2013/11/27 - 2013/11/27
1257位(同エリア7093件中)
kenichi291さん
- kenichi291さんTOP
- 旅行記105冊
- クチコミ28件
- Q&A回答2件
- 137,557アクセス
- フォロワー0人
2013年の紅葉は色付きが良いようです。11月27日、北鎌倉にもみじ狩と洒落て見ました。平日でも大混雑です。鎌倉人気は小町通り周辺だけではありませんでした。富士山もくっきりと見えたし、もみじも綺麗。12月第一週位が見頃ですよ。写真は円覚寺のもみじ。池に映るもみじが素敵でした。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- JRローカル 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
円覚寺のもみじ。円覚寺(えんがくじ)は神奈川県鎌倉市山ノ内にある寺院。山号を瑞鹿山(ずいろくさん)と称する。臨済宗円覚寺派の大本山であり、鎌倉五山第二位に列せられる。本尊は宝冠釈迦如来、開基は北条時宗、開山は無学祖元である。寺名は「えんがくじ」と濁音で読むのが正式だそうです。
-
-
国宝の釣鐘のある鐘楼前の見晴台からは富士山が臨めます。
-
-
東慶寺のもみじ。東慶寺は、臨済宗円覚寺派の寺院。開基は北条貞時、開山は覚山尼(かくさんに)と伝えられます。 現在は円覚寺末の男僧の寺となっていますが、開山以来明治に至るまで本山を持たない独立した尼寺で、室町時代後期には御所様と呼ばれ、江戸時代には寺を松岡御所、とも称した特殊な格式のある寺であったそうです。 群馬県の満徳寺と共に幕府寺社奉行も承認する縁切寺として知られていました。
-
北鎌倉駅からすぐの円覚寺総門。
-
-
-
-
-
塔頭 桂昌庵(けいしょうあん) 閻魔十王像を祀ることから、閻魔堂または十王堂とも呼ばれる。第49世承先道欽の塔所。本尊は地蔵菩薩(矢柄地蔵)。
-
-
-
三門(山門) 天明5年(1785年)、大用国師誠拙周樗が再建したものと言われる。「円覚興聖禅寺」の額字は伏見上皇の勅筆とされる。楼上には十一面観音、十六羅漢像などを安置する。
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
仏殿 昭和39年(1964)年再建で、コンクリート造りだが、元亀4年(1573年)の仏殿指図(さしず、設計図)に基づいて建てられている。堂内には本尊の宝冠釈迦如来像や梵天・帝釈天像などを安置する。天井画の「白龍図」は前田青邨の監修で日本画家守屋多々志が描いたもの。
-
-
-
堂内には本尊の宝冠釈迦如来像や梵天・帝釈天像などを安置する。
-
天井画の「白龍図」は前田青邨の監修で日本画家守屋多々志が描いたもの。
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
塔頭 龍隠庵(りょういんあん) 居士林の裏手、長い石段を上った先にある。第102世大雅省音の塔所。本尊は聖観音。
-
-
-
平和観音。
-
塔頭の自家菜園らしいです。
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
塔頭 寿徳庵(じゅとくあん) 第66世月潭中円 (げったんちゅうえん)の塔所。山号は南山。本尊は聖観音。内部は非公開でした。
-
-
-
-
-
方丈の庭園。
-
-
-
-
妙香池(みょうこうち) 夢窓疎石作と伝える庭園の遺構である。
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
舎利殿(国宝) 神奈川県唯一の国宝建造物で、境内の奥に位置する塔頭・正続院の中にある。正続院は開山無学祖元を祀る、重要な塔頭である。舎利殿は入母屋造、杮(こけら)葺き。一見2階建てに見えるが一重裳階付きである。堂内中央には源実朝が南宋から請来したと伝える仏舎利(釈尊の遺骨)を安置した厨子があり、その左右には地蔵菩薩像と観音菩薩像が立つ。この建物は、組物(屋根の出を支える構造材)を密に配した形式(「詰組」という)、軒裏の垂木を平行でなく扇形に配する形式(扇垂木という)、柱・梁などの形状、花頭窓(上部がアーチ状にカーブした窓)や桟唐戸(さんからど、縦横に桟をはめた扉)の使用など、細部は典型的な禅宗様になる。元から円覚寺にあったものではなく鎌倉市西御門にあった尼寺太平寺(廃寺)の仏殿を移築したもので、15世紀(室町時代中期)の建築と推定されている。鎌倉時代建立の善福院釈迦堂(国宝、和歌山県海南市)や功山寺仏殿(国宝、山口県下関市)とともに、禅宗様建築を代表するものとして、評価は高い。通常は非公開で、正月3が日と11月3日前後に外観のみが公開されるそうです。
-
-
-
-
-
-
-
-
-
開基廟 円覚寺の開基である、北条時宗公をおまつりしてあります。現在の開基廟は江戸時代1811年(文化8年)に改築されたものとされています。
-
-
-
-
-
-
塔頭 黄梅院(おうばいいん) 第15世夢窓疎石(夢窓国師)の塔所。山号は伝衣山。本尊は千手観音。文和3年(1354年)、華厳塔(三重塔)の跡地に夢窓の弟子の方外宏遠が開創した。
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
如意庵(にょいあん) 第36世無礙妙謙(むげみょうけん)の塔所。本尊は宝冠釈迦如来。開基は上杉憲顕で応安3年(1370年)の創建。
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
方丈 本来は住職の居間ですが、現在は各種法要の他、坐禅会や説教会、夏期講座等の講演会や秋の寶物風入など、多目的に使われています。
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
弁天堂 三門向かって右の鳥居をくぐり、長い石段を登りきった先に位置する。江ノ島弁天と関係が深く、近くには洪鐘(梵鐘)がある。
-
-
-
-
-
-
梵鐘 仏殿東方の石段を上った小高い場所にある鐘楼に架かる。寺では「洪鐘」と書いて「おおがね」と読ませている。北条貞時の寄進によるもので、正安3年(1301年)、鋳物師物部国光の制作。高さ2.6メートルを超える大作である。
-
-
-
-
東慶寺は、臨済宗円覚寺派の寺院。開基は北条貞時、開山は覚山尼(かくさんに)と伝えられます。 現在は円覚寺末の男僧の寺となっていますが、開山以来明治に至るまで本山を持たない独立した尼寺で、室町時代後期には御所様と呼ばれ、江戸時代には寺を松岡御所、とも称した特殊な格式のある寺であったそうです。 群馬県の満徳寺と共に幕府寺社奉行も承認する縁切寺として知られていました。
-
山門 ようやく大人が2人通れるほどの門が、ちんまりと佇む。しかし、門にいたる石段は、 女性たちを守る砦としての風格さえ醸している。
-
-
-
鐘楼 東慶寺の梵鐘は観応元(1350)年の補陀落寺のもの。鐘楼天井の龍は、色褪せたものの、 今も空駈ける様子が生き生きと描かれています。
-
梅の古木が多く見られます。梅の名所のようですね。
-
-
-
りんどうが咲いていました。
-
-
-
-
-
植村宗光和尚の宗光塔 釈宗演老師に見いだされ、厳しい修行を積み、奥義を究めようとした植村宗光だったが、日露戦争に応召従軍し、戦死した。その死を深く悼んだ老師が、自室の前に宗光の墓塔を建てたのである。
-
書院。
-
-
金仏 男僧住持の寺となった明治以降には、檀家の数も増え、各界名士の墓も多くなった。 鎌倉という土地が文人を引きつけるのか、墓とともにひっそりと立つ歌碑や句碑、 詩碑が目に留まる。
-
-
本堂 本尊の釈迦如来坐像を祀る本堂「泰平殿」は、佐藤禅忠師が紺紙金泥で観音を揮毫して、昭和10(1935)年に建立したもの。美しい宝形造の屋根を誇る本堂の庭には、春になるとしだれ桜が花をつける。
-
-
-
-
-
用堂尼墓 第五世後醍醐天皇皇女 用堂尼入寺以後、松ヶ岡御所と称され、 寺格の高い尼寺としてその名を馳せるようになった
-
覚山尼墓 東慶寺開山、北条時宗夫人。時宗亡き後、女人救済の「駈込寺」となる松岡山東慶寺を開創。
-
釈宗演墓 明治から大正初期にかけての、仏教界のリーダー。 建長・円覚両派の管長を兼任。東慶寺中興開山の称号が与えられた。男僧第二世。
-
西郷春女墓 歌人三渓原富太郎の息女。
-
-
向陵塚 旧制第一高等学校の記念の塚
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
夏目漱石参禅百年記念碑 山門の石段の右下にある高さ1メートル23センチの碑は、平成6年12月に夏目漱石の参禅百年を記念して建立した記念碑。 漱石が円覚寺の釈宗演に参禅したのは明治27年末から翌年初のことで、小説『門』にそのときのことが描かれています。漱石が二度目に宗演老師を訪ねた大正元年9月11日、宗演老師は東慶寺の住職をしておりました。その際漱石に同道した満鉄総裁の中村是公は、東慶寺山門の手前の田んぼに向って立ち小便をしますが、漱石も並んで”連れション”をしたことが『初秋の一日』に「その顰(ひん)に倣った」と洒落て書かれています。宗演老師は、この日漱石が来山したことをその日のうちに手紙に書いて阿部無仏に送っています。 この記念碑には『初秋の一日』と宗演老師の手紙の文章の一部が刻まれており、”連れション”をしたと思われる位置に建てられています。
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
186