2010/02/17 - 2010/02/17
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ペコちゃんさん
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鎌倉は何度か行ったことがありますが、一度、梅の花の時期に訪ねてみたいと思っていました。
今回は、〇○会の仲間12名で出かけ、東慶寺 ⇒ 建長寺 ⇒ 鎌倉宮 ⇒ 鶴岡八幡宮 ⇒ 宝戒寺 ⇒ 長谷寺 ⇒ 鎌倉大仏 と回りました。
早春の鎌倉は、落ち着いていて風情があります。
梅の見頃には、まだ少し早かったのですが、境内を歩くと仄かな香りが漂っていました。
写真は、長谷寺の門前に咲く梅の花。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 同行者
- 友人
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- JRローカル 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
地元駅発8時20分の電車で池袋に向かい、湘南新宿ライン快速に乗換えて大船駅へ、更に横須賀線で北鎌倉駅へ・・・2時間で着きました。
鎌倉は、いつ来ても風情のある佇まいです。
北鎌倉のスタートは、円覚寺に行くグループと東慶寺に行くグループに分かれ、建長寺で合流することにし、私は東慶寺に行くグループに加わりました。 -
この時期、北鎌倉を歩くと梅の香りが漂ってきます。
東慶寺も紅梅、白梅、枝垂れ梅が約120本咲く北鎌倉随一の梅の名所。
石段を登って「山門」から境内に入ります。 -
山門を入って、左側にある「鐘楼」。
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小さな門をくぐり、本堂の方へ。
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本堂の前に咲くのはオウバイ。
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東慶寺は今から約730年前(1285年)に、北条時宗夫人の覚山志道尼が開創しました。
女性の側から離婚できなかった昔、当寺に駆け込めば離縁できる女人救済の寺として、明治に至るまで600年の永きにわたり、縁切りの寺法を引き継いできました。
明治4年に、女性からの離婚請求権が認められるようになって縁切りの寺法は廃止となり、尼寺の歴史も明治35年に幕を閉じましたが、明治38年に、釈宗演禅師が入寺して中興開山となり、新たに禅寺としての歩みを始めました。 -
東慶寺は臨済宗円覚寺派の寺院で、かつては尼寺でしたが、 現在は男僧の寺になっています。
門下には哲学者・政財界人も多く、禅について英語で著作して日本の禅文化を海外に広く知らしめた仏教学者の鈴木大拙(1870~1966)もその一人でした。
また、西田幾多郎・鈴木大拙・高見順・小林秀雄など著名人のお墓があります。 -
「金仏」の前でスケッチを楽しむ人。
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白蓮舎の庭には山茱萸(さんしゅゆ)が。
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梅を楽しんだ後は記念撮影し、建長寺まで歩いて円覚寺グループと合流。
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臨済宗建長寺派の大本山・建長寺は、鎌倉幕府5代執権・北条時頼によって創建された禅宗寺院で、1253年に落慶供養が営まれました。
開山(初代住職)は宋からの渡来僧・蘭渓道隆(大覚禅師)です。
その後、1293年の鎌倉大地震や火災などで創建当初の建物を失い、江戸時代には徳川家の援助で主要な建物が新築または他所から移築されましたが、1923年の関東大震災でも大きな被害を受けています。 -
これは、1775年に建立された三門(山門)・・・銅板葺きの二重門(2階建て)で、関東大震災で倒壊したものの、再建されました。
初層には仁王像などを置かず、門扉も壁もない吹き放しになっており、上層には宝冠釈迦如来像や銅造の五百羅漢像などを安置しています。 -
1814年に再建された「法堂(はつどう)」・・・かつてはここに僧侶全員(388人の記録あり)が集まって住持の説法を聞き、修行の眼目としたそうです。
鎌倉最大級の木造建築で、関東最大の法堂です。 -
天井画は、建長寺の創建750年を記念して、2003年に奉納された小泉淳作(1924~2012)筆の「雲龍図」。
建長寺が発祥と言われる「けんちん汁」のサービスがあると聞いていたので楽しみにしていましたが、見当たりませんでした。 -
建長寺の奥にある半増坊に向かい、250段の階段を上って行くと、階段の左右は鼻高天狗に烏天狗、岩壁にはそれぞれ色々なポーズをとる小さな烏天狗が並んで、今も参拝者に睨みを利かせています。
大小12体あるそうで、いろいろと愛らしい格好をしています。 -
カラス天狗を見ながら階段を上りきると「半僧坊」があり、そこからの眺めもなかなかのもの・・・250段を頑張って登る甲斐はあります。
半僧半俗姿の半僧坊大権現は、明治時代に静岡の方広寺(奥山半僧坊)から建長寺の鎮守として勧請され、火防・厄除け等、様々なご利益があるようです。 -
ここから先の道は、天園ハイキングコースにつながります。
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半僧坊から5分の所に「勝上嶽(しょうじょうけん)展望台」があるので、また階段を登って行きます。
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気軽にハイキングと思って選んだこのコースは、鎌倉アルプスと言われるくらい結構ハードなコースで、大変・・・急な階段にはロープがあり、これを使わないと登り降り出来ません。
尾根に到着すると、富士山や相模湾方面が見えるそうですが、今日はあいにくの天気でダメです。 -
足元が悪い中、皆、何とか麓に辿り着きました。
観光コースに戻り、「鎌倉宮」を参拝しました。
神社の祭神である護良親王は後醍醐天皇の皇子で、父と共に鎌倉幕府を倒し、武家から天皇中心の社会へ復帰させた「建武中興」に尽力しました。
親王の功を賛え、明治2年に明治天皇は神社の造営を命じ、社殿が造営されました。 -
拝殿前には、鎌倉宮の伝統とも言える「獅子頭守」(ししがしらまもり)が参拝者を迎えます。
これは、護良親王が戦の時に、兜の中に獅子頭の小さなお守りを忍ばせて、自らの無事を祈ったと言われ、鎌倉宮の創建当初からのお守りです。 -
鶴岡八幡宮に向かう途中、「源頼朝の墓」がありました。
1199年に53歳で亡くなりましたが、落馬が原因と言われています。
この墓は、白旗神社のすぐ横の階段を登った所にあり、江戸時代に島津氏によって建てられたもので、高さ186cmの五層の石塔です。 -
鎌倉といえば、やっぱり「鶴岡八幡宮」・・・61段の大石段を登りきると桜門、その奥に拝殿とつながった本宮があります。
鶴岡八幡宮は、京都の石清水八幡宮を厚く信仰していた源頼義が1063年に勧請し、社殿を創建したもので、神社の祭神は、応神天皇・比売神・神功皇后 の3柱です。 -
現在の本宮は、1828年に徳川家斉が再建したもので、大正12年の関東大震災で大きな被害を受けますが、その後、修復されました。
明治3年に廃仏毀釈の動きが始まり、多宝大塔などの仏堂は破壊され、仏像・仏具・経典なども破壊・焼却処分されるか散佚してしまいました。
本宮の扁額の「八」の字は、鳩を模しています。 -
鶴岡八幡宮にも、あちこちに梅が咲いています。
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メジロが梅の蜜を吸っています。
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和紙の原料になる三椏の花。
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お腹も空いてきたので、写真を撮って鎌倉駅前に。
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小町通りの和食屋で、名物のシラス丼を頂きました。
天ぷらに刺身もついて、1300円・・・皆から大好評でした。 -
昼食の後は再び鶴岡八幡宮の方に戻り、「宝戒寺」の梅を見に行きました。
ここは、1335年に後醍醐天皇が創建した天台宗のお寺です。 -
「萩の寺」とも呼ばれていますが、梅の名所でもあります。
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本堂前の枝垂れ梅が見事です。
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白梅も紅梅も綺麗でした。
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最後の観梅は、鎌倉から江ノ電に乗り、3つ目の長谷駅で降りて徒歩5分の「長谷寺」・・・736年に、奈良の長谷寺の開基でもある徳道を藤原房前が招請し、十一面観音像を本尊として開山した浄土宗の寺です。
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境内もかなり広く、山門を過ぎると妙智池・放生池という2つの池があり、沢山の梅の木が花と香りを競っています。
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多くの建物は、関東大震災で倒壊したため、その後の再建です。
観音堂の前には、満開の紅梅が・・・ -
花の寺として有名な長谷寺は、アジサイ・花菖蒲・梅・椿・百日紅・桔梗などの花が、四季を通じて境内を彩ります。
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特に、アジサイの時期にはアジサイ散策道が見事ですが、梅の花も負けていません。
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梅の他に、河津桜も見頃です。
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散策路を登って行くと展望台があり、由比ガ浜や材木座の海岸、逗子・三浦方面の山並などが一望できる、絶好のビュースポットです。
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今日の締めは、高徳院の鎌倉大仏です。
高徳院は、鎌倉のシンボルともいうべき大仏を本尊とする浄土宗の寺院ですが、開山・開基や大仏の造像の経緯について史料が乏しく、不明な点が多いそうです。
大仏の鋳造が始まったのは1252年で、かつて大仏を覆っていた大仏殿は、1498年の海潮で流失したそうです。 -
像高は約11.39m(台座を含め高さ13.35m)で、重量は約121トン。
奈良・東大寺の大仏に比べると3mほど低いのですが、やはり大きい。
因みに、大仏内部は空洞になっていて、胎内に入ることも出来ます。
梅の香に包まれた、鎌倉の一日でした。
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