2013/11/25 - 2013/11/25
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belleduneさん
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初めて、金沢八景に来たので、隣駅の金沢文庫駅近くにある金沢文庫はどういうところかと思って、金沢別邸の方に地図を貰い、歩くことにしました。途中に色んな旧跡があるので、兎に角それ程遠い距離ではないし、歩いてみることにしました。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 交通手段
- 私鉄 徒歩
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憲法草創の碑を見た後、洲崎町辺りを歩いて行くと、野崎神社がありました。
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神社からすぐのところに、龍華寺があります。
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絹本著色 融辯和尚像 があるそうです。
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境内の地蔵堂の本尊 木造地蔵菩薩坐像 附(つけたり)胎内納入品十二点
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今日は時間がないので、中へ入らないで、先を急ぎます。
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この辺りは金沢歴史の道というそうです。
金沢八幡神社の銀杏が綺麗ですね。 -
ここで道が二股に分かれていますが、細い右側を進みます。
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間もなく、称名寺の惣門(赤門)が見えてきました。称名寺の南辺を限る朱塗りの門で、明和8年(1771)に再建されたものです。四脚門、切妻造り、本瓦造り(再建当初は茅葺き)となっています。
金沢山称名寺は、真言律宗の別格本山として西大寺末の律院で、本尊には木造彌勒菩薩立像(鎌倉時代造)が安置されています。
本寺は、金沢北条氏一門の菩提寺で、草創の時期は定かではありませんが、正嘉2年
(1258)金沢氏の祖と称されている北条実時(1224〜1276)が、六浦荘金沢の居館内に営んだ持仏堂から発したと推定されています。
その後、称名寺の基礎が定まると共に、伽藍の整備が始まり、実時の子、顕時(1248〜1301)の時代には彌勒堂、護摩堂、三重塔などが建立されました。
顕時の子、貞顕(1278〜1333)は、伽藍の再造営を行い、元亨3年(1323)には、苑池を中心に弥勒来迎板絵に荘厳された金堂を初め、講堂、仁王門など七堂伽藍を備えた浄土曼荼羅に倣った伽藍を完成させました。 -
しかし、元弘3年(1333)、北条氏滅亡により、鎌倉幕府の崩壊を契機として伽藍の維持が困難となり、江戸時代になると、創建当時の堂塔の姿は無くなりました。
大正11年称名寺の内界である中心区域が国指定を受け、更に昭和47年、境内は以後の丘陵を含んだ範囲が指定されると共に、昭和62年に、庭園苑池の保存整備事業が行なわれました。 -
称名寺市民の森となっていて、称名寺裏手は、広大な森です。一人だとちょっと怖いですね。
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立派な禅宗様の仁王門は、文政元年(1681)に再建されたものです。三間一戸の楼門で、入母屋造り、軒唐破風付き、銅板葺き(再建当初は茅葺き)となっています。
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木造金剛力士立像(元亨3年)
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元亨3年(1323)に描かれた、紙本淡彩「称名寺絵図並結界記」によって、伽藍の配置と共に完成時の姿を見ることが出来ます。
庭園は、金沢貞顕の時代に文保3年(1319)から、翌年の元応2年にかけて造られました。作庭には性一法師(しょういつ)が関わり、青嶋石を用いた90個の景石を、中島や池の周囲に大量の白砂と共に配置するなどを指示し、苑池には貞顕から贈られた水鳥が放たれ、浄土庭園の完成となりました。
苑池は、金堂の前池として、浄土思想の荘厳のために設けられたmので、南の仁王門を入り、池を東西に二分するように中島に架かる反橋と平橋を渡って、金堂に進むようになっています。
このような配置は、平安中期以降に盛んにあり、浄土曼荼羅の構図に基づき造られた浄土庭園の系列にあるもので、称名寺の庭園は、浄土庭園の基本的な形態を残す最後のものとして高い評価を受けているそうです。 -
阿字ヶ池に架かる反橋が見えてきました。見えている反橋や平橋の橋脚や欄干、橋裄の腐食が進んだため、平成19年から翌年にかけて、両橋の架け替えが行なわれたため、見えている橋は新しいですね。
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銀杏の黄色が池に映って綺麗です。
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反橋から見た仁王門です。
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池には、多くの鴨が泳いでいて、近くの木の上に鷺が留まっていました。傍にいる子供に訊くと、ここにずっと住みついている番いらしい。
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禅宗様の金堂は、天和元年(1681)に再建されました。桁行5間、梁間5間、一重、入母屋造り、本瓦葺き(再建当初は茅葺き)となっています。
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禅宗様の釈迦堂は、文久2年(1862)に建立されました。方三間、廻り縁付き、宝形造り、茅葺きとなっています。
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鐘楼
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広〜い市民の森の景色です。
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苑池を廻って、金沢文庫へ行きます。
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北条実時公像
この辺りは、「文庫ヶ谷」と呼ばれていたので、中世の金沢文庫がこの辺りにあったものと推定されています。金沢文庫は、北条実時、顕時、貞顕の金沢北条氏三代によって、収集された和漢の貴重書を納めた書庫でしたが、元弘3年(1333)5月、鎌倉幕府滅亡によって、主を失い、蔵書は称名寺が管理することになりました。しかし、金沢文庫本の大半は、室町幕府・上杉氏、小田原北条氏、豊臣秀次、徳川家康、加賀前田家など歴代の権力者によって外へ持ち出されてしまいました。
現在の金沢文庫は、称名寺に伝来した美術工芸品、古書、古文書など凡そ2万点を収蔵する博物館として運営されています。平成2年に現在地の新館ができました。国宝「四将像」「文選集注」をはじめ、「金沢文庫文書」「宋版一切経」「称名寺聖教」、絵画、彫刻、工芸品など鎌倉文化の精華を伝える貴重な文化財を保管し、調査を進すめています。 -
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新宮は、称名寺の鎮守で、寛政2年(1790)に再建されました。三間社造り、銅板葺き(再建当初は茅葺き)となっています。
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称名寺塔頭光明院表門は、禅宗様で、寛文5年(1665)に建立されました。
四脚門、袖塀付き、切妻造り、茅葺きとなっています。造営年代が判明する市内の建造物の中で最も古く、極めて貴重なものです。 -
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