2013/09/21 - 2013/09/21
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たびたびさん
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前週の飯塚・直方・田川の旅から、やっぱり締めくくりは、掘り出された石炭が向かった若松の街。鉄は国家なりの時代に、近代日本の礎を築いた街の気分をどれだけ感じれるか、期待が高まります。
そして、私の気持ちを知ってか知らずか、まさにドンピシャリで導いてくれたのが火野葦平。花と龍の世界は、私小説の域を超えて日本人にとっては十分普遍性のある物語かもしれません。感動をありがとうの気持ちに包まれて、また新しい旅のページが加わりました。
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北九州空港に到着。空港の一階にある北九州空港総合観光案内所です。
ちょっと、紹介しておくと、北九州の観光は、門司港レトロと小倉観光でたぶん、9割くらい。八幡・戸畑・若松といった地区の観光はかなりマイナーになると思います。そして、それらのエリアの情報は限られるので、ここのように大きな観光案内所ではないと情報収集が難しいんです。 -
まず向かったのは赤煉瓦プレイス。
門司のレトロ建築は、門司港だけではありません。門司駅から歩いて数分の門司赤煉瓦プレイスは、旧サッポロビール九州工場の施設を保存活用した建物群です。 -
赤レンガの重厚な雰囲気が今でもしっかり残っています。
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イチオシ
建物群は、国の登録有形文化財でもあり、近代化産業遺産にも指定。重厚な歴史を感じます。
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さて、赤煉瓦プレイスの傍らに、気が付くと豊前大里宿趾の碑がありました。
長崎街道は、小倉と長崎を結ぶ街道と言われますが、実は小倉の東にはもう一つ、大里宿という宿場があって、正確にはそこが長崎街道の終点なんですね。九州の諸大名は、参勤交代の際には、最も良い条件を備えた大里の地から渡航することが多くなり、小さな宿場町でありましたが九州の街道の起点終点の宿場として大いに繁栄することとなったそうです。これは、ちょっと散策するしかないですね。 -
仏願寺は、赤煉瓦プレイスから東に少し歩いたところ。案内板がありまして、江戸の末期、小倉藩と長州藩が戦った倉長戦争で、長州藩奇兵隊の兵火にかかり、本堂や鐘楼門、庫裏を焼失したとありました。ちなみに、倉長戦争とは1866年。薩長同盟の年にあたります。
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あちこちに、石標もあって、意外によく整備されているんですね。
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宿場町の全体像も解説されていました。
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で、ここは、もう海の近く。赤煉瓦プレイスへは海沿いの道から帰りましょう。
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海岸の通りをふらふら歩いていて見つけた国道沿いの洋菓子屋さんは、ケーキのひなたです。アップルパイが人気で、一人が買える個数を制限しているほど。
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ただ、朝の時間はまだ焼けていなかったので、プリンをいただきました。ちょっと優しい味わいがお店のコンセプトを表しているような気がします。
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こちらは、大里海岸緑地。赤煉瓦プレイスの向かいです。
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イチオシ
海岸に面して続く、気持ちの良い広場です。
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遠くには、関門海峡の奥に下関市街や門司港。
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反対側には、小倉の住友金属の工場も見渡せて、素晴らしいロケーション。魚釣りのオッチャン達が何人かいましたが、もう見慣れているんでしょうね。でも、こんな場所は、日本にもそうそうはないんですけどね。
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門司赤煉瓦プレイスは、いくつかの建物で構成されていて、赤煉瓦交流館もその一つ。旧倉庫棟を改装した施設で、赤煉瓦ホール、会議室に、レストランが併設されています。
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ホールでは、いろんなイベントが行われていて、この日はダンス教室のよう。壁にはわたせせいぞうの絵も飾られていました。
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そして、この門司麦酒煉瓦館がここではメイン施設。
館内は、帝国麦酒株式会社がサッポロビールと合併し、 平成12年まで操業していた歴史の資料館となっています。 -
イチオシ
ちなみに、鈴木商店の資本が中心となって、大正元年に創業したのが帝国麦酒株式会社。
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サクラビールというビールを醸造・販売していたそうです。
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なお、建物は、鉱滓煉瓦という、製鉄所で出る耐火性の高い鉱滓を原料にした鼠色のレンガが特徴的。この感じもなかなか美しいですね。
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さて、この辺で赤レンガプレイスは終了して、門司駅に戻ります。
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門司駅からは、小倉へ。
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小倉では、まず、久しぶりに松本清張記念館へ。
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松本清張記念館は、小倉城のエリア。小倉出身の国民的な人気作家、松本清張の巨大な足跡を展示する総合資料館です。
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松本清張といえば、「砂の器」などサスペンスといったイメージが強いのですが、「日本の黒い霧」など実際の事件を扱ったノンフィクションや日本古代史の研究など、ジャンルが広く、それぞれが緻密です。事件の着眼点として動機を重んじたといった解説など、氏の鋭い視点を感じることができる、とにかく圧巻の内容ですよね。
うーん。その凄さは改めて感じたんですが、ちょっと暗いのが玉にきずでしょうか。。 -
これは、白州灯台の記念塔。灯台は船の座礁事故が相次ぐことを見て、小倉に生まれた岩松助左衛門が私財を投じ、義金を募って建設にかかったもの。これは、その岩松翁が設計した白州灯台を模して建てられ、昭和38年の北九州市誕生の年に作られました。
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イチオシ
近くの北九州市立文学館へも寄ってみます。
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小倉の陸軍第12師団の軍医として小倉に赴任した森鴎外が一時ここで暮らします。「小倉日記」や「独身」「鶏」など、鴎外の小倉時代がモデルの作品もあって、それなりに縁の深さを感じます。
その後、北九州市ゆかりの作家として、杉田久女、林芙美子、火野葦平、松本清張なども生まれますが、鷗外が少なからず刺激を与えたような気もします。
建物は、とても立派。いも虫のように全体が丸くなった建物内部の巨大空間も見どころかなあと思います。 -
長崎の鐘は、原爆慰霊平和祈念碑とともに、ここ勝山公園の片隅に立っています。平和記念碑には、長崎市に投下された原爆は、当初、旧小倉陸軍造兵廠があったこの地に投下される予定だったもの。ところが、雲のため、視界がきかず、第二目標の長崎市に投下されたと記されています。小倉と長崎のこうした関係から、長崎市から長崎の鐘が贈られたのだそうです。
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小倉城の天守閣も、今日はきれいに見えています。
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小倉城の北側に整備された勝山公園は、開設面積19.5haとけっこう広い。小倉市民会館の跡地に写真の大芝生広場が開設されて、ここは桜の名所。桜の開花時期には「小倉城桜まつり」が開催されます。
なお、ここは旧小倉陸軍造兵廠敷地の一部であり、原爆投下の目標とされた場所なんです。 -
もり山は、中津のから揚げではぶんごやと並んで人気を二分する有名店。しかし、もり山は中津駅から遠いし、ぶんごやは日曜日はお休み。なので、中津に行っても観光客にとっては、どちらも利用しにくいお店です。
ところが、そのうちのもり山が旦過市場の入口にお店を出しているんです。少し前に気が付いて、チェックしていました。 -
店先のテーブルでいただきましたが、パリッとした揚げ具合に、鶏肉の豊かな味わいはさすがという感じ。これはとても価値があるお店です。
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で、グルメで外せないのは、だるま堂。小倉駅からもすぐです。小倉のB級グルメ「焼うどん」の発祥の店と言われているお店です。お昼でしたが、入ると私一人。おばあちゃんが切り盛りしているお店で、本当にここなのかなあとちょっと心配しましたが、
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注文すると、手早く料理してくれました。見た目からして、ソースの味がすると期待したのですが、味も香りもあまりはっきりせず。食べているうちに、それなりの味がしてくるような、かなりの薄味です。麺は言われるほどもっちりでもないし、何がポイントなのか考えながら食べましたが、量も少ないので、まだわけのわからないうちに食べてしまいました。どこがうまいとは積極的に言えるところはないのですが、そこがまたいいのかもしれません。
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落ち着いたところで常盤橋へも。この橋は紫川の西と東を結ぶ橋。江戸時代に紫川に掛かる橋は2つしかなく、重要な橋だったようです。
そして、何んといっても、この橋は長崎街道の起点。かつ、「小倉の五街道」と呼ばれた中津街道、秋月街道、唐津街道、門司往還にもつながっていました。九州の日本橋のような存在ですね。 -
小倉もこの辺にして、今日のメインの若松に向かいます。
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戸畑駅から渡船の乗り場までは、駅前のまっすぐな道を歩いて数分。赤い若戸大橋の見える方に歩きます。
この若戸大橋は、北九州市の戸畑区と若松区を結ぶ橋。全長 2.1kmで、昭和37年に開通。建設当時は東洋一の吊り橋で、日本における長大橋の始まりとされます。洞海湾にかかる赤い橋は、力強い印象です。 -
湊の待合室で、若松の市街地を確認します。この地図が欲しかったんですが、品切れだとか。残念です。
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やってきました若戸渡船。これが、若松と戸畑を結ぶ渡船なんですね。
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利用は、地元の学生さんとかけっこういる感じ。生活にはなくてはならない交通機関になっています。
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若戸大橋に沿って、巨大な若戸大橋を仰ぎ見るようにして進むのが印象的です。
そして、海は洞海湾。この湾は、幅数百メートル、長さ10キロメートルの細長い湾。遠賀川から堀川を通じて、かわひらたで筑豊の石炭が運ばれてきていましたが、この沿岸に官営八幡製鉄所が操業を開始し、一気に北九州の工業化が加速していくこととなります。
ただ、1960年代の高度経済成長期には、公害により「死の海」となった過去もありますが。。 -
対岸の若松は、あっという間です。
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若戸渡船を降りてすぐの海岸通りに面したビルは、旧三菱合資会社若松支店。ビルには、大きく上野ビルと入っていますが、これが旧三菱合資会社若松支店。大正2年に建設されたビルで、国の登録有形文化財建造物「上野ビル(旧三菱合資会社若松支店)本館ほか」となっています。
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イチオシ
振り返ると、こんな具合。洞海湾に面した海岸通りです。
向かい側に若戸大橋でつながる戸畑・八幡の市街が見えるし、岸壁はかなりよく整備されていて、石炭の荷揚げで賑わった往時の雰囲気がそれなりに残されている場所です。 -
イチオシ
そして、これが海岸通りに建つ若松で最も有名なレトロ建築、旧古河鉱業若松ビル。大正8年築で、さほど大きくはないのですが、赤と白の壁面が美しいです。
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2004年の大改修後、コミュニティーホールとして活用されていて、この日も無料のミニコンサートが開かれていました。
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隣りに小さな資料館もあって、石炭産業で賑わった若松の往時を伝える写真等の展示もありました。
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古河鉱業若松ビルの一階で、事務所の傍らに置いてあったのが丸屋のアンパン。丸屋若松店と紹介されていますが、事務所の方が片手間で扱っているといった感じで、とてもお店といった構えではありません。
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私も、適当に買っただけだったのですが、天然酵母の生地に、白玉の入った餡子がびっくりするくらいおいしい。実はすごいアンパンでした。
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さらに進むと石炭会館。明治38年竣工の若松石炭商同業組合の建物です。
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外観は楽しめますが、現在は若松法人会、若松労働基準協会ほかが入居しているようで、入口を入っても、そこから先は見学できません。
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こちらの旧ごんぞう小屋は、若松の海岸通りの休憩所です。
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ごんぞうというのは、沖の本船で石炭の積み込みなど荷役をする仲士のこと。機械化がまだ進んでいない時代、石炭積出港として賑わっていた若松にはなくてはならない存在でした。中には、ごんぞうの活躍した時代の説明パネルもあります。
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海岸通りから離れて、中心部へ。ここは、若松市役所公会堂跡。といっても、現在の若松区役所の隣りに今では跡を示す杭のような碑が建っているだけです。若松石炭商同組合と筑豊石炭工業組合の寄付により大正9年に建てられたかつての若松市役所は、北九州市の合併後も若松区役所として使用されましたが、平成2年には解体されています。
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こちらの極楽寺は、浄土真宗本願寺派の寺。立派な構えのお寺です。
若松の時代とともに歩んだ歴史を持っていて、与謝野晶子が夫の鉄幹と若松に立ち寄った際も、ここで講演会を行い、新しい時代の息吹を伝えたということです。 -
そして、いよいよ火野葦平資料館。若松駅の向かい、若松市民会館の内にあります。
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火野葦平は、若松出身の作家。「糞尿譚」で芥川賞作家となり、河童を愛することでも知られます。
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作品としては、満州事変後の日中戦争の従軍経験から書いたという「土と兵隊 麦と兵隊」も紹介されていて、人気作家であったことが改めて実感させられました。なお、見学は無料です。
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そこからさらに歩いて数分の場所。こちらの火野葦平旧居 河伯洞は、火野葦平が昭和15年から自殺して亡くなる昭和35年までを過ごした家です。
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芥川賞を受賞した「糞尿譚」の収入で建てたのだとか、管理人の方がおっしゃっていましたが、
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イチオシ
その後の代表作「花と龍」もこの家の二階の書斎から生まれました。
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自筆の色紙。とても自殺をするようには思えないんですが、
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糞尿譚は、昭和12年。昭和35年に53歳で自殺しています。
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なお、名前の河伯洞は、葦平の河童好きに由来しています。
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これは、花と龍の主人公。玉井金五郎と玉井マン。葦平の両親です。
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続いて向かった安養寺は、若松市街を見下ろす高台。
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火野葦平の「花と龍」は、玉井金五郎とマンという両親を主人公に、石炭産業が華やかなりしころの若松を描いた作品ですが、その玉井家の菩提寺がここ。
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若松市街では、火野葦平ゆかりの地を巡るコースがあり、安養寺もその中の一つです。
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時間が押してきました。ちょっと、焦ってきますね。
この港銭収入所船舶見張所は、わかちく史料館に行く途中の若戸大橋の下。 石炭の積み出しが増大し、新たな築港が急務となるのですが、財政難の中、ようやく完成した港は民間企業による経営。港を出入りする船舶から港銭を徴収するために、この見張り所を設置しました。
ちなみに、この見張り所は、昭和6年に建てられたものです。 -
ちなみに、向かいは新日鉄の工場です。
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こちらのわかちく史料館は、若松築港会社の社屋の一部に設けられた私的な博物館。若松の石炭産業とその中での洞海湾の開発の歴史を説明しているのですが、そもそも、洞海湾の開発は、この若松築港会社が担ってきたもの。あの安川敬一郎が社長。明治・大正・昭和と幾たびかの戦争を潜り抜けて、開発が進んできた経緯は迫力があるし、とても興味深いものでした。
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恵比須神社のほど近く。若松大橋の橋脚に、若松の祭りや風景を描いた壁画があります。
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これは、若松出身の版画家、故片山正信さんの作品を基に作られた有田焼の陶板。中央は、郷土芸能「五平太ばやし」と背景に若戸大橋。縦4.8m、横7.1mの巨大な壁画です。
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祭りの賑わいに、
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貨物の活発な動きも想像されて、とってもメモリアルな作品です。
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若松恵比須神社は、若松区にある神社。通称は、「若松のおえべっさん」。
起源は、仲哀天皇と神功皇后に因むもの。熊襲征伐のため洞海から船で移動する際、神功皇后は内海を進むことになりますが、皇后の船が内海の洞海湾を進んだ時、急に船が動かなくなり、光り輝く玉の石があがったというのです。
若松えびす祭は、春季大祭と秋季大祭があり、賑わいます。 -
玉井組事務所跡は、若松の海岸通りの一角。玉井組とは、火野葦平の小説「花と龍」主人公、実在の玉井金五郎、マンが経営していた、石炭荷役請負業の会社です。若松では、石炭の積み込みが人力であったためにごんぞうと呼ばれた人足が活躍していました。その親分が玉井金五郎です。
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弁財天上陸場跡は、大正期の港湾拡張計画に基づいて造られた荷揚場の一つ「弁財天上陸場」を復元整備したもの。石炭荷役をする伝馬船はここに船着けされました。海岸通りのこの一角には、旧ごんぞう小屋もあって、沖中仕(ごんぞう)が活躍した時代を偲ぶ場所となっています。
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若松の明治町銀天街に戻って、
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こちらはミスタームシパン。聞くと、全国展開しているチェーン店で本店は東日本のようでしたが、手作り感のある商品だけにまったく地元に馴染んでいる感じ。商品の数も多いし、これなら利用者も飽きないでしょう。街歩きのついでに一個買いましたが、ちょっと固めのしっかりした生地がうまいと思いました。
ちょっと元気が出たところで、先に進みます。 -
吉田磯吉邸跡は、若松市街の北側です。ちなみに、吉田磯吉は、火野葦平の「花と龍」では、主人公玉井金五郎の前に何かと立ちふさがりながらも、時には手も差し伸べてくれるという若松の町を仕切る大親分として描かれています。遠賀川流域の男伊達の気性を表す川筋気質の川筋モンの典型的な人物の一人です。
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北九州の若松は、石炭の積み込みでごんぞうたちが活躍した男臭い街。当然、花街も相当に賑わっていたわけで、それが連歌町という町の跡。今では石畳が敷かれたくらいの跡しか分かりませんでしたが、住んでいる人に話を聞いたら、お茶屋があった区画は周囲から一段高く整地されていたそうです。
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一段高くするために積み上げたレンガの基礎が残っている場所が路地の方に残っていまして、こうした意味を教えてもらいました。
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料亭 金鍋は、明治28年に小倉、戸畑を経てこの地に移ってきた老舗の牛鍋屋。。
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建物は国の有形文化財であり、火野葦平も常連であったということ。葦平の間というのが残されているようです。
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なお、脇には仕出し弁当の部もありまして。ちょうどお腹がいっぱいで断念したのですが、ここで買ってみたくなるような、とても豪華な作りの折りが並んでいました。
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では、グルメのチェックもしてみましょう。
とらやは、若松駅前にある人気の今川焼のお店。 -
今川焼は、茂兵衛まんじゅうというようです。分厚くて、上下の合わせがけっこう適当。皮やあんがはみ出て、形は乱れまくりなんですが、これがうまい。表面はカリッとしているのに中はしっとり。餡子もどっしり入って、「見た目はどうでもいい。おいしけりゃいいんでしょう」という強い主張を感じる一品です。
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桜ようかん 福島屋も、若松駅からすぐ。羊羹屋さんなのですが、のぞくと店の中では行列が出来ていて、びっくり。私も並んでみることにしました。
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いただいたのは、抹茶羊羹。小城羊羹の流れをくむ羊羹のようで、小城羊羹の特徴である周囲のジャリジャリ感があります。しかし、それ以上に、この羊羹がとにかくやたらおいしい。甘さは控えめで、素直な飽きない味わい。値段も安いし、まとめ買いをする人が多かったのはうなずけます。
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天婦羅・活魚料理 赤提灯は、大きな建物だし、夕方の早い時間から家族連れが何組か入っていくので、私もつられて入ってみました。海鮮を扱う店は、はやっていないと新鮮じゃないでしょうから。
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で、その期待は当たり。広い店内で悠々と、たぶん、お店のイチオシのてんぷら定食をいただきましたが、エビやキスの天ぷらのおいしいこと、おいしいこと。これで、1000円も切っていて、これは非の打ちどころがありません。観光客にとっても、価値あるお店だと思います。
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ついでに、若松の商店街の一角の山吹かまぼこ。若松は、北側を日本海に面していて、北九州にあっても新鮮な海産物が食べられるところと聞いていたので、この蒲鉾屋さんも気になって寄ってみました。
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後で調べると、小倉に本店のある老舗の蒲鉾屋さん。北九州市内にいくつか店舗を持っているようです。それでもいただいた揚げ天は、めちゃめちゃおいしい。これはお勧めです。
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日も暮れてきました。最後は皿倉山が待っています。急ぎましょう。
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黒崎駅に到着。いい時間。間に合ったようです。
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黒崎駅からシャトルバスを使って、ケーブル駅に到着。
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この帆柱ケーブルが、新日本三大夜景のひとつ である皿倉山に上るケーブルカー。全長1.1k、高低差は440mです。だんだんと上がっていく時の景色がとてもいいということで期待していたのですが、それは普通かもしれません。
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イチオシ
皿倉山は、新日本三大夜景の一つ。最近急に人気が出てきたようで、ちょうど、夕陽がきれいに見えだす時間でした。
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東西に市街が長く伸びて、その中央に黒く洞海湾が切れ込んでいます。長崎湾を囲む長崎の夜景にちょっと似ていなくもないと思いましたが、光の範囲が広いので、実はこちらの方が見応えがあるかもしれません。
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帆柱ケーブルからは、再びスロープカーに乗り継いで皿倉山の展望台に上ります。帆柱ケーブルの輸送能力の方が圧倒的に大きいので、ここで長い行列ができてしまいます。
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そして、スロープカーは、緩い斜面を山裾に沿って移動します。
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途中、車内の照明が消されると素晴らしい夜景が現れる趣向で、これが見せ場になっています。
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北九州国定公園という言葉は、あまり耳にしたことはなかったのですが、夜景で知られる皿倉山、カルスト台地の平尾台、関門海峡の眺望に優れた企救、洞海湾を見下ろす高塔の4支部からなる公園。
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イチオシ
自然保護が目的というよりは、大都市圏住民の憩いの場、都市環境を保全する緑地帯という位置づけだそうです。ただ、ダントツに有名なのは、何と言っても皿倉山の夜景です。
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帆柱ケーブル 無料シャトルバスで帰ります。改めてですが、シャトルバスは八幡駅と皿倉山のふもとのケーブル駅を結ぶバス。土曜日と日曜日に運行されて、日・祝日は9:45〜、土曜日は13:25〜です。八幡駅前から出るので、とても便利。夜景を見るなら、これを利用するに限りますね。
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北九州八幡のB級グルメに八幡餃子というのがあるのですが、このいづみは、その八幡餃子の超人気店。黒崎駅から、歩いて数分です。
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イチオシ
お店は満員で、お店の中で少し待ってありつきました。変わっているのは、餃子の口が開いたままということ。軽く包むんですが、少し口が開いていて、それをそのまま焼いてしまいます。一方で、?はねっちょりしているので、口が開いていても全く問題なし。変に?を潰す意味はないんでしょうね。
お味の方は、皮はカリッとしているのに、中はねっちょり。この組み合わせがとてもよくて、とにかくうまいです。宇都宮餃子でも、浜松餃子でもない。かなりの高得点だと思いました。
これで、一日目は終了。何とか予定通り回れたようです。
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