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 逗子市小坪6にある地蔵堂には子育地蔵尊が祀られている。この子育地蔵尊は身丈7尺(2.1m)もあり、江戸時代に真鶴の石工が彫ったとも漁師が海から引き上げたとも言われている。この地に移されたのは大正の初めのようだ。<br /> 霊験あらたかなお地蔵さまとされ、毎月23日にはこのお地蔵さまを供養し、8月23日のお盆の地蔵施餓鬼には小坪寺の住職が来て施餓鬼供養をし、盛大にお祭りを行っている。<br /> 地蔵堂の横には庚申塚がある。<br /> 国道134号線の小坪橋橋下の向かいには花壇が設えてありベンチも設置されている。このベンチでランチを済ませ、休憩していると眼鏡を掛けたおばさんが来て横に座りタバコに火を点けた。「ここは灰皿もなく、喫煙所ではないだろう。」というと、おばさんはポケット吸殻入れを出した。おどおどしながらも一向に火を消さないおばさんに厭きれてこちらから席を立った。なるほど、おばさんには違いないが独身のように見受けられた。高校を出て家事手伝いをしていると何時の間にかアラフォーになってすっかりおばさんになってしまっている。そんな感じだ。<br /> ここ逗子市は横須賀線や横浜横須賀道路などが通っており、東京の都心まで通える町である。逗子マリーナや披露山庭園住宅などの高級住宅地もある。しかし、元々は小坪漁港がある町で、地元で働く人の方が多いだろう。逗子マリーナ客相手のレストランや漁船の船元が開いている料理屋などはあるが、コンビニ1つない、まるで天照大神社の長くて急な石段のようなイメージの町だ。東京までは電車1本だがめったに行かない。横浜にさえたまに行く程度だ。そんな人も多いのだろうか。<br />(表紙写真は地蔵堂の子育地蔵尊)

地蔵堂(逗子市小坪6)

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2013/12/01 - 2013/12/01

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ドクターキムル

ドクターキムルさん

 逗子市小坪6にある地蔵堂には子育地蔵尊が祀られている。この子育地蔵尊は身丈7尺(2.1m)もあり、江戸時代に真鶴の石工が彫ったとも漁師が海から引き上げたとも言われている。この地に移されたのは大正の初めのようだ。
 霊験あらたかなお地蔵さまとされ、毎月23日にはこのお地蔵さまを供養し、8月23日のお盆の地蔵施餓鬼には小坪寺の住職が来て施餓鬼供養をし、盛大にお祭りを行っている。
 地蔵堂の横には庚申塚がある。
 国道134号線の小坪橋橋下の向かいには花壇が設えてありベンチも設置されている。このベンチでランチを済ませ、休憩していると眼鏡を掛けたおばさんが来て横に座りタバコに火を点けた。「ここは灰皿もなく、喫煙所ではないだろう。」というと、おばさんはポケット吸殻入れを出した。おどおどしながらも一向に火を消さないおばさんに厭きれてこちらから席を立った。なるほど、おばさんには違いないが独身のように見受けられた。高校を出て家事手伝いをしていると何時の間にかアラフォーになってすっかりおばさんになってしまっている。そんな感じだ。
 ここ逗子市は横須賀線や横浜横須賀道路などが通っており、東京の都心まで通える町である。逗子マリーナや披露山庭園住宅などの高級住宅地もある。しかし、元々は小坪漁港がある町で、地元で働く人の方が多いだろう。逗子マリーナ客相手のレストランや漁船の船元が開いている料理屋などはあるが、コンビニ1つない、まるで天照大神社の長くて急な石段のようなイメージの町だ。東京までは電車1本だがめったに行かない。横浜にさえたまに行く程度だ。そんな人も多いのだろうか。
(表紙写真は地蔵堂の子育地蔵尊)

  • 「住居表示街区案内図」。この前に花壇がありベンチが設置されている。

    「住居表示街区案内図」。この前に花壇がありベンチが設置されている。

  • 地蔵堂。

    地蔵堂。

  • 地蔵堂横の庚申塚。

    地蔵堂横の庚申塚。

  • 地蔵堂。左は国道134号線の小坪橋。

    地蔵堂。左は国道134号線の小坪橋。

  • 「地蔵堂」の表札。

    「地蔵堂」の表札。

  • 「子育地蔵尊」の幟。

    「子育地蔵尊」の幟。

  • 「地蔵堂」の表札。

    「地蔵堂」の表札。

  • 子育地蔵尊。<br /><br />地蔵堂にB5両面印刷の子育地蔵尊の縁起が置いてあった。抜粋した元本「潮かぜ」(石井遊汀著)がそもそもそうなのか、引用した牛尾東作記のせいなのか、読みにくい駄文ではあるが、最小限の訂正に留めて掲載しておく。<br /><br />「子育地蔵<br />昔、逗子市小坪の谷戸の入口に砂山といわれた砂丘があり、この砂丘は強い西風が吹いたとき、海岸の砂が吹き上げられ、吹き溜まりとなった砂丘でした。<br />その砂山は、鎌倉六地蔵あたりが飢渇畠と言われた様に、何を作ってもうまく収穫が無い畑という意味です。それに似ている砂畠と呼ばれるものがありましたが、いつの間にか、墓地となってしまいました。<br />鎌倉の六地蔵は、刑場の跡でしたが、小坪の砂畠は、漁師達が海上で拾いあげた仏さん(遺体)をここに葬ったり、行き倒れの不明者を葬ったりして、ついに墓地になってしまいました。現在は自動車専用道路が通っていますが、この道は丁度地蔵様の頭部を通過しているせいか、墓地の上のせいか、道路開通直後は事故が多発し、数人の人が亡くなっています。[現在活躍中の有名芸能人もここで大事故にあっています]<br />この道端にお地蔵様をおまつりしてから、事故はぴたりと止みました。[現在も道路の傍らにおまつりしてございます]不思議な地蔵様の、御利益だと人々は言っております。[今年5月頃地蔵堂等を観てもらいましたが、やはり同じ様なことを申しておりました。お地蔵様の頭上に道路を通す時、お地蔵様の御供養をしなかったせいではないかと言っておりました]大変、霊験あらたかなお地蔵様です。<br />さて、この砂畠墓地に大きな石の地蔵が立っていました。人々は子育地蔵と呼んでいました。昔の小坪は漁村でしたから、人手がいりました。そこで農家から養子をもらって育て、船の乗り手としたのです。俗に言うもらいっ子でした。多い家では4、5人もいたそうです。昔は子供の死亡率が大変高く、医学も進んでない無医村でした。幼い子の死は、どんなにか両親を悲しませたことでしょう。<br />その様な小坪の村に真鶴の石工が修業がてら、墓石を造りに来ていました。昔、伊豆や真鶴から江戸の向って石が盛んに運ばれました。江戸城の修理を全国の大名に割当てられて、修理した時代の事です。<br />小坪の沖を通った石の運搬船がしけにあって小坪の磯によく座礁したものです。その時の石が置去りになってしまいました。今でも、この石がたくさん海底に眠っているそうです。その石を引き上げて真鶴の石工が造った地蔵様がこの子育地蔵という事になったのです。又、言い伝えでは磯で漁をしていた、漁師の網にかかって、引き上げられたものだとも伝えられております。お地蔵様をお清めの掃除をしますと衣の凹みの部分に細かい貝殻状のものが付着しており、もしかしたら海中に暫くの間あったのではないかと推察されます。<br />大変大きな地蔵で、身の丈七尺あります。現在の場所に移動したのは大正の始めのようです。<br />余り人に知られていないこの地蔵は、今でも子育地蔵として毎月二十三日はお詣りする人が集まって供養しています。八月の二十三日はお盆の地蔵施餓鬼があって、小坪寺のお住職が施餓鬼供養をして、盛大にお祭りをしています。昭和62年頃、TBSテレビで、その様子が放映され、多くの人々に知られるようになりました。古い子育地蔵のお守り札も大変可愛らしいもので、一枚一枚手刷です。この古い版木も大切にしたいものです。<br />尚、近年は慈悲深いお顔をよくご拝顔出来るように夜間も弱い照明を当て、地元の人々を見守って頂いております。小坪の大切な守護仏として皆様方と一緒に今後も大切にお守りさせて戴きたいと考えております。<br />合掌<br />本文は昭和六十三年二月一日発行 著者石井遊汀様の冊子「潮かぜ」から抜粋させて頂ました。<br /> <br />平成20年8月23日牛尾東作記」(一部誤記訂正あり)<br /> <br />「自動車専用道路」とは国道134号線か?<br />「道端にお地蔵様をおまつり」したお地蔵さまは小坪寺墓地入口にある国道134号線角のお地蔵さま? <br />駄文であるために疑問は多い。

    子育地蔵尊。

    地蔵堂にB5両面印刷の子育地蔵尊の縁起が置いてあった。抜粋した元本「潮かぜ」(石井遊汀著)がそもそもそうなのか、引用した牛尾東作記のせいなのか、読みにくい駄文ではあるが、最小限の訂正に留めて掲載しておく。

    「子育地蔵
    昔、逗子市小坪の谷戸の入口に砂山といわれた砂丘があり、この砂丘は強い西風が吹いたとき、海岸の砂が吹き上げられ、吹き溜まりとなった砂丘でした。
    その砂山は、鎌倉六地蔵あたりが飢渇畠と言われた様に、何を作ってもうまく収穫が無い畑という意味です。それに似ている砂畠と呼ばれるものがありましたが、いつの間にか、墓地となってしまいました。
    鎌倉の六地蔵は、刑場の跡でしたが、小坪の砂畠は、漁師達が海上で拾いあげた仏さん(遺体)をここに葬ったり、行き倒れの不明者を葬ったりして、ついに墓地になってしまいました。現在は自動車専用道路が通っていますが、この道は丁度地蔵様の頭部を通過しているせいか、墓地の上のせいか、道路開通直後は事故が多発し、数人の人が亡くなっています。[現在活躍中の有名芸能人もここで大事故にあっています]
    この道端にお地蔵様をおまつりしてから、事故はぴたりと止みました。[現在も道路の傍らにおまつりしてございます]不思議な地蔵様の、御利益だと人々は言っております。[今年5月頃地蔵堂等を観てもらいましたが、やはり同じ様なことを申しておりました。お地蔵様の頭上に道路を通す時、お地蔵様の御供養をしなかったせいではないかと言っておりました]大変、霊験あらたかなお地蔵様です。
    さて、この砂畠墓地に大きな石の地蔵が立っていました。人々は子育地蔵と呼んでいました。昔の小坪は漁村でしたから、人手がいりました。そこで農家から養子をもらって育て、船の乗り手としたのです。俗に言うもらいっ子でした。多い家では4、5人もいたそうです。昔は子供の死亡率が大変高く、医学も進んでない無医村でした。幼い子の死は、どんなにか両親を悲しませたことでしょう。
    その様な小坪の村に真鶴の石工が修業がてら、墓石を造りに来ていました。昔、伊豆や真鶴から江戸の向って石が盛んに運ばれました。江戸城の修理を全国の大名に割当てられて、修理した時代の事です。
    小坪の沖を通った石の運搬船がしけにあって小坪の磯によく座礁したものです。その時の石が置去りになってしまいました。今でも、この石がたくさん海底に眠っているそうです。その石を引き上げて真鶴の石工が造った地蔵様がこの子育地蔵という事になったのです。又、言い伝えでは磯で漁をしていた、漁師の網にかかって、引き上げられたものだとも伝えられております。お地蔵様をお清めの掃除をしますと衣の凹みの部分に細かい貝殻状のものが付着しており、もしかしたら海中に暫くの間あったのではないかと推察されます。
    大変大きな地蔵で、身の丈七尺あります。現在の場所に移動したのは大正の始めのようです。
    余り人に知られていないこの地蔵は、今でも子育地蔵として毎月二十三日はお詣りする人が集まって供養しています。八月の二十三日はお盆の地蔵施餓鬼があって、小坪寺のお住職が施餓鬼供養をして、盛大にお祭りをしています。昭和62年頃、TBSテレビで、その様子が放映され、多くの人々に知られるようになりました。古い子育地蔵のお守り札も大変可愛らしいもので、一枚一枚手刷です。この古い版木も大切にしたいものです。
    尚、近年は慈悲深いお顔をよくご拝顔出来るように夜間も弱い照明を当て、地元の人々を見守って頂いております。小坪の大切な守護仏として皆様方と一緒に今後も大切にお守りさせて戴きたいと考えております。
    合掌
    本文は昭和六十三年二月一日発行 著者石井遊汀様の冊子「潮かぜ」から抜粋させて頂ました。
     
    平成20年8月23日牛尾東作記」(一部誤記訂正あり)
     
    「自動車専用道路」とは国道134号線か?
    「道端にお地蔵様をおまつり」したお地蔵さまは小坪寺墓地入口にある国道134号線角のお地蔵さま? 
    駄文であるために疑問は多い。

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