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JR中央線・京王電鉄高尾線の高尾駅南口から徒歩約20分、龍雲山・高乗寺(こうじょうじ、東京都八王子市初沢町)は東側に聳える初沢山頂に造られた初沢城(別名椚田城・くぬぎだじょう)を構成する一つであるとの地理的背景から築城者の影響を強く受けています。<br /><br />築城者は武蔵七党の横山党庶流の椚田氏とも鎌倉幕府の有力実務家御家人大江広元(おおえ・ひろもと、1148~1225)二男時広(ときひろ、生没不詳)を祖とする長井氏とも言われております。<br /><br />寺の説明板を引用しますと「高乗寺は応永元年(1394)、法光圓融禅師峻翁令山大和尚により開創され、開創に関して当時の片倉城主の長井大善大夫高乗(ながいだいぜんたいふたかのり、生誕不詳?1402)が開基となり、寺名もここに由来しています。」<br /><br />初代初沢城主と言われた椚田(くぬぎだ)氏は平安時代から鎌倉時代にかけて武蔵・下野・上野に勢力を伸ばしていた小領主の同族的武士集団である武蔵七党のうち東京八王子周辺を拠点とした横山党の庶流で横山時重の四男、太郎重兼が椚田の地に館を構えその子次郎広重より地名を称して椚田氏と名乗ります。<br /><br />建暦3年(1213)鎌倉幕府重臣の和田義盛(1147~1213)は二代目執権北条義時(ほうじょう・よしとき、1163~1224)の挑発に乗り幕府軍と戦い敗死、和田氏と姻戚関係にあった横山氏は当然ながら和田氏に与したため和田氏ともども滅亡、庶流の椚田氏も横山氏に従ったため没落します。<br /><br />和田義盛の乱にて滅亡した横山氏所領は戦功のあった大江広元に与えられます。そもそも大江氏はかつては朝廷に出仕していた下級役人でしたが源頼朝の側近として重用され、幕府の政所初代別当(長官)を務めるなど創設に貢献、頼朝亡き後にも北条一族と協調して幕政に参画、執権義時と共に連署をするなど政策の決定に強く影響を及ぼしています。<br /><br /><br />2022年10月13日追記<br /><br />境内に建てられた説明板には下記の通り記述されています。<br /><br />『 高乗寺 沿革<br /><br />当寺は応永元年(1394)、法光円融禅師峻翁令大和尚により開創しました。その後、現在の境内地へ移築、臨済宗から曹洞宗への改修を経て、永正2年(1505)、通庵主浩達大和尚により改めて開山しました。<br /><br />開創に関して、当時の片倉城主、永井大膳太夫高乗公が深くかかわっており、高乗寺の寺名は此処に由来しています。また永井家は毛利家の系譜の関係であることから、寺紋(略)は毛利家の紋です。<br /><br />当寺は、三多摩の曹洞宗の名刹で、都立高尾陣馬自然公園内に位置し多摩八大寺のひとつに数えられます。池の前には、生まれ年干支守り本尊八尊仏が並び、霊園内の聖観音初沢観音が霊園全体を優しく見守っています。敷地内には山王神社社殿があり、毎年8月には祭礼が開かれます。<br /><br />本堂には本尊に釈迦牟尼仏、両脇に文殊菩薩と普賢菩薩を安置しております。本堂隣接の大慈閤には、正面に御前仏十一面観音立像をまつり、奥壇には、八王子三十三観音霊場第十九番札所、また武相観音第十八番札所に指定されている秘仏三十三体観音像を安置し、十二年に一度、卯年の四月にご開帳となります。<br /><br />高尾霊園は、昭和40年(1965年)4月に開園した当寺管理の公園墓地です。約五万坪の邦題な敷地に約7500区画の墓地を有し春の千本以上の桜をはじめ、四季を通じて自然豊かな景色が広がります。<br /><br />  平成17年10月吉日<br />              龍雲山 高乗寺 三十七世 細川 泰徳 』

武蔵高尾 鎌倉幕府最高の実務家で頼朝没後は北条義時と共に政局運営した御家人大江広元の庶流で片倉城主長井氏が南北朝期に開基した『高乗寺』散歩

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2013/11/09 - 2013/11/09

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滝山氏照

滝山氏照さん

JR中央線・京王電鉄高尾線の高尾駅南口から徒歩約20分、龍雲山・高乗寺(こうじょうじ、東京都八王子市初沢町)は東側に聳える初沢山頂に造られた初沢城(別名椚田城・くぬぎだじょう)を構成する一つであるとの地理的背景から築城者の影響を強く受けています。

築城者は武蔵七党の横山党庶流の椚田氏とも鎌倉幕府の有力実務家御家人大江広元(おおえ・ひろもと、1148~1225)二男時広(ときひろ、生没不詳)を祖とする長井氏とも言われております。

寺の説明板を引用しますと「高乗寺は応永元年(1394)、法光圓融禅師峻翁令山大和尚により開創され、開創に関して当時の片倉城主の長井大善大夫高乗(ながいだいぜんたいふたかのり、生誕不詳?1402)が開基となり、寺名もここに由来しています。」

初代初沢城主と言われた椚田(くぬぎだ)氏は平安時代から鎌倉時代にかけて武蔵・下野・上野に勢力を伸ばしていた小領主の同族的武士集団である武蔵七党のうち東京八王子周辺を拠点とした横山党の庶流で横山時重の四男、太郎重兼が椚田の地に館を構えその子次郎広重より地名を称して椚田氏と名乗ります。

建暦3年(1213)鎌倉幕府重臣の和田義盛(1147~1213)は二代目執権北条義時(ほうじょう・よしとき、1163~1224)の挑発に乗り幕府軍と戦い敗死、和田氏と姻戚関係にあった横山氏は当然ながら和田氏に与したため和田氏ともども滅亡、庶流の椚田氏も横山氏に従ったため没落します。

和田義盛の乱にて滅亡した横山氏所領は戦功のあった大江広元に与えられます。そもそも大江氏はかつては朝廷に出仕していた下級役人でしたが源頼朝の側近として重用され、幕府の政所初代別当(長官)を務めるなど創設に貢献、頼朝亡き後にも北条一族と協調して幕政に参画、執権義時と共に連署をするなど政策の決定に強く影響を及ぼしています。


2022年10月13日追記

境内に建てられた説明板には下記の通り記述されています。

『 高乗寺 沿革

当寺は応永元年(1394)、法光円融禅師峻翁令大和尚により開創しました。その後、現在の境内地へ移築、臨済宗から曹洞宗への改修を経て、永正2年(1505)、通庵主浩達大和尚により改めて開山しました。

開創に関して、当時の片倉城主、永井大膳太夫高乗公が深くかかわっており、高乗寺の寺名は此処に由来しています。また永井家は毛利家の系譜の関係であることから、寺紋(略)は毛利家の紋です。

当寺は、三多摩の曹洞宗の名刹で、都立高尾陣馬自然公園内に位置し多摩八大寺のひとつに数えられます。池の前には、生まれ年干支守り本尊八尊仏が並び、霊園内の聖観音初沢観音が霊園全体を優しく見守っています。敷地内には山王神社社殿があり、毎年8月には祭礼が開かれます。

本堂には本尊に釈迦牟尼仏、両脇に文殊菩薩と普賢菩薩を安置しております。本堂隣接の大慈閤には、正面に御前仏十一面観音立像をまつり、奥壇には、八王子三十三観音霊場第十九番札所、また武相観音第十八番札所に指定されている秘仏三十三体観音像を安置し、十二年に一度、卯年の四月にご開帳となります。

高尾霊園は、昭和40年(1965年)4月に開園した当寺管理の公園墓地です。約五万坪の邦題な敷地に約7500区画の墓地を有し春の千本以上の桜をはじめ、四季を通じて自然豊かな景色が広がります。

  平成17年10月吉日
              龍雲山 高乗寺 三十七世 細川 泰徳 』

交通手段
私鉄 徒歩

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  • 「漕洞宗龍雲山高乗禅寺」石標<br /><br />京王電鉄高尾駅南口から初沢川に沿って約10分ほど歩きますと途中の道路に上記の石標が現われます。

    「漕洞宗龍雲山高乗禅寺」石標

    京王電鉄高尾駅南口から初沢川に沿って約10分ほど歩きますと途中の道路に上記の石標が現われます。

  • 高乗寺沿革・説明板

    高乗寺沿革・説明板

  • 高乗寺・案内板<br /><br />途中の電柱にも高乗寺案内が記されています。高乗寺に向かう初沢川に沿った道は公道ですが事実上当寺の参道と言っても過言ではありません。

    高乗寺・案内板

    途中の電柱にも高乗寺案内が記されています。高乗寺に向かう初沢川に沿った道は公道ですが事実上当寺の参道と言っても過言ではありません。

  • 初沢川<br /><br />高乗寺に向かう道路の左側には初沢川が南北に流れています。

    初沢川

    高乗寺に向かう道路の左側には初沢川が南北に流れています。

  • 初沢山西側麓<br /><br />初沢川の東側住宅地に迫る初沢山を見上げます。この山頂に初沢城、別名椚田城の城跡があります。

    初沢山西側麓

    初沢川の東側住宅地に迫る初沢山を見上げます。この山頂に初沢城、別名椚田城の城跡があります。

  • 高乗寺境内案内図

    高乗寺境内案内図

  • 高乗寺沿革・説明板<br /><br />

    高乗寺沿革・説明板

  • 高乗寺・参道<br /><br />

    高乗寺・参道

  • 高乗寺・境内<br /><br />境内には池が造作され優雅な雰囲気が感じられます。<br />

    高乗寺・境内

    境内には池が造作され優雅な雰囲気が感じられます。

  • 札所高乗禅寺・寺標<br /><br />当寺は武相卵観音霊場十八番、八王子三十三観音霊場十九番に指定されています。<br /><br />

    札所高乗禅寺・寺標

    当寺は武相卵観音霊場十八番、八王子三十三観音霊場十九番に指定されています。

  • 「漕洞宗高乗寺」石碑

    「漕洞宗高乗寺」石碑

  • 高乗寺・本堂<br /><br />応永元年(13949)法光圓融禅師峻翁令山大和尚により開創、その後臨済宗から漕洞宗への改宗を経て、永正2年(1505)に通庵浩達大和尚により改めて開山されました。

    高乗寺・本堂

    応永元年(13949)法光圓融禅師峻翁令山大和尚により開創、その後臨済宗から漕洞宗への改宗を経て、永正2年(1505)に通庵浩達大和尚により改めて開山されました。

  • 高乗寺・本堂扁額<br /><br />「大慈雲」の扁額が掲げられています。

    高乗寺・本堂扁額

    「大慈雲」の扁額が掲げられています。

  • 高乗寺・鐘楼堂

    高乗寺・鐘楼堂

  • 高乗寺・取水舎

    高乗寺・取水舎

  • 高乗寺・大慈閣

    高乗寺・大慈閣

  • 高乗寺・境内<br /><br />

    高乗寺・境内

  • 高乗寺・境内<br /><br />寺紋として毛利家の紋が記されています。その経緯としては、大江広元の孫経光の四男時親が安芸国吉田荘を相続し、安芸国毛利家の始祖となり元就に繋がっていきます。<br /><br />

    高乗寺・境内

    寺紋として毛利家の紋が記されています。その経緯としては、大江広元の孫経光の四男時親が安芸国吉田荘を相続し、安芸国毛利家の始祖となり元就に繋がっていきます。

  • 高乗寺・境内

    高乗寺・境内

  • 高乗寺・境内

    高乗寺・境内

  • 高乗寺・鐘楼堂<br /><br />やや小振りの鐘楼が建立されています。

    高乗寺・鐘楼堂

    やや小振りの鐘楼が建立されています。

  • 高乗寺・境内<br /><br />あずま屋などが造作されています。

    高乗寺・境内

    あずま屋などが造作されています。

  • 高乗寺・境内

    高乗寺・境内

  • 高乗寺・境内

    高乗寺・境内

  • 高乗寺・境内

    高乗寺・境内

  • 高乗寺・境内

    高乗寺・境内

  • 高乗寺・境内

    高乗寺・境内

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