2013/12/01 - 2013/12/01
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ドクターキムルさん
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小坂天王社の入口には「小坂天王社」の社号標石が立っている。その横には井戸がある。「殿の井」、あるいは「大井戸」と呼ばれ、鎌倉時代初期の御家人・小坂太郎光頼の屋敷内にあった井戸といわれている。この辺りは「殿の内(とんのうち)」という地名であり、屋敷の主・小坂太郎光頼は、吾妻鏡の正治2年(1200年))9月2日の項に、鎌倉幕府二代将軍源頼家(1182年〜1204年)が小坪の海辺を見て廻られた際に小阪太郎、長江四郎らが御食事を用意し、恒例の笠懸が行われたことが記されている人物である。光頼は信濃源氏井上頼秀一族であったが、甲斐源氏に味方した井上氏は討たれ、光頼が井上郷(須坂市)の小坂の領地を受け継いだ。そのために小坂氏を名乗っている。
この辺りは小坂太郎光頼の屋敷跡とされ、鎌倉時代には御家人の屋敷があり、小坪の中心地であるというが、平地の少ない小坪で珍しく空地になっている。しかし、「新編相模国風土記稿」(天保12年(1841年)成立)には、「小坂天王社 舊(ふるい)社破壊して今僅かに石祠を置くのみ、土人伝えて祠辺りに居住の人あれば必ず殃(わざわい)に逢うと云う 按ずるに、歴覧し給う。」とあり、「祠辺りに居住の人あれば必ず殃(わざわい)に逢うと云う」と伝えられて来たために、天王社の周りの光頼の屋敷跡は空き地になっているのであろうか。
今は水神さまが祭られ、災害用指定井戸となっている。今も井戸水として利用されている。
また、この小路は古東海道であったとされている。古の歴史を伝える場所だ。
(表紙写真は小坂天王社横の井戸)
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