道祖神。
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「紋次郎 一柳鶴松之祖」(昭和19年(1944年)銘)。
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祠。
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稲荷社の石祠。
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祠。
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これも稲荷社の石祠。
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諏訪神社社殿。
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諏訪神社社殿。
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諏訪神社社殿の龍の彫刻。
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諏訪神社社殿に掛かる鈴。
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諏訪神社社殿内部。
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