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八王子高尾から北野街道を東進、湯殿川(ゆどのがわ)を渡り南側の急峻な高台に建つ御霊山・浄泉寺(じょうせんじ、東京都八王子市館町)は戦国時代小田原北条氏の信頼を受け八王子城を最大の支城とし武蔵国から上野国・下野国及び常陸国南部までの広大な領域を支配した北条氏照(ほうじょう・うじてる、1540~1590)の重臣である近藤出羽守助実(こんどう・でわのかみ・すけざね、生誕不詳~1590)が天正元年(1573)に自らの居館に開基したと知られており、町名も「館町(たてまち)」と呼ばれる由縁です。<br /><br />当該寺に掲示されている浄泉寺歴史によりますと当寺保存の過去帳には龍洞院殿一渓浄泉大居士が天正18年(1590)6月23日寂すとあることから近藤助実が当寺の開基とされています。<br /><br />開山僧は入間郡久米村(現在の所沢市)永源寺の末、獄應儀堅禅師であり、当寺の二世、照鑑圓應禅師は10石の御朱印を賜るほどの名僧であった由です。<br /><br />当寺と武士との関わりは古く、平安時代末期の醍醐天皇の系列貴族の子孫、鎌倉権五郎景政(かまくら・げんごろう・かげまさ、生没不詳)という武将が当地に本拠を構えていたとの伝えがあります。<br /><br /><br />2022年10月25日追記<br /><br />境内に設置の「浄泉寺の歴史」と題する説明は下記の通りです。<br /><br />『 浄泉寺の歴史<br /><br />浄泉寺は戦国時代末期のころ、御霊山浄泉寺城と称し近藤砦とも呼ばれていました。天正初年、八王子城主北条氏照の家臣、近藤出羽守助実公が、この寺を創建されました。過去帳によると龍洞院殿一渓浄泉大居士、天正18年6月23日寂すと記されていることから浄泉寺の開基とされております。また寺をお開きになった僧は入間郡久米村(現、所沢市)永源寺の末、当時開山、獄応儀堅禅師(天正15年10月17日寂)であります。この寺の2世、照鑑円応禅師(慶安1648~1658)は、当時は10石の御朱印を賜っていた名僧でもありました。<br /><br />この寺と武士とが関わった歴史は古く、今から九百年前、平安末期に醍醐天皇の系統貴族の子孫、鎌倉源五郎景政という武士が本拠を構えておりました。しかし、三年の役(1086~1088)1083年の時、景政は右目を矢で射られ、それでも敵を追い払い、又矢を抜こうとする者に「無礼者、弓矢で死するは武士の道」と叫んだことは有名で諸行無常にして景政は寛治元年(1087)9月9日33歳で無念なる人生を閉じたのでした。勇敢な武将として讃えられその景政を祀る神社が寺のすぐ下にあり当時は寺の守護神として建てられ明治に入り神仏分離によって絶学天真禅師ご親筆により御霊神社を釈尊山と山号を改めまた御霊神社を明神様と称するようになったのであります。浄泉寺は武将の館に相応しく、周囲には川が流れて人の往来をさえぎりやすく、その上、切り立つような丘のため、城砦として申し分のない場所であったのです。今も土塁(土盛り)や空堀の跡が残された歴史ある古いお寺でございます。<br /><br />   平成10年5月吉日<br />             釈尊山 浄泉寺 山主 』<br /><br /><br /><br /><br /><br /><br />

武蔵狭間 小田原北条氏4代当主氏政の実弟で八王子城主北条氏照家臣近藤氏が構えた城砦の一角に自ら開基の『浄泉寺』散歩

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2013/11/09 - 2013/11/09

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滝山氏照

滝山氏照さん

八王子高尾から北野街道を東進、湯殿川(ゆどのがわ)を渡り南側の急峻な高台に建つ御霊山・浄泉寺(じょうせんじ、東京都八王子市館町)は戦国時代小田原北条氏の信頼を受け八王子城を最大の支城とし武蔵国から上野国・下野国及び常陸国南部までの広大な領域を支配した北条氏照(ほうじょう・うじてる、1540~1590)の重臣である近藤出羽守助実(こんどう・でわのかみ・すけざね、生誕不詳~1590)が天正元年(1573)に自らの居館に開基したと知られており、町名も「館町(たてまち)」と呼ばれる由縁です。

当該寺に掲示されている浄泉寺歴史によりますと当寺保存の過去帳には龍洞院殿一渓浄泉大居士が天正18年(1590)6月23日寂すとあることから近藤助実が当寺の開基とされています。

開山僧は入間郡久米村(現在の所沢市)永源寺の末、獄應儀堅禅師であり、当寺の二世、照鑑圓應禅師は10石の御朱印を賜るほどの名僧であった由です。

当寺と武士との関わりは古く、平安時代末期の醍醐天皇の系列貴族の子孫、鎌倉権五郎景政(かまくら・げんごろう・かげまさ、生没不詳)という武将が当地に本拠を構えていたとの伝えがあります。


2022年10月25日追記

境内に設置の「浄泉寺の歴史」と題する説明は下記の通りです。

『 浄泉寺の歴史

浄泉寺は戦国時代末期のころ、御霊山浄泉寺城と称し近藤砦とも呼ばれていました。天正初年、八王子城主北条氏照の家臣、近藤出羽守助実公が、この寺を創建されました。過去帳によると龍洞院殿一渓浄泉大居士、天正18年6月23日寂すと記されていることから浄泉寺の開基とされております。また寺をお開きになった僧は入間郡久米村(現、所沢市)永源寺の末、当時開山、獄応儀堅禅師(天正15年10月17日寂)であります。この寺の2世、照鑑円応禅師(慶安1648~1658)は、当時は10石の御朱印を賜っていた名僧でもありました。

この寺と武士とが関わった歴史は古く、今から九百年前、平安末期に醍醐天皇の系統貴族の子孫、鎌倉源五郎景政という武士が本拠を構えておりました。しかし、三年の役(1086~1088)1083年の時、景政は右目を矢で射られ、それでも敵を追い払い、又矢を抜こうとする者に「無礼者、弓矢で死するは武士の道」と叫んだことは有名で諸行無常にして景政は寛治元年(1087)9月9日33歳で無念なる人生を閉じたのでした。勇敢な武将として讃えられその景政を祀る神社が寺のすぐ下にあり当時は寺の守護神として建てられ明治に入り神仏分離によって絶学天真禅師ご親筆により御霊神社を釈尊山と山号を改めまた御霊神社を明神様と称するようになったのであります。浄泉寺は武将の館に相応しく、周囲には川が流れて人の往来をさえぎりやすく、その上、切り立つような丘のため、城砦として申し分のない場所であったのです。今も土塁(土盛り)や空堀の跡が残された歴史ある古いお寺でございます。

   平成10年5月吉日
             釈尊山 浄泉寺 山主 』






交通手段
私鉄 徒歩
  • 湯殿(ゆどの)川<br /><br />かつて館の北側から攻め入る敵に対し防御する水堀の役割を果たしています。<br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br />

    湯殿(ゆどの)川

    かつて館の北側から攻め入る敵に対し防御する水堀の役割を果たしています。







  • 明神橋<br /><br />戦国時代では館を守る土橋としての位置づけが考えられます。

    明神橋

    戦国時代では館を守る土橋としての位置づけが考えられます。

  • 浄泉寺・寺標<br /><br />なだらかな直線道路が印象的です。

    浄泉寺・寺標

    なだらかな直線道路が印象的です。

  • 浄泉寺・境内<br /><br />なだらかな直線道路を上り詰めると浄泉寺境内に入ります。

    浄泉寺・境内

    なだらかな直線道路を上り詰めると浄泉寺境内に入ります。

  • 浄泉寺・本堂

    浄泉寺・本堂

  • 浄泉寺・観音堂<br /><br />近代的様相をした2階建ての多目的ホテルで、例えば法事等で使用されると思われます。

    浄泉寺・観音堂

    近代的様相をした2階建ての多目的ホテルで、例えば法事等で使用されると思われます。

  • 浄泉寺・説明板

    浄泉寺・説明板

  • 浄泉寺・本堂扁額<br /><br />「釈尊山」と絶学天真禅師の筆により書かれています。

    浄泉寺・本堂扁額

    「釈尊山」と絶学天真禅師の筆により書かれています。

  • 浄泉寺・客殿玄関<br /><br />白い壁と格子のバランスが上品さを表しています。

    浄泉寺・客殿玄関

    白い壁と格子のバランスが上品さを表しています。

  • 浄泉寺・参道<br /><br />本堂から入口方向を捉えます。

    浄泉寺・参道

    本堂から入口方向を捉えます。

  • 「泉の郷」石碑<br /><br />霊園の名前として「泉の郷」としています。

    「泉の郷」石碑

    霊園の名前として「泉の郷」としています。

  • 浄泉寺・墓地中央部風景

    浄泉寺・墓地中央部風景

  • 浄泉寺・墓地西側

    浄泉寺・墓地西側

  • 浄泉寺・墓地<br /><br />墓地が広がりを見せています。

    浄泉寺・墓地

    墓地が広がりを見せています。

  • 浄泉寺歴史・説明板

    浄泉寺歴史・説明板

  • 浄泉寺・土塁<br /><br />向こうから手前に走る崩れたと思われる土塁が見られます。<br /><br />

    イチオシ

    浄泉寺・土塁

    向こうから手前に走る崩れたと思われる土塁が見られます。

  • 浄泉寺・土塁<br /><br />墓地の端に僅かに盛り上がった連続状の土盛りが見られます。

    浄泉寺・土塁

    墓地の端に僅かに盛り上がった連続状の土盛りが見られます。

  • 浄泉寺・土塁<br /><br />大木の横に微かに連続してなだらかな堤状が見えます。

    浄泉寺・土塁

    大木の横に微かに連続してなだらかな堤状が見えます。

  • 助湯煎寺・庭園

    助湯煎寺・庭園

  • 浄泉寺・観音像

    浄泉寺・観音像

  • 緩やかな道路

    緩やかな道路

  • 東側の土手

    東側の土手

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